救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

大韓機事件と拉致問題の密接な関係?金賢姫氏告発(2009/01/30)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2009.01.30-1)

以下は、1月22日に開催された東京連続集会の詳細報告です。10年ぶりに北
朝鮮元工作員の金賢姫氏が表に出て、「飯塚さんの家族と会いたい」と発言した
ことを受けての飯塚繁雄・家族代表と西岡力・救う会会長代行の話が中心です。
長文なので2回に分けて報告いたします。当日は、拉致被害者をどのように救出
するかについて西岡代行から話がありましたが、関連情報を次号で報告します。

■大韓機事件と拉致問題の密接な関係?金賢姫氏告発

◆妹がしゃべっているのではないかと錯覚を起こした金賢姫氏の日本語
飯塚 1月15日の昼ごろ、突然NHKから、「金賢姫のインタビューが取れたの
で、内容を見ていただいた上でコメントしてほしい」との電話がかかってきまし
た。金賢姫さんは、飯塚家にとっては関係の深い方で、あの方が生きていたこと、
そして一部始終を話していただいたおかげで、妹の田口八重子が北朝鮮にいると
いうことが分かったわけです。

彼女が書いた本には、「田口八重子は北朝鮮にいてはだめな人だ。すぐ返すべ
きだ」という気持ちが非常に強く出ています。インタビューを見た時に、妹がしゃ
べっているのではないかという錯覚を起こしました。妹から教わった日本語をそ
のまましゃべっているという雰囲気がありましたし、私はまだ会ったことはない
のですが、なんとなくなつかしさを感じました。妹は、こういう方と20か月の
間生活をしていたんだなあ、という思いを強くしました。

また、先日の彼女が出した文章(昨年10月の書簡、月刊朝鮮2月号での趙甲済
氏とのインタビュー・訳文救う会メールニュース081207、090118・救う会註以下
同)でも、私たちに会いたいとありました。また息子の耕一郎の顔も、私の顔も
テレビで見て十分知っていたこと、耕一郎については、お母さんと目がそっくり
だと、私については兄妹だからそっくりだが特にほほの骨がそっくりで、一見し
てお兄さんだとすぐに分かった、ということでした。また、当時妹との話などを
話していて、私は感動しました。文章で読むのと違い、直接ことばで話が聞けた
ということで、何としても会いたいという気持ちを強くしました。

彼女は、盧武鉉時代には、国家情報院(国情院)の管理下におかれ、絶対人と
会えない、話せない状況が続いていましたが、李明博大統領に代わり出てこれる
ようになったのではないかと感じました。しかし、すべて組織が変わったわけで
はないこともよく知っているようで、韓国政府やマスメディアには安心して話が
できないと言っていました。しかし、「拉致問題では少しでもお役に立ちたい」
と言っていました。また、私たち家族にも是非会いと言っていました。私たちも
会いたいと言っていましたから、気持ちが通じていると確認できました。

もちろん会ったからといって、向こうにいる拉致被害者の情報がとれるかどう
かは分かりませんが、会えれば、現状をお知らせして、拉致問題への対応が少し
でも具体化できればという期待を持っています。

彼女は人間的には非常にいい人だと思っています。彼女自身は、工作員にさせ
られて事件を起こしたことについては、重く感じていますが、反面かわいそうな
立場だとも感じます。会えるようになれば、すぐに行きたいと思っています。

