救う会が入手した拉致被害者情報(2009/03/08)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2009.03.08-2)
救う会が入手した拉致被害者情報を本日3月8日、全国幹事会で公表しました。
その全文をメールニュースでも公表します。
救う会家族会合同会議報告資料(21.03.08)
救う会が入手した拉致被害者情報
あくまでもこのような情報が流されていることを確認したというレベルである。
ここで言われていることが事実だとの確認がとれたのではない。意図的に北朝鮮
が流してきた謀略情報の可能性も排除できない。しかし、情報源と接触できる可
能性がほぼないので、このような情報があるということを公開して、関係者の検
証を待つことに一定の意味があると判断した。
1、入手時期と経緯
・2008年6月
ソウルにある自由北朝鮮放送に中国長春に住むという一人の脱北者から国際電
話がかかってきた。「いまハルピンに住んでおり、北朝鮮を出たのは2007年夏だ」
という。「自分は日本人拉致被害者を直接扱った」という。「くわしいことは電
話では言えない。まず先に助けてくれ。韓国や日本に行くのは問題ないが、手元
にカネがないのでカネを送ってくれ」という。金ソンミン代表が「北朝鮮で何を
しておりどのような環境で日本人を見たのか具体的に書いて送ってくれば、他の
ところに連絡してでも助ける方法を探してみる」と伝えた。その後何の連絡もな
かった。
・同年6月か7月
2度目の電話が自由北朝鮮放送にかかり「なぜFAXを送ったのに返事がないか」
と怒った調子で話す。「FAXは着いていない。もう一回送ってくれ」というと
「分かった」と答えたが、FAXは来なかった。
・7月末か8月初め頃
手紙の1枚目のみ自由北朝鮮放送局にFAXで届く。金ソンミンは以上のやりとり
の結果、よくある詐欺的な連絡と判断してこれを重視せず、そのときは救う会に
伝えなかった。
・8月
救う会が、「拉致被害者に関する情報を知る北朝鮮工作機関幹部が中国に逃げ、
作戦部戦闘員らが今中国内で捜索している」という情報を入手
・10月27日
上記情報確認過程で、救う会が手紙の3ページ全文コピーを中国内から別途入
手。
・11月
瀋陽領事館に外務省経由で問い合わせるが届いていないとの返事来る。
・12月25日
自由北朝鮮放送にファックスされた同一手紙1ページ目を同放送局から西岡が
入手。10月に入手した手紙と全く同じものであった。
2、手紙の中で工作機関内にいた人間しか書けない部分
・「33地区」
龍城区域、順安区域、烽火政治大学のあるあたりを対外連絡部内でこのように
呼ぶ。通常、招待所指導員(生活担当と後方担当の2人)はこの呼称しらない。
・「1990年5月から6カ月指導員教育」
確かにこのとき戦闘員の負傷者に対して指導員にさせる教育されていたことを
救う会が確認
・招待所住所として「龍秋3洞」と書く。招待所地域には住所はなく、そこの近
くの住所を便宜上使う。「龍秋3洞」は招待所地域に入る入り口に位置する。そ
こには軍保衛司令部家族の住む村があり、一般人は近づけない。
・北朝鮮では通常使わない言葉 「拉致」「南民間団体」
◆「救う会が入手した脱北者の手紙の全文和訳」
ハルピンに出発しながら3回目
1回目、2回目の手紙は受け取られましたか。返事がないですね。
今日は最後だと考え、3回目の文章を書きます。いまや私がだれなのか明らか
にするときとなったと考えます。名前は文ミョンナム??(仮名)1954年7月5日生
まれ。
A.1972年朝鮮人民軍後方司令部第835軍部隊に入隊(2年間)
・1974年4月中央党対外連絡部工作員招待所に入校(4年間) 平壌市順安区域に
位置する。特殊訓練と政治思想教育を受ける。
・1978年4月から平壌市龍城区域チュンイ招待所に入校(3年間)工作員訓練とド
イツ語を学ぶ。1981年から1982年までドイツで活動。
・1982年10月から平壌市龍城区域妙香山地区招待所で英語とフランス語を学ぶ。
