何をためらう! 日本独自の追加制裁を断行せよ(2009/02/05)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2009.02.05-1)
以下は、月刊誌『正論』2月号に掲載された、西岡 力・救う会会長代行の論
文です。状況の変化など考慮し、一部追加しています。2回に分けて送ります。
■何をためらう! 日本独自の追加制裁を断行せよ
西岡 力(救う会会長代行・東京基督教大学教授)
昨年11月15日、拉致被害者市川修一さんのご母堂、トミさんが逝去された。享
年92歳だった。そのお年であれば、普通、天寿を全うしたとされ、同居し世話を
し続けた長男の健一さんとその嫁、龍子さんの親孝行ぶりが話題となるべきとこ
ろだ。しかし、筆者も参列した葬儀では、無念、残念、政府は何をしているのか、
時間がない、などという悔しさと怒りの声が充満していた。というのも、30年前
の1978年8月12日にトミさんは愛する次男の修一さんを北朝鮮工作機関により奪
われ、その帰りを待ち続けながら、再会できずに逝去されたからだ。
トミさんは晩年の30年間は、夫(94歳)と「修一が帰ってくるまで元気でいて
やらねば」と手を取り合い励まし合ってきた。野菜中心の食事、毎日の散歩など
で健康管理に人一倍気を配っていた。それが、理不尽に息子を奪った北朝鮮と、
長期間、国民が拉致されているのを知りながら救出に立ち上がらなかった政府に
対する戦いだった。
ところが、11月10日朝、台所でいつものように家族のために味噌汁を作ってい
る最中に、クモ膜下出血で倒れ、入院した。年齢の割に体が丈夫だと、手術をす
ることになったが、その矢先に2度目の発作が起き、意識を失ったまま、15日午
後に逝かれた。
実はこの11月15日夜、息子の帰りを待ち続けるトミさんたち夫婦を主人公にし
たテレビ番組が全国ネットで放映されたが、番組の最後でトミさんが本日ご逝去
されたという字幕が流されるというドラマがあった。
もう一つ、この日は31年前に横田めぐみさんが拉致された日であり、新潟市で
開かれた集会で横田早紀江さんが講演の中でトミさんのことを語っていたほぼ同
じ時刻に、トミさんは逝かれた。意識を失った中でも、この日まで生き続けて、
息子に会えず旅立たざるを得ない母の悔しさを世論に強く訴えたのだ。まさに、
最後まで生き続けることが戦いであった。
◆高齢化が進む家族会
家族会メンバーの親の世代を見ると、地村保志さんのお母様が平成14年5月、
息子の帰国の数ヶ月前に逝去され、同じ年の10月、5人の被害者が帰国した数日
後に、増元るみ子さんのお父様が逝去されている。また、市川修一さんのお父様
は妻であるトミさんの葬儀にも参列できないくらい弱っており、増元さんのお母
様と松木薫さんのお母様はいま入院中だ。有本恵子さんのご両親は集会や街頭署
名などに出られてお元気そうに見えるが、80歳を超えており、お母様は膝に痛み
をお持ちの中、体を張っての運動をされている。松本京子さんのお母様は85歳、
聴力が落ちるなど弱ってきている。
家族会の救出運動は平成9年3月から始まり、すでにほぼ12年が経つ。横田めぐ
みさんが拉致された年齢が13歳と一番若かったので、親の世代では横田さんご夫
妻が家族会結成時60代で若く、滋さんが初代代表となり、運動をひっぱってきた。
その滋さんもいま76歳、平成17年には血液の血小板の数が急減するという難病に
かかり、一時は重篤にまでなられ、平成19年11月に家族会代表を退任された。
滋さんが病気のため海外への渡航が制限される中、夫人である横田早紀江さん
が、平成18年訪米しブッシュ大統領と面会するなど精力的に活動されてきたが、
実は訪米の際も長年蓄積した疲労のため体中の筋肉が硬直して耐えがたい痛みの
中、無理して長時間の飛行機に乗っていただいた。そして、ついに昨年10月に、
横田早紀江さんは、地方での講演のため新幹線で移動中に、突然、視界が真っ白
になり、冷や汗と吐き気に苦しめられるという容易ならない症状が1時間近く続
いたという。これは、ご本人が月1回持っているキリスト関係者との集会で話さ
れたことなので、敢えてここに記させていただいた。精密検査の結果、極度のス
トレスによる不整脈との診断が下ったときいている。
確かに、家族、特に母親としての横田早紀江さんや有本嘉代子さんの話を聞く
と、これまで各地でたぶん少なくとも百回以上聞いている私でも涙が止まらない。
しかし、家族を先頭にした運動により、世論を一定程度盛り上げることに成功し
たが、親の世代がくたくたになり、疲れ切っていることもまた事実だ。
トミさんの悲劇をくり返さないためには、まさに時間との戦いなのだ。麻生首
相は、就任直後に家族会会員と面会した。わたしもそこに同席したが、総理は口
々に時間がない、早く解決して欲しいと迫る家族に対して、ここまで時間がかかっ
た理由は政府が本格的に取り組む体制を作るのが遅かったためだと認めた。
たしかに、政府認定拉致事件だけに限定して考えても、政府内に拉致問題対策
