北朝鮮が拉致を認めて10年、9/17東京特別集会報告2(2012/09/23)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2012.09.23)
司会 ありがとうございました。続いて、横田滋さん、早紀江さん宜しくお願い
いたします。
横田 滋 みなさん、こんにちは。新潟市で拉致された横田めぐみの父の横田滋
です。
めぐみがいなくなりまして、10月15日で35年になります。それを分けて
みますと、最初の20年間というのは、新潟県警は国内での身代金目的の誘拐だ
ろうということで、新潟県警始まって以来の行ってくださったのですが、めぐみ
の姿はもちろんのこと、遺留品も見つかりませんし、目撃証言もありませんでし
た。
新潟では、拉致と分かってから犯人の捜索が始まって、こういうちらし、上が
犯人です。蓮池さん、地村さん、曽我ひとみさんは帰ってきていますが、後は曽
我さんのお母さんとめぐみということです。
こちら側は、蓮池さんに関する犯人ですが、こういう犯人を捜すビラを、新潟
市の繁華街の古町というところでやっています。曽我さんについては、佐渡汽船
の新潟と佐渡のターミナルでやっています。柏崎は回覧板でまわすということで
ちらしはやっていないそうです。北朝鮮による犯罪と分かった今も捜査を続けて
います。
平成9年の1月21日に、北朝鮮にいるらしいという情報が入って、それから
約1週間取材が始まって、2月3日の「産経新聞」と「AERA」に「少女拉致事件」
ということで載りました。
その日の午後の衆議院予算委員会で、めぐみのことが新進党の西村眞悟代議士
によって取り上げられ、テレビの生中継がありましたのでその日の夜のニュース
に何回か流されて、2月4日には、「読売新聞」、「朝日新聞」、「毎日新聞」
の大手の全部が発表しましたので、ほとんどの方はその時に日本人拉致というこ
とをお知りになったかと思います。
3月25日に「拉致被害者家族連絡会」を立上げましたが、全部の方が加盟し
たわけではなく、8家族でした。その内、原さんのお兄さんは病気の関係で東京
に出てくることはなく、テレビに映ったのは7人の家族でした。
署名活動なんかも3月から始めたわけですが、署名をお願いしても、「拉致な
んか本当にあるんですか」とか、「こんなものに署名して大丈夫ですか」とおっ
しゃる方もたくさんいましたし、当時の社会党や学者の方でも「拉致はない」と
いうことをおっしゃる方もたくさんいました。
それは金大中事件というのがありましたので、日本人は一般的には、韓国は拉
致するかもしれないと。しかし、北朝鮮は新潟港からたくさんの人が帰国してお
りますから、それは騙されたわけですが、「地上の天国」という形で帰っていっ
たわけですから、拉致なんかしないんじゃないかということもありました。
しかし、2002年の小泉総理の訪朝によって、北が拉致を認めて、政府認定
者では4人の方が生存、8人の方が死亡ということが発表されて、それから政府
が認定していなかった曽我ひとみさんが生存ということを発表してきたわけです。
後で色々なニュースを聞いてみますと、北はこれ(曽我さんを返したこと)を
失敗したと思っているわけです。それは、「日本政府が知らないような人まで見
つけたので、これで拉致は終わり」と言おうとしたんですが、しかし日本の世論
の中から、こういった人がいるんじゃないかと言われておりましたので、「もっ
といる筈だ」ということになって、世論が硬化してきたことがありました。
そして、2002年の10月15日に5人の方が帰国しましたが、それは一時
帰国ということでした。しかし、このまま返してしまえば、本人の意思で向こう
に帰り、時々日本に来るという形で、事実上帰国できなくなったと思います。し
かし安倍官房副長官や中山参与が、「犯人のもとに被害者を返さない」というこ
とで、小泉総理なんかに申し入れをして、最終的には小泉さんが決断をして返さ
なかったわけです。
そうすると子どもは返してもらうことができなかったわけですが、2004年
の2度目の訪朝によって、5月に蓮池さん、地村さん家族が5人帰って、7月に
曽我さんの家族がジャカルタ経由で帰ってきました。
北は、「生きてる人はすべて返した。後は死んでるんだ」ということになって
しまうわけです。しかし、小泉総理はその時に再調査を要求しまして、2004
年の8月、9月、11月と3回、日朝協議が開かれました。
