ジュネーブで政府主催拉致シンポジウム(2012/11/09)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2012.11.09)
11月8日、スイスジュネーブのジュネーブ大学で拉致問題のシンポジウムが開催
された。同行事は政府拉致対策本部が主催し現地日本代表部の全面的支援したも
ので、家族会・救う会も代表を派遣した。家族会から飯塚繁雄代表、松木信宏さ
ん、救う会から西岡力会長、平田隆太郎事務局長が参加した。
そのほか、対策本部から白副大臣、調査会から荒木和博代表、村尾専務理事、特
定失踪者木村かほるさんの姉である天内みどりさんが、韓国からも拉致家族と専
門家が1名づつ参加した。
シンポは大盛況で100人ほど入れる教室は補助椅子を入れ立ち見まで含めて
ジュネーブ大学生教員、NGO関係者、各国外交官、現地邦人ら150人程度が参加した。
本日はそこで発表した西岡の報告を全文掲載する。
日本の拉致被害者救出運動と北朝鮮による国際的拉致の実態
西岡 力(救う会会長、東京基督教大学教授)
1.家族会・救う会の活動について
脱北した北朝鮮元工作員の証言で、横田めぐみさんの拉致が明らかになったことを
契機として、被害者の失踪は北朝鮮による拉致と考えてきた9家族が、被害者の実名
を公表して救出運動を行なうことを決断し、1997年3月、家族会(北朝鮮による拉致
被害者家族連絡会、The Association of the Families of Victims Kidnapped by
North Korea (AFVKN))を結成(写真)し、救出運動を開始した。
写真(救う会ホームページ http://www.sukuukai.jp/img2/20121109_1.png を参照)
その家族会を支援するために、日本各地で次々に支援組織が設立され、1998年、各地
域組織が一体となって「救う会」全国協議会(北朝鮮に拉致された日本人を救出する
ための全国協議会、The National Association for the Rescue of Japanese Kidnapped
by North Korea(NARKN))が設立された。
また、1997年4月、超党派の国会議員により拉致救出を目的とした議員連盟が結成さ
れた。さらに現在、すべての都道府県の知事が「北朝鮮による拉致被害者を救出す
る知事の会」を結成し、また都道府県の議員が「拉致問題地方議会全国協議会」を結
成し、救出運動に協力している。
家族会・救う会が結成されてから数年間は、拉致問題に関する理解と認識は簡単には
広がらなかった。しかし、全国各地で集会を行い、また街頭署名活動やデモ行進を行
った結果、政府が北朝鮮から拉致被害者を取戻すべきとの一定の世論が形成された。
その世論の圧力のため、また、2002年1月、米国のブッシュ大統領が北朝鮮の金正日
(Jong-il Kim)政権を「悪の枢軸」と名指しして強い圧力をかけたことにより、北朝
鮮は2002年9月、拉致も議題とする日朝協議を行った。そして、北朝鮮はそれまで否定
していた日本人拉致を認めるに至った。しかし、北朝鮮はこの時、金正日自身による
拉致命令を隠すため、「拉致したのは13人だけ」、「8人は死亡した」、従って「拉致
問題は解決済み」と嘘をついた。
日本の世論は、この説明に納得せず、政府が調印した日朝平壌宣言は履行されず、国交
正常化は実現しなかった。
さらに、北朝鮮は、2002年10月、生存している5人を帰国させたが、5人は北朝鮮での生
活を希望しているとして、再び北朝鮮に連れ戻そうとした。しかし、日本政府は返さな
いことを決め、2年後にその家族も取戻した。しかし、多くの拉致被害者は今も北朝鮮
で救出を待っている。
家族会・救う会は、北朝鮮が「死亡」として出してきた8人の物証や資料を調査し、すべ
て捏造であることを公表し、北朝鮮は日朝協議で物証や情報が捏造であったことを認めた。
日本政府や議員は、90年代後半以降、北朝鮮の食糧不足に対して人道支援を行った。
政府は家族に対し、北朝鮮に善意を示せば、拉致問題は解決すると説明していた。
家族会・救う会は、金正日独裁政権は外交交渉だけでは被害者を返さないと判断し、
2003年7月以降、北朝鮮への制裁発動を政府に要請する活動を行った。「北朝鮮に制裁
