増元るみ子さん戸籍回復へ?鹿児島家裁が失踪宣告取り消し(2009/06/15)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2009.06.15)
増元家が、増元るみ子さんの失踪宣告取り消し審判申立てを鹿児島家裁に行っ
ていたが、鹿児島家裁から、6月11付けで「失踪宣告取り消し」の決定通知が
届き、本日、6月15日、記者会見を行った。当日の参加者は、増元照明さん
(家族会事務局長)、西村眞悟衆議院議員、荒木和博・特定失踪者問題調査会代
表、平田隆太郎・救う会事務局長。
会見の概要は以下の通り。
■増元るみ子さん戸籍回復へ?鹿児島家裁が失踪宣告取り消し
平田 6月11日付けで鹿児島家裁から郵送された決定通知が増元さんにも届き、
増元るみ子さんは拉致以降「生存を確認することができる」、失踪宣告取り消し
申立てを「認めるのが相当」ということでした。従って、るみ子さんが帰国した
時に受け入れる準備が整ったことになります。
また、本日は、本年2月に、「北朝鮮拉致被害者の失踪宣言取消しに関する質
問主意書」等を提出していただいた西村眞悟衆議院議員、また「失踪宣言」にも
関係がある特定失踪者問題調査会の荒木和博代表にも参加していただきました。
なお、ご承知のように同じ鹿児島県内でいち早く郵便で通知が届いた市川家で
は、先週末鹿児島県の地元で記者会見を行っています。
増元 昨年10月16日に鹿児島家庭裁判所に「失踪宣告取り消し」の申立を行
いました。この日は、父の命日の前日に当たります。姉増元るみ子と、市川修一
さんは、昭和53年(78年)8月12日、北朝鮮に拉致されました。昨年12
月、今年2月、4月の3回の審問の中で、市川家は16の、増元家は17の資料
を家裁に提出しました。そして6月11日付けで、「失踪宣告取り消し」の判決
をいただきました。これで姉の戸籍が回復できることになり、帰国の準備が整い
ましたので大変嬉しく思っています。お世話になった関係者に御礼申し上げます。
拉致があった「昭和53年8月12日以降における事件本人の生存を確認するこ
とができる」という決定は大変喜ばしいものでした。
なお、審査の過程で、昭和60年(85年)に警察から父に「『背乗り』の危
険性があるので、時々戸籍を調べた方がいい」と連絡があり、父が鹿児島市役所
に何度か戸籍確認に行っていたことが分かりました。(工作員が日本人の旅券を
取り日本人に成りすます)「背乗り」の危険を防ぐために父が除籍の判断をしま
した。姉の戸籍を悪用されないためです。この事実を踏まえて申立てを行ったわ
けですが、父にとっては無念の除籍だったと思います。そこで、それを元に戻し
てやろうと思うようになりました。母も、「帰ってきた時、悲しい思いをさせな
いように早く戻したほうがいい」と希望していました。今回の決定に心から感謝
しています。
なお、昭和60年(85年)に警察から父に連絡があったということは、当時
すでに政府は拉致を認識していたことになります。
西村 日本政府は、二人の生存を前提に救出をすすめています。しかし、国内で
は、失踪宣告で死亡とされています。拉致問題は最優先課題と言っているのであ
れば、この矛盾を解消すべきです。増元さんが苦慮していると聞き、質問主意書
を提出し、特別措置を講じるよう求めました。民法32条では、「失踪者が生存
することまたは前条に規定する時と異なる時に死亡したことの証明があったとき
は、家庭裁判所は、本人又は利害関係人の請求により、失踪の宣告を取り消さな
ければならない」となっています。しかし、被害者は抑留されていて生存を証明
する手段がありません。また、生存しているのに「異なる時に死亡したことの証
明」も出せません。そこで特別措置を講じるよう求めたのですが、官僚の断固と
した何もしないという答弁でした。不作為の不誠実を感じます。増元家だけで、
失踪宣言取消しの努力をされたことに敬意を表します。
荒木 寺越事件では、拉致1か月後に海難事故として寺越昭二さん、外雄さん、
武志さんの戸籍が抹消されました。しかし、寺越家が88年(昭和63年)に戸
籍回復をしようとしたことがあります。仲介したある政治家が「むずかしい」と
