救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

めぐみさんも八重子さんも平壌にいる?金賢姫氏面会、連続集会1(2010/08/05)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(22.08.05)

以下は、7月31日の東京連続集会55の記録です。今回は、金賢姫氏との面会報
告です。まず前半の家族からの報告を2回に分けて送ります。

■めぐみさんも八重子さんも平壌にいる?金賢姫氏面会、連続集会

◆まるで親子という雰囲気がかもし出され

飯塚繁雄(田口八重子さん長兄、家族会代表)

皆さん今晩は。暑い中ご参加いただき、またいつもこの問題に関心を持ってご
協力していただき、本当にありがとうございます。

金賢姫さんの来日については、政府に、「できれば早い時期に呼んでほしい。
まだ残っている情報もいただきたい」とお願いしていました。日韓政府の合意で
今回来日することができたと思っています。金賢姫さんも前から、「行きたい」
という話でしたし、今回は「横田家にも是非お話したい」ということもありまし
た。

そこで私としては、一つは、彼女が持っている情報を引き出すこと、そしてま
た金賢姫さんについては国民の皆様に全国的な関心があることですから、マスコ
ミを通じて、拉致問題を風化させないということからも報道してもらうというこ
とだったと思います。私から中井(拉致問題担当)大臣にお願いしたのは、飯塚
家、横田家だけではなく、家族会メンバーとの面会を入れてほしいこと、さらに
国民の皆様にも内容を公表してほしいこと、でした。

お願いの内半分は実現しました。家族会メンバーとの面会ができましたし、映
像や音声なしの動画が公表されました。皆様の応援もあって面会ができたと思い
ます。(しかし、金賢姫さんの記者会見は実現しなかった)

20日と21日は、飯塚家の私と耕一郎(田口八重子さん長男)、そして弟の本間
勝の3人が面会しました。なお、私たちは日程が全く分からないまま、政府の計
画に従って動きました。例えば、「20日の何時にどこに来てください」というこ
とで行くと、それから車の行き先が分かるという感じでした。これは、韓国国家
情報院の要望ということです。そういう条件下でないと行かせられないというよ
うな厳しい条件があったようです。

実際に一番心配なのは彼女の警備の問題がありますので、私たちとしては政府
の計画に乗ったという形で今回の面会が実現しました。

最初は20日火曜日の3時45分から5時30分の間面会しましたが、私と耕一郎は前
回釜山で会っていますので、再度面会した時は、彼女の元気そうな姿を間近にみ
てまず一安心しました。彼女の方も、私や耕一郎の健康を気にしたような内容で、
「お元気でしたか」というようなことから面会が始まりました。

今回、何とか情報を引き出したいという希望もありましたが、まずは彼女との
信頼関係をもっと作っていきたい、そうすれば次につながると思って、突然質問
するのではなく、今までの状況等世間話のような話をしました。

私の妹の長女が八重子に似ているというような話もありましたので、なるべく
写真をたくさん持っていって、見せました。「似てますね」というような話もあ
りました。また、お土産の交換もありました。彼女からは螺鈿の宝石箱のような
ものをもらいました。私からは、彼女に似合いそうなネックレスを、前の週の三
重での集会の時に鳥羽に行ってそれを買ってありました。彼女は非常に喜んでく
れました。彼女はきれいな人で、肌も白いし、つけてもらったところ、私も似合っ
ているなと思いました。

そういう中で、何回も話の中で聞いたのは、「八重子さんは絶対生きています」
という言葉でした。会話の後に必ずそれが付いてきました。「どこで、いつ」と
聞きたかったのですが、彼女自身、まだまだ100%自由の身ではありません。今
回も国情院の方が4人来ていました。今回は部屋の中には入らなかったのですが、
ガラス越しに見ていました。従って、かなり意識していたのではないかと思いま
した。回りに聞こえないように、耳打ちをしてくれた時もありました。それも
「生きている」ことの裏づけみたいな話でした。

「今回は八重子さんより私が先に日本に来てしまい、非常に申し訳ない」と言っ
ていました。これは他の被害者の方々にも言っています。私たちは、特定失踪者
の写真も含め、家族会の被害者の写真も全部(釜山で)渡してありましたし、そ
の後、「写真を見てどうでしたか」ということも聞きました。