本部が設置されたのは事件発生から約28、29年後の平成19年10月で、これまで2
年数ヶ月活動をしてきたに過ぎない。対策本部は全閣僚がメンバーで首相が本部
長、官房長官が担当大臣で副本部長であり、内閣官房に専従の事務局を持ち、年
間6億円程度の事業予算をもって活動している。
麻生総理の言うごとく、この体制が拉致事件直後にできていれば、もっと早い
解決が可能だったはずだ。ちなみに、私は本誌を初め様々なところで書いている
が、現在の政府認定拉致被害者17人のうち少なくとも7人(久米裕さん、地村さ
ん夫妻、蓮池さん夫妻、市川さん、増元さん)に関しては、政府、正確には警察
庁は、事件発生直後から北朝鮮による拉致だと把握していた(読売新聞平成14
年12月20日夕刊で当時の警察庁幹部がそのことを認めている)。従って本来なら、
その時点で対策本部ができて当然だった。
昭和63年、大韓航空機爆破テロ事件が起き、犯人の一人金賢姫が韓国で犯行を
自供したとき、参議院予算委員会で梶山静六国家公安委員長が、地村さん、蓮池
さん、市川・増元さん3組6人のアベック失踪事件に関して「北朝鮮による拉致の
疑いが十分濃厚である」という歴史的答弁を行った。遅くてもこのとき対策本部
ができてもおかしくないはずだ。ところが、マスコミが答弁を全く報じず、世論
は全く盛り上がらず、なかったことにされてしまった。
その上、与野党政治家と外務省が対北外交で拉致を棚上げにした。梶山答弁の
2年後、平成2年に自民党・社会党が金丸・田辺訪朝団を出した際に、金丸団長は
金日成との長時間の会談の機会があったにもかかわらず、拉致問題を一度も提起
しなかった。金丸訪朝を受け、平成3年から4年、8回にわたって日朝国交正常化
交渉が行われたが、外務省はそこで梶山答弁が拉致と認めたアベック3組につい
て一度も提起しなかった。ここでもなかったことにされてしまったのだ。
平成14年9月、小泉首相の最初の訪朝時に、北朝鮮は拉致を認め5人を帰すとい
う大きな変化を見せた。この背景については、本稿後半で救出のための方策を論
じるときに詳論したいが、この絶好の機会をも当時の外務省は無駄にしてしまっ
た。当時、日朝交渉を仕切っていた田中均・外務省アジア大洋州局長は、拉致被
害者救出よりも日朝平壌宣言に両国首脳の署名をさせることを優先する拙速な外
交を行った。
小泉・金正日会談開始直前に北朝鮮側は「拉致した日本人は13人、うち5人
生存、8人死亡」とする「調査結果」を田中局長に伝えた。そのとき、最低でも
1、13人以外の被害者を出すこと、
2、5人の生存者を即時帰国させること、
3、8人の被害者の遺骨など死亡の根拠を提出すること
を強く求めるべきだった。
ところが、田中局長は、
1、その時点で我が国警察が拉致と認定していた久米裕さんをはじめとする被害
者が13人に入っていないことについて抗議せず、
2、北朝鮮が準備した5人の生存者と日本側との面会の席に、訪朝団のなかにい
た警察関係者を出さず、事前に本人しか知らない特徴や情報を調べていかなかっ
たため、その場で、5人の被害者らが必死で幼いときの交通事故の傷などをみせ
て拉致被害者本人であることを示していたのに、ただその話を聞き置いただけで、
本人であるとの確認作業すらしなかった。その上、1カ月後に、5人が帰国した際、
本人たちが秘密裏に日本に残る意思表示をしていたにもかかわらず、再度北朝鮮
に戻そうとすらしたし、
3、死亡の証拠を求めないまま、日本で待つ家族に「死亡されました」と断定的
に伝えて、あたかも、北朝鮮の死亡通告が事実かのごとく扱った
もしあのとき、きちんと交渉していれば、より大きな譲歩を北朝鮮から得るこ
とができていたはずだ。言い換えるなら、あの時点で拉致問題が国政の最優先課
題に位置づけられ、政府に対策本部ができていれば、このような無様な交渉には
ならなかったはずで、残念でならない。
実は昨年12月12日、家族会・救う会・拉致議連が主催した拉致問題国際シンポ
ジウムで、元北朝鮮統一戦線部幹部である張哲賢氏は金正日の拉致認定と関連し
て次のような貴重な証言をした。小泉訪朝直後、統一戦線部幹部向けの講演会で、
「日本側が拉致を認めさえすれば100億ドルの過去清算資金を提供すると約束し
たので、統一戦線部の反対にもかかわらず、金正日が大きな度量を見せて拉致を
認めた」、と聞いたというのだ。
人質事件において犯人にお前が人質を取っていることを認めれば身代金をやる
などという約束をしたとすれば、まったく愚かな交渉と評価されるだろう。少な
くとも人質全員の解放が身代金を渡す条件であるべきだ。ところが、当時の外務
省は、その愚かな取引を提案していた、あるいは、少なくとも金正日がそのよう
に認識するだけの誤解されやすいメッセージを出していたことになる。
以上、概観してきたように、拉致問題があまりにも長い間、解決をしないでき
た原因は、我が国政府が真剣に取り組む体制を作るのが事件発生から28年、29年
も経ってしまってからだったからだといえる。初動があまりに遅すぎたのだ。2
年前に遅ればせながら政府が対策本部を設置したことは評価できるが、それを生
