北朝鮮が拉致を認めて10年、9/17東京特別集会報告3(2012/09/24)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2012.09.24)
増元照明 家族の気持としては私もそうなんですが、姉には二人の子どもがいて、
男の子だということです。既に30近い年令になっているでしょう。この子たち
が日本に帰ってきて、果たして日本人として同化できるか、共に生きていけるの
か、高齢化すると非常に難しくなるんですね。
5人のご家族はまだ10代、20代の前半でした。ですから日本になれるのが
非常に早かったでしょうが、今後、これが長く続いていくと、被害者の家族が帰っ
てきた時に、その家族が日本になじめなくなってしまうということを考えると、
本当に早期の解決を望みたいと思っています。
先日の9月2日の国民大集会で、10年前の今日の記者会見の様子をご覧になっ
た方もいらっしゃると思いますが、あれから10年経っても、言ってることが全
く同じなので自分でも残念なんですけれども、同じことを言い続けなければなら
ないという現状、これが非常に悔しいです。
そして今、妻が言いましたように、日朝平壌宣言、これに私は非常に疑問を持っ
ています。当時の安倍官房副長官がおっしゃっておられました。この平壌宣言を
見せられたのは、平壌に向かう飛行機の中だった、と。つまり、外務省の一局長
が主導で作った文言ですが、この中に拉致の一言も入っていなかったということ
が、その後の拉致問題を「解決済み」という北朝鮮の姿勢を崩すことができない
大きな問題だと思っています。
さらに、外務省がどうか分かりませんが、日朝平壌宣言の2番目に書かれてい
る「植民地支配」の意識ですね。日本としては、日韓併合という立場をとってい
る筈であり、「植民地支配」に対するお詫びというのは、談話として多少残りま
すが、正式な文書として残していいものかどうかと思わなかったのかなと、私は
少し思うんです。
そこに当時の田中均さんの、この日朝平壌宣言をまとめて国交正常化に走ると
いう一途な思いが見え隠れします。当時、(政府認定)拉致被害者は8件9人で
した。ヨーロッパで拉致された3人を入れても、11件12人です。その人数し
かいないということは、日本の警察は思っていなかったでしょう。
当然他にも数人いる。田中実さんにしても、小住健蔵さんにしても、他にも数
名いたわけですから日本の警察がそれを知らなかったわけがない。そうなると、
日朝平壌宣言の3番目、「これまで日本国民の命と安全に関わる懸案問題につい
ては、共和国側は日朝が不正常な関係の中で生じたこのような遺憾な問題が、今
後再び生じることのないよう適切な処置をとることを確認した」と。
つまり、拉致の問題は解決したと3番目で言ってるわけです。「今後私たちは
このようなことはしませんけれど、過去の問題は確認した」と過去の問題にして
しまっている。
これで本当に、この時点で拉致問題を全部終らせて、国交正常化に急ごうとし
た外務省の姿勢が見えています。その後の小泉総理も、今朝の新聞で、福田官房
長官(当時)がおっしゃっているように、「やはり拉致被害者の救出よりも国交
正常化を優先させてしまったという印象をぬぐえません」と。
私たちが2度目の訪朝の時に、バッシングを受けましたけれど、あの時私は小
泉首相にお聞きしました。「プライドはおありかという言い方は失礼だった」と
言われましたが、私が小泉さんに聞きたかったのは、「本当に総理は拉致被害者
の生存を信じておられますか。拉致被害者を生きているとお考えですか」という
風に伺いました。
あの時の総理の答えは、「私は分からないけれども家族が納得しないから金正
日総書記に再調査をお願いしました」。つまり、ご自身は拉致被害者の生存を全
く信じていなかったということです。それで北朝鮮の金正日と対峙して被害者を
取戻すということができるはずがないのです。
それがこの拉致問題が長引いた根本の問題だと思います。小泉総理が拉致被害
者をあの時本当に放置して、見捨てて、国交正常化へ歩み寄ってしまったという
のが、拉致問題を長引かせ、平壌宣言の文言で「解決済み」という北朝鮮の主張
を崩せない根拠になると思っています。
今日、『朝鮮中央通信』が、平壌宣言に高い評価をしていますが、約束を破っ
たのは北朝鮮が先だと私は思います。ミサイル実験と核実験をやった。あれは、
4番目に書いてある「双方は国際条約を遵守する」という文言に反するわけで、
既に北朝鮮は平壌宣言を破棄したと思っていたんですが、先ほど政府関係者に聞
くと、まだ北朝鮮は平壌宣言を破棄したとは明言していないということです。
ですから、このような「平壌宣言にのっとって早く国交正常化をしろ」と。だ
から、「国交正常化に向かわない日本が悪だ」と言い切れるのだと思いますが、
この平壌宣言の文言自体がこのような事態を起こしているとわたしは思っていま
す。