言ったので放置していました。ところが97年(平成9年)に家族会が発足後、
マスコミが法務省にこのことを聞いたら、「生きているなら簡単に回復できる」
ということでした。そして1か月で回復できました。88年に寺越さんの両親を
北朝鮮に連れて行った政治家は、「むずかしい」と言った人ですが、実は北朝鮮
に言われて、そう言ったのです。北朝鮮は、戸籍を回復すると日本政府が返せと
言うだろうと考え、日本の政治家を使って、戸籍の回復をやらせないようにした
のです。
今回、政府が生存を前提として交渉していることを、裁判所が認めたことには
大きな意義があります。特定失踪者の家族でも、家庭の事情で「失踪宣告」せざ
るを得なかったところが多数あります。これをステップに、「失踪宣告」の取消
しが進むことを期待します。
増元 判決主文に、「日本政府は、事件本人について北朝鮮から提出された死亡
の裏づけ資料には疑問があるなどとして、事件本人については現在安否不明とし
ている」とあります。これで戸籍回復の道筋ができたのですが、北朝鮮が拉致を
認めたこと、政府が認定していること、が前提になっており、特定失踪者の戸籍
回復は、まだまだ茨の道かと思われます。
市川さんと姉の戸籍については、今後は、裁判所に申請書を出し、裁判所から
確認書を貰い、これを役場に提出すると戸籍が回復されるようです。2週間くら
いかかるということでした。
姉を迎え入れる準備はできました。あとは取り戻してもらうだけです。政府は
もっとアグレッシブに交渉し、取り戻す段取りをつけていただきたいと思います。
北朝鮮が拉致を認めてもう7年経っています。何の情報も成果も得られていない
のが残念です。
以上
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●麻生首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 麻生太郎殿
●救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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増元家が、増元るみ子さんの失踪宣告取り消し審判申立てを鹿児島家裁に行っ
ていたが、鹿児島家裁から、6月11付けで「失踪宣告取り消し」の決定通知が
届き、本日、6月15日、記者会見を行った。当日の参加者は、増元照明さん
(家族会事務局長)、西村眞悟衆議院議員、荒木和博・特定失踪者問題調査会代
表、平田隆太郎・救う会事務局長。
会見の概要は以下の通り。
■増元るみ子さん戸籍回復へ?鹿児島家裁が失踪宣告取り消し
平田 6月11日付けで鹿児島家裁から郵送された決定通知が増元さんにも届き、
増元るみ子さんは拉致以降「生存を確認することができる」、失踪宣告取り消し
申立てを「認めるのが相当」ということでした。従って、るみ子さんが帰国した
時に受け入れる準備が整ったことになります。
また、本日は、本年2月に、「北朝鮮拉致被害者の失踪宣言取消しに関する質
問主意書」等を提出していただいた西村眞悟衆議院議員、また「失踪宣言」にも
関係がある特定失踪者問題調査会の荒木和博代表にも参加していただきました。
なお、ご承知のように同じ鹿児島県内でいち早く郵便で通知が届いた市川家で
は、先週末鹿児島県の地元で記者会見を行っています。
増元 昨年10月16日に鹿児島家庭裁判所に「失踪宣告取り消し」の申立を行
いました。この日は、父の命日の前日に当たります。姉増元るみ子と、市川修一
さんは、昭和53年(78年)8月12日、北朝鮮に拉致されました。昨年12
月、今年2月、4月の3回の審問の中で、市川家は16の、増元家は17の資料
を家裁に提出しました。そして6月11日付けで、「失踪宣告取り消し」の判決
をいただきました。これで姉の戸籍が回復できることになり、帰国の準備が整い
ましたので大変嬉しく思っています。お世話になった関係者に御礼申し上げます。
拉致があった「昭和53年8月12日以降における事件本人の生存を確認するこ
とができる」という決定は大変喜ばしいものでした。
なお、審査の過程で、昭和60年(85年)に警察から父に「『背乗り』の危