わが総理大臣にも具体的な対応をお願いしたいと思っていますし、できればオ
バマ大統領にも会う機会があればと思っています。

◆10年間、ひどい目にあってきた金賢姫氏
西岡 まず金賢姫さんの証言についてお話します。家族会・救う会が救出運動を
始めたのは1997年ですが、金賢姫さんはその頃から表に出なくなりました。97年
12月に、金大中さんが大統領に当選し、韓国が親北左派政権になった時期が、我
々が運動を始めた時期でした。また彼女は結婚し、社会活動をやめました。彼女
は今から約20年前の88年に記者会見し、そして手記を書き、続いて田口八重子さ
んについても本を書きました。当時彼女は、私のほうが会いたいと言っているの
に、飯塚さんたちが表に出てこないことについて、残念に思っていました。家族
会が出来るまでは、韓国では拉致問題について自由に発言できました。田口さん
についての本も韓国語で先に出ましたし、原敕晁さんについては『月刊朝鮮』は、
90年代半ばに日本に取材に来て、書いています。横田めぐみさんの拉致の情報も、
韓国から日本に来ました。

彼女がこの10年間、ひどい目にあってきたことについて、去年の10月に初めて
発言するようになりました。特に2002年以降、彼女に関する色々な噂が流れまし
た。離婚したとか、移民して韓国にいないとか、夫婦仲が悪いとかです。

10月初めに、李東馥(イ・トンボク)さんという元国会議員に長い手紙を出し
ます。その中で、彼女は、この10年間、国情院がやったことに謝罪し、責任者を
処罰させよと書いています。李東馥さんに手紙を出したのには因縁があります。

彼は、南北会談の専門家で、北朝鮮との交渉に何回も参加しています。1972年、
金賢姫さんは小学生くらいで、外国からきたお客さんに花束を渡す役割をしてい
て、彼女は北朝鮮を訪れた李東馥さんに花束を渡しているのです。彼女は、自分
は前から2番目の代表に花を渡したと陳述したので、当時の安企部が代表団の序
列から張基栄・副総理に渡したとして発表したところ、北朝鮮は張副総理に花を
渡したのは自分だという女性が北朝鮮から出てきて、金賢姫は偽物だと主張する
一幕があった。実は、萩原遼さんという共産党の『赤旗』の記者が、特派員とし
て72年にその現場にいて、写真をたくさんとっていた。その写真を分析したとこ
ろ、金賢姫がそこにいたことが明らかになった。大変硬い顔をしていたので李東
馥さんが少しなぐさめようとして、「この花はなんというの」と聞いた。すると
金賢姫が、「朝鮮人なのに朝鮮の花も知らないのですか」と言ったことがある。
それで、李東馥さんが金賢姫のことを覚えていて、金賢姫ももちろん覚えていた。
それで、ソウルに来てからは、李東馥さんに挨拶もしていた。

李東馥さんは保守派で、北朝鮮金正日体制とそれに追従する韓国親北派を批判
する文章をしばしば書いている。そして、昔の自分のことを知っている。自分が
偽者でないことを、花を受け取っていて一番よく知っていると思って、李東馥さ
んに手紙を書いたのです。その手紙が、元『月刊朝鮮』編集長の趙甲済さんのと
ころに行き、『月刊朝鮮』の12月号に主要部分が掲載され、趙甲済氏の主宰する
インターネット・メディアに全文掲載されます。これは、救う会でも日本語に翻
訳し、メールニュースで発信し、ホームページにも掲載されています。

そこで書かれているほとんどは、国情院がいかにひどいことをしたかというこ
とです。これに対し、韓国では、「偽の手紙」ではないかと批判が起こり、それ
に対し金賢姫さんが趙甲済さんに、「あの手紙は本物で、書いたのは私だ」とい
う手紙を書いた。そのいきさつが、『月刊朝鮮』1月号に掲載されています。

◆めぐみさんが日本語を教えた同僚工作員「淑姫」
私は、12月に、別の脱北者の証言を取るためにソウルに行ったのですが、趙甲
済さんにも会ったのです。そのとき、趙さんが私に「時々金賢姫から電話がかかっ
てくる。この前かかってきた時に、田口さんを最後にみたのはいつか聞いた。す
ると85年と言っていた」ということでした。北朝鮮は86年死亡としていますので、
生存情報には結びつきませんが、「またかかってくるから聞きたいことがあれば
教えてくれ」と言ってくれました。