ですから残念ながら、この平壌宣言に関しては、もう一度再考すべきではない
かと思います。今日も朝から、10年目の節目ということで報道をされています
が、まず今日最初のニュースは中国の反日デモでした。
中国で日本に反感を持ったデモが行われ、各地で商店が壊されたり、工場も壊
されています。これが残念ながら今の中国の現状であり、中国の民間人の日本に
対する感情だと思います。
あまりにも民度が低いと思いますが、これに対しても今日本政府は何もできな
い状況です。それを考えると、今日某テレビのコメンテーターが言ったのですが、
「拉致問題、10年経って節目です。この拉致問題を解決するためにも中国に協
力を求めなければならない。だから私たちは今強い姿勢を示さない方がいいので
はないかと思う」ということでした。
私はそう思っていません。拉致被害者が何のためにこのような過酷な人生を送っ
たのか。それは前々から申し上げておりますが、彼女たちのこの被害、この人生
の苦労が、今日本に何をしなければならないかを教えてくれているんだというこ
と、私はそれを意識してもらいたいと思います。
それは、日本が毅然と彼らを取戻せる国になる。そこに向かわなければならな
いということです。これは確実に彼らの人生を犠牲にして国民に知らしめている
ことです。それを無駄にするような状況を作ってほしくない。
さらに中国に言わしてもらえれば、自国民を救出できない、救出しようとしな
い中国が、他国の人間を救出するために本気で動くとは思えません。孔令嬰、蘇
妙珍さん、さらに朝鮮族の180人に及ぶ拉致被害者が存在する中国が、なぜ自
分たちの拉致被害者を取戻せないで、日本の拉致被害者を取戻すことに真摯にな
るか。私は、そうは思いません。
ですからこのコメンテーターの方は、何も知らないで言っているのか、それと
もミスリードしようとしているのか分かりませんが、私は拉致被害者の名誉のた
めにも、拉致被害者家族の私たちの気持としても、拉致被害者の存在を中国に対
する弱みに思ってほしくないし、弱みにしてほしくないと私は非常に今日、怒り
をもってテレビを見てしまいました(拍手)。
私たちの国は、私たちの国で拉致被害者を取戻す国にしなければならない。こ
れだけは国民の皆様に覚悟を持っていただきたいと思います(拍手)。この10
年間、私たちは国民の皆様にお願いし、そして生きている被害者を助けるために
は私たちの国が変わらなければならない。そのために私たちの国をみなさんと一
緒に作っていきたい。その思いをずっと続けてきました。
残念ながら10年経っても、私の姉の実行犯も捕まっていません。実行犯の特
定さえできていません。残念ながら警察は何もしていないのと同じことではない
ですか。このことをもう少し考えていただきたい。日本の警察にも、そして日本
の国にも、10年経っても私たちの家族の消息さえ分からない、安否さえ分から
ない、そのような国であっていいのかということを。
10年経っても、何も解決できていない。そんな国であってはならないという
ことを、もう少し真剣に考えてもらいたいと思います。
私たちの家族は生きています。生きてる被害者をどうして助けられないんです
か。10年もなぜ放置するんですか。そんな為政者であっていいんですか。そん
な為政者を本当に国民が信頼するんですか。
私は国会議員の方たち、政府の方たちに申し上げたい。国民の信頼を得るのは、
国民を救出できる国にすることなんだ、と。国民が納得できる国づくりをやらな
ければならないんだ、と。それはこの拉致問題を解決することなんです。それを
本当に心に命じて、今後やっていただきたいと思います。
この10年の節目。私はこれまで、この姉から貰った時計を(と見せながら)
ずっと保管していましたが、弱くなったベルトを取り変えて、今後私は姉と共に、
あらゆる場所に出て行きたいと思っています。それが私の姉に対する私のこれか
らの思いであり、この10年の節目を迎えた私の気持の変化です。
本当に、「勝負の年」というこの1年で、私はこの運動に対する責任を取らな
ければならないし、あり方も変えなければならないと思っています。この1年、
本当に頑張っていかなければならないと思っておりますので、是非、ここにお集
まりのみなさんも、そして報道のみなさんも、覚悟を持って私たちの国をまとも
な国にすることに対して、ご協力をお願いしたいと思います。
拉致被害者は生きていると、本当に心から思ってください。生きてる人を何で
助けられないんだと、その怒りを持ってください。宜しくお願いいたします。あ
りがとうございました(拍手)。
司会 ありがとうございました。それでは救う会の西岡力会長に、最近の情勢に
ついて話していただきます。宜しくお願いします。
西岡力 まず、北朝鮮が名指しで救う会をほめてくれましたので、ちゃんと返事
を出さなければと思い、先ほど、緊急反論声明をまとめました。まずそれをお披
露目したいと思います。今朝、北朝鮮の『朝鮮中央通信』が、「はすでに全て解
