救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

マカオ人拉致被害者孔令●氏が金賢姫氏の中国語教師、参考資料 (●は「貝貝」の下に「言」です)(2009/03/10)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2009.03.10-2)

■マカオ人拉致被害者孔令●氏が金賢姫氏の中国語教師、参考資料
 (●は「貝貝」の下に「言」です)

先ほど本ニュースでお伝えしたとおり、元北朝鮮工作員金賢姫氏が、マカオか
ら1978年に拉致された孔令●さんから中国語を習っていたことが明らかになった。
その証言を金賢姫氏から直接聞いた趙甲済氏が、自身が主宰するインターネットニュー
ス媒体「ChoGab-je.com」に書いた記事の全文翻訳と、孔令●氏拉致に関する救う会作
成資料を参考資料として掲載する。


※3月10日「ChoGab-je.com」記事
金賢姫「私に中国語を教えてくれた人はミス孔」
マカオから1978年に拉致された孔令●氏、写真で確認 
趙甲済

2月末金賢姫氏は私に会ったとき、自分に中国語を教えてくれたマカオ居住拉致被害
者の身元について初めて詳しく説明した。金賢姫氏は1984年6月から8月の間、同僚金
淑姫といっしょに平壌近郊龍城40号招待所で密封収容状態で(招待所に缶詰となって教
育を受けること・訳註)中国語教育を受けた。後日、大韓航空機爆破に参与した金勝一
とともにしばらく海外実習に行くための準備だった。

金賢姫氏は「マカオ女性から中国語基礎教育を受けた。」と話した。
「そのとき、私に北京語を教えた女性は私より年齢が5歳くらい上の『ミスコン(コ
ンは孔の朝鮮語発音・訳註)』という方でした。典型的な中国美人でした。マカオから
拉致されてきたと聞きました。北朝鮮に拉致されてきて収容されている最中に逃げ出
してまた捕まったと言いました。崔銀姫氏が手記で会ったと書いたその人に間違いあ
りません。」
1978年マカオで拉致された崔銀姫氏は、自身の手記で北朝鮮の東北里招待所に収容
されているとき、散歩をしている途中で「ミス孔」という女性に会い何回も話を交わ
したと書いた。日本人拉致救出団体では崔氏の証言を根拠に調査をして2006年にミス
孔の正体を明らかにした。ミス孔はマカオのリスボアホテルの宝石店で勤務中だっ
た1978年7月に拉致された。観光客を偽装した北朝鮮工作員が案内をしてほしいとだま
して他のマカオ女性とともに拉致したのだ。

崔銀姫氏にミス孔は、北朝鮮に連れてこられた後、自分と別のマカオ拉致被害者女
性が北朝鮮駐在インドネシア大使館に飛び込んで助けを求めたことがあると語った。
インドネシア大使館は二人を北朝鮮側に引き渡した。崔銀姫氏はカソリック信徒であっ
たミス孔から洗礼を受けたという。崔氏はミス孔の洗礼名がマリアだと記憶していた。
日本人拉致者団体がマカオに行きミス孔の家族に会ったが、彼らは洗礼名を知らなかっ
た。あとで教会に問い合わせてマリアだと判明した。

崔銀姫は元興里招待所に移ったためミス孔と別れたが、あとで工作員に中国語を教
えているという噂を聞いたという。この工作員の中に金賢姫、金淑姫が含まれていた
という話しだ。日本人拉致救出団体が確認した「ミス孔」の名前は孔令●で拉致当
時20歳だった。金賢姫より4歳上だ。

私は金賢姫氏と会ってから孔令●氏の写真を入手し金氏に送った。何日か後、金氏
から電話が来たが「まさにこの女性がミスコンだ。彼女から中国語を学んだ」と確認
した。マカオがその後、中国領土に転換したのだから、孔令●氏は中国人だ。結局、
金正日は友邦国である中国人も拉致したわけだ。
「ChoGab-je.com 20090310 10:32」



中国人(マカオ在住)拉致被害者に関する情報
救う会作成

被害者氏名
孔令●Hong Leng-ieng 1957年生まれ 
蘇妙珍So Mio-chun  1955年か1956年生まれ

拉致当時職業
2人ともマカオのHotel Lisboa宝石店店員

拉致日時、場所
1978年7月2日マカオで失踪

拉致発覚経緯
同じ日、マカオでマッサージガールのタイ人女性アノチャ・パンジョイさんも失踪
している。2005年帰国した拉致被害者曽我ひとみさんとその夫ジェンキンズさんが、
アノチャさんが北朝鮮に拉致されていることを詳しく証言した(資料?)。