を発動すべき」との声は、ほぼ1年で世論の3分の2以上になり、その後すべての世論調
査で8割以上が制裁発動を支持している。外国に対する制裁について、国民の多くが支
持するようになったのは戦後初めてのことである。
家族会と救う会は、北朝鮮による2つの嘘、「13人しか拉致していない」、「8人は死亡
した」を北朝鮮が撤回し、すべての拉致被害者を取戻す国民運動を続けている。まもな
く署名活動は1000万筆を越える。
2006年9月、安倍政権は、首相を本部長とし、拉致問題を解決するための専門部署である
拉致問題対策本部を設置した。この対策本部はその後の自民党政権、民主党政権でも引
き続き設置されている。
2.北朝鮮による国際的規模の拉致
レバノン人拉致被害者、韓国人拉致被害者、日本人拉致被害者らの証言と家族会・救う
会の調査活動などの結果、北朝鮮による拉致被害国は日本と韓国だけにとどまらず、国
際的な規模に広がっていることが次第に明らかになってきた。現在、北朝鮮による拉致
が間違いない被害国は、日本、韓国、中国(マカオ)、タイ、レバノン、ルーマニアの
6カ国である。また、状況証拠や証言などから北朝鮮による拉致の疑いが極めて濃厚な
被害国は、フランス、イタリア、オランダ、ヨルダン、シンガポール、マレーシア、ア
メリカの7カ国、合計13カ国に被害者が出ている。
世界に広がる北朝鮮による拉致被害 (救う会作成)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
国籍 被害者数 出処
韓国人 82,959人 韓国政府調査(朝鮮戦争中民間人拉致)
517人 韓国政府調査(朝鮮戦争休戦後、帰国者を除く)
日本人 約100人 家族会・救う会推計
17人 日本政府認定、他に渡辺秀子さんの子ども2人(朝
鮮籍)を警察が認定
レバノン人 4人 1978年拉致され1979年までに救出された。うち1人
は米兵の妻
タイ人 1人 米兵の妻
ルーマニア人 1人 米兵の妻
中国人(マカオ系)2人 うち1人を韓国人拉致被害者崔銀姫氏が詳しく証言
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マレーシア人 4人 崔銀姫氏が伝聞証言
1978年8月にシンガポールで同時に失踪した4人
のマレーシア人女性の内1人をジェンキンス氏が平壌
で目撃
シンガポール人 1人 上記マレーシア人女性4人といっしょに失踪
フランス人 3人 上記レバノン人被害者が1978年に目撃
うち1人について崔銀姫氏と大韓機爆破テロ犯金賢姫
の伝聞証言あり
イタリア人 3人 上記レバノン人被害者が1978年に目撃
オランダ人 2人 上記レバノン人被害者が1978年に目撃
ヨルダン人 1人 崔銀姫氏が目撃
アメリカ人 1人 2004年、中国雲南省で失踪
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まず、被害者が特定されている中国(マカオ)、タイ、レバノン、ルーマニアについて
簡潔に説明する。2002年小泉首相の訪朝の結果、帰国した日本人拉致被害者5人の中の
一人である曽我ひとみさんは北朝鮮で脱走米兵と結婚していた。彼女は別の3人の脱走米
兵の家族と同じアパートで暮らした。その3人の妻も全員、拉致被害者だった。タイのア
ノーチャー・パンチョイ(Anocha Panjoy)さん、レバノンのシハーム・シュライテフ
(Siham Shraiteh)さん、ルーマニアのドイナ・ブンベア(Doina Bumbea)さんだ。
タイのアノーチャーさんは1978年マカオに働きに行っているとき拉致された。彼女が拉致
された日に、マカオ人女性2人孔令●(Leng-ieng Hong)さんと蘇妙珍(Mio-chun So)さ
んも失踪していた。その孔さんを北朝鮮で目撃したという人物が2人いる。
すなわち、1978年に拉致され1986年に自力で脱出した韓国人拉致被害者の女優崔銀姫
(Un-hee Choi)氏と大韓航空機テロ実行犯の金賢姫(Hyon-hui Kim)氏だ。両氏は1980
年代初め北朝鮮で孔令●さんに何回も会って話を交わしている。タイのアノーチャーさ
ん家族、レバノンのシハームさん家族、ルーマニアのドイナさん家族、マカオの孔令●