み出した力は、やはりこの間、家族らが身を削って内外に訴えて来た結果、世論
が盛り上がったからだといえるだろう。
さて、麻生総理は家族との面会の場で、スピード感を持って取り組んでいくと
約束した。しかし、北朝鮮は8月に約束した、「拉致被害者に関する調査のやり
直し」を一方的に破棄し、日本批判を続けている。そんな中、同盟国米国は核問
題での北朝鮮側の見せかけの譲歩に誘われて10月、テロ支援国指定を解除した。
政権発足時には「悪の枢軸」と北朝鮮を位置づけ、悪事に対して見返りを与えな
いという原則的立場を掲げていたブッシュ政権の対北外交は、もはや完全にヒル
国務次官補、ライス国務長官ら融和派主導に変わってしまった。その上、今年発
足するオバマ新政権は、融和路線を高く評価しており、ヒル氏は職業外交官とし
て国務省内で出世することが予想されている。
◆拉致問題解決の3条件
拉致問題を解決させる方策はあるのか。日本は何をすべきなのか。そのような
質問をよく受ける。家族会現代表の飯塚繁雄さんはよく「解決のために奇策はな
い、王道をいくしかない」と話されている。私も全く同意見である。そして、状
況が大きく動き被害者救出の可能性は十分あると考えている。以下、私が現時点
で考えている、解決のための3つの条件を書いてみたい。
第1に、政府と国民が、いまも多くの拉致被害者が北朝鮮の地で抑留され救出
を待っていることを心に刻み、全員返せという怒りの声を上げ続けていくことだ。
すべての拉致被害者を救出するまで、絶対に北朝鮮への支援は行わず、制裁を緩
めず強めていくという決意を内外に強く示し続けることだ。そのために、世論へ
の継続した働きかけをする以外にない。これが、飯塚代表の言う「王道」だ。
「今も人質として抑留されているすべての日本人被害者の救出なしには国交正
常化も経済支援もあり得ず、制裁を課し続ける」という日本国民の拉致への怒り
は、いくら政治工作を仕掛けてきても変わらないことを、金正日政権と、ポスト
金正日政権を担う可能性のある党、軍、公安機関などの幹部らに、そして、中国、
米国、韓国などの指導者や外交当局にもしっかり伝えることが必要だ。
日本国と国民の拉致への怒りはいくら時間が経っても小さくなることはない、
それどころかより大きくなり制裁を強めていくばかりで、核問題解決や北朝鮮の
経済再建のために日本からの経済支援を使うためには、被害者全員の救出が絶対
不可欠であると思わせることができるかどうかが、救出への鍵なのだ。
逆に金正日政権が「すべての拉致被害者を帰国させなくても時間が経てばわが
国からの圧力が弱まる。 拉致棚上げのまま国交正常化し、多額の資金を日本か
ら得ることも可能」と判断している間は、被害者は帰って来られない。
その意味で、わが国政府の制裁一部解除への動きは、 拉致被害者救出を困難
にする裏切りというほかない。すべての被害者が帰国するまで、制裁解除は絶対
してはならない。
政府拉致対策本部は12月に「すべての拉致被害者の帰国を目指して?北朝鮮側
主張の問題点」とうタイトルの8ページパンフレットを作成した。日本語のほか、
英語、韓国語、中国語版も作られた。ここでは、拉致被害者は13人しかおらず8
人は死亡したとする主張がいかに根拠のないものなのか、北朝鮮が提出した資料
のでたらめさを写真入りで具体的に紹介して、被害者生存を前提にして帰国を求
め、拉致問題の解決なくして国交正常化はないなどと、次のように明確に政府の
立場を書いている。
「北朝鮮側は、次のように主張しています。
●(安否不明の拉致被害者12名のうち)8名は死亡、4名は北朝鮮に入っていない。
●生存者5名とその家族は帰国させた。死亡した8名については必要な情報提供を
行い、遺骨(2人分)も返還済み。
●日本側は、死んだ被害者を生き返らせろと無理な要求をしている。
しかし、こうした北朝鮮側の主張には以下のように多くの問題点があり、日本
政府は、<北朝鮮側の主張を決して受け入れることはできません。そして、被害
者の「死亡」を裏付けるものが一切存在しないため、被害者が生存しているとい
う前提に立って被害者の即時帰国と納得のいく説明を行うよう求めています。日
本政府は、決して「無理な要求」をしているのではありません。>
<拉致問題は、我が国の国家主権及び国民の生命と安全に関わる重大な問題であ
り、この問題の解決なくして日朝の国交正常化はあり得ません。
日本政府は、拉致問題を、解決すべき日朝間の諸懸案の最優先事項と位置づけ、
北朝鮮に対し、問題解決に向け早急に決断を下すよう強く求めています。>
パンフレットが行っている北朝鮮の主張への反論と、生存を前提にして即時帰
国を求めるという主張は、実はこの間、家族会・救う会が強く政府に求めてきた
ことで、このパンフレットはその意味で国民運動の成果とも言える。この政府の
姿勢が、金丸訪朝時や小泉訪朝時にあれば、事態の展開は大きく変わったはずだ。
しかし、遅ればせながらではあるが、このようなパンフレットを作って、政府の
立場をきちんと内外に示す姿勢は、私のいう被害者救出のための第1条件ができ
