救う会全国協議会

〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
TEL:03-3946-5780 FAX:03-3946-5784 info@sukuukai.jp

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

大きな意義があった金賢姫さん来日?連続集会2(2010/08/05)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2010.08.05-3)


連続集会の後半部分は、今回の金賢姫さん来日に関する救う会・西岡力会長の
解説です。2回に分けて送ります。

■大きな意義があった金賢姫さん来日?連続集会2

◆めぐみさんに会ったのは84年6月頃に1回だけ

西岡力(救う会会長)

まず配布資料について。これは、家族会との面会(メールニュース7/22、7/23)
及びNHK、NTVの金賢姫氏インタビューからまとめたものです。

まず、横田めぐみさんとは一回だけ会ったということです。軽井沢の会見で早
紀江さんが日付を覚えておられなかったのですが、NHK、NTV が聞いたところ、
84年6月頃だということです。これは、金賢姫さんと金淑姫が中国人被害者の孔
さんに中国語を習っていた時期です。金淑姫と一緒に秘密で会いに行ったという
ことです。場所は、平壌の龍城(ヨンソン)区域にある招待所ですので、めぐみ
さんもその近くにいたと考えられます。何度も会ったという報道は間違いで、1
回だけと言っています。

次に、81年から83年まで、東北里招待所で、金賢姫が田口八重子さんから日本
人化教育を受けていた時、近くの招待所で金淑姫が横田めぐみさんから同じ教育
を受けていたことも確認されました。その頃、何回もめぐみさんと金賢姫さんが
会っていたということではないということです。

「一度会った時に料理をごちそうになった」という報道も間違いで、一度会った
時には、一緒に歌を歌った、ということです。(早紀江さん「数十分会ったとい
うことでした」)。

料理を食べたのは87年1月で、中国での実習を終えて金賢姫が金淑姫とともに
北朝鮮に戻ったとき、淑姫さんだけがめぐみさんに会いに行った。めぐみさんは
84年の時は、独身だったわけです。独身時代は、招待所のおばさんが家事をやっ
てくれるのですが、この87年の時は、86年に結婚していますから自分で家事をす
るようになって、料理も作れるようになって、その料理をごちそうになった淑姫
さんが、「ずいぶん大人になった」ということを言ったということです。この時
は金淑姫さんだけが会っています。

金賢姫さんは、87年に招待所のおばさんから何枚かのめぐみさんの写真を見せ
られた。その内一枚が、増元さんが話した、「めぐみさんと誰か日本人女性が一
緒に写っていた写真」で、別の一枚が、「めぐみさんが妊娠していてお腹が大き
い写真」だったということです。だから「妊娠している時に会った」というのは
間違いで、写真で見たということです。

このような、いつ、どうだったか、というようなことは、家族の方が記者会見
しなくても、政府の人がいたわけですから、分かる人がブリーフィングしてくれ
た方が、家族に「どうでしたか」と集中するようなことよりよかったのではない
かと思います。小さなことではありますが、政府の方にそう言ったところ、「混
乱する中でできませんでした」ということでした。

しかし、早紀江さんに聞くと、「私たちは大学ノートを開いて金賢姫さんに会
うわけではないので、記者の人たちが聞くようにはできない」ということです。
そうだなあと思います。

もう一つ、耕一郎さんが21日の記者会見で、「何人かの人を見たことがあるよ
うなことを言っていた。しかしこれは警察に話した」と話しましたが、22日の家
族会との面談に私も同席しました。家族会の方たちがそれぞれ自分の家族の写真
を見せて、「記憶はありませんか」と聞いたら、「記憶はありません」という答
えがあったので、その後、特定失踪者問題調査会のポスターを開いて、「このポ
スターは釜山で飯塚さんが渡しましたよね」、「いただきました」。「見てくだ
さいましたよね」、「見ました」というやりとりがありました。

「この中には、拉致の可能性がある人と、認定された人が全部入っていますが、
見た記憶がある人がいますか。あるいは確実にこの人と分かるような話を聞いた
ことがありますか」と聞きました。そしたら、「見たことはありません。確実に
この人と分かるような話を聞いたこともありません。私が何人かの人を見たとい
う報道があるのはちょっとおかしいです。私が本当に見ていれば、ちゃんと言い
ます」という話でした。あとで耕一郎さんと確認しなければなりませんが。