決された「拉致問題」が最終的に解決されたにもかかわらず新しい『拉致資料』
を考案し続け」、「『救う会』のような有象無象の生計を維持することができる
ようになった」等という声明を出しましたので、それに対する反論です。読み上
げます。
◆嘘をついているのは北朝鮮だ?朝鮮中央通信に反論する家族会・救う会緊急声
明
本日は、北朝鮮が拉致を認めて謝罪して10年になる日だ。しかし、彼らはそれ
までの拉致はでっち上げという嘘の代わりに「拉致したのは13人だけ、うち8人
は死亡したから拉致は解決した」という新たな嘘をついた。しかし、13人以外に
認定被害者4人をはじめ多数の拉致被害者が存在することは明々白々だし、8人死
亡について一つも証拠を出すことが出来なかった。
そこで日本政府と国民は、拉致被害者は生きている、全ての被害者を即時返せ
と当然のことを北朝鮮に対して要求している。今から4年前、彼らも拉致は解決
済みとの立場を取り下げ、調査やり直し実施を約束したこともあった。ところが、
本日、朝鮮中央通信は論評を出して「日本の反共和国敵対勢力はすでに全て解決
された『拉致問題』を執拗に持ち出し」、「「拉致問題」が最終的に解決された
にもかかわらず新しい「拉致資料」を考案し続け」、「「救う会」のような有象
無象の生計を維持することができるようになったのが今日の日本の現実だ」と主
張した。
この間私たちは北朝鮮内部から様々な情報を入手し、被害者が生存していると
いう具体的な証拠を入手してきた。その一部を公開してきたことを彼らは気にか
けて、「新しい『拉致資料』」云々と言っているのだろう。
解決したというなら被害者全員に関する正確な資料を北朝鮮が出すべきだ。そ
れがなされない限り、今後も新しい「拉致資料」を入手し、拉致問題は解決して
いないという事実を内外に訴えることを通じて、北朝鮮の嘘を暴いていく。この
まま彼らが嘘をつき続けるなら制裁を強めざるを得ない。
いまも助けを待っている被害者全員を助け出すため、これからも北朝鮮の嘘と
全力で戦い続けていくことを誓う。
平成24年9月17日
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 飯塚繁雄
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 西岡力
(拍手)
我々としては強く反論するわけでありますが、専門家として分析すると、彼ら
が、「平壌宣言は金正日の遺訓だ」、「日朝が関係を近くするのは遺訓だ」と言っ
たということは、彼らが困っていることの現われだと思います。
そういう点では今彼らが「遺骨」という変則球を投げてきたわけでありますが、
日本に対して接近をしてきたということも同じ文脈から考えることができると思
います。
そして、初めて、かっこ付きですが、「拉致資料」という言葉を使いましたが、
これは実は、金正日が倒れた2008年以降、北朝鮮の権力中枢部から彼らが大
変秘密にしていた本物の情報がたくさん流出しているということが背景にありま
す。
ご承知の通り、平壌に住む210万人のデータがUSBになって売りに出たんで
す。本物だったんです。210万人の本物のデータが売りに出たんです。私の所
にも、「買ってくれ」という話が来ました。
誰が売りに出したか。国家保衛部です。北朝鮮の政治警察がお金のために売り
に出すような状況が4年前から始まっている。そういう中で、様々な生存情報が
集まり出しているということです。
そのことを「『拉致資料』を考案」と言っているのだと思いますが、ある面で
彼らとキャッチボールをしているような気持ちですが、「生きてる人を出しなさ
い」と、「難しいことを言ってるんじゃない」ということをまず強く言っておき
たいと思います。
めぐみさんたちの拉致からすると35年間を振り返り、そしてこの10年間に
ついて位置づけをしていきたいと思います。35年の内25年は、北朝鮮は拉致
を認めませんでした。じゃあ、35年の内25年経ってなぜ認めたのか。
日朝の政府間協議があったからか。そうではないんです。
最高指導者レベルの政府間協議は、1990年にありました。金丸、田辺訪朝
です。その時、金日成は拉致を認めませんでした。なぜなら日本側が拉致を出さ
なかったからです。
では日本政府は拉致のことが分かっていなかったのか。そんなことはありませ
ん。有名な梶山答弁は1988年です。金日成・金丸会談は1990年です。国
会で、「拉致の疑いが極めて濃厚」という答弁があった2年後に、最高指導者と
話す機会があったのに、日本側が拉致を出さなかったから動かなかったのです。
その後8回、外務省は日朝政府間交渉をしましたが、梶山答弁で「拉致の疑い
が極めて濃厚」といわれた3組6人のアベックについては、一度も出しませんで
した。これは事実です。
田口八重子さんのことを第3回会談で1回だけ出しました。そしたら北朝鮮が、