つつあるということだ。
家族の訴えではなく、日本政府が主権侵害をされたという立場で、北朝鮮政府
に強く反論している姿勢は、家族を前面に出した国民の感情に訴える従来の啓蒙
活動から一歩進んだ、望ましい方向と言えよう。今後の民間での国民運動も、家
族のストーリーを前面に出さず、論理的かつ事実に基づきに北朝鮮の主張のでた
らめさを一つ一つ論破していくことに、これまで以上に力を入れるべきだろう。
地方自治体を巻き込んだ各地での運動の展開の今後の方向性がここにある。
拉致被害者救出のための第2の条件に話を移そう。それは、北朝鮮が日本との
国交正常化を求めて我が国に接近せざるをえなくなる環境をできること、あるい
はそれを作ることだ。先ほどから見てきたように、これまで北朝鮮は2回、日本
との国交正常化を求めて近づいてきた。1回目が平成2年から4年の金丸訪朝と8回
の日朝正常化交渉のときであり、2回目が平成14年から16年の小泉外交のときだ。
その2回のチャンスをいかに政府がむざむざ逃してしまったかについてはここま
で書いていた通りだ。言い換えると、私の言うところの第1条件、全員救い出す
という強い世論がなかったためチャンスを生かし切れなかったとも言える。
しかし、これまで2回起きたことが、もう一度起きないとは言えない。そのよ
うな環境を作り出すために何をすべきか。それを知るために、過去2回のケース
を検討しておく。
1回目の金丸訪朝は、ソウルオリンピック後、急速に北朝鮮の国際的地位が悪
化していったことが背景にあった。まず、ソウルオリンピックにソ連、中国、東
ヨーロッパ諸国が大挙して参加し、韓国はアメリカ帝国主義の植民地という北朝
鮮の政治的主張が力を失い、東欧で社会主義政権がばたばたと倒れ、ソ連と中国
が韓国を結ぶという北朝鮮にとって最悪の国際環境が生まれた。また、従来6割
を占めていたソ連との貿易が激減し、エネルギー不足など経済はどん底に落ち込
む。それを挽回するために日本との国交とそれに伴う多額の資金が必要だったの
だ。
このときは、父親ブッシュ政権が北朝鮮の核開発を問題視し、日本に対して核
問題解決なしの国交正常化はするなと強い圧力をかけてきたことなどが原因で国
交正常化交渉は頓挫した。核問題は平成6年、ジュネーブ合意で一応の決着がつ
いたが、その年、金日成が死亡し、金正日は数年間、対外接触を制限したので、
日朝交渉は進まなかった。
2回目の小泉訪朝も米国の強い圧力と経済悪化が背景にあった。
金正日政権は平成12年、金大中大統領を北朝鮮に呼び、南北首脳会談を行うな
ど、韓国への働きかけを強め、同じ年、クリントン政権への接近を計る。このと
き、クリントン政権は北朝鮮をテロ支援国指定からはずす作業を進めていた。と
ころが、その年の米国大統領選挙でブッシュが当選し、米朝接近はブレーキがか
かった。ブッシュ政権は、金正日が核開発を凍結するというジュネーブ合意を破っ
て、パキスタンから濃縮ウラニウム製造技術を極秘に入手して核開発を続けてい
る事実を把握し、テロとの戦争の目標の一つに、北朝鮮の大量破壊兵器開発中止
を掲げた。ブッシュ大統領は平成14年1月の一般教書演説で有名な「悪の枢軸」
という語を用いて北朝鮮を名指しで非難した。
また、北朝鮮の国内では、平成7年から11年ころ、大飢饉となり人口の約1
5%、300万人以上が餓死するという未曾有の経済危機となった。やはりこの
ときも、悪化する国際情勢と逼迫する経済状況が、日本への接近を促進する背景
だった。先に書いたように、当時、金正日は拉致を認めれば100億ドルの資金
が手にはいると考えていた。
以上のように概観すると、国際的圧力と逼迫する経済が、過去2回の対日接近
の背景だったと言える。3回目を起こさせるためにも、同じことが必要だ。その
点からすると、オバマ政権の成立は、米国の融和外交が続く可能性が強いという
意味でマイナス要素だろうが、金正日政権が話し合いで核兵器を自ら放棄する可
能性はほぼゼロだろうから、6者協議は早晩、行き詰まる。すでに、その兆候は
出てきている。したがって、日本とすると、拉致問題の進展なくしてエネルギー
支援に加わらないという従来の立場を堅持して、拉致解決重視の姿勢を貫くこと
は私の言う第1の条件だが、その上に立って、現在のライス、ヒル路線、こちら
が先に譲歩をして相手の譲歩を引き出すやり方では、こちらの譲歩だけを食い逃
げされてしまうという実態を告発し続けるべきだ。具体的には、北朝鮮が申告し
たプルトニウム開発に関して、サンプル抽出を文章化することは最低ラインであ
り、少なくとも過去IAEAが理事決定で求めた核廃棄物貯蔵庫への特別査察(北朝
鮮の同意なく行う強制査察)を強く求めつづけるべきだ。
(つづく)
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●麻生首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 麻生太郎殿
●救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