1回目は調査委員会を作ったということ、2回目はめぐみの死亡年月日が1年
後ろに延びたということ、3回目はめぐみの遺骨等が帰ってきましたのですが、
これはDNA鑑定の結果、別人のものと判明しています。
ですから、2回目の小泉訪朝以来、具体的な進展は全くないわけです。安倍さ
んの時2回交渉があって、それは「拉致は解決済み」ということでした。福田さ
んの時も2回行われて、2度目の2008年8月の時に「再調査」を両国で合意
して、そこでまた進むのかと思ったんですが、何も進展しないうちに福田さんが
辞任されたので、結局麻生さん以降は、日朝交渉はちょっと前までは行われてお
りませんでした。
しかし、野田総理もこれは政府間交渉をしなければ解決しない問題だとおっしゃ
いますが、誰か民間の人が行って話をすれば連れて帰るような小規模のもので、
かつこちらに責任があるような場合はできるかもしれませんが、これは政府間交
渉をやるしかありません。それがずっと行われてなかったわけです。
しかし、8月の9、10日、赤十字会談が開かれ、遺骨の収集について合意を
し、それには政府も参加することを両国で合意したわけです。
赤十字は、遺骨とか日本人妻の一時帰国では活躍できるわけですが、拉致につ
いては権限がありません。そこで政府が入るということで、8月29、30日、
31日と3日間、実際は半日ずつくらいしかやっていませんが、両国が関心があ
るような問題をなるべく早く、9月17日くらいをめどにということでやったの
ですが、まだ何も発表はされておりません。
そして、具体的には拉致問題とは書いてないんですが、両国の懸案事項という
会話の中では、初めは拉致ということもでてきたようですから、若干日にちがか
かるかもしれませんが、遺骨をきっかけにして拉致問題の協議というところに持っ
ていくしか方法はないと思います。
清津会の人の話ですと、やはり北朝鮮は様子が変わっていて、一般の人を清津
には全く入れたことがなかったのですが、バスで連れて行って詳細に見せていま
す。それは一緒に行った人のビデオを見たわけです。道路は平壌を出ると舗装し
ていないところもあり、雨が降ると水溜りがあったぐらいですが、想像していた
よりはだいぶきれいになっています。
やはり向こうの関心事といえば、今年は旱魃と水害の両方の被害で食糧がとれ
るのが少なくなっている、外貨も少ないからこのままほっとけばそれこそ自滅す
るようなことになると思いますから、指導者も変わったことですし、国民のこと
を考えれば、拉致のことも進展させなければ国が危ない事態になってきているわ
けですから、わたしは拉致のことが行われないということは心配しておりません。
政府に期待するしかありませんが、政府はきちんとやってくださると信じてお
ります(拍手)。
横田早紀江 みなさま、こんにちは。暑い中、たくさん集まっていただいてあり
がとうございます。
今、色々と難しい状況になってきておりまして、私たちは家族の者でしかあり
ませんので、長い間みなさんから教えていただきながら、北朝鮮の国のこと、韓
国との関係等少しずつ学ばせていただいたわけで、専門的な知識はありません。
私たちは、子どもたちがどうしたら日本に帰ってこられるのかということだけ
しか思っていないので、難しい問題をマスコミの人にも聞かれますが、そんなこ
とは絶対こうですと断定的に本当は言えない立場なんです。
外務省や政府の皆様が一丸となって取り返すためにどうしたらいいんだろうと
本気で考えて、実行していただくしかありません。あまりにも時間が長すぎて、
もう35年という時間を経過しています。
そして9月17日というのは、私たちにとって、家族にとっては忘れられない、
人生の中で一番大きなショックを受け、淋しくて、辛くて、悲しい時間を過ごし
ました。元気で帰ってくるだろうと思っていた子どもたちが、「死亡」と言われ
て、「8人は完全に死亡しています」というようなことで大変なショックを受け
たんですけれども、絶対に子どもたちは元気でいるんだという一念のもとに、そ
れを信じて今日まで頑張ってきました。
色々な情報が今、色々なところから出ていて、それも本当にどこにどうしてい
るのかという細かいことが全く分からないし、それがどこまで正しいのかという
ことも私たちは分かりません。
しかし、色々な形で元気でいるということを聞かされておりますので、絶対に
元気で帰ってくる日が来るんだと思っていますが、あまりにも長い年月が経ち、
