横田めぐみさんと金賢姫の面会時期は1987年1月と推定できる。(2010/07/22)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2010.07.22)
■横田めぐみさんと金賢姫の面会時期は1987年1月と推定できる。
西岡 力(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長)
7月22日午前、軽井沢で持たれた記者会見で、横田滋、横田早紀江ご夫妻は、21日夜金賢
姫から聞いた、めぐみさんとの面会について次のように語った。
・ 金賢姫がめぐみさんの会ったのは1回だけだ。
・ 中国とか海外での仕事を終えて北朝鮮に帰ってきて淑姫から「久しぶりだからめぐみち
ゃんに会いに行くから一緒に行かないか」といわれて会いに行った。
・ 時期、場所は分からない。
・ 何回も会ったとか、お腹が大きいのを見たという話しは間違いであり、金賢姫から訂正
を頼まれた。
金賢姫と金淑姫の当時の動向を調べてみると、金賢姫は1984年12月と1987年1月の2度、海
外での任務を終えて帰国している。このうち1987年1月の帰国後に、金賢姫、金淑姫、横田
めぐみの面会があったと思われる。
金賢姫は1985年7月に淑姫と共に中国広州に行って中国人化実習をし、86年8月マカオに移
りやはり2人で自炊生活をしながら実習を行なった後、1987年1月に2人で平壌に帰った。2
人は帰国後、同年9月まで龍城5号招待所で思想再武装教育を受ける。
1987年1月に?田めぐみさんは、田口さんと86年に分かれ韓国人拉致被害者金英男と結婚し
た。同じく86年に中和郡忠龍里招待所を出て、北朝鮮の発表では太陽里、安明進証言では金正
日政治軍事大学境内の外国人教官宿舎に住んでいた。実は、太陽里も金正日政治軍事大学も、
金賢姫と金淑姫が入った龍城5号招待所と近い場所にある。本来、任務と関係ない教官に会い
に行くことは禁止されている。しかし、近くにめぐみさんが住んでいることを招待所関係者か
ら聞いた淑姫が「久しぶりだからめぐみちゃんに会いに行くから一緒に行かないか」と金賢姫
に誘ったということは十分あり得ることだ。
もしこの時期に面会があったとすると、めぐみさんは妊娠1から2ヵ月であったことになる。
金賢姫の話しのように「お腹が大きいのを見たのは間違い」だが、妊娠中のめぐみさんに会っ
たことにはなる。情報が一部ゆがんで伝達されたとするとつじつまが合う。
一方、もう一つの可能性である1984年12月は、同年7月に金賢姫が金淑姫と別れて金勝一と一
緒になり海外実習を行なって帰国した時になる。この時のことを金賢姫は2009年3月11日、釜山
で飯塚繁雄、飯塚耕一郎親子に次のように証言している。
「85年1月、海外実習から帰ってきて淑姫と合流した。そのとき淑姫は、84年末に田口さんと
めぐみさんと淑姫の3人で市内から遠く離れた招待所で一緒に生活したと言っていた。淑姫によ
れば、そこは電気事情が悪く寒いので、服を何枚も着重ねていたということである」
また、帰国した被害者は同じ時期のことについて以下のように証言している。
「(平壌市南にある中和郡忠龍里1地区の1号招待所に蓮池夫妻、7号招待所に地村夫妻が生活し
ていた。)1985年1月前後に、1地区3号招待所に、田口八重子さん横田めぐみさん、スッキと呼
ばれる朝鮮女性の3人を見かけた。その後、スッキは見えなくなり、田口八重子さんと横田めぐ
みさんが1地区3号招待所で暮らしていた」
もしこのとき金賢姫がめぐみさんと面会したのであれば、当然、めぐみさんと同居していた田
口八重子さんとも再会していなければならないし、中和郡忠龍里の招待所だと特定できなければ
ならない。だが、金賢姫はその時期の田口さんと会っていない。会っていれば飯塚さん父子に伝
えているはずだが、それはない。したがって、金賢姫がめぐみさんに会ったのは、1984年12月で
はないだろう。
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■菅首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 菅 直人殿