以下は、月刊誌『正論』2月号に掲載された、西岡 力・救う会会長代行の論
文です。状況の変化など考慮し、一部追加しています。2回に分けて送ります。
■何をためらう! 日本独自の追加制裁を断行せよ
西岡 力(救う会会長代行・東京基督教大学教授)
昨年11月15日、拉致被害者市川修一さんのご母堂、トミさんが逝去された。享
年92歳だった。そのお年であれば、普通、天寿を全うしたとされ、同居し世話を
し続けた長男の健一さんとその嫁、龍子さんの親孝行ぶりが話題となるべきとこ
ろだ。しかし、筆者も参列した葬儀では、無念、残念、政府は何をしているのか、
時間がない、などという悔しさと怒りの声が充満していた。というのも、30年前
の1978年8月12日にトミさんは愛する次男の修一さんを北朝鮮工作機関により奪
われ、その帰りを待ち続けながら、再会できずに逝去されたからだ。
トミさんは晩年の30年間は、夫(94歳)と「修一が帰ってくるまで元気でいて
やらねば」と手を取り合い励まし合ってきた。野菜中心の食事、毎日の散歩など
で健康管理に人一倍気を配っていた。それが、理不尽に息子を奪った北朝鮮と、
長期間、国民が拉致されているのを知りながら救出に立ち上がらなかった政府に
対する戦いだった。
ところが、11月10日朝、台所でいつものように家族のために味噌汁を作ってい
る最中に、クモ膜下出血で倒れ、入院した。年齢の割に体が丈夫だと、手術をす
ることになったが、その矢先に2度目の発作が起き、意識を失ったまま、15日午
後に逝かれた。
実はこの11月15日夜、息子の帰りを待ち続けるトミさんたち夫婦を主人公にし
たテレビ番組が全国ネットで放映されたが、番組の最後でトミさんが本日ご逝去
されたという字幕が流されるというドラマがあった。
もう一つ、この日は31年前に横田めぐみさんが拉致された日であり、新潟市で
開かれた集会で横田早紀江さんが講演の中でトミさんのことを語っていたほぼ同
じ時刻に、トミさんは逝かれた。意識を失った中でも、この日まで生き続けて、
息子に会えず旅立たざるを得ない母の悔しさを世論に強く訴えたのだ。まさに、
最後まで生き続けることが戦いであった。
◆高齢化が進む家族会
家族会メンバーの親の世代を見ると、地村保志さんのお母様が平成14年5月、
息子の帰国の数ヶ月前に逝去され、同じ年の10月、5人の被害者が帰国した数日
後に、増元るみ子さんのお父様が逝去されている。また、市川修一さんのお父様
は妻であるトミさんの葬儀にも参列できないくらい弱っており、増元さんのお母
様と松木薫さんのお母様はいま入院中だ。有本恵子さんのご両親は集会や街頭署
名などに出られてお元気そうに見えるが、80歳を超えており、お母様は膝に痛み
をお持ちの中、体を張っての運動をされている。松本京子さんのお母様は85歳、
聴力が落ちるなど弱ってきている。
家族会の救出運動は平成9年3月から始まり、すでにほぼ12年が経つ。横田めぐ
みさんが拉致された年齢が13歳と一番若かったので、親の世代では横田さんご夫
妻が家族会結成時60代で若く、滋さんが初代代表となり、運動をひっぱってきた。
その滋さんもいま76歳、平成17年には血液の血小板の数が急減するという難病に
かかり、一時は重篤にまでなられ、平成19年11月に家族会代表を退任された。
滋さんが病気のため海外への渡航が制限される中、夫人である横田早紀江さん
が、平成18年訪米しブッシュ大統領と面会するなど精力的に活動されてきたが、
実は訪米の際も長年蓄積した疲労のため体中の筋肉が硬直して耐えがたい痛みの
中、無理して長時間の飛行機に乗っていただいた。そして、ついに昨年10月に、
横田早紀江さんは、地方での講演のため新幹線で移動中に、突然、視界が真っ白
になり、冷や汗と吐き気に苦しめられるという容易ならない症状が1時間近く続
いたという。これは、ご本人が月1回持っているキリスト関係者との集会で話さ
れたことなので、敢えてここに記させていただいた。精密検査の結果、極度のス
トレスによる不整脈との診断が下ったときいている。
確かに、家族、特に母親としての横田早紀江さんや有本嘉代子さんの話を聞く
と、これまで各地でたぶん少なくとも百回以上聞いている私でも涙が止まらない。
しかし、家族を先頭にした運動により、世論を一定程度盛り上げることに成功し
たが、親の世代がくたくたになり、疲れ切っていることもまた事実だ。
トミさんの悲劇をくり返さないためには、まさに時間との戦いなのだ。麻生首
相は、就任直後に家族会会員と面会した。わたしもそこに同席したが、総理は口
々に時間がない、早く解決して欲しいと迫る家族に対して、ここまで時間がかかっ
た理由は政府が本格的に取り組む体制を作るのが遅かったためだと認めた。
たしかに、政府認定拉致事件だけに限定して考えても、政府内に拉致問題対策
本部が設置されたのは事件発生から約28、29年後の平成19年10月で、これまで2
年数ヶ月活動をしてきたに過ぎない。対策本部は全閣僚がメンバーで首相が本部