「嘘をつくな」と言って席を立ちました。外務省は何をしたかというと、密使を
北朝鮮に派遣して、本会談では拉致のことを出さないから4回目に来てください
と言って、4回以降8回まで、本会談では拉致を出さないで、実務協議と称して
ナンバーワンがいない部屋で、「3回目の時頼んだ調査はどうなっていますか」
と聞く。北は黙っている。そして日本に帰って拉致のことを出したと発表する。
北は出なかったと発表するという姑息なことをやったわけです。
分かっていたのに、こちらが出さなかったから何も起きなかったんです。交渉
しなければ解決しないのは確かですが、拉致が分かっていても交渉しなかった政
府があったんです。
じゃあ、何が日本政府を変えたのか。そして北朝鮮を変えたのか。我々は15
年運動をしてきました。最初の5年間の運動の結果、世論を作ることができた。
特に最初の5年間は本当に苦しい戦いでした。今はこのようにマスコミの人たち
がたくさん来てくれますが、当時はほとんど取材もなかった。産経新聞以外は
「拉致疑惑」と書いていました。私たちは拉致を主張している。北朝鮮がないと
言っている。だから疑いがあるんだという書き方でした。
確か、この古い友愛会館で増元さんが集まった記者の人たちに、「なんで拉致
のことを報道しないんだ」と、逆に質問していたのを未だに覚えています。それ
くらい扱いは小さかった。
私は、2000年に、「朝まで生テレビ」に出てくれと言われました。そして
「いいですよ」と言った。その後、またテレビ局から電話がかかってきて、「今
回西岡先生はやめる」と言われた。「なぜですか」と言ったら、「朝鮮総連を出
したい。朝鮮総連は西岡と同席するのを拒否している。田原総一朗さんと相談し
たけれども、今回は総連を出すことを優先するので西岡先生はやめてもらうこと
にしました」と言いました。
私は当時、「拉致はある」と言っていた。朝鮮総連は「拉致はない」と言って
いた。そして私は、「朝鮮総連と討論してもいい」と言っていた。しかし、日本
のテレビ局は、「拉致はない」という人たちを出すことを優先して、「拉致はあ
る」という専門家に、一度頼んでいたにもかかわらず、キャンセルしたんです。
それが2000年の状況です。
しかし、私たちは全国の仲間とともに、世論に訴えるという活動をしてきまし
た。その結果、北朝鮮がアメリカの強い圧力で困って、日本に接近せざるを得な
い状況ができた2002年に、拉致が議題になりました。
私たちは、拉致被害者を救出するためには、「世論を背景にして、政府に全員
救出の体制を作ること」というのが第1条件で、第2条件は、「北朝鮮が日本に
接近せざるを得ないくらい困ること」、この2つが合致した時に話し合いで事が
動くんだとずっと言ってきました。
1回目に北朝鮮が困った時は、日本が拉致を出さなかったので何も動かなかっ
た。2度目は、私たちが5年間活動していて、一定程度世論を作ることに成功し
たので拉致は議題になりました。
しかし、先ほど俊子さんが鋭いご指摘をされたように、被害者救出の体制が政
府になかったんです。外務省は10年前、朝10時頃に北朝鮮の外務省の局長が
田中局長に対して、赤十字が調べた資料として、「8人死んでます、5人生きて
ます」という資料を持ってきた。まさに朝もってきたんです。これは田中さんが
私たちの質問に答えた回答に書いてあります。
それなのに、家族には、午後2時か3時頃に、「平壌と暗号がかかる電話がつ
ながる施設に移ってください。全員の消息の資料を出します」と言われて、マス
コミの前から家族が引き離されて飯倉公館に行きました。
飯倉公館に着いた時に、「大切な問題ですから慎重に確認作業をします」と家
族は言われたんです。しかし、平壌では確認作業をしていなかった。その日の朝
から、蓮池さん夫婦、地村さん夫婦とヘギョンさんは。平壌市内のアパートで待
機していました。
昼になって、外務省の当時の駐英大使館の公使が、前任の北東アジア課長です
が、その5人に会いにいった。そのことだけが確認作業です。死亡の確認という
のはヘギョンさんに会っただけです。それ以外の7人については、何もしていな
かった。そしてヘギョンさんに会った外務省の担当者は、ヘギョンさんは「めぐ
みさんが持っていたもの」というバドミントンのラケットを持ってきたんですが、
これが本物かどうかを確認しなかったんです。
(4につづく)
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
■野田首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
[PC]https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
[携帯]http://form1.kmail.kantei.go.jp/cgi-bin/k/iken/im/goiken.cgi
葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 野田佳彦殿
■救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
増元照明 家族の気持としては私もそうなんですが、姉には二人の子どもがいて、
男の子だということです。既に30近い年令になっているでしょう。この子たち
が日本に帰ってきて、果たして日本人として同化できるか、共に生きていけるの
か、高齢化すると非常に難しくなるんですね。
5人のご家族はまだ10代、20代の前半でした。ですから日本になれるのが
非常に早かったでしょうが、今後、これが長く続いていくと、被害者の家族が帰っ
てきた時に、その家族が日本になじめなくなってしまうということを考えると、
本当に早期の解決を望みたいと思っています。
先日の9月2日の国民大集会で、10年前の今日の記者会見の様子をご覧になっ
た方もいらっしゃると思いますが、あれから10年経っても、言ってることが全
く同じなので自分でも残念なんですけれども、同じことを言い続けなければなら
ないという現状、これが非常に悔しいです。
そして今、妻が言いましたように、日朝平壌宣言、これに私は非常に疑問を持っ
ています。当時の安倍官房副長官がおっしゃっておられました。この平壌宣言を
見せられたのは、平壌に向かう飛行機の中だった、と。つまり、外務省の一局長
が主導で作った文言ですが、この中に拉致の一言も入っていなかったということ
が、その後の拉致問題を「解決済み」という北朝鮮の姿勢を崩すことができない
大きな問題だと思っています。
さらに、外務省がどうか分かりませんが、日朝平壌宣言の2番目に書かれてい
る「植民地支配」の意識ですね。日本としては、日韓併合という立場をとってい
る筈であり、「植民地支配」に対するお詫びというのは、談話として多少残りま
すが、正式な文書として残していいものかどうかと思わなかったのかなと、私は
少し思うんです。
そこに当時の田中均さんの、この日朝平壌宣言をまとめて国交正常化に走ると
いう一途な思いが見え隠れします。当時、(政府認定)拉致被害者は8件9人で
した。ヨーロッパで拉致された3人を入れても、11件12人です。その人数し
かいないということは、日本の警察は思っていなかったでしょう。
当然他にも数人いる。田中実さんにしても、小住健蔵さんにしても、他にも数
名いたわけですから日本の警察がそれを知らなかったわけがない。そうなると、
日朝平壌宣言の3番目、「これまで日本国民の命と安全に関わる懸案問題につい
ては、共和国側は日朝が不正常な関係の中で生じたこのような遺憾な問題が、今
後再び生じることのないよう適切な処置をとることを確認した」と。
つまり、拉致の問題は解決したと3番目で言ってるわけです。「今後私たちは
このようなことはしませんけれど、過去の問題は確認した」と過去の問題にして
しまっている。
これで本当に、この時点で拉致問題を全部終らせて、国交正常化に急ごうとし
た外務省の姿勢が見えています。その後の小泉総理も、今朝の新聞で、福田官房
長官(当時)がおっしゃっているように、「やはり拉致被害者の救出よりも国交
正常化を優先させてしまったという印象をぬぐえません」と。
私たちが2度目の訪朝の時に、バッシングを受けましたけれど、あの時私は小
泉首相にお聞きしました。「プライドはおありかという言い方は失礼だった」と
言われましたが、私が小泉さんに聞きたかったのは、「本当に総理は拉致被害者
の生存を信じておられますか。拉致被害者を生きているとお考えですか」という
風に伺いました。
あの時の総理の答えは、「私は分からないけれども家族が納得しないから金正
日総書記に再調査をお願いしました」。つまり、ご自身は拉致被害者の生存を全
く信じていなかったということです。それで北朝鮮の金正日と対峙して被害者を
取戻すということができるはずがないのです。
それがこの拉致問題が長引いた根本の問題だと思います。小泉総理が拉致被害
者をあの時本当に放置して、見捨てて、国交正常化へ歩み寄ってしまったという
のが、拉致問題を長引かせ、平壌宣言の文言で「解決済み」という北朝鮮の主張
を崩せない根拠になると思っています。
今日、『朝鮮中央通信』が、平壌宣言に高い評価をしていますが、約束を破っ
たのは北朝鮮が先だと私は思います。ミサイル実験と核実験をやった。あれは、
4番目に書いてある「双方は国際条約を遵守する」という文言に反するわけで、
既に北朝鮮は平壌宣言を破棄したと思っていたんですが、先ほど政府関係者に聞
くと、まだ北朝鮮は平壌宣言を破棄したとは明言していないということです。
ですから、このような「平壌宣言にのっとって早く国交正常化をしろ」と。だ
から、「国交正常化に向かわない日本が悪だ」と言い切れるのだと思いますが、
この平壌宣言の文言自体がこのような事態を起こしているとわたしは思っていま
す。
ですから残念ながら、この平壌宣言に関しては、もう一度再考すべきではない