さん家族と家族会・救う会はたびたび相互に訪問し、連帯して拉致問題解決のために運
動している。(●は「貝貝」の下に「言」)
次に拉致の疑いが濃厚な7カ国の事件について説明したい。実は、1978年レバノンから4
人の女性が拉致された。しかし、レバノン政府がその事実を知り抗議したことなどから
1979年、4人は帰国した。ところがシハームさんはすでに結婚し妊娠していたため北朝鮮
に戻り、現在まで抑留されている。その4人からレバノン政府が行った事情聴取の結果、
彼女らは日本企業に就職すると騙され北朝鮮に連れて行かれた後、工作員になる基礎訓
練を受けさせられたという。訓練を受けた施設には28人の若い女性がおり,その中に
はフランス人3人,イタリア人3人,オランダ人2人,その他中東や西ヨーロッパから
きた女性が含まれていた、と証言している。そのことが現地のアラビア語新聞に報道さ
れている。新聞記事のコピーと英訳はお手元に配布した。
『EL NAHAR』(レバノンのアラビア語新聞)1979年11月9日付
(救う会ホームページ http://www.sukuukai.jp/img2/20121109_2.png を参照)
そして、先に紹介した崔銀姫氏と金賢姫氏はフランス人拉致被害者に関して北朝鮮の工
作機関の中でほぼ同じ話を伝聞している。すなわち、1970年代後半、フランスで法学を
学んでいた学生あるいは研究者、学者の女性が自称東洋の富豪の息子と恋愛して婚約し、
アジア旅行にでかけた。平壌空港に着いたとたん、その「婚約者」は姿を消し、フラン
スに帰ると抗議したら工作機関の人間に暴行されたという。いまもフランスで家族が娘
を待っているはずである。ぜひこの情報をフランス国内で広く伝えていただきたいと願
っている。
3.北朝鮮による拉致?4つの時期
救う会では 「拉致の全貌プロジェクト」を組織し、世界規模の拉致の全貌を明らか
にする作業を進めてきた。
現時点でのわれわれの結論をまず示しておく。
北朝鮮は全世界にわたって大規模な韓国人、外国人拉致を行った。
北朝鮮による拉致は以下の4つの大きなピークがある。
1.1950年から53年までの朝鮮戦争中の韓国人拉致
2.戦後から1976年までの漁船拿捕を中心とする韓国人拉致
3.1976年金正日の「工作員現地化教育のための教官拉致」指令による韓国、日本、
諸外国での拉致
4.1990年代後半以降、脱北者支援など北朝鮮にとって「有害」と判断される行為
を行う者たちの拉致
このうち1.については「韓国戦争拉北者事件資料院」(李美一理事長)におい
て詳細な研究、資料収集が行われている。ここではその結論として「金日成
(Il-sung Kim)の指令の下、約10万人の韓国人拉致が組織的かつ大規模になされた。
朝鮮戦争中の日本人、外国人拉致は確認されていない」という事実を指摘しておく。
2.については、旅客機ハイジャック1件を除いてすべてが海上境界線付近に接近
した韓国漁船と軍用船を対象としている。また、拉致された漁民らの選抜作業が行わ
れ、拉致された3,692人のうちの約88%(3,257人)には北朝鮮の発展像を見せて政治
宣伝のために早期に帰還させ、約12%(435人)だけが継続して抑留され、その中の
一部を工作員として使おうとする訓練が実施された。この点について本プロジェクト
は漁船拿捕を中心とする休戦後の韓国での拉致について、詳しく分析したところ、漁
船拿捕型の拉致は1976年以前に集中しているという事実を発見した。
この時期、北朝鮮から工作員を韓国や外国に派遣して行う拉致は確認されていない。
なお、同時期、秘密隠蔽を目的とする日本人拉致があった。それ以外にも日本人拉
致はあったとする証言などは多いが、実体は不明だ。外国人拉致は判明していない。
1963年、日本に侵入した清津(Chongjin)連絡所工作員によって日本人漁民3人の
拉致がなされたことが確認されている。
1969年に金日成が「必要なら日本人を包摂工作し拉致工作もすることもできるのだ」
と工作部門幹部会議で教示している。しかし、この金日成教示に基づいてどの程度日
本人拉致が実行されたのか、全く分かっていない。清津連絡所では76年の金正日の拉
致指令以前から、日本人拉致を「必要に応じてやっていた」というが、その実体は分
からない。70年代前半に失踪した日本人とよく似た人物を工作機関内で目撃したとい