ジェンキンズさんは著書『告白』(2005年角川書店刊)の中で、アノチャさんから、
マカオで拉致されたとき船の中に自分以外のアジア人女性が2人いた、という証言を聞
いている。

そこで、同じ日に失踪した孔さん、蘇さんも北朝鮮に拉致されている疑いが高まっ
た。

一方、1978年に香港から拉致され1986年にウィーンから脱出した韓国人女優崔銀姫
氏は、北朝鮮で抑留されていたとき隣の招待所に孔さんというマカオ女性が住んでい
て親しくつきあっていたと、著書『闇からの谺』(1988年池田書店刊、1989年文藝春秋
文庫に収録)に書いていた。

家族会・救う会は2005年12月13日韓国を訪れ崔銀姫氏と面談した。崔銀姫氏に孔令
インさんの失踪前の写真を見せて確認を求めたところ、間違いなくこの女性だと話し
た。そこで崔氏が孔さんから聞いていた自身の身の上などに関する話を詳しく聞き取っ
た(資料?)。

家族会・救う会は2006年1月13日マカオを訪れ、孔令インさんの家族と面談した。崔
氏から聞き取った身の上情報が孔令インさんのものと一致するかどうか確認したとこ
ろ、ほぼすべてが一致した(資料?)。

孔さん家族より要請を受け、家族会・救う会は2006年3月18日、ソウルで孔さん家族
と崔氏の面会をアレンジした(資料?)。



★付属資料

資料?曽我ひとみさんが知る外国人拉致被害者

増元照明・家族会事務局長と西岡力・救う会常任副会長が2005年5月28
日、佐渡市にて曽我ひとみさんに面会して聞き取った。

拉致被害タイ人女性
名前  アノーチャー(ジェンキンスさんの記憶する名前ではアノーチェ)
生年月日 曽我さんより2歳くらい上 8、9、10月生まれ 
拉致経緯 1978年7月に日本で仕事があるといわれ、だまされて来たと本人が曽我ひと
みさんに話した。なお、ジェンキンスさんは著書の中で、マカオの路上で襲われボー
トに乗せられ拉致された、と書いている。
出身   タイの農村出身 仕事のためマカオに来ていた。
家族   父のみ 母は死亡 兄が一人いる
80年 元米兵ラリー・アブシャ(LARRY ABSHIER)と結婚
平壌市勝湖地域立石里(平壌中心部から車で20分)の平屋で暮らす
曽我さん夫婦の平屋の近く 行き来ができた
83年7月10日 アブシャが病死 子どもはいない
84年12月 勝湖地域立岩里の2階立てアパート
(2階に2世帯、1階に2世帯)に引っ越す
2階に一人で住む   曽我一家も2階の隣に住む  
89年 アノーチャーが立石里アパートから出ていく 行き先は不明
その後その部屋は空き屋


資料?マカオ女性孔さんについての崔銀姫証言記録(西岡力救う会常任副会長が2005
年12月13日、ソウルで聞き取り)