かと思います。今日も朝から、10年目の節目ということで報道をされています
が、まず今日最初のニュースは中国の反日デモでした。
中国で日本に反感を持ったデモが行われ、各地で商店が壊されたり、工場も壊
されています。これが残念ながら今の中国の現状であり、中国の民間人の日本に
対する感情だと思います。
あまりにも民度が低いと思いますが、これに対しても今日本政府は何もできな
い状況です。それを考えると、今日某テレビのコメンテーターが言ったのですが、
「拉致問題、10年経って節目です。この拉致問題を解決するためにも中国に協
力を求めなければならない。だから私たちは今強い姿勢を示さない方がいいので
はないかと思う」ということでした。
私はそう思っていません。拉致被害者が何のためにこのような過酷な人生を送っ
たのか。それは前々から申し上げておりますが、彼女たちのこの被害、この人生
の苦労が、今日本に何をしなければならないかを教えてくれているんだというこ
と、私はそれを意識してもらいたいと思います。
それは、日本が毅然と彼らを取戻せる国になる。そこに向かわなければならな
いということです。これは確実に彼らの人生を犠牲にして国民に知らしめている
ことです。それを無駄にするような状況を作ってほしくない。
さらに中国に言わしてもらえれば、自国民を救出できない、救出しようとしな
い中国が、他国の人間を救出するために本気で動くとは思えません。孔令嬰、蘇
妙珍さん、さらに朝鮮族の180人に及ぶ拉致被害者が存在する中国が、なぜ自
分たちの拉致被害者を取戻せないで、日本の拉致被害者を取戻すことに真摯にな
るか。私は、そうは思いません。
ですからこのコメンテーターの方は、何も知らないで言っているのか、それと
もミスリードしようとしているのか分かりませんが、私は拉致被害者の名誉のた
めにも、拉致被害者家族の私たちの気持としても、拉致被害者の存在を中国に対
する弱みに思ってほしくないし、弱みにしてほしくないと私は非常に今日、怒り
をもってテレビを見てしまいました(拍手)。
私たちの国は、私たちの国で拉致被害者を取戻す国にしなければならない。こ
れだけは国民の皆様に覚悟を持っていただきたいと思います(拍手)。この10
年間、私たちは国民の皆様にお願いし、そして生きている被害者を助けるために
は私たちの国が変わらなければならない。そのために私たちの国をみなさんと一
緒に作っていきたい。その思いをずっと続けてきました。
残念ながら10年経っても、私の姉の実行犯も捕まっていません。実行犯の特
定さえできていません。残念ながら警察は何もしていないのと同じことではない
ですか。このことをもう少し考えていただきたい。日本の警察にも、そして日本
の国にも、10年経っても私たちの家族の消息さえ分からない、安否さえ分から
ない、そのような国であっていいのかということを。
10年経っても、何も解決できていない。そんな国であってはならないという
ことを、もう少し真剣に考えてもらいたいと思います。
私たちの家族は生きています。生きてる被害者をどうして助けられないんです
か。10年もなぜ放置するんですか。そんな為政者であっていいんですか。そん
な為政者を本当に国民が信頼するんですか。
私は国会議員の方たち、政府の方たちに申し上げたい。国民の信頼を得るのは、
国民を救出できる国にすることなんだ、と。国民が納得できる国づくりをやらな
ければならないんだ、と。それはこの拉致問題を解決することなんです。それを
本当に心に命じて、今後やっていただきたいと思います。
この10年の節目。私はこれまで、この姉から貰った時計を(と見せながら)
ずっと保管していましたが、弱くなったベルトを取り変えて、今後私は姉と共に、
あらゆる場所に出て行きたいと思っています。それが私の姉に対する私のこれか
らの思いであり、この10年の節目を迎えた私の気持の変化です。
本当に、「勝負の年」というこの1年で、私はこの運動に対する責任を取らな
ければならないし、あり方も変えなければならないと思っています。この1年、
本当に頑張っていかなければならないと思っておりますので、是非、ここにお集
まりのみなさんも、そして報道のみなさんも、覚悟を持って私たちの国をまとも
な国にすることに対して、ご協力をお願いしたいと思います。
拉致被害者は生きていると、本当に心から思ってください。生きてる人を何で
助けられないんだと、その怒りを持ってください。宜しくお願いいたします。あ
りがとうございました(拍手)。
司会 ありがとうございました。それでは救う会の西岡力会長に、最近の情勢に
ついて話していただきます。宜しくお願いします。
西岡力 まず、北朝鮮が名指しで救う会をほめてくれましたので、ちゃんと返事
を出さなければと思い、先ほど、緊急反論声明をまとめました。まずそれをお披
露目したいと思います。今朝、北朝鮮の『朝鮮中央通信』が、「はすでに全て解