だらだらと解決がもたらされない状況がまだこれから先続いていけば、私たちは
一番若い親ですが、それでも主人は今年80歳になりますし、病気で入院なさっ
ている親御さんもたくさんおられます。
本当に元気な間に子どもたちに会うことができなければ、拉致問題の解決とは
何だったんだろうということにしかならない、非常に悲しい問題が日朝間の間に
取り残されていってしまうという恐ろしさを感じながら過ごしております。
何とかして、新しい指導者が立ち上がった時に、あまり色々なことが起きない
間に、早く決心をしてもらって、そして「世界中が見ていますよ」、「拉致被害
者を全部親のもとに返せば、指導者が賞賛されるんだ」と。
そして日本にも大きな喜びがいっぱいになり、それが彼の国に対しても喜びと
なっていくような良い情況を作り出すんじゃないですかというような、心からそ
ういうメッセージを出しながら、そして制裁は緩めない。
もしもそれがだめなら、大変な時でもチャンスはないという力強いメッセージ
を出してくださっておりますが、それをしっかり言いながら、今年こそ何とかし
て無事に取り返していただきたいと願っています。
これからもどうぞ宜しくお願いいたします。ありがとうございました(拍手)。
司会 ありがとうございました。では続いて、増元照明さんと俊子さんにお願い
いたします。
増元照明 みなさん、こんにちは。まずこの10年の節目に際して、有本さんは
今日記者会見をすると聞きましたが、地方の家族はやる機会がないということで
したので、姉の平野フミ子に電話しまして、昨日メッセージをもらっています。
そ
れをまず妻(俊子さん)が読んで、また新しく家族会に加わった心境を少し話
してもらい、私の感想を述べさせていただきます。
増元俊子 みなさん、こんにちは。主人は4人兄弟の一番下です。今から私は長
女の平野フミ子が昨日寄せました手紙を読ませていただきます。
【平野フミ子さんからの手紙】
こんにちは。増元るみ子の姉、平野フミ子と申します。
いつも拉致問題解決のために集会に来ていただき、本当にありがとうございま
す。
平成14年9月17日、小泉元総理の初訪朝に始まった10年前は、父正一の
無念の死につながっていきました。「日本を信じろ」という最後の言葉を私たち
家族は胸に刻み、日本国民の皆様、そして日本という国を信じて今まで訴え続け
てまいりました。
そして首相が短命で終っても、政権が変わっても、今度こそは、今度こそはと
期待と希望とをもって戦ってきました。でも10年経った現在、未だに家族に会
えません。
父正一に会わせられなかった妹るみ子を、母信子にだけは会わせてやりたい。
その思いだけで突き進んできました。まだまだ、私たちの努力が足りないのでしょ
うか。もうこれ以上、何をしたらよいのか分かりません。教えてください。胸が
引き裂かれる思いで毎日を過ごしております。
拉致被害者を一日も早く取戻してくださいますよう心の底からお願い申し上げ
ます。この問題を解決してくださる政党こそ、日本の誇りある政党だと信じます。
以上です(拍手)。
10年前、私は家族会にいませんでした。私が家族になる前のことですので、
まず姉の手紙に加えまして、父正一のことを主人から話してもらいたいと思いま
す。
増元照明 父は本当に頑迷で、私は4人兄弟でしたが、一番かわいがっていたの
がるみ子です。一番かわいがっていたというか、一番なついていた。他の3人が
全然なつかなかったものですから。それで父になついていた、そのるみ子がいな
くなったことで非常に落胆したんだとは思いますが、10年前、9月に入院した
父はまだ元気でした。
写真は9月5日のものが残っていますが、元気な顔で笑っておりました。それ
が9月17日にはマスクをし始め、その9月17日のあの平壌会談の結果を受け
て、落胆したんだと思います。
私は、あと半年生きると担当医から聞いていたので、9月に平壌会談があって、
あと半年経ったら、「5人生存、8人死亡」とはいえ、とにかく年内には解決で
きるだろうという思いで、親父の死には間に合うのではないかと思っていたんで
すが、残念ながら一月で親父は他界してしまいました。
気持ちの落胆もあったと思いますが、親父の思いは、9月17日、あの北朝鮮
の発表に対して、「北朝鮮は嘘をついている」とベッドの上で叫んだというのを
母から聞いております。
「るみ子は生きている」という、その思いは必ず私は実現させなければならない
という思いです。