・1978年秋ころ 金剛山宿泊所玄関で目撃 もう一人のマカオ人女性と一緒だった。
・1979年6月頃から9月20日 平壌・東北里招待所4号閣に住む孔さんとしばしば会い話
を交わした。崔は隣の招待所に住んでいた。
・1982年1月22日から3月8日 同上
・その後、工作員に中国語を教えているという話を聞いた。
・83年以降、申監督と再会し映画の仕事で忙しくなり、孔さんとは会っていない。
・ミス孔(コン)と呼んでおり、下の名前は知らない。
・カトリック信者、洗礼名マリア。82年近くの林の中に入り、落ち葉に胸までつかり
ながら、崔に洗礼を授けた。資格はないが「こういう場合は出来る」と言っていたと
いう。
・家族 母親と弟がマカオにいる。父親は中国本土の大学教授でマカオに逃げてくる
とき一緒に来られなかった。
・母親が針仕事をして生計を立てていた。
・高校時代にバレーボールの選手だった。
・高校を卒業後、大学に行きたかったが、弟を大学に進学させるため就職した。
・宝石店の店員をしつつ、副業として観光ガイドをしていた。
・20歳の夏、2人の自称日本人男性の案内をして海岸に行き、そこで初対面の女性と一
緒になった。2人ともボートに乗せられ海岸近くを回ったあと、沖に出て無理矢理大き
な船に乗せられ北朝鮮に連れてこられた。
・その女性は孔さんより10歳程度上に見えた。飲み屋で働いていたという。社会経験
が豊富なので北朝鮮に連れていかれてからも激しく抵抗した。孔さんは泣いてばかり
いた。拉致された直後、身の回りのものを買うために大使館街の外貨ショップに連れ
ていかれた。そのとき、インドネシア大使館に飛び込み助けを求めたが、北朝鮮当局
に引き渡された。その後、もう一人の女性とは別れた。
・孔さんからタイ人女性についてはまったく聞いていない。
・北朝鮮に連れていかれた後、胃の病気をした。子宮の手術もした。
・金正日の秘密宴会に出たことがある。金正日から良い結婚をさせてやると言われた
と言っていた。
・孔さんの家族が韓国まで来るならぜひ会いたい。孔さんを助けてあげたい。

資料?増元照明・家族会事務局長と西岡力・救う会常任副会長のマカオの拉致被
害者家族と面会記録

面会日時 2006年1月13日午後6時から8時頃まで
面会場所 マカオのホテル



孔令イン(貝二つの下に言)Hong Leng-ieng 1957年生まれ
1978年7月2日マカオで失踪 マカオのホテル宝石店店員 
同じ日、宝石店同僚ソー・ミオチュンと
タイ人女性アノーチャー・パンジョイも失踪
韓国人拉致被害者・崔銀姫が北朝鮮で孔さんに会ったと証言

面会した家族 弟と父親

面会概要 
西岡が2005年12月13日、ソウルで聞き取った崔銀姫証言を伝達し、事実関
係を確認した。その結果、一緒に拉致された女性に関する情報だけが食い違うが
それ以外はほぼ完全に一致した。
お父さんと弟さんは「今日聞いた情報と、崔さんが本に書いていることを見る
と、姉は拉致されている可能性が高い」と話した。
弟さんは、「同じ被害者の弟同士として増元さんに会いたかった。気持ちは同
じだ。2人の姉が早く無事に帰ってくるように願う」と話した。
お父さんは「増元さんに心から同情する。西岡さんが貴重な情報をもたらして
くれたこと感謝する」と話す。
増元が日本の家族の救出運動について説明したが、2人は「助けたい気持ちは
同じだ。しかし、今のところ、静かにしていたい。記者会見のようなものはでき
ない。」という立場を表明。
増元の「北朝鮮にいる被害者の危険を心配しているからか」という質問に対し
ても、回答を避けた。
2人は、日本の家族会・救う会と今後も連絡を取りあいながら確認作業を続け
たいと表明された。
増元、西岡は、孔さんを含むすべての被害者を救出するために運動している、
今後日本と国際社会で孔さん拉致についても訴えていくことを約束した。

●崔銀姫証言と家族の話の一致点、相違点

・家族関係「母親と弟がマカオにいる。父親は中国本土の大学教授でマカオに逃
げてくるとき一緒に来られなかった」は完全に一致。
・母親の職業「針仕事」も一致
・父親の職業もほぼ一致 崔証言「大学教師」 実際「大卒で中学教師」
※ 崔は1988年に出版した著書の中では「父親は大陸で教鞭を執っている」と記述
・本人の宗教 カソリックも一致 「洗礼名マリア」は家族が記憶しておらず調
査することになった
・「高校時代にバレーボールの選手だった」は完全に一致、高校時代3年間バレー
ボールをしており、マカオ代表選手だった。
※この情報は崔の著書にはない。
・「高校を卒業後、大学に行きたかったが、弟を大学に進学させるため就職した」
は完全に一致、母親に自分が働いて弟を進学させたいと申し出たという。
・「宝石店店員」は完全に一致
・「副業として観光ガイドをしていた」はほぼ一致 副業としてドッグレースの
切符売りをしていた。失踪する1週間前に母親に、ある人から観光ガイドを頼ま
れ宝石店の同僚女性と一緒にいくだろうと話した。弟さんによると、観光ガイド
はそれが最初ではないかという。
・拉致されたときの年齢「20歳の夏」は完全に一致。
・一緒に拉致された女性の情報だけが食い違う。
崔証言「2人の自称日本人男性の案内をして海岸に行き、そこで初対面の女性と
一緒になった。その女性は孔さんより10歳程度上に見えた。飲み屋で働いてい
たという」