しかしはっきりとは言わないんです。「何か見たような気がする」ということ
でした。あれほど大勢の写真ですから、必ず見た人がいるのではないかと私は思っ
ていますが、はっきりとは言いませんでした。それについては、「すべて警察に
言ってある」とも言っていました。私としては、まだまだ知っているのではない
かという感じを受けました。

また、会話の中で、彼女が当時八重子から教わった色々な料理について、「今
もちゃんと覚えている」ということでした。そして、耕一郎に食べさせてあげた
いという気持ちが相当ありましたので、材料を用意し、翌日21日の11時から彼女
が手料理を作る場面を見学しながらいただくということがありました。

耕一郎も側で材料を切ったり等のお手伝いをしました。彼も言っていましたが、
「まるで母親と一緒に料理しているような錯覚を感じた」と。私も側で見ていて、
少し涙ぐんでしまったのですが、「これが本当に八重子だったらなあ」という思
いで、まるで親子という雰囲気がかもし出されていたことが非常に印象的でした。

彼女いわく、「お母さんがまたきっとこんな料理を作ってくれますよ」という
話もしてくれましたし、そういうことを含めて、私たちとしては、今回は色々大
変な思いで実現されたわけですが、彼女との面会によって何か今後につながるの
ではないかと思っています。色々物議がかもされていますし、お金もかかったこ
とと思いますが、私たちとして感謝しています。

また、私たちとしてはこの計画に素直に乗ったということです。結果的に、こ
れといった情報はあまりありませんでしたが、何か前進するきっかけになるので
はないかという思いは今もあります。さらに、今回の面会を踏まえ、政府にも具
体的な対応をうながしていきたいと思います。単に今回の面会は良かった、良かっ
たという、一過性のものではなく、国民の皆様方に、きちんと今回のことを見て
いただいた。そして、ではどうするんだ、という声が必ず出てきます。私たちも
単なる面会に終わらせることなく、次につなげたいと考えています。

最後に、耕一郎の手帳に彼女がハングルでメッセージを書いてくれました。そ
の内容は報道もされたと思います。

愛する息子
お母さんは必ずもどってきます。
希望と勇気を持ってください。
私たちみんなが一緒に会って楽しむことができる日を待ちながら。

というものです。ハングルで書いたのは、耕一郎に対して、これからも色々な
関係で韓国や彼女本人との連携が色々あるだろうから、「韓国語を勉強しなさい」
と言っていました。彼は、「これから難しいけれど、なんとか考えてみます」と
言っていました。

まるで自分の息子という感じをすごく持っていまして、雰囲気として非常によ
かったと思っています。

◆「平壌にいますよ」

本間 勝(田口八重子さん兄)

みなさん、暑いところ、いつもどうもありがとうございます。
私も金賢姫との面会に同席させていただきました。先ほど兄が言ったように、
スケジュール等は一切事前にはなくて、急遽どこに集まってくださいということ
で軽井沢に行きました。マスコミと随分と遮断された招待でしたけれども、本当
はもっとマスコミとの対話があってもよかったと思います。せっかく国費を使っ
て呼んだわけですし、国民に大韓機事件を思い出させる来日でしたが、それが北
朝鮮の仕業であったことを、もう一度世間に知らしめたということが金賢姫さん
招聘の一番の意義だったと思います。

また、金賢姫さんは北朝鮮で八重子と一番接点があったわけです。北朝鮮で一
緒に暮らしたという親近感が、会った瞬間、自然と湧いてくるんですね。横田早
紀江さんも、「何とも言えないそういう雰囲気だった」とおっしゃっていました
が、まさしく私たちもそういう思いでした。

兄と耕一郎は昨年3月に面会していますが、私は会った瞬間、「ほんとに八重
子が帰ってきた、八重子がそこにいる」、そういう二重写しの雰囲気で金賢姫さ
んを見ることができました。私たちは飯塚家の写真をたくさん持っていって、そ
れを見せて話をしました。「6人兄弟で誰が一番八重子さんに似ているんですか」
というような質問もあって、日本に来たら男の兄弟よりも女の姉妹八重子に一番
似た姉妹に会えるのかなあというような密かな期待も持って来たように感じられ
ました。

私は、「八重子は今どこにいるんでしょうか」と聞きました。回りには韓国か
ら韓国の国家情報院や韓国大使館の人がいたんですが、小さい声で、「平壌にい
ますよ」と言ってくれました。