増元俊子 私は10年前のことを話させていただきますと、今のような家族、当
時で言えばご家族の思いなどを知らずに、私は実は報道を受けまして、本当に申
し訳ないことですが、心の中で喪に服してしまいました。
「5人生存、8人死亡」というのを真に受けてしまって、会見で家族会の皆さん
方が、姉のフミ子もうそうですし、早紀江さんも嘉代子さんたちもみなさんおっ
しゃってましたけど、「そんなことは信じられない」、「いつ死んだか分からな
いのなんか信じられない」という会見をみても、「そうよねえ。信じたくないわ
よねえ」と、私は本当に首相がおっしゃった「8人死亡」ということを真に受け
てしまいました。
家族が「信じられない」と訴えていらっしゃるのを見ても、「家族の気持ちと
しては信じられないわよね」という思いでいたということを、本当に申し訳なく
思います。
なぜ一国民の私が、今では北朝鮮が言ったことは嘘だと判明していますけれど、
10年前の今日、何で信じてしまったのかということを考えていきますと、ここ
に小泉総理の、日朝首脳会談後の記者会見の冒頭の記事があります。それを少し
読んでみますと、
「本日、金正日国防委員長との会談におきまして、拉致問題については安否を確
認することができましたが、帰国を果せず亡くなられた方々のことを思うと、痛
恨の極みであります。ご家族のお気持ちを思うと、言うべき言葉もありません」
これが冒頭の言葉です。首相によって、拉致被害者数名の方々が亡くなったと
いうことで、お悔やみを首相が述べているわけです。これを一国民として全く疑
うことを知りませんでした。
その後、メディアの方々との質疑応答の中で、このようなことがあります。
質問は、「拉致被害者の6人死亡というかなり深刻な事態になっていますが、
それをどのように受け止めているか」という質問に対しまして、小泉総理は、
「誠に残念な報告であり、私はご家族の方々の気持ちを思うと何とも言いようが
ございません。このようなことを二度と起こさないためにも、私は今後日朝関係
の改善をはかっていく必要があると思いまして、ご家族の方々のご心痛いかばか
りかと胸が痛む思いでございます」
質問に「6人」とありますが、記事のまま読ませていただきました。私が喪に
服した気持ちになったのは、小泉首相のこういう発言を受けてだったと思います。
今日の新聞にも書いてありました。福田元首相や安倍元首相が当時のことを思
い起こした記事でしたが、北朝鮮が今日も、「拉致は解決済み」と言うことは、
もしかしたら、やはり10年前の日朝首脳会談に大きな闇がひそんでいるのでは
ないか。
日本は、小泉首相は、日朝協議の記録がなくなっていることも含めまして闇の
中なんですが、生存が数名いる、死亡者がいるということを踏まえた上で、事前
にそれを織り込み済みで国交正常化へ向かおうとしたのか、そういうところをきっ
ちりともう1回再考していただきたいと思います。
それを根拠に北朝鮮が、「拉致は解決済み」というのであれば、平壌宣言もも
う一度考え直す必要があるのではないかと個人的には考えております。
話が長くなりましたが、10年が経ち、拉致されてからはもっと長い日が経っ
ておりますが、北朝鮮で暮らす日が、今日も、明日もとまた一日かさんでいくこ
とをやめさせてあげたいと思います。
今日からでも、日本人として、この自由の国で暮らせる姉の姿を見たいと思っ
ております。奪還することが目的のように支援者の方々も一生懸命やってくださ
るんですが、嫁の私としましては、義姉が帰ってきた後、義姉の家族も含めて、
どうやって日本で幸せに暮らすことができるのか、そこに家族として一生懸命尽
力していきたい、それが私の最終目的であって、奪還は途中のことです。
家族としては、家族の暮らしを早く取戻して、幸せに暮らさせてあげたいと思っ
ております。どうぞご協力をお願いいたします(拍手)。
(3につづく)
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■野田首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
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[携帯]http://form1.kmail.kantei.go.jp/cgi-bin/k/iken/im/goiken.cgi
葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 野田佳彦殿