そこで、淑姫(スクヒ、実際の発音はスッキ、金賢姫の同僚工作員で横田めぐ
みさんが日本語を教えた)について知っていることをきいてほしい、と頼みまし
た。ご存知の方もいると思いますが、帰国した地村さん夫妻が、「めぐみちゃん
から聞いた」ということで、「めぐみちゃんは北朝鮮の工作員スッキに日本語を
教えていた」と言っています。しかし、発音を聞いただけでは、家族の方は分か
らなかったのですが、私は、金賢姫の本にある金淑姫だとピンときて、そういう
ことだったのかと思ったことがあります。

その話を趙甲済さんにしました。金賢姫は、金淑姫とともに金正日政治軍事大
学に80年に入学し、1年間基礎訓練を受け、その後83年まで別々に暮らし、その
間、田口さんに日本語を習っています。その後、また合流し、マカオで日本人に
化ける訓練をします。当時、淑姫は「高橋けいこ」という名義の偽造されたパス
ポートを持ち、日本としての偽装訓練を受けています。淑姫も日本人化教育を受
けているわけです。工作員は互いに互いのことを聞いてはいけないという原則は
あるけれど、女同士ですから、教官はだれだったかと聞く筈です。淑姫がめぐみ
さんのことを聞いている可能性が高いので、そのことを聞いてほしいと趙甲済さ
んに頼みました。

そのことについて金賢姫はこれまで言っていません。自分が見たこと、経験し
たことは書いていますが、他の工作員から聞いたことは書いていない。それを書
くと、その工作員のルール違反が明らかになり、淑姫が処罰されるおそれがあっ
たからです。そこで、趙さんに、既に帰国した被害者により、淑姫の先生は横田
めぐみさんだったことが公開されており、秘密を守る意味はなく、処罰されるこ
ともないので教えて欲しいと頼んだのです。

◆金正日の秘密パーティで田口八重子さんが出会った日本人夫婦
もう一つ頼んだのは、金賢姫の本の中に、田口八重子さんから「絶対秘密よ」
と言われて聞いた話として、「自分は金正日の秘密パーティに呼ばれた。そこに
自分と同じように日本から拉致されたと思われる夫婦がいた」というくだりがあ
ります。その時期に、田口さんが出会った夫婦とは誰なのか、何か田口さんから
聞いていないか、を聞いてほしいと頼みました。

田口さんは、金賢姫と別れた後、86年まで平壌の南、中和郡忠龍里(チュンリョ
ンリ)に行くのですが、田口さんが一つの招待所に、別の招待所に地村さん夫妻、
もう一つの招待所に蓮池さん夫妻がいた。彼らは、本当は行ってはいけないので
すが行き来していた。その行き来の中で、そこにいない日本人の話が出れば、田
口さんは蓮池さんや地村さんに話をしていない筈がない。そのことについては帰
国した4人は言及されていません。そこで、別の形でそのことが証明できればと
思って頼んだわけです。

そのことを趙さんに頼んだら、「そういえば彼女から淑姫の言葉が二度も出た
なあ」「淑姫について何か言いたいことがあるかもしれない」と言っていました。

1月15日に、NHKが金賢姫さんの声を放送した。趙さんによると、金賢姫さん
が、「自分からNHKに電話した」ということでした。「知り合いの記者がいる」
ということでした。

たまたま別の用事で、私がまたソウルに行った時、『月刊朝鮮』2月号が出ま
した。その直前に『月刊朝鮮』には金賢姫の最近の写真が出ています。趙甲済さ
んと二人で写っています。かなり長いもので、25,000字くらいあります。インタ
ビューだけでなく、その背景について趙さんが解説したものです。

拉致に関する部分で、私の質問に対する金賢姫の答えはこういうことでした。
「淑姫からめぐみさんのことを聞いていた。小さい時に拉致されてきた女の人で、
韓国から拉致されてきた人と結婚して女の子を産んだ」。横田めぐみさんという
名前は分かりませんが、めぐみさんに間違いない。