1984年からフランス女性2名と同じ招待所で生活しながらフランス語を専攻(3年
間)
・1987年から1989年までドイツとフランスで情報収集活動をして南朝鮮の民間団
体組織に資金支援活動を行った。
・1989年祖国に帰り訓練の途中で大きく負傷し915号病院で3カ月間、入院治療を
受け、それ以上工作員活動をすることができなくなる。
・1990年5月平壌市兄弟山区域新美里に位置する金正日政治軍事大学で6カ月間、
指導員短期教育を受け、中央党対外連絡部招待所指導員として活動。
・1991年から1998年まで(約7年間)平壌市龍城区域中央党対外連絡部33地区招
待所教育及び後方指導員として活動。33地区招待所には妙香山地区、七宝山地区、
サンメ地区、金剛山地区などが所属しており、ここには21の個別招待所がある。
・1998年から北朝鮮を脱出する2002年11月初めまでは平壌市兄弟山区域(旧文化
部所属訓練場)に新しくできた外国人専用招待所で指導員活動(約4年)
・2002年11月23日北朝鮮脱出に成功。現在は中国で第3国へ亡命するための準備
作業中。
B.私が北朝鮮を脱出するときまで全部で24名の日本人を目撃し、24名のうち6
名は私が直接管理した。
・その他の外国人としてはフランス、タイ、中国、ドイツ、シリアなど各国の人
間も北朝鮮に誘引及び拉致され生活する。
・私が目撃した日本人24名は全部、中央党調査部所属南浦連絡所、清津連絡所戦
闘員たちと対外連絡部所属海外工作員によって日本の海岸とヨーロッパなどの地
から誘引及び拉致された。
・私が管理した日本人6名は次の通り。
1.李カンチョル(石岡亨)工作員出身
2.趙ソンミ(有本恵子)工作員出身
彼らの担当指導員は中央党対外連絡部姜ジェソプ
・李カンチョル、趙ソンミは1985?1988年頃まで平壌市サンメ地区招待所にて夫
婦で訓練を受ける。2名の子女があり、親が育てていた。
・1988年?1991年頃、平壌市順安区域招待所に移転。
・1992年から現職工作員として活動(内容は分からない)
李カンチョル、趙ソンミは2001年当時、平安南道平城市に位置する工作員専用休
養招待所で生活する
3.金ミョンファ(横田めぐみ)工作員夫人、2回結婚する。担当指導員は中央党
対外連絡部金ソンラク
・1978年?1980年まで平壌市西城区域金ソンラクの家で朝鮮語を学ぶ。
・1980年4月から8月まで平壌市中区域1級招待所で北朝鮮女性工作員と生活(朝
鮮歴史博物館の近く)
・1984年から1987年までは平壌市三石区域1級招待所と平壌市順安区域3級招待
所を行き来しながら現職工作員に日本語を教える。
・1987年8月頃、平壌市順安区域3級招待所で現職工作員と同居生活をし、中央党
で彼らの結婚を承認する。
・夫は南朝鮮出身工作員であり、酒癖の悪さと暴行のためしばしばケンカしたと
伝えられる。
・1993年3月夫と離婚する(当時、娘がいた)
(当時、名前は金ミョンファ、柳ミョンスクの二つの名前を使用)
・1994年9月平壌市龍城区域チュンイ招待所で現職対日工作員と再び結婚、2番目
の夫の名前は金ソンクク
・1996年11月息子出産
・2001年当時、金ミョンファ、金ソンクク夫婦は平壌市龍城区域七宝山地区招待
所で生活。
4.李ウンシル(田口八重子)
・1979年、1980年10月頃平壌市三石区域3級招待所で生活
・1980年10月から1982年頃まで平壌市龍城区域金剛山地区招待所
・1982年から1986年まで平壌市龍城区域中区域東北里招待所などで現役工作員に
日本語と日本生活文化の講師として活動。
・1986年7月から1991年10月まで烽火政治軍事大学で講師として活動。
・李ウンシルは周辺の身分露出とアルコール中毒、頻繁な脱出の試みなどで1996
年頃から平壌市順安区域文化部所属招待所で外出禁止。隔離されて生活。
5.金チュンヒ(市川修一)
6.徐ジョンオク(増元るい子・原文表記まま訳註) 担当指導員 鄭チルファ