■救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
司会 ありがとうございました。続いて、横田滋さん、早紀江さん宜しくお願い
いたします。
横田 滋 みなさん、こんにちは。新潟市で拉致された横田めぐみの父の横田滋
です。
めぐみがいなくなりまして、10月15日で35年になります。それを分けて
みますと、最初の20年間というのは、新潟県警は国内での身代金目的の誘拐だ
ろうということで、新潟県警始まって以来の行ってくださったのですが、めぐみ
の姿はもちろんのこと、遺留品も見つかりませんし、目撃証言もありませんでし
た。
新潟では、拉致と分かってから犯人の捜索が始まって、こういうちらし、上が
犯人です。蓮池さん、地村さん、曽我ひとみさんは帰ってきていますが、後は曽
我さんのお母さんとめぐみということです。
こちら側は、蓮池さんに関する犯人ですが、こういう犯人を捜すビラを、新潟
市の繁華街の古町というところでやっています。曽我さんについては、佐渡汽船
の新潟と佐渡のターミナルでやっています。柏崎は回覧板でまわすということで
ちらしはやっていないそうです。北朝鮮による犯罪と分かった今も捜査を続けて
います。
平成9年の1月21日に、北朝鮮にいるらしいという情報が入って、それから
約1週間取材が始まって、2月3日の「産経新聞」と「AERA」に「少女拉致事件」
ということで載りました。
その日の午後の衆議院予算委員会で、めぐみのことが新進党の西村眞悟代議士
によって取り上げられ、テレビの生中継がありましたのでその日の夜のニュース
に何回か流されて、2月4日には、「読売新聞」、「朝日新聞」、「毎日新聞」
の大手の全部が発表しましたので、ほとんどの方はその時に日本人拉致というこ
とをお知りになったかと思います。
3月25日に「拉致被害者家族連絡会」を立上げましたが、全部の方が加盟し
たわけではなく、8家族でした。その内、原さんのお兄さんは病気の関係で東京
に出てくることはなく、テレビに映ったのは7人の家族でした。
署名活動なんかも3月から始めたわけですが、署名をお願いしても、「拉致な
んか本当にあるんですか」とか、「こんなものに署名して大丈夫ですか」とおっ
しゃる方もたくさんいましたし、当時の社会党や学者の方でも「拉致はない」と
いうことをおっしゃる方もたくさんいました。
それは金大中事件というのがありましたので、日本人は一般的には、韓国は拉
致するかもしれないと。しかし、北朝鮮は新潟港からたくさんの人が帰国してお
りますから、それは騙されたわけですが、「地上の天国」という形で帰っていっ
たわけですから、拉致なんかしないんじゃないかということもありました。
しかし、2002年の小泉総理の訪朝によって、北が拉致を認めて、政府認定
者では4人の方が生存、8人の方が死亡ということが発表されて、それから政府
が認定していなかった曽我ひとみさんが生存ということを発表してきたわけです。
後で色々なニュースを聞いてみますと、北はこれ(曽我さんを返したこと)を
失敗したと思っているわけです。それは、「日本政府が知らないような人まで見
つけたので、これで拉致は終わり」と言おうとしたんですが、しかし日本の世論
の中から、こういった人がいるんじゃないかと言われておりましたので、「もっ
といる筈だ」ということになって、世論が硬化してきたことがありました。
そして、2002年の10月15日に5人の方が帰国しましたが、それは一時
帰国ということでした。しかし、このまま返してしまえば、本人の意思で向こう
に帰り、時々日本に来るという形で、事実上帰国できなくなったと思います。し
かし安倍官房副長官や中山参与が、「犯人のもとに被害者を返さない」というこ
とで、小泉総理なんかに申し入れをして、最終的には小泉さんが決断をして返さ
なかったわけです。
そうすると子どもは返してもらうことができなかったわけですが、2004年
の2度目の訪朝によって、5月に蓮池さん、地村さん家族が5人帰って、7月に
曽我さんの家族がジャカルタ経由で帰ってきました。
北は、「生きてる人はすべて返した。後は死んでるんだ」ということになって
しまうわけです。しかし、小泉総理はその時に再調査を要求しまして、2004
年の8月、9月、11月と3回、日朝協議が開かれました。
1回目は調査委員会を作ったということ、2回目はめぐみの死亡年月日が1年