ただ、去年の12月の段階では、金賢姫さんは、『月刊朝鮮』の趙甲済さんに、
「田口さんのこと、めぐみさんのことは知っている。それ以外の被害者について
も何らかのことは知っている。しかし、知っている度合いは小さい」と言ってい
ました。それが、祐木子さんのことを指しているのか等もう少し確認したかった
のですが、そこまで話ができる時間がなかったので、そこはもう少し詰めなけれ
ばならないと思います。


しかし、警察はかなり色々な写真を見せているということは分かります。それ
との関連で、増元さんに、「他の人には絶対に言わないでください」としながら、
途中経過の報告があったことも事実です。

さらに、「ではこの写真を見てください」と言って、見てもらったのが中国人
の拉致被害者、孔さんの写真です。「この人は見たことがありますよ。私の中国
語の先生です。間違いありません。この人に習っている時に、金淑姫と二人でめ
ぐみさんの所に会いに言ったのです」と。何枚か写真をみせたのですが、「間違
いありません。私の先生ですから」と。横田家はもう面会していますので、家族
会との面会ではめぐみさんのことを聞くつもりはなかったのですが、向こうから
「めぐみさんに会いにいったのです」と言ったので、「いつですか」と聞くと、
「84年です」とおっしゃったので、間違いないと思います。

次 に、招待所のおばさんなどから、「日本人の夫婦がいるという話を聞いてい
る」と。多分、一組は蓮池さん夫婦だったようですが、「それ以外にもいるよう
だった」ということです。そして、「男の工作員が日本人の夫婦から日本語を学
んでいるという話を聞いた」と言っていました。それで、増元さんが、「蓮池さ
んの夫婦ですか」と聞いたら「誰かは分かりません」ということです。

◆76年金正日が拉致を指令、「私たちがその1期生」、東南アジア人化教育も

次に、私が是非聞きたかったことですが、「田口さんが金賢姫を教え、めぐみ
さんが金淑姫を教えた。それは1976年に金正日が『指導核心工作員を作りなさい』、
『その指導核心工作員は現地化しなければいけない』と指令したことによるもの
ですか。その話を聞いていますか」と聞きました。これは毎年12月に開催してい
る「拉致の全貌と解決策」国際会議で、ずっと言ってきたことですが、彼女は、
「まさに私たちがその一期生です。金正日からそのことを直接は聞いていません
が、教官たちから聞いています」と答えました。

これで、「1976年に金正日が、『工作員の現地化をせよ』と拉致を指令し、そ
の結果、1977、1978年に拉致が集中して起きた」と、私がずっと言ってきたこと
ですが、それが現地化教育を受けた工作員からも確認が取れたということになり
ました。これは拉致の全貌を明らかにすることにおいて大変重要な新しい情報だ
と言えます。

ここで私は何回も言いましたが、金賢姫さんは同期生が8人いたんです。金淑
姫と金賢姫さんが女性であとは男6人。その6人も現地化教育を受けたわけですか
ら、男性の先生がいることになると思い、「あなたの同級生の男性があと6人い
た。その人たちも日本人化教育を受けたのですか」と聞いたら、「その人たちは
日本人化教育ではなく、東南アジア担当だった」と答えました。ということは、
1期生で現地化教育を受けると言われていましたが、東南アジア人化教育が並行
して行われていた可能性が出てくることになります。

タイの海老原さんが指摘されましたが、「この情報は重大だ」と。タイ人のア
ノーチャさんしか被害が特定できていないのです。1978年に、マレーシア人とシ
ンガポール人が拉致されているという強い疑惑があるのですが、それらは女性で
す。男が6人、東南アジア人化教育を受けたということは、東南アジア人の男性
の被害者が少なくとも6人いなければならない」ということになります。

実際、東南アジア人化した工作員が、韓国で見つかっています。中国系マレー
シア人に化けていました。マレーシアのパスポートを持って韓国に入り、ソウル
でマレーシア料理店をやっていた。そして、北朝鮮の潜水艇が来て、任務を終え
て北に帰る時に見つかって、その潜水艇が沈められ、引き揚げてみたらマレーシ
アのパスポートを持っているマレーシア料理店の店主が乗っていたのです。つま
りマレーシア人化した工作員だったわけです。