決された「拉致問題」が最終的に解決されたにもかかわらず新しい『拉致資料』
を考案し続け」、「『救う会』のような有象無象の生計を維持することができる
ようになった」等という声明を出しましたので、それに対する反論です。読み上
げます。
◆嘘をついているのは北朝鮮だ?朝鮮中央通信に反論する家族会・救う会緊急声
明
本日は、北朝鮮が拉致を認めて謝罪して10年になる日だ。しかし、彼らはそれ
までの拉致はでっち上げという嘘の代わりに「拉致したのは13人だけ、うち8人
は死亡したから拉致は解決した」という新たな嘘をついた。しかし、13人以外に
認定被害者4人をはじめ多数の拉致被害者が存在することは明々白々だし、8人死
亡について一つも証拠を出すことが出来なかった。
そこで日本政府と国民は、拉致被害者は生きている、全ての被害者を即時返せ
と当然のことを北朝鮮に対して要求している。今から4年前、彼らも拉致は解決
済みとの立場を取り下げ、調査やり直し実施を約束したこともあった。ところが、
本日、朝鮮中央通信は論評を出して「日本の反共和国敵対勢力はすでに全て解決
された『拉致問題』を執拗に持ち出し」、「「拉致問題」が最終的に解決された
にもかかわらず新しい「拉致資料」を考案し続け」、「「救う会」のような有象
無象の生計を維持することができるようになったのが今日の日本の現実だ」と主
張した。
この間私たちは北朝鮮内部から様々な情報を入手し、被害者が生存していると
いう具体的な証拠を入手してきた。その一部を公開してきたことを彼らは気にか
けて、「新しい『拉致資料』」云々と言っているのだろう。
解決したというなら被害者全員に関する正確な資料を北朝鮮が出すべきだ。そ
れがなされない限り、今後も新しい「拉致資料」を入手し、拉致問題は解決して
いないという事実を内外に訴えることを通じて、北朝鮮の嘘を暴いていく。この
まま彼らが嘘をつき続けるなら制裁を強めざるを得ない。
いまも助けを待っている被害者全員を助け出すため、これからも北朝鮮の嘘と
全力で戦い続けていくことを誓う。
平成24年9月17日
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 飯塚繁雄
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 西岡力
(拍手)
我々としては強く反論するわけでありますが、専門家として分析すると、彼ら
が、「平壌宣言は金正日の遺訓だ」、「日朝が関係を近くするのは遺訓だ」と言っ
たということは、彼らが困っていることの現われだと思います。
そういう点では今彼らが「遺骨」という変則球を投げてきたわけでありますが、
日本に対して接近をしてきたということも同じ文脈から考えることができると思
います。
そして、初めて、かっこ付きですが、「拉致資料」という言葉を使いましたが、
これは実は、金正日が倒れた2008年以降、北朝鮮の権力中枢部から彼らが大
変秘密にしていた本物の情報がたくさん流出しているということが背景にありま
す。
ご承知の通り、平壌に住む210万人のデータがUSBになって売りに出たんで
す。本物だったんです。210万人の本物のデータが売りに出たんです。私の所
にも、「買ってくれ」という話が来ました。
誰が売りに出したか。国家保衛部です。北朝鮮の政治警察がお金のために売り
に出すような状況が4年前から始まっている。そういう中で、様々な生存情報が
集まり出しているということです。
そのことを「『拉致資料』を考案」と言っているのだと思いますが、ある面で
彼らとキャッチボールをしているような気持ちですが、「生きてる人を出しなさ
い」と、「難しいことを言ってるんじゃない」ということをまず強く言っておき
たいと思います。
めぐみさんたちの拉致からすると35年間を振り返り、そしてこの10年間に
ついて位置づけをしていきたいと思います。35年の内25年は、北朝鮮は拉致
を認めませんでした。じゃあ、35年の内25年経ってなぜ認めたのか。
日朝の政府間協議があったからか。そうではないんです。
最高指導者レベルの政府間協議は、1990年にありました。金丸、田辺訪朝
です。その時、金日成は拉致を認めませんでした。なぜなら日本側が拉致を出さ
なかったからです。
では日本政府は拉致のことが分かっていなかったのか。そんなことはありませ
ん。有名な梶山答弁は1988年です。金日成・金丸会談は1990年です。国
会で、「拉致の疑いが極めて濃厚」という答弁があった2年後に、最高指導者と
話す機会があったのに、日本側が拉致を出さなかったから動かなかったのです。
その後8回、外務省は日朝政府間交渉をしましたが、梶山答弁で「拉致の疑い
が極めて濃厚」といわれた3組6人のアベックについては、一度も出しませんで
した。これは事実です。
田口八重子さんのことを第3回会談で1回だけ出しました。そしたら北朝鮮が、
「嘘をつくな」と言って席を立ちました。外務省は何をしたかというと、密使を