また、八重子といくつ歳が違うのかと思って、「いくつ違いですか」と聞いた
ら、「5歳です」と言っていました。5つ違いの妹のようなものだったのかなと思
いました。

八重子が拉致される寸前の友だちと八重子の家族写真を見てもらい、写真の裏
に、「記念に何か書いてください」と頼んだら、「絶対お帰り下さい 金賢姫」
と書いてくれました。それと2010.7.21の日付を書いてくれました。

彼女は工作員として金正日に指令された人です。日本に潜入するための教育を
受けさせられた人です。日本語だけしか話してはいけないという教育を八重子か
ら受けたわけです。今は彼女も家族と別離の状態でいるわけですから、彼女自身
も、親の顔がおぼろげになるほどの年月が経っているわけです。彼女はテロの犯
人ですが、今の段階では、特赦で韓国の一般の国民、市民になれたのです。

確かに大韓機事件を顧みると、元死刑囚という言葉がどんなテレビでもテロッ
プで出ましたが、そのテレビを彼女も見ていて「嫌な場面だ」、「見たくない場
面だ」と言っていました。

そんなような雰囲気で彼女と接したことは、私にとっては、八重子を思い出し、
早く取戻したいという気持ちがさらに沸いてきました。今回、金賢姫さんが来日
したことによって、大韓機事件について、また拉致被害者がいたということを再
認識していただき、さらに世論を盛り上げて、北朝鮮とどのように戦って拉致被
害者を取戻すかということを共に考えていただき、一緒に行動していただきたい
と思います。

◆めぐみは「平壌に」と、政府は真剣に取り組んで

横田早紀江(横田めぐみさん母)

みなさま今晩は。
めぐみが行方不明になってから33年という長い年月の間に、本当に様々な、考
えられないようなことが次々と起きて、私たちは、行方不明になったという大き
なショックから始まって、今日まで、普通は受けることのないようなショックを
受け続けてきました。

本当にたくさんの国民の方々が私たちを応援して下さり、講演会でお話を聞い
ていただきました。「そんなバカなことがあるはずがない」と言われていた頃の
こと、13年前に家族会の活動を始める前の頃のことを思うと、手を振りながら逃
げていくような人がほとんどでした。

大韓機爆破事件の犯人、金賢姫さんが私の前に現れて、過去、何時間かだけだっ
たけれどもめぐみと会ったことがあるということを、証言をしてくださる日が来
るなんて本当に考えることもありませんでした。

この問題は本当に難しい問題ですが、どうか元気でみんなが帰ってくるように
という祈りを続け、今日までその日を信じてきました。

振り返ってみますと、あまりにも膨大な時間が流れました。めぐみが北朝鮮に
いるということが判るまでの20年間、赤ちゃんが生まれて成人式を迎えるまでと
いうそこまで長い20年間という闇の中で、どんなに探しても、警察が大捜索して
も判らなかったことが、こんなに単純に判るなんて。

めぐみが、日本人教師として向こうの工作員に日本語を教えていたということ
は知っていましたけれども、実際にその歴史的な人がすぐ目の前に現れて、「め
ぐみさんがどんなに帰りたいと思っているか知れない日本の地に、私が先に来て
しまって、本当にごめんない。許してください」と、会ってすぐにおっしゃいま
した。

金賢姫さんは非常に緊張していましたので、私も緊張していたのですけれども、
これではいけないと思って私が握手をしに行って「よく来てくださいました」と
言って、ソファのほうに移ってお話をすることができました。

金賢姫さんが「お母さんも私も同じ神様を信じているんですよね」と言ったの
で、私はハッとして「本当に不思議なものですね。人の考えの及ばないようなこ
とをなさる方がいることを信じて、今日まで祈りながらきました。本当に考えら
れないような対面ができたんですね。だからこれからも必ずこういう日がくる。
めぐみが帰ってくる日がくることを信じて私は頑張りますよ」と話しました。
「本当にそうですね。不思議なことがあるんですね」という会話から始まり、前
から知っている人のような感覚でお話をすることができたことを本当にありがた
く思いました。

大事なことを聞かせていただけるかなと思っていましたけれども、「田口八重
子さんや横田めぐみさんより先に私が来てしまって、本当にごめんなさい」と言っ
て涙を流されたんです。「そんなことを言わないでください。これもこれから何
か動いていくことにつながるんですから」と言いながらお話をしました。