う証言がある。
4.1976年の金正日拉致指令による世界規模の拉致
3.1976年の金正日拉致指令による世界規模の拉致(1976?80年代初め)について、6
人の元工作機関員の証言などこの間入手した情報を分析して次の点を明らかにした。
後継者となった金正日は1976年初め、対南工作の新方針を示す中で「工作員の現地
化教育を徹底して行え、そのために現地人を連れて来て教育にあたらせよ」と拉致指
令を下した。この点について元工作員の証言を中心にする詳細なレポートを作成した。
金正日は、1974年金日成の後継者として公式に指名された後、対南工作部門を掌握
するため、1975年6月から11月初めにかけて対南工作部門の集中検閲を行い、1976年
初め、対南工作の新方針を演説し、「革命的党を作る指導核心工作員を韓国に配置
せよ」と命じた。指導核心工作員の育成のために教官を拉致せよと命じたのだ。拉致
指令は金正日の新方針の中心部分に位置する。
拉致指令の翌年の1977年から1978年にかけて工作員の教官にするための日本人、韓
国人、外国人拉致が世界規模で集中して行われた。
日本人拉致は金正日の拉致指令直後の1977年、78年に集中している。日本政府認定
の17人のうち13人がこの2年に拉致された。その大部分が、教官か教官の配偶者にしよ
うとしたものと考えられる。また、韓国、日本以外の10カ国、中国(マカオ)、タイ、
レバノン、ルーマニア、シンガポール、マレーシア、ヨルダン、フランス、イタリア、
オランダの拉致はすべて78年かその直前に集中している。
韓国では、1977年、78年に、日本でなされたと同じように工作員が韓国に上陸して行
う拉致が多発した。これは工作員の韓国人化教育の教官にするためだ。ヨーロッパ旅行
中の高校教師の拉致もこの時期にあった。これも工作員教育の教官にしようとした可能
性が高い。また、78年には金正日が気に入っていた映画監督と女優を香港までおびき出
して拉致した。朝鮮戦争休戦後の韓国人拉致は漁船拿捕を除くと17人だが、そのうち約
半数の8人がこの2年間に集中している。
一方、金正日は、南出身者を安易に工作員として用いたことが、対南工作の誤りと規
定した。これを受けて拿捕した韓国漁民を工作員として使うことが中止されたので、漁
船拿捕拉致はこれ以降ほぼなくなった。
世界規模での教官拉致がいつまで続いたのかは不明だが、指導核心工作員の現地化教
育は1980年から始まっているので、教官確保のための拉致は80年以前に一段落していた
可能性が高い。もちろん、教官欠員補充のための拉致がその後も行われていた可能性も
否定できない。
1980年代前半、日本人の赤軍派よど号グループによる日本人拉致がヨーロッパで組織
的に展開された。これは、日本人を北朝鮮工作員として使おうという金正日の指令によ
るものだ。80年代後半、彼らのメンバー2人が日本に戻り自衛隊への工作を行おうとし
て逮捕された。その頃以降、このタイプの拉致も確認されていない。
金正日は2002年9月、日本人拉致を認め謝罪した。だが「特殊機関の一部が妄動主義、
英雄主義に走ってこういうことを行ってきたと考えている」として自身の関与を否定し
た上で、わずか5人だけを帰し「拉致したのは13人だけ、残り8人は死亡した」という新
たな嘘をついた。嘘には動機がある。なぜ、この時点で全被害者を帰さなかったのか。
拉致被害者救出のために必ず解明すべき問題だ。
日本政府は北朝鮮が出した死亡の証拠が全てでたらめだったことから「全員生存を前
提に」早期帰還を求めている。しかし、なぜ偽遺骨まで出して生きている人を死んだと
して隠さなければならなかったのか、その動機に関する日本政府の見解は公表されてい
ない。
私たちは「金正日拉致指令やテロ指令などを認めることにつながる被害者を帰すこと
が出来なかった」と主張し続けている。
76年の金正日拉致指令は秘密とされた。現地化した工作員が韓国や第3国で身分偽装
に成功するためには、秘密保持が求められる。金正日は現地化した工作員を使って大
韓航空機爆破というテロを実行している。拉致指令が明らかになれば、北朝鮮は、タイ
はもちろん国連安保理常任理事家屋のフランスや中国をはじめとして全世界から糾弾
される。拉致問題は日本と北朝鮮の外交懸案でなく、全世界と北朝鮮の懸案となる。