後ろに延びたということ、3回目はめぐみの遺骨等が帰ってきましたのですが、
これはDNA鑑定の結果、別人のものと判明しています。
ですから、2回目の小泉訪朝以来、具体的な進展は全くないわけです。安倍さ
んの時2回交渉があって、それは「拉致は解決済み」ということでした。福田さ
んの時も2回行われて、2度目の2008年8月の時に「再調査」を両国で合意
して、そこでまた進むのかと思ったんですが、何も進展しないうちに福田さんが
辞任されたので、結局麻生さん以降は、日朝交渉はちょっと前までは行われてお
りませんでした。
しかし、野田総理もこれは政府間交渉をしなければ解決しない問題だとおっしゃ
いますが、誰か民間の人が行って話をすれば連れて帰るような小規模のもので、
かつこちらに責任があるような場合はできるかもしれませんが、これは政府間交
渉をやるしかありません。それがずっと行われてなかったわけです。
しかし、8月の9、10日、赤十字会談が開かれ、遺骨の収集について合意を
し、それには政府も参加することを両国で合意したわけです。
赤十字は、遺骨とか日本人妻の一時帰国では活躍できるわけですが、拉致につ
いては権限がありません。そこで政府が入るということで、8月29、30日、
31日と3日間、実際は半日ずつくらいしかやっていませんが、両国が関心があ
るような問題をなるべく早く、9月17日くらいをめどにということでやったの
ですが、まだ何も発表はされておりません。
そして、具体的には拉致問題とは書いてないんですが、両国の懸案事項という
会話の中では、初めは拉致ということもでてきたようですから、若干日にちがか
かるかもしれませんが、遺骨をきっかけにして拉致問題の協議というところに持っ
ていくしか方法はないと思います。
清津会の人の話ですと、やはり北朝鮮は様子が変わっていて、一般の人を清津
には全く入れたことがなかったのですが、バスで連れて行って詳細に見せていま
す。それは一緒に行った人のビデオを見たわけです。道路は平壌を出ると舗装し
ていないところもあり、雨が降ると水溜りがあったぐらいですが、想像していた
よりはだいぶきれいになっています。
やはり向こうの関心事といえば、今年は旱魃と水害の両方の被害で食糧がとれ
るのが少なくなっている、外貨も少ないからこのままほっとけばそれこそ自滅す
るようなことになると思いますから、指導者も変わったことですし、国民のこと
を考えれば、拉致のことも進展させなければ国が危ない事態になってきているわ
けですから、わたしは拉致のことが行われないということは心配しておりません。
政府に期待するしかありませんが、政府はきちんとやってくださると信じてお
ります(拍手)。
横田早紀江 みなさま、こんにちは。暑い中、たくさん集まっていただいてあり
がとうございます。
今、色々と難しい状況になってきておりまして、私たちは家族の者でしかあり
ませんので、長い間みなさんから教えていただきながら、北朝鮮の国のこと、韓
国との関係等少しずつ学ばせていただいたわけで、専門的な知識はありません。
私たちは、子どもたちがどうしたら日本に帰ってこられるのかということだけ
しか思っていないので、難しい問題をマスコミの人にも聞かれますが、そんなこ
とは絶対こうですと断定的に本当は言えない立場なんです。
外務省や政府の皆様が一丸となって取り返すためにどうしたらいいんだろうと
本気で考えて、実行していただくしかありません。あまりにも時間が長すぎて、
もう35年という時間を経過しています。
そして9月17日というのは、私たちにとって、家族にとっては忘れられない、
人生の中で一番大きなショックを受け、淋しくて、辛くて、悲しい時間を過ごし
ました。元気で帰ってくるだろうと思っていた子どもたちが、「死亡」と言われ
て、「8人は完全に死亡しています」というようなことで大変なショックを受け
たんですけれども、絶対に子どもたちは元気でいるんだという一念のもとに、そ
れを信じて今日まで頑張ってきました。
色々な情報が今、色々なところから出ていて、それも本当にどこにどうしてい
るのかという細かいことが全く分からないし、それがどこまで正しいのかという
ことも私たちは分かりません。
しかし、色々な形で元気でいるということを聞かされておりますので、絶対に
元気で帰ってくる日が来るんだと思っていますが、あまりにも長い年月が経ち、
だらだらと解決がもたらされない状況がまだこれから先続いていけば、私たちは