「めぐみさんは大変おとなしい性格で憂鬱であった。何回も入院していた。淑
姫もおとなしい性格で、おとなしいめぐみさんと一緒にしたために、もっとおと
なしくなった。工作員は活発でなければならないのに、淑姫を李恩恵に合わせる
のだった。失敗した」と語ったということです。

◆「めぐみさんの写真を見た」金賢姫氏
また、金賢姫は、「めぐみさんの写真を見た」と言っています。「淑姫とめぐ
みさんが招待所の中でポラロイド写真を撮ったのを淑姫が持っていた。それを見
せられた」と。それと、「北朝鮮から来ためぐみさんの写真が似ている」。つま
り、金賢姫はめぐみさんの存在を知っていたのです。

韓国が左翼政権でなければ、家族会の運動が始まる前に、金賢姫にめぐみさん
の写真を見せていれば、「同僚を教えた人だ」と言ってもらえたかもしれない。
拉致の証明も早くできたかもしれない。当時の日本の外務省は、もっと仕事をし
てほしかったと率直に思います。もちろん簡単には接触できなかったかもしれま
せんが。

我々は、めぐみさんの存在を証明できる証人を2002年以前に、二人もっていた
のです。辛光洙は当時韓国にいたわけです。金賢姫もいました。写真も見ている。
淑姫の情報は、北にいた時に聞いたわけです。そういう情報源が韓国にいたのに、
明らかにすることができなかった。そういう意味で、今韓国にいる元工作員だっ
た人たちの話を聞くことが大変必要です。

先ほどある会合で、横田早紀江さんに会い、その話をしたのですが、「めぐみ
さんは大変活発な明るい子だった。おとなしいなんて言われるのはおかしい。む
こうに連れて行かれてどれだけショックを受けたか。つらい生活をさせられたか
らおとなしい性格になってしまった。本当にかわいそうだ」と母親らしいコメン
トを話されました。

秘密パーティについては公開されている以上のことを田口さんから聞いていな
いが、招待所で聞いた話として、「日本人の夫婦が二組いた」とのことです。そ
の他、「招待所に日本人教官が10人以上はいるだろう」ということです。

秘密パーティについては、それ以上の情報はありませんでしたが、二組とは微
妙です。田口さんが拉致された1978年夏には3組のアベックが拉致されています。
地村夫妻、蓮池夫妻、市川さん・増元さんです。金賢姫は会ったわけではなく、
話を聞いただけですから、正しいかどうかは分かりませんが、分からないことが
まだたくさんあるということです。「10人以上はいる」というのは彼女の推測で、
ほかの日本人を見てはいないようです。工作機関の中で日本語を教えてきた人が
10人以上ということは、その妻がいれば20人になります。

◆田口さんの死亡「全然信用できない」?金賢姫氏
また、田口さんの死亡については、「全然信用できない。まず交通事故が起き
るような国ではない。自分の存在が証明されてしまったり、工作員であることが
分かってしまうような人(被害者)は出せないでしょう」という報告です。また、
運転手から聞いた話として、「田口さんは85年頃、山の中のさびしいところにい
た。そこで運転手が尋ねていって、そこで田口さんに乱暴を働いたので処罰され
た」という話があります。田口さんが結婚したという話は聞いていない、とのこ
とです。

以上が、趙さんを通じて金賢姫さんから聞いたことです。

蓮池さんたちの証言によれば、85年に田口さんは忠龍里にいました。平壌の南
にあり、山の麓のようなところで、谷間から峯を越えないと互いに行き来できな
いところですから、「さびしいところ」というのは、忠龍里のことと思われます。
東北里(トンブクリ)の招待所とか、金正日政治軍事大学は平壌の北側です。

(つづく)


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