険性があるので、時々戸籍を調べた方がいい」と連絡があり、父が鹿児島市役所
に何度か戸籍確認に行っていたことが分かりました。(工作員が日本人の旅券を
取り日本人に成りすます)「背乗り」の危険を防ぐために父が除籍の判断をしま
した。姉の戸籍を悪用されないためです。この事実を踏まえて申立てを行ったわ
けですが、父にとっては無念の除籍だったと思います。そこで、それを元に戻し
てやろうと思うようになりました。母も、「帰ってきた時、悲しい思いをさせな
いように早く戻したほうがいい」と希望していました。今回の決定に心から感謝
しています。
なお、昭和60年(85年)に警察から父に連絡があったということは、当時
すでに政府は拉致を認識していたことになります。
西村 日本政府は、二人の生存を前提に救出をすすめています。しかし、国内で
は、失踪宣告で死亡とされています。拉致問題は最優先課題と言っているのであ
れば、この矛盾を解消すべきです。増元さんが苦慮していると聞き、質問主意書
を提出し、特別措置を講じるよう求めました。民法32条では、「失踪者が生存
することまたは前条に規定する時と異なる時に死亡したことの証明があったとき
は、家庭裁判所は、本人又は利害関係人の請求により、失踪の宣告を取り消さな
ければならない」となっています。しかし、被害者は抑留されていて生存を証明
する手段がありません。また、生存しているのに「異なる時に死亡したことの証
明」も出せません。そこで特別措置を講じるよう求めたのですが、官僚の断固と
した何もしないという答弁でした。不作為の不誠実を感じます。増元家だけで、
失踪宣言取消しの努力をされたことに敬意を表します。
荒木 寺越事件では、拉致1か月後に海難事故として寺越昭二さん、外雄さん、
武志さんの戸籍が抹消されました。しかし、寺越家が88年(昭和63年)に戸
籍回復をしようとしたことがあります。仲介したある政治家が「むずかしい」と
言ったので放置していました。ところが97年(平成9年)に家族会が発足後、
マスコミが法務省にこのことを聞いたら、「生きているなら簡単に回復できる」
ということでした。そして1か月で回復できました。88年に寺越さんの両親を
北朝鮮に連れて行った政治家は、「むずかしい」と言った人ですが、実は北朝鮮
に言われて、そう言ったのです。北朝鮮は、戸籍を回復すると日本政府が返せと
言うだろうと考え、日本の政治家を使って、戸籍の回復をやらせないようにした
のです。
今回、政府が生存を前提として交渉していることを、裁判所が認めたことには
大きな意義があります。特定失踪者の家族でも、家庭の事情で「失踪宣告」せざ
るを得なかったところが多数あります。これをステップに、「失踪宣告」の取消
しが進むことを期待します。
増元 判決主文に、「日本政府は、事件本人について北朝鮮から提出された死亡
の裏づけ資料には疑問があるなどとして、事件本人については現在安否不明とし
ている」とあります。これで戸籍回復の道筋ができたのですが、北朝鮮が拉致を
認めたこと、政府が認定していること、が前提になっており、特定失踪者の戸籍
回復は、まだまだ茨の道かと思われます。
市川さんと姉の戸籍については、今後は、裁判所に申請書を出し、裁判所から
確認書を貰い、これを役場に提出すると戸籍が回復されるようです。2週間くら
いかかるということでした。
姉を迎え入れる準備はできました。あとは取り戻してもらうだけです。政府は
もっとアグレッシブに交渉し、取り戻す段取りをつけていただきたいと思います。
北朝鮮が拉致を認めてもう7年経っています。何の情報も成果も得られていない
のが残念です。
以上
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葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 麻生太郎殿
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発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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