ン
・1979年2月から1981年4月まで平壌市順安区域招待所で生活
・1980年7月頃、鄭チルファン指導員の保証下で結婚承認
・1982年から1986年頃まで平壌市兄弟山区域2級招待所で生活、当時金チュンヒ
は平壌市兄弟山区域に位置する金正日政治軍事大学で統一戦線部所属予備工作員
に日本語を教える
・1986年から1996年まで平壌市牡丹峰区域日本人専用招待所で生活しながら金正
日政治軍事大学と平壌市龍城区域龍秋3洞に位置する工作員招待所で日本語講師
として活動
*彼らの他にも、多くの日本人が北朝鮮に拉致または誘引されてきたが、大部分、
後方部署に勤務したため正確には分からない。
*現在、南朝鮮には北朝鮮中央党連絡部所属工作員と調査部所属戦闘員が数十名
逮捕されたり変節したと知られている
私が知っている何人かの名前があるが、正確かどうかは分かりません。
中央党調査部所属戦闘員:全忠男、李相圭、金グワンヒョン、徐永●(●=吉
が二つ)、卓ソンファン、李ジニョン
中央党対外連絡部所属工作員:全ギョンフア、趙ムンシク、崔ジェヨン、柳ソン
チョル、金スヨン、李キルボン
■ 日本政府はすべての内容をすでに知っているだろうと思います。
■ これと同じ資料を中国瀋陽所在の日本領事館に送ってあげるつもりです。
これで私のさいごの手紙を終えます。
第3国への亡命が成功すれば必ず、皆様を訪問します。
文ミョンナム
2008年7月28日
以上
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
●麻生首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 麻生太郎殿
●救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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救う会が入手した拉致被害者情報を本日3月8日、全国幹事会で公表しました。
その全文をメールニュースでも公表します。
救う会家族会合同会議報告資料(21.03.08)
救う会が入手した拉致被害者情報
あくまでもこのような情報が流されていることを確認したというレベルである。
ここで言われていることが事実だとの確認がとれたのではない。意図的に北朝鮮
が流してきた謀略情報の可能性も排除できない。しかし、情報源と接触できる可
能性がほぼないので、このような情報があるということを公開して、関係者の検
証を待つことに一定の意味があると判断した。
1、入手時期と経緯
・2008年6月
ソウルにある自由北朝鮮放送に中国長春に住むという一人の脱北者から国際電
話がかかってきた。「いまハルピンに住んでおり、北朝鮮を出たのは2007年夏だ」
という。「自分は日本人拉致被害者を直接扱った」という。「くわしいことは電
話では言えない。まず先に助けてくれ。韓国や日本に行くのは問題ないが、手元
にカネがないのでカネを送ってくれ」という。金ソンミン代表が「北朝鮮で何を
しておりどのような環境で日本人を見たのか具体的に書いて送ってくれば、他の
ところに連絡してでも助ける方法を探してみる」と伝えた。その後何の連絡もな
かった。
・同年6月か7月
2度目の電話が自由北朝鮮放送にかかり「なぜFAXを送ったのに返事がないか」
と怒った調子で話す。「FAXは着いていない。もう一回送ってくれ」というと
「分かった」と答えたが、FAXは来なかった。
・7月末か8月初め頃
手紙の1枚目のみ自由北朝鮮放送局にFAXで届く。金ソンミンは以上のやりとり
の結果、よくある詐欺的な連絡と判断してこれを重視せず、そのときは救う会に
伝えなかった。
・8月
救う会が、「拉致被害者に関する情報を知る北朝鮮工作機関幹部が中国に逃げ、
作戦部戦闘員らが今中国内で捜索している」という情報を入手
・10月27日
上記情報確認過程で、救う会が手紙の3ページ全文コピーを中国内から別途入