長、官房長官が担当大臣で副本部長であり、内閣官房に専従の事務局を持ち、年
間6億円程度の事業予算をもって活動している。
麻生総理の言うごとく、この体制が拉致事件直後にできていれば、もっと早い
解決が可能だったはずだ。ちなみに、私は本誌を初め様々なところで書いている
が、現在の政府認定拉致被害者17人のうち少なくとも7人(久米裕さん、地村さ
ん夫妻、蓮池さん夫妻、市川さん、増元さん)に関しては、政府、正確には警察
庁は、事件発生直後から北朝鮮による拉致だと把握していた(読売新聞平成14
年12月20日夕刊で当時の警察庁幹部がそのことを認めている)。従って本来なら、
その時点で対策本部ができて当然だった。
昭和63年、大韓航空機爆破テロ事件が起き、犯人の一人金賢姫が韓国で犯行を
自供したとき、参議院予算委員会で梶山静六国家公安委員長が、地村さん、蓮池
さん、市川・増元さん3組6人のアベック失踪事件に関して「北朝鮮による拉致の
疑いが十分濃厚である」という歴史的答弁を行った。遅くてもこのとき対策本部
ができてもおかしくないはずだ。ところが、マスコミが答弁を全く報じず、世論
は全く盛り上がらず、なかったことにされてしまった。
その上、与野党政治家と外務省が対北外交で拉致を棚上げにした。梶山答弁の
2年後、平成2年に自民党・社会党が金丸・田辺訪朝団を出した際に、金丸団長は
金日成との長時間の会談の機会があったにもかかわらず、拉致問題を一度も提起
しなかった。金丸訪朝を受け、平成3年から4年、8回にわたって日朝国交正常化
交渉が行われたが、外務省はそこで梶山答弁が拉致と認めたアベック3組につい
て一度も提起しなかった。ここでもなかったことにされてしまったのだ。
平成14年9月、小泉首相の最初の訪朝時に、北朝鮮は拉致を認め5人を帰すとい
う大きな変化を見せた。この背景については、本稿後半で救出のための方策を論
じるときに詳論したいが、この絶好の機会をも当時の外務省は無駄にしてしまっ
た。当時、日朝交渉を仕切っていた田中均・外務省アジア大洋州局長は、拉致被
害者救出よりも日朝平壌宣言に両国首脳の署名をさせることを優先する拙速な外
交を行った。
小泉・金正日会談開始直前に北朝鮮側は「拉致した日本人は13人、うち5人
生存、8人死亡」とする「調査結果」を田中局長に伝えた。そのとき、最低でも
1、13人以外の被害者を出すこと、
2、5人の生存者を即時帰国させること、
3、8人の被害者の遺骨など死亡の根拠を提出すること
を強く求めるべきだった。
ところが、田中局長は、
1、その時点で我が国警察が拉致と認定していた久米裕さんをはじめとする被害
者が13人に入っていないことについて抗議せず、
2、北朝鮮が準備した5人の生存者と日本側との面会の席に、訪朝団のなかにい
た警察関係者を出さず、事前に本人しか知らない特徴や情報を調べていかなかっ
たため、その場で、5人の被害者らが必死で幼いときの交通事故の傷などをみせ
て拉致被害者本人であることを示していたのに、ただその話を聞き置いただけで、
本人であるとの確認作業すらしなかった。その上、1カ月後に、5人が帰国した際、
本人たちが秘密裏に日本に残る意思表示をしていたにもかかわらず、再度北朝鮮
に戻そうとすらしたし、
3、死亡の証拠を求めないまま、日本で待つ家族に「死亡されました」と断定的
に伝えて、あたかも、北朝鮮の死亡通告が事実かのごとく扱った
もしあのとき、きちんと交渉していれば、より大きな譲歩を北朝鮮から得るこ
とができていたはずだ。言い換えるなら、あの時点で拉致問題が国政の最優先課
題に位置づけられ、政府に対策本部ができていれば、このような無様な交渉には
ならなかったはずで、残念でならない。
実は昨年12月12日、家族会・救う会・拉致議連が主催した拉致問題国際シンポ
ジウムで、元北朝鮮統一戦線部幹部である張哲賢氏は金正日の拉致認定と関連し
て次のような貴重な証言をした。小泉訪朝直後、統一戦線部幹部向けの講演会で、
「日本側が拉致を認めさえすれば100億ドルの過去清算資金を提供すると約束し
たので、統一戦線部の反対にもかかわらず、金正日が大きな度量を見せて拉致を
認めた」、と聞いたというのだ。
人質事件において犯人にお前が人質を取っていることを認めれば身代金をやる
などという約束をしたとすれば、まったく愚かな交渉と評価されるだろう。少な
くとも人質全員の解放が身代金を渡す条件であるべきだ。ところが、当時の外務
省は、その愚かな取引を提案していた、あるいは、少なくとも金正日がそのよう
に認識するだけの誤解されやすいメッセージを出していたことになる。
以上、概観してきたように、拉致問題があまりにも長い間、解決をしないでき
た原因は、我が国政府が真剣に取り組む体制を作るのが事件発生から28年、29年
も経ってしまってからだったからだといえる。初動があまりに遅すぎたのだ。2
年前に遅ればせながら政府が対策本部を設置したことは評価できるが、それを生
み出した力は、やはりこの間、家族らが身を削って内外に訴えて来た結果、世論
が盛り上がったからだといえるだろう。