一番若い親ですが、それでも主人は今年80歳になりますし、病気で入院なさっ
ている親御さんもたくさんおられます。
本当に元気な間に子どもたちに会うことができなければ、拉致問題の解決とは
何だったんだろうということにしかならない、非常に悲しい問題が日朝間の間に
取り残されていってしまうという恐ろしさを感じながら過ごしております。
何とかして、新しい指導者が立ち上がった時に、あまり色々なことが起きない
間に、早く決心をしてもらって、そして「世界中が見ていますよ」、「拉致被害
者を全部親のもとに返せば、指導者が賞賛されるんだ」と。
そして日本にも大きな喜びがいっぱいになり、それが彼の国に対しても喜びと
なっていくような良い情況を作り出すんじゃないですかというような、心からそ
ういうメッセージを出しながら、そして制裁は緩めない。
もしもそれがだめなら、大変な時でもチャンスはないという力強いメッセージ
を出してくださっておりますが、それをしっかり言いながら、今年こそ何とかし
て無事に取り返していただきたいと願っています。
これからもどうぞ宜しくお願いいたします。ありがとうございました(拍手)。
司会 ありがとうございました。では続いて、増元照明さんと俊子さんにお願い
いたします。
増元照明 みなさん、こんにちは。まずこの10年の節目に際して、有本さんは
今日記者会見をすると聞きましたが、地方の家族はやる機会がないということで
したので、姉の平野フミ子に電話しまして、昨日メッセージをもらっています。
そ
れをまず妻(俊子さん)が読んで、また新しく家族会に加わった心境を少し話
してもらい、私の感想を述べさせていただきます。
増元俊子 みなさん、こんにちは。主人は4人兄弟の一番下です。今から私は長
女の平野フミ子が昨日寄せました手紙を読ませていただきます。
【平野フミ子さんからの手紙】
こんにちは。増元るみ子の姉、平野フミ子と申します。
いつも拉致問題解決のために集会に来ていただき、本当にありがとうございま
す。
平成14年9月17日、小泉元総理の初訪朝に始まった10年前は、父正一の
無念の死につながっていきました。「日本を信じろ」という最後の言葉を私たち
家族は胸に刻み、日本国民の皆様、そして日本という国を信じて今まで訴え続け
てまいりました。
そして首相が短命で終っても、政権が変わっても、今度こそは、今度こそはと
期待と希望とをもって戦ってきました。でも10年経った現在、未だに家族に会
えません。
父正一に会わせられなかった妹るみ子を、母信子にだけは会わせてやりたい。
その思いだけで突き進んできました。まだまだ、私たちの努力が足りないのでしょ
うか。もうこれ以上、何をしたらよいのか分かりません。教えてください。胸が
引き裂かれる思いで毎日を過ごしております。
拉致被害者を一日も早く取戻してくださいますよう心の底からお願い申し上げ
ます。この問題を解決してくださる政党こそ、日本の誇りある政党だと信じます。
以上です(拍手)。
10年前、私は家族会にいませんでした。私が家族になる前のことですので、
まず姉の手紙に加えまして、父正一のことを主人から話してもらいたいと思いま
す。
増元照明 父は本当に頑迷で、私は4人兄弟でしたが、一番かわいがっていたの
がるみ子です。一番かわいがっていたというか、一番なついていた。他の3人が
全然なつかなかったものですから。それで父になついていた、そのるみ子がいな
くなったことで非常に落胆したんだとは思いますが、10年前、9月に入院した
父はまだ元気でした。
写真は9月5日のものが残っていますが、元気な顔で笑っておりました。それ
が9月17日にはマスクをし始め、その9月17日のあの平壌会談の結果を受け
て、落胆したんだと思います。
私は、あと半年生きると担当医から聞いていたので、9月に平壌会談があって、
あと半年経ったら、「5人生存、8人死亡」とはいえ、とにかく年内には解決で
きるだろうという思いで、親父の死には間に合うのではないかと思っていたんで
すが、残念ながら一月で親父は他界してしまいました。
気持ちの落胆もあったと思いますが、親父の思いは、9月17日、あの北朝鮮
の発表に対して、「北朝鮮は嘘をついている」とベッドの上で叫んだというのを
母から聞いております。
「るみ子は生きている」という、その思いは必ず私は実現させなければならない
という思いです。
増元俊子 私は10年前のことを話させていただきますと、今のような家族、当