だからこそ、金正日政権は以上のような拉致の全貌を必死で隠しているのだ。
最後に4.「1990年代後半以降、脱北者支援など北朝鮮にとって「有害」と判断され
る行為を行う者たちの拉致」について見ておきたい。
1990年代後半以降、人口の15%にあたる300万人が餓死する中、大量の脱北者が中朝国
境を越えた。韓国人キリスト教宣教師や貿易商らが中朝国境地域でそれらの脱北者を
助けるようになり、その結果、金正日政権にとって望ましくない外部情報が北朝鮮に
大量に流入することになる。このころから、国家保衛部が中国まで出てきて脱北者の
取り締まりを行っている。その過程で、脱北者を支援していた韓国人宣教師などが拉
致された。また、2000年代になり脱北者を支援していた中国国籍朝鮮族が多数拉致さ
れたという有力情報がある。2004年8月14日、東南アジア諸国と境界を接する中国南部
の雲南省(Yun-nan-sheng)迪慶(bDe- chenデチェン)チベット族自治州シャングリ
ラ県(香格里拉Shangri-La県。旧称、中甸Zhong Dian)で消息を絶った米国青年デヴィ
ド・スネドン(David Sneddon、当時24)もまさにこの時期の拉致の類型にあてはまる
ので、北朝鮮に拉致された可能性が高いと我々は認識している。
以上、北朝鮮による拉致は日朝2国間の問題でなく、北朝鮮が世界規模で行ったテロ事
件であることを説明してきた。ヨーロッパでもルーマニア人が被害者になっている事
実が明らかになっており、フランス人、イタリア人、オランダ人も拉致されている可
能性が極めて高い。また、日本人もスペインとイギリス、デンマークで拉致されてい
る。北朝鮮は自国民の人権を著しく抑圧しているだけでなく、世界規模で拉致を行な
い、いまだに多数の無辜の外国人を不当に抑留し続けているということにも関心を持
っていただければ幸いだ。
以上
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■野田首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
[PC]https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
[携帯]http://form1.kmail.kantei.go.jp/cgi-bin/k/iken/im/goiken.cgi
葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 野田佳彦殿
■救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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11月8日、スイスジュネーブのジュネーブ大学で拉致問題のシンポジウムが開催
された。同行事は政府拉致対策本部が主催し現地日本代表部の全面的支援したも
ので、家族会・救う会も代表を派遣した。家族会から飯塚繁雄代表、松木信宏さ
ん、救う会から西岡力会長、平田隆太郎事務局長が参加した。
そのほか、対策本部から白副大臣、調査会から荒木和博代表、村尾専務理事、特
定失踪者木村かほるさんの姉である天内みどりさんが、韓国からも拉致家族と専
門家が1名づつ参加した。
シンポは大盛況で100人ほど入れる教室は補助椅子を入れ立ち見まで含めて
ジュネーブ大学生教員、NGO関係者、各国外交官、現地邦人ら150人程度が参加した。
本日はそこで発表した西岡の報告を全文掲載する。
日本の拉致被害者救出運動と北朝鮮による国際的拉致の実態
西岡 力(救う会会長、東京基督教大学教授)
1.家族会・救う会の活動について
脱北した北朝鮮元工作員の証言で、横田めぐみさんの拉致が明らかになったことを
契機として、被害者の失踪は北朝鮮による拉致と考えてきた9家族が、被害者の実名
を公表して救出運動を行なうことを決断し、1997年3月、家族会(北朝鮮による拉致
被害者家族連絡会、The Association of the Families of Victims Kidnapped by
North Korea (AFVKN))を結成(写真)し、救出運動を開始した。