それから、「めぐみさんのことは韓国でも新聞をにぎわしていたのでそれを見
ていました。その時にもっと早く、お母さん方にめぐみさんはここにいるんです
よということを言いたかったけれども、ずいぶん時間が経ってしまいました。あ
の時言えなかったこと、本当にごめんなさい。ごめんなさい」と言って何度も涙
を流されました。私は「私たちはこれからを頑張っていきましょう」という話を
しました。

それから、金賢姫さんが同僚の金淑姫さんと一緒にめぐみのいる招待所に行っ
て初めて会った時のことを話してくださいました。めぐみは日本にいた頃は非常
に活発で面白くて賑やかで、大きな声で歌ったりしていたんですけれども、金賢
姫さんのお話を聞くと、めぐみは非常に物静かで優しい子でしたよと言っていま
した。

「北朝鮮にどうやって連れてこられたかということを何か言っていませんでした
か」と聞いたら、「北朝鮮という国はみなさんが考えているより本当に物凄く怖
い国なので、誰も絶対に何も言わないんです。従順にしている人が生きていける
国なんですよ。めぐみさんはよく物事の判る人ですから、色々なことをちゃんと
考えていると思います。だからとても可愛いがられていたようですし、大事にさ
れているんですよ」ということも伝えてくださいました。

めぐみは小さい頃から動物が大好きな子でしたので、犬を飼えとか猫を飼えとか
いつも言っていましたが、転勤族なものですから叶えてやることができなかった
のですけれども、めぐみはやっぱりあちらでも猫を連れてきていて、机の下や周
りに何匹か座っていたような感じだったそうですよ、と教えてくださいました。
めぐみはミミズでもガマガエルでも大好きな子でしたから、そういうことを聞く
だけで、良かったなあと思いました。

一番強調しておっしゃっていたのは、めぐみが日本語を教えていた金淑姫さん
とこれで離れてしまうという時、めぐみは粗雑な安い北朝鮮製の化粧品を使って
節約して貯めたお金で、淑姫さんに外貨ショップで日本製のスーツと鞄を買って
贈ったそうです。淑姫さんはそれを非常に気に入って、大事に着ていたそうです。
めぐみは小さい頃から優しいところのある子でしたので、そういう話を聞いて、
私はホッとしました。

こっちにいれば、めぐみはもっと明るくしていられたでしょうけれども。金賢
姫さんと淑姫さんが訪ねた時、歌を歌いましょうと言ってもめぐみさんはなかな
か歌わなかったけれども、結局3人で歌った歌は「君が代」だったということで
した。めぐみは歌をいっぱい知っているのに、なぜ「君が代」なんだろう、何か
考えて「君が代」を歌ったのかなと思います。

めぐみの場合も田口八重子さんの場合も、例えば「あなたはここで日本語を教
えなさい」と言われたら、そうしなければならない。あなたはこの人と結婚しな
さいと言われたら、どんな人であっても否応なしに結婚しなければならない。こ
うしなさいと言われたら、すぐそこに行ってそうしなければならないという国な
んですから、そうしなければ生きていけないんですよと話していました。

どこにいるのか判ると何かの時に探しにいけると思いますので、「めぐみがど
こにいるのか判りませんか」聞いてみても「わかりません」ということです。
「平壌」とチラッとほのめかしておっしゃっていましたが、「わかりません」と
いうことです。

北朝鮮に1回入った人は非常に恐ろしい思いをして帰ってきていて、向こうの
ことは絶対にしゃべらないというふうになってしまうのかもしれないと思ってい
ます。

北朝鮮が、拉致問題を含めて本当に開放的になって、堂々と世界に出て行って
みんなに信頼されるような国になりなさい、とブッシュさん(元米大統領)もおっ
しゃっていましたけれども、そうならないと、日本に帰国できた方々も本当の意
味での自由は持てないのかなあと思っています。

どんなことでも、良かったと言う方と反対する方が必ずいるのが人間の世界な
ので、ここまで来たのですから、金賢姫さんのことを突破口として政府の方々が
真剣に本気で取り組んで、何か動き出していくという形をとっていただきたいと
いうことを私は本当に願って、大臣にもそのようにお願いいたしました。

もっと色々なことを聞ければ良かったのですけれども、長い時間の割にはその
ようなことしか覚えていないんです。

(つづく)


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