時で言えばご家族の思いなどを知らずに、私は実は報道を受けまして、本当に申
し訳ないことですが、心の中で喪に服してしまいました。
「5人生存、8人死亡」というのを真に受けてしまって、会見で家族会の皆さん
方が、姉のフミ子もうそうですし、早紀江さんも嘉代子さんたちもみなさんおっ
しゃってましたけど、「そんなことは信じられない」、「いつ死んだか分からな
いのなんか信じられない」という会見をみても、「そうよねえ。信じたくないわ
よねえ」と、私は本当に首相がおっしゃった「8人死亡」ということを真に受け
てしまいました。
家族が「信じられない」と訴えていらっしゃるのを見ても、「家族の気持ちと
しては信じられないわよね」という思いでいたということを、本当に申し訳なく
思います。
なぜ一国民の私が、今では北朝鮮が言ったことは嘘だと判明していますけれど、
10年前の今日、何で信じてしまったのかということを考えていきますと、ここ
に小泉総理の、日朝首脳会談後の記者会見の冒頭の記事があります。それを少し
読んでみますと、
「本日、金正日国防委員長との会談におきまして、拉致問題については安否を確
認することができましたが、帰国を果せず亡くなられた方々のことを思うと、痛
恨の極みであります。ご家族のお気持ちを思うと、言うべき言葉もありません」
これが冒頭の言葉です。首相によって、拉致被害者数名の方々が亡くなったと
いうことで、お悔やみを首相が述べているわけです。これを一国民として全く疑
うことを知りませんでした。
その後、メディアの方々との質疑応答の中で、このようなことがあります。
質問は、「拉致被害者の6人死亡というかなり深刻な事態になっていますが、
それをどのように受け止めているか」という質問に対しまして、小泉総理は、
「誠に残念な報告であり、私はご家族の方々の気持ちを思うと何とも言いようが
ございません。このようなことを二度と起こさないためにも、私は今後日朝関係
の改善をはかっていく必要があると思いまして、ご家族の方々のご心痛いかばか
りかと胸が痛む思いでございます」
質問に「6人」とありますが、記事のまま読ませていただきました。私が喪に
服した気持ちになったのは、小泉首相のこういう発言を受けてだったと思います。
今日の新聞にも書いてありました。福田元首相や安倍元首相が当時のことを思
い起こした記事でしたが、北朝鮮が今日も、「拉致は解決済み」と言うことは、
もしかしたら、やはり10年前の日朝首脳会談に大きな闇がひそんでいるのでは
ないか。
日本は、小泉首相は、日朝協議の記録がなくなっていることも含めまして闇の
中なんですが、生存が数名いる、死亡者がいるということを踏まえた上で、事前
にそれを織り込み済みで国交正常化へ向かおうとしたのか、そういうところをきっ
ちりともう1回再考していただきたいと思います。
それを根拠に北朝鮮が、「拉致は解決済み」というのであれば、平壌宣言もも
う一度考え直す必要があるのではないかと個人的には考えております。
話が長くなりましたが、10年が経ち、拉致されてからはもっと長い日が経っ
ておりますが、北朝鮮で暮らす日が、今日も、明日もとまた一日かさんでいくこ
とをやめさせてあげたいと思います。
今日からでも、日本人として、この自由の国で暮らせる姉の姿を見たいと思っ
ております。奪還することが目的のように支援者の方々も一生懸命やってくださ
るんですが、嫁の私としましては、義姉が帰ってきた後、義姉の家族も含めて、
どうやって日本で幸せに暮らすことができるのか、そこに家族として一生懸命尽
力していきたい、それが私の最終目的であって、奪還は途中のことです。
家族としては、家族の暮らしを早く取戻して、幸せに暮らさせてあげたいと思っ
ております。どうぞご協力をお願いいたします(拍手)。
(3につづく)
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■野田首相にメール・葉書を
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葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 野田佳彦殿
■救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
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