写真(救う会ホームページ http://www.sukuukai.jp/img2/20121109_1.png を参照)
その家族会を支援するために、日本各地で次々に支援組織が設立され、1998年、各地
域組織が一体となって「救う会」全国協議会(北朝鮮に拉致された日本人を救出する
ための全国協議会、The National Association for the Rescue of Japanese Kidnapped
by North Korea(NARKN))が設立された。
また、1997年4月、超党派の国会議員により拉致救出を目的とした議員連盟が結成さ
れた。さらに現在、すべての都道府県の知事が「北朝鮮による拉致被害者を救出す
る知事の会」を結成し、また都道府県の議員が「拉致問題地方議会全国協議会」を結
成し、救出運動に協力している。
家族会・救う会が結成されてから数年間は、拉致問題に関する理解と認識は簡単には
広がらなかった。しかし、全国各地で集会を行い、また街頭署名活動やデモ行進を行
った結果、政府が北朝鮮から拉致被害者を取戻すべきとの一定の世論が形成された。
その世論の圧力のため、また、2002年1月、米国のブッシュ大統領が北朝鮮の金正日
(Jong-il Kim)政権を「悪の枢軸」と名指しして強い圧力をかけたことにより、北朝
鮮は2002年9月、拉致も議題とする日朝協議を行った。そして、北朝鮮はそれまで否定
していた日本人拉致を認めるに至った。しかし、北朝鮮はこの時、金正日自身による
拉致命令を隠すため、「拉致したのは13人だけ」、「8人は死亡した」、従って「拉致
問題は解決済み」と嘘をついた。
日本の世論は、この説明に納得せず、政府が調印した日朝平壌宣言は履行されず、国交
正常化は実現しなかった。
さらに、北朝鮮は、2002年10月、生存している5人を帰国させたが、5人は北朝鮮での生
活を希望しているとして、再び北朝鮮に連れ戻そうとした。しかし、日本政府は返さな
いことを決め、2年後にその家族も取戻した。しかし、多くの拉致被害者は今も北朝鮮
で救出を待っている。
家族会・救う会は、北朝鮮が「死亡」として出してきた8人の物証や資料を調査し、すべ
て捏造であることを公表し、北朝鮮は日朝協議で物証や情報が捏造であったことを認めた。
日本政府や議員は、90年代後半以降、北朝鮮の食糧不足に対して人道支援を行った。
政府は家族に対し、北朝鮮に善意を示せば、拉致問題は解決すると説明していた。
家族会・救う会は、金正日独裁政権は外交交渉だけでは被害者を返さないと判断し、
2003年7月以降、北朝鮮への制裁発動を政府に要請する活動を行った。「北朝鮮に制裁
を発動すべき」との声は、ほぼ1年で世論の3分の2以上になり、その後すべての世論調
査で8割以上が制裁発動を支持している。外国に対する制裁について、国民の多くが支
持するようになったのは戦後初めてのことである。
家族会と救う会は、北朝鮮による2つの嘘、「13人しか拉致していない」、「8人は死亡
した」を北朝鮮が撤回し、すべての拉致被害者を取戻す国民運動を続けている。まもな
く署名活動は1000万筆を越える。
2006年9月、安倍政権は、首相を本部長とし、拉致問題を解決するための専門部署である
拉致問題対策本部を設置した。この対策本部はその後の自民党政権、民主党政権でも引
き続き設置されている。
2.北朝鮮による国際的規模の拉致
レバノン人拉致被害者、韓国人拉致被害者、日本人拉致被害者らの証言と家族会・救う
会の調査活動などの結果、北朝鮮による拉致被害国は日本と韓国だけにとどまらず、国
際的な規模に広がっていることが次第に明らかになってきた。現在、北朝鮮による拉致
が間違いない被害国は、日本、韓国、中国(マカオ)、タイ、レバノン、ルーマニアの
6カ国である。また、状況証拠や証言などから北朝鮮による拉致の疑いが極めて濃厚な
被害国は、フランス、イタリア、オランダ、ヨルダン、シンガポール、マレーシア、ア
メリカの7カ国、合計13カ国に被害者が出ている。
世界に広がる北朝鮮による拉致被害 (救う会作成)
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国籍 被害者数 出処
韓国人 82,959人 韓国政府調査(朝鮮戦争中民間人拉致)
517人 韓国政府調査(朝鮮戦争休戦後、