手。
・11月
瀋陽領事館に外務省経由で問い合わせるが届いていないとの返事来る。
・12月25日
自由北朝鮮放送にファックスされた同一手紙1ページ目を同放送局から西岡が
入手。10月に入手した手紙と全く同じものであった。
2、手紙の中で工作機関内にいた人間しか書けない部分
・「33地区」
龍城区域、順安区域、烽火政治大学のあるあたりを対外連絡部内でこのように
呼ぶ。通常、招待所指導員(生活担当と後方担当の2人)はこの呼称しらない。
・「1990年5月から6カ月指導員教育」
確かにこのとき戦闘員の負傷者に対して指導員にさせる教育されていたことを
救う会が確認
・招待所住所として「龍秋3洞」と書く。招待所地域には住所はなく、そこの近
くの住所を便宜上使う。「龍秋3洞」は招待所地域に入る入り口に位置する。そ
こには軍保衛司令部家族の住む村があり、一般人は近づけない。
・北朝鮮では通常使わない言葉 「拉致」「南民間団体」
◆「救う会が入手した脱北者の手紙の全文和訳」
ハルピンに出発しながら3回目
1回目、2回目の手紙は受け取られましたか。返事がないですね。
今日は最後だと考え、3回目の文章を書きます。いまや私がだれなのか明らか
にするときとなったと考えます。名前は文ミョンナム??(仮名)1954年7月5日生
まれ。
A.1972年朝鮮人民軍後方司令部第835軍部隊に入隊(2年間)
・1974年4月中央党対外連絡部工作員招待所に入校(4年間) 平壌市順安区域に
位置する。特殊訓練と政治思想教育を受ける。
・1978年4月から平壌市龍城区域チュンイ招待所に入校(3年間)工作員訓練とド
イツ語を学ぶ。1981年から1982年までドイツで活動。
・1982年10月から平壌市龍城区域妙香山地区招待所で英語とフランス語を学ぶ。
1984年からフランス女性2名と同じ招待所で生活しながらフランス語を専攻(3年
間)
・1987年から1989年までドイツとフランスで情報収集活動をして南朝鮮の民間団
体組織に資金支援活動を行った。
・1989年祖国に帰り訓練の途中で大きく負傷し915号病院で3カ月間、入院治療を
受け、それ以上工作員活動をすることができなくなる。
・1990年5月平壌市兄弟山区域新美里に位置する金正日政治軍事大学で6カ月間、
指導員短期教育を受け、中央党対外連絡部招待所指導員として活動。
・1991年から1998年まで(約7年間)平壌市龍城区域中央党対外連絡部33地区招
待所教育及び後方指導員として活動。33地区招待所には妙香山地区、七宝山地区、
サンメ地区、金剛山地区などが所属しており、ここには21の個別招待所がある。
・1998年から北朝鮮を脱出する2002年11月初めまでは平壌市兄弟山区域(旧文化
部所属訓練場)に新しくできた外国人専用招待所で指導員活動(約4年)
・2002年11月23日北朝鮮脱出に成功。現在は中国で第3国へ亡命するための準備
作業中。
B.私が北朝鮮を脱出するときまで全部で24名の日本人を目撃し、24名のうち6
名は私が直接管理した。
・その他の外国人としてはフランス、タイ、中国、ドイツ、シリアなど各国の人
間も北朝鮮に誘引及び拉致され生活する。
・私が目撃した日本人24名は全部、中央党調査部所属南浦連絡所、清津連絡所戦
闘員たちと対外連絡部所属海外工作員によって日本の海岸とヨーロッパなどの地
から誘引及び拉致された。
・私が管理した日本人6名は次の通り。
1.李カンチョル(石岡亨)工作員出身
2.趙ソンミ(有本恵子)工作員出身
彼らの担当指導員は中央党対外連絡部姜ジェソプ
・李カンチョル、趙ソンミは1985?1988年頃まで平壌市サンメ地区招待所にて夫
婦で訓練を受ける。2名の子女があり、親が育てていた。
・1988年?1991年頃、平壌市順安区域招待所に移転。
・1992年から現職工作員として活動(内容は分からない)
李カンチョル、趙ソンミは2001年当時、平安南道平城市に位置する工作員専用休
養招待所で生活する