■救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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■横田めぐみさんと金賢姫の面会時期は1987年1月と推定できる。
西岡 力(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長)
7月22日午前、軽井沢で持たれた記者会見で、横田滋、横田早紀江ご夫妻は、21日夜金賢
姫から聞いた、めぐみさんとの面会について次のように語った。
・ 金賢姫がめぐみさんの会ったのは1回だけだ。
・ 中国とか海外での仕事を終えて北朝鮮に帰ってきて淑姫から「久しぶりだからめぐみち
ゃんに会いに行くから一緒に行かないか」といわれて会いに行った。
・ 時期、場所は分からない。
・ 何回も会ったとか、お腹が大きいのを見たという話しは間違いであり、金賢姫から訂正
を頼まれた。
金賢姫と金淑姫の当時の動向を調べてみると、金賢姫は1984年12月と1987年1月の2度、海
外での任務を終えて帰国している。このうち1987年1月の帰国後に、金賢姫、金淑姫、横田
めぐみの面会があったと思われる。
金賢姫は1985年7月に淑姫と共に中国広州に行って中国人化実習をし、86年8月マカオに移
りやはり2人で自炊生活をしながら実習を行なった後、1987年1月に2人で平壌に帰った。2
人は帰国後、同年9月まで龍城5号招待所で思想再武装教育を受ける。
1987年1月に?田めぐみさんは、田口さんと86年に分かれ韓国人拉致被害者金英男と結婚し
た。同じく86年に中和郡忠龍里招待所を出て、北朝鮮の発表では太陽里、安明進証言では金正
日政治軍事大学境内の外国人教官宿舎に住んでいた。実は、太陽里も金正日政治軍事大学も、
金賢姫と金淑姫が入った龍城5号招待所と近い場所にある。本来、任務と関係ない教官に会い
に行くことは禁止されている。しかし、近くにめぐみさんが住んでいることを招待所関係者か
ら聞いた淑姫が「久しぶりだからめぐみちゃんに会いに行くから一緒に行かないか」と金賢姫
に誘ったということは十分あり得ることだ。
もしこの時期に面会があったとすると、めぐみさんは妊娠1から2ヵ月であったことになる。
金賢姫の話しのように「お腹が大きいのを見たのは間違い」だが、妊娠中のめぐみさんに会っ
たことにはなる。情報が一部ゆがんで伝達されたとするとつじつまが合う。
一方、もう一つの可能性である1984年12月は、同年7月に金賢姫が金淑姫と別れて金勝一と一
緒になり海外実習を行なって帰国した時になる。この時のことを金賢姫は2009年3月11日、釜山
で飯塚繁雄、飯塚耕一郎親子に次のように証言している。
「85年1月、海外実習から帰ってきて淑姫と合流した。そのとき淑姫は、84年末に田口さんと
めぐみさんと淑姫の3人で市内から遠く離れた招待所で一緒に生活したと言っていた。淑姫によ
れば、そこは電気事情が悪く寒いので、服を何枚も着重ねていたということである」
また、帰国した被害者は同じ時期のことについて以下のように証言している。
「(平壌市南にある中和郡忠龍里1地区の1号招待所に蓮池夫妻、7号招待所に地村夫妻が生活し
ていた。)1985年1月前後に、1地区3号招待所に、田口八重子さん横田めぐみさん、スッキと呼
ばれる朝鮮女性の3人を見かけた。その後、スッキは見えなくなり、田口八重子さんと横田めぐ
みさんが1地区3号招待所で暮らしていた」
もしこのとき金賢姫がめぐみさんと面会したのであれば、当然、めぐみさんと同居していた田
口八重子さんとも再会していなければならないし、中和郡忠龍里の招待所だと特定できなければ
ならない。だが、金賢姫はその時期の田口さんと会っていない。会っていれば飯塚さん父子に伝
えているはずだが、それはない。したがって、金賢姫がめぐみさんに会ったのは、1984年12月で
はないだろう。
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葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 菅 直人殿
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