さて、麻生総理は家族との面会の場で、スピード感を持って取り組んでいくと
約束した。しかし、北朝鮮は8月に約束した、「拉致被害者に関する調査のやり
直し」を一方的に破棄し、日本批判を続けている。そんな中、同盟国米国は核問
題での北朝鮮側の見せかけの譲歩に誘われて10月、テロ支援国指定を解除した。
政権発足時には「悪の枢軸」と北朝鮮を位置づけ、悪事に対して見返りを与えな
いという原則的立場を掲げていたブッシュ政権の対北外交は、もはや完全にヒル
国務次官補、ライス国務長官ら融和派主導に変わってしまった。その上、今年発
足するオバマ新政権は、融和路線を高く評価しており、ヒル氏は職業外交官とし
て国務省内で出世することが予想されている。
◆拉致問題解決の3条件
拉致問題を解決させる方策はあるのか。日本は何をすべきなのか。そのような
質問をよく受ける。家族会現代表の飯塚繁雄さんはよく「解決のために奇策はな
い、王道をいくしかない」と話されている。私も全く同意見である。そして、状
況が大きく動き被害者救出の可能性は十分あると考えている。以下、私が現時点
で考えている、解決のための3つの条件を書いてみたい。
第1に、政府と国民が、いまも多くの拉致被害者が北朝鮮の地で抑留され救出
を待っていることを心に刻み、全員返せという怒りの声を上げ続けていくことだ。
すべての拉致被害者を救出するまで、絶対に北朝鮮への支援は行わず、制裁を緩
めず強めていくという決意を内外に強く示し続けることだ。そのために、世論へ
の継続した働きかけをする以外にない。これが、飯塚代表の言う「王道」だ。
「今も人質として抑留されているすべての日本人被害者の救出なしには国交正
常化も経済支援もあり得ず、制裁を課し続ける」という日本国民の拉致への怒り
は、いくら政治工作を仕掛けてきても変わらないことを、金正日政権と、ポスト
金正日政権を担う可能性のある党、軍、公安機関などの幹部らに、そして、中国、
米国、韓国などの指導者や外交当局にもしっかり伝えることが必要だ。
日本国と国民の拉致への怒りはいくら時間が経っても小さくなることはない、
それどころかより大きくなり制裁を強めていくばかりで、核問題解決や北朝鮮の
経済再建のために日本からの経済支援を使うためには、被害者全員の救出が絶対
不可欠であると思わせることができるかどうかが、救出への鍵なのだ。
逆に金正日政権が「すべての拉致被害者を帰国させなくても時間が経てばわが
国からの圧力が弱まる。 拉致棚上げのまま国交正常化し、多額の資金を日本か
ら得ることも可能」と判断している間は、被害者は帰って来られない。
その意味で、わが国政府の制裁一部解除への動きは、 拉致被害者救出を困難
にする裏切りというほかない。すべての被害者が帰国するまで、制裁解除は絶対
してはならない。
政府拉致対策本部は12月に「すべての拉致被害者の帰国を目指して?北朝鮮側
主張の問題点」とうタイトルの8ページパンフレットを作成した。日本語のほか、
英語、韓国語、中国語版も作られた。ここでは、拉致被害者は13人しかおらず8
人は死亡したとする主張がいかに根拠のないものなのか、北朝鮮が提出した資料
のでたらめさを写真入りで具体的に紹介して、被害者生存を前提にして帰国を求
め、拉致問題の解決なくして国交正常化はないなどと、次のように明確に政府の
立場を書いている。
「北朝鮮側は、次のように主張しています。
●(安否不明の拉致被害者12名のうち)8名は死亡、4名は北朝鮮に入っていない。
●生存者5名とその家族は帰国させた。死亡した8名については必要な情報提供を
行い、遺骨(2人分)も返還済み。
●日本側は、死んだ被害者を生き返らせろと無理な要求をしている。
しかし、こうした北朝鮮側の主張には以下のように多くの問題点があり、日本
政府は、<北朝鮮側の主張を決して受け入れることはできません。そして、被害
者の「死亡」を裏付けるものが一切存在しないため、被害者が生存しているとい
う前提に立って被害者の即時帰国と納得のいく説明を行うよう求めています。日
本政府は、決して「無理な要求」をしているのではありません。>
<拉致問題は、我が国の国家主権及び国民の生命と安全に関わる重大な問題であ
り、この問題の解決なくして日朝の国交正常化はあり得ません。
日本政府は、拉致問題を、解決すべき日朝間の諸懸案の最優先事項と位置づけ、
北朝鮮に対し、問題解決に向け早急に決断を下すよう強く求めています。>
パンフレットが行っている北朝鮮の主張への反論と、生存を前提にして即時帰
国を求めるという主張は、実はこの間、家族会・救う会が強く政府に求めてきた
ことで、このパンフレットはその意味で国民運動の成果とも言える。この政府の
姿勢が、金丸訪朝時や小泉訪朝時にあれば、事態の展開は大きく変わったはずだ。
しかし、遅ればせながらではあるが、このようなパンフレットを作って、政府の
立場をきちんと内外に示す姿勢は、私のいう被害者救出のための第1条件ができ
つつあるということだ。
家族の訴えではなく、日本政府が主権侵害をされたという立場で、北朝鮮政府
に強く反論している姿勢は、家族を前面に出した国民の感情に訴える従来の啓蒙