北朝鮮に派遣して、本会談では拉致のことを出さないから4回目に来てください
と言って、4回以降8回まで、本会談では拉致を出さないで、実務協議と称して
ナンバーワンがいない部屋で、「3回目の時頼んだ調査はどうなっていますか」
と聞く。北は黙っている。そして日本に帰って拉致のことを出したと発表する。
北は出なかったと発表するという姑息なことをやったわけです。
分かっていたのに、こちらが出さなかったから何も起きなかったんです。交渉
しなければ解決しないのは確かですが、拉致が分かっていても交渉しなかった政
府があったんです。
じゃあ、何が日本政府を変えたのか。そして北朝鮮を変えたのか。我々は15
年運動をしてきました。最初の5年間の運動の結果、世論を作ることができた。
特に最初の5年間は本当に苦しい戦いでした。今はこのようにマスコミの人たち
がたくさん来てくれますが、当時はほとんど取材もなかった。産経新聞以外は
「拉致疑惑」と書いていました。私たちは拉致を主張している。北朝鮮がないと
言っている。だから疑いがあるんだという書き方でした。
確か、この古い友愛会館で増元さんが集まった記者の人たちに、「なんで拉致
のことを報道しないんだ」と、逆に質問していたのを未だに覚えています。それ
くらい扱いは小さかった。
私は、2000年に、「朝まで生テレビ」に出てくれと言われました。そして
「いいですよ」と言った。その後、またテレビ局から電話がかかってきて、「今
回西岡先生はやめる」と言われた。「なぜですか」と言ったら、「朝鮮総連を出
したい。朝鮮総連は西岡と同席するのを拒否している。田原総一朗さんと相談し
たけれども、今回は総連を出すことを優先するので西岡先生はやめてもらうこと
にしました」と言いました。
私は当時、「拉致はある」と言っていた。朝鮮総連は「拉致はない」と言って
いた。そして私は、「朝鮮総連と討論してもいい」と言っていた。しかし、日本
のテレビ局は、「拉致はない」という人たちを出すことを優先して、「拉致はあ
る」という専門家に、一度頼んでいたにもかかわらず、キャンセルしたんです。
それが2000年の状況です。
しかし、私たちは全国の仲間とともに、世論に訴えるという活動をしてきまし
た。その結果、北朝鮮がアメリカの強い圧力で困って、日本に接近せざるを得な
い状況ができた2002年に、拉致が議題になりました。
私たちは、拉致被害者を救出するためには、「世論を背景にして、政府に全員
救出の体制を作ること」というのが第1条件で、第2条件は、「北朝鮮が日本に
接近せざるを得ないくらい困ること」、この2つが合致した時に話し合いで事が
動くんだとずっと言ってきました。
1回目に北朝鮮が困った時は、日本が拉致を出さなかったので何も動かなかっ
た。2度目は、私たちが5年間活動していて、一定程度世論を作ることに成功し
たので拉致は議題になりました。
しかし、先ほど俊子さんが鋭いご指摘をされたように、被害者救出の体制が政
府になかったんです。外務省は10年前、朝10時頃に北朝鮮の外務省の局長が
田中局長に対して、赤十字が調べた資料として、「8人死んでます、5人生きて
ます」という資料を持ってきた。まさに朝もってきたんです。これは田中さんが
私たちの質問に答えた回答に書いてあります。
それなのに、家族には、午後2時か3時頃に、「平壌と暗号がかかる電話がつ
ながる施設に移ってください。全員の消息の資料を出します」と言われて、マス
コミの前から家族が引き離されて飯倉公館に行きました。
飯倉公館に着いた時に、「大切な問題ですから慎重に確認作業をします」と家
族は言われたんです。しかし、平壌では確認作業をしていなかった。その日の朝
から、蓮池さん夫婦、地村さん夫婦とヘギョンさんは。平壌市内のアパートで待
機していました。
昼になって、外務省の当時の駐英大使館の公使が、前任の北東アジア課長です
が、その5人に会いにいった。そのことだけが確認作業です。死亡の確認という
のはヘギョンさんに会っただけです。それ以外の7人については、何もしていな
かった。そしてヘギョンさんに会った外務省の担当者は、ヘギョンさんは「めぐ
みさんが持っていたもの」というバドミントンのラケットを持ってきたんですが、
これが本物かどうかを確認しなかったんです。
(4につづく)
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■救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
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担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
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