3.金ミョンファ(横田めぐみ)工作員夫人、2回結婚する。担当指導員は中央党
対外連絡部金ソンラク
・1978年?1980年まで平壌市西城区域金ソンラクの家で朝鮮語を学ぶ。
・1980年4月から8月まで平壌市中区域1級招待所で北朝鮮女性工作員と生活(朝
鮮歴史博物館の近く)
・1984年から1987年までは平壌市三石区域1級招待所と平壌市順安区域3級招待
所を行き来しながら現職工作員に日本語を教える。
・1987年8月頃、平壌市順安区域3級招待所で現職工作員と同居生活をし、中央党
で彼らの結婚を承認する。
・夫は南朝鮮出身工作員であり、酒癖の悪さと暴行のためしばしばケンカしたと
伝えられる。
・1993年3月夫と離婚する(当時、娘がいた)
(当時、名前は金ミョンファ、柳ミョンスクの二つの名前を使用)
・1994年9月平壌市龍城区域チュンイ招待所で現職対日工作員と再び結婚、2番目
の夫の名前は金ソンクク
・1996年11月息子出産
・2001年当時、金ミョンファ、金ソンクク夫婦は平壌市龍城区域七宝山地区招待
所で生活。
4.李ウンシル(田口八重子)
・1979年、1980年10月頃平壌市三石区域3級招待所で生活
・1980年10月から1982年頃まで平壌市龍城区域金剛山地区招待所
・1982年から1986年まで平壌市龍城区域中区域東北里招待所などで現役工作員に
日本語と日本生活文化の講師として活動。
・1986年7月から1991年10月まで烽火政治軍事大学で講師として活動。
・李ウンシルは周辺の身分露出とアルコール中毒、頻繁な脱出の試みなどで1996
年頃から平壌市順安区域文化部所属招待所で外出禁止。隔離されて生活。
5.金チュンヒ(市川修一)
6.徐ジョンオク(増元るい子・原文表記まま訳註) 担当指導員 鄭チルファ
ン
・1979年2月から1981年4月まで平壌市順安区域招待所で生活
・1980年7月頃、鄭チルファン指導員の保証下で結婚承認
・1982年から1986年頃まで平壌市兄弟山区域2級招待所で生活、当時金チュンヒ
は平壌市兄弟山区域に位置する金正日政治軍事大学で統一戦線部所属予備工作員
に日本語を教える
・1986年から1996年まで平壌市牡丹峰区域日本人専用招待所で生活しながら金正
日政治軍事大学と平壌市龍城区域龍秋3洞に位置する工作員招待所で日本語講師
として活動
*彼らの他にも、多くの日本人が北朝鮮に拉致または誘引されてきたが、大部分、
後方部署に勤務したため正確には分からない。
*現在、南朝鮮には北朝鮮中央党連絡部所属工作員と調査部所属戦闘員が数十名
逮捕されたり変節したと知られている
私が知っている何人かの名前があるが、正確かどうかは分かりません。
中央党調査部所属戦闘員:全忠男、李相圭、金グワンヒョン、徐永●(●=吉
が二つ)、卓ソンファン、李ジニョン
中央党対外連絡部所属工作員:全ギョンフア、趙ムンシク、崔ジェヨン、柳ソン
チョル、金スヨン、李キルボン
■ 日本政府はすべての内容をすでに知っているだろうと思います。
■ これと同じ資料を中国瀋陽所在の日本領事館に送ってあげるつもりです。
これで私のさいごの手紙を終えます。
第3国への亡命が成功すれば必ず、皆様を訪問します。
文ミョンナム
2008年7月28日
以上
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●麻生首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
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http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 麻生太郎殿
●救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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