もう一人、これは東南アジア人化と言えるかは疑問ですが、フィリピン人だと
言って韓国に入り、大学教授をやっていた人がいます。元々その人は北朝鮮から
レバノンに行って、レバノン国籍をとってフィリピンに来た人です。フィリピン
国籍を持つアラブ人だということで韓国外国語大学アラビア語学科の教授になっ
て韓国人にアラビア語を教えていたのです。そして北のスパイだった。北朝鮮に
何回も連絡をしているところを見つかった。これも現地化です。

そして金賢姫さんは、「自分と金淑姫が日本人化教育を受けた。女性がもう一
人いたが、その人は中国人化教育を受けたのではないか」と証言しました。8人
ではなく、同期生が9人いた可能性があります。「他に日本人化教育を受けた人
はどれくらいいたのですか」と聞いたら、「分かりません」と。お互いのことを
本当にわからないようにやっているということです。

◆新しい情報がたくさんとれた

それから、家族のそれぞれに対して、繰り返し、「生きていますよ」、「皆さ
ん生きていますよ」、「希望を持って生きてください」という話をした。「その
根拠は何ですか」と聞きますと、「外国人としてきちんと待遇をする」というこ
とです。増元さんが、「処刑というのはどうですか」と聞いたら、「外国人は処
刑しません」と答えました。

ただ、男の被害者は、最初は「ひどい目にあわされる」ということでした。殴
られたりすることだと思います。言うことを聞かせようとする、あきらめさせる
ということです。そして、「言うことを聞くようになれば外国人としての待遇が
なされるので、そんな簡単に死ぬようなことはありません」と。

「北朝鮮の体制に関わるような秘密、重要なことをさせられているので、生きて
いる人が『死んだ』とされている。しかし、北朝鮮という国は日本のようなきち
んとした国じゃないから、ある日、『やっぱり生きていました』ということは十
分あり得る。希望を持ってください」と言っていました。

その時、私が、「例えば大韓機事件は、未だに北朝鮮はでっち上げだと言って
います。だから田口八重子さんが帰ってくるためには、『大韓機事件はでっち上
げだ』と言っている彼らの嘘を暴かなければならない。秘密を秘密でなくしてし
まわないと、帰ってこられないのではないですか」と聞いたら、「まったくその
通りです。秘密を秘密でなくしてしまうことによって、死んだと言われた人たち
が生き返ることになる」というようなことを言っていました。「めぐみさんと八
重子さんは大韓機事件という秘密に関係することがありますが、しかし他の秘密
もあるのではないかと思います」とも言っていました。

最後に、一部で言われていたことですが、「最初は拉致した人たちを洗脳して
工作員として使おうとした。しかし、試してみたら心変わりして使えなかった。
やはり外国人は信用できない、ということになって自分たちが工作員になったと
聞いた」ということでした。また、子ども拉致の話があり、「北朝鮮の中で外国
人の子どもを目撃した」という証言があります。子どもたちを拉致して、洗脳し
て、工作員として使うという証言が複数あります。裏づけはまだ取れていません
が。

「最初は拉致した人たちを洗脳した」というのは誰かですが、レバノン人4人の
可能性があります。78年に拉致し、79年に、安心していたら2人逃げちゃったわ
けです。

以上です。マスコミでは新しい情報はなかったと言っていますが、私たちこのこ
とを専門に見ている者にとっては、新しい情報がたくさんとれた、ということで
す。

(つづく)




★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
■菅首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 菅 直人殿

■救う会全国協議会ニュース

発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
  
■ サイト内検索 ■


■ メールニュース ■
2024/12/23
国際セミナー報告5
2024/12/20
国際セミナー報告4
2024/12/20
国際セミナー報告3
2024/12/18
国際セミナー報告2
2024/12/16
国際セミナー報告1

■過去のメールニュース■

  ■ 2024年
  ■ 2023年
  ■ 2022年
  ■ 2021年
  ■ 2020年
  ■ 2019年
  ■ 2018年
  ■ 2017年
  ■ 2016年
  ■ 2015年
  ■ 2014年
  ■ 2013年
  ■ 2012年
  ■ 2011年
  ■ 2010年
  ■ 2009年
  ■ 2008年
  ■ 2007年
  ■ 2006年
  ■ 2005年
  ■ 2004年
  ■ 2003年
  ■ 2002年
  ■ 2001年
  ■ 2000年
  ■ 1999年
■あなたにも出来る救出運動■
あなたにもできること

 ■ 映画「めぐみ」 ■ 

映画「めぐみ」

■ 書 籍 ■