実際 同じ日、失踪したのは宝石店の同僚ソー・ミオチュンさん。 
ソーさんは事件当時22歳。ソーさん家族と孔さん家族は事件前からつきあいが
あり、事件翌日連絡を取り合った。ソーさんが同じ日に失踪したことは間違いな
い。弟さんは崔証言に出てくる女性は、タイ人女性アノーチャー・パンジョイ
さんではないかと推測。

資料?中国人拉致被害者家族と崔銀姫氏との面会記録

3月18日午後、救う会の斡旋により中国人拉致被害者家族が韓国ソウル市内
のホテルで崔銀姫氏と面会した。面会したのは、1978年7月2日マカオで失踪した孔令
?Hong Leng-iengさん(1957年生まれ)の家族、弟と父親の二人。

面会には西岡副会長と島田洋一副会長が同席、通訳を勤めた。面会の様子は以下の
ようだった。

まず、家族が崔さんに孔さんと北朝鮮で良い友人になってくれたことに対して感謝
の意を表明があり、お会いできてうれしいとの挨拶が両者からあった。その後、孔さ
んの拉致される前の多数の写真を見て、崔さんが「間違いない」と断言した。また、
崔さんは「お父さんの顔が孔さんとそっくりだ」とも語った。

崔さんから、孔さんは自分に「父は中国本土で学校の先生をしており、母は針仕事
をしており、弟は学校に通っている」と伝えたが正しいかという確認の質問があり、
全部正しい、それ以外にも崔さんが伝えてくれた情報はすべて正しいとの答えがあっ
た。

1月の時点で明らかになっていない新事実が一つある。崔さんは西岡副会長に孔さん
の洗礼名が「マリア」であったと伝えたが、家族は孔さんがカソリックで洗礼を受け
ていることは知っていたが、洗礼名は覚えていなかった。その後、家族が孔さんが洗
礼を受けた教会で調べたところ、洗礼名は「マリア」で間違いなかった。つまり、家
族さえ記憶していなかった孔さんの情報を崔さんが伝えたことになり、拉致されたこ
とは完全に間違いないといえる。

確認作業をする途中、弟さんはお姉さんである孔さんのことを思いだしたのか、感
極まって涙で言葉が出ない場面もあった。

崔さんは、「孔さんは必ず元気でおり、早く自由世界で家族と再会できるように毎
日お祈りしている」と話し、家族も「自分たちもそれを願っている。早く孔さんと会
いたい」と繰り返し答えていた。

その後、崔さんが家族に北朝鮮での孔さんの様子について伝えた。その中で西岡
が12月にソウルで聞くことが出来なかった部分を紹介する。

・孔さんから、朝鮮語を学び中国語を教えているという話を聞いた。誰に教えている
のかについては話が出なかったので分からない。

・孔さんも崔もストレスのため胃腸が悪くなり、昼食後消化のため散歩をしていた。
そのとき、監視の目を盗んで2人で会った。孔さんが焼酎とするめを服の中に隠して持っ
てきて大きな岩の陰に隠れて二人で酒を酌み交わしながら色々な話をした。

・孔さんは金正日の秘密宴会に出たことがあり、そこで金正日から良い結婚をさせて
やると言われた、と崔に話した。

崔さんは、「自分が1988年に手記を発表したとき、孔さんの家族に会いたかった。
そのとき、韓国の東亜日報記者がマカオまで取材に行ったが、孔さんの家族は取材を
拒否したので、会えなかった。なぜその時私と会おうとしなかったか」という質問を
した。孔さん家族からは、「そのとき、大韓機爆破事件、ラングーン爆弾テロ事件、
崔銀姫さんたちの脱出事件などがあり雰囲気が良くなかったので、記者には会ったが
取材を拒否した。その後、半年後、崔さんに会いたいと考え記者に連絡したが、うま
くいかなかった」という答えがあった。



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