活動から一歩進んだ、望ましい方向と言えよう。今後の民間での国民運動も、家
族のストーリーを前面に出さず、論理的かつ事実に基づきに北朝鮮の主張のでた
らめさを一つ一つ論破していくことに、これまで以上に力を入れるべきだろう。
地方自治体を巻き込んだ各地での運動の展開の今後の方向性がここにある。
拉致被害者救出のための第2の条件に話を移そう。それは、北朝鮮が日本との
国交正常化を求めて我が国に接近せざるをえなくなる環境をできること、あるい
はそれを作ることだ。先ほどから見てきたように、これまで北朝鮮は2回、日本
との国交正常化を求めて近づいてきた。1回目が平成2年から4年の金丸訪朝と8回
の日朝正常化交渉のときであり、2回目が平成14年から16年の小泉外交のときだ。
その2回のチャンスをいかに政府がむざむざ逃してしまったかについてはここま
で書いていた通りだ。言い換えると、私の言うところの第1条件、全員救い出す
という強い世論がなかったためチャンスを生かし切れなかったとも言える。
しかし、これまで2回起きたことが、もう一度起きないとは言えない。そのよ
うな環境を作り出すために何をすべきか。それを知るために、過去2回のケース
を検討しておく。
1回目の金丸訪朝は、ソウルオリンピック後、急速に北朝鮮の国際的地位が悪
化していったことが背景にあった。まず、ソウルオリンピックにソ連、中国、東
ヨーロッパ諸国が大挙して参加し、韓国はアメリカ帝国主義の植民地という北朝
鮮の政治的主張が力を失い、東欧で社会主義政権がばたばたと倒れ、ソ連と中国
が韓国を結ぶという北朝鮮にとって最悪の国際環境が生まれた。また、従来6割
を占めていたソ連との貿易が激減し、エネルギー不足など経済はどん底に落ち込
む。それを挽回するために日本との国交とそれに伴う多額の資金が必要だったの
だ。
このときは、父親ブッシュ政権が北朝鮮の核開発を問題視し、日本に対して核
問題解決なしの国交正常化はするなと強い圧力をかけてきたことなどが原因で国
交正常化交渉は頓挫した。核問題は平成6年、ジュネーブ合意で一応の決着がつ
いたが、その年、金日成が死亡し、金正日は数年間、対外接触を制限したので、
日朝交渉は進まなかった。
2回目の小泉訪朝も米国の強い圧力と経済悪化が背景にあった。
金正日政権は平成12年、金大中大統領を北朝鮮に呼び、南北首脳会談を行うな
ど、韓国への働きかけを強め、同じ年、クリントン政権への接近を計る。このと
き、クリントン政権は北朝鮮をテロ支援国指定からはずす作業を進めていた。と
ころが、その年の米国大統領選挙でブッシュが当選し、米朝接近はブレーキがか
かった。ブッシュ政権は、金正日が核開発を凍結するというジュネーブ合意を破っ
て、パキスタンから濃縮ウラニウム製造技術を極秘に入手して核開発を続けてい
る事実を把握し、テロとの戦争の目標の一つに、北朝鮮の大量破壊兵器開発中止
を掲げた。ブッシュ大統領は平成14年1月の一般教書演説で有名な「悪の枢軸」
という語を用いて北朝鮮を名指しで非難した。
また、北朝鮮の国内では、平成7年から11年ころ、大飢饉となり人口の約1
5%、300万人以上が餓死するという未曾有の経済危機となった。やはりこの
ときも、悪化する国際情勢と逼迫する経済状況が、日本への接近を促進する背景
だった。先に書いたように、当時、金正日は拉致を認めれば100億ドルの資金
が手にはいると考えていた。
以上のように概観すると、国際的圧力と逼迫する経済が、過去2回の対日接近
の背景だったと言える。3回目を起こさせるためにも、同じことが必要だ。その
点からすると、オバマ政権の成立は、米国の融和外交が続く可能性が強いという
意味でマイナス要素だろうが、金正日政権が話し合いで核兵器を自ら放棄する可
能性はほぼゼロだろうから、6者協議は早晩、行き詰まる。すでに、その兆候は
出てきている。したがって、日本とすると、拉致問題の進展なくしてエネルギー
支援に加わらないという従来の立場を堅持して、拉致解決重視の姿勢を貫くこと
は私の言う第1の条件だが、その上に立って、現在のライス、ヒル路線、こちら
が先に譲歩をして相手の譲歩を引き出すやり方では、こちらの譲歩だけを食い逃
げされてしまうという実態を告発し続けるべきだ。具体的には、北朝鮮が申告し
たプルトニウム開発に関して、サンプル抽出を文章化することは最低ラインであ
り、少なくとも過去IAEAが理事決定で求めた核廃棄物貯蔵庫への特別査察(北朝
鮮の同意なく行う強制査察)を強く求めつづけるべきだ。
(つづく)
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●麻生首相にメール・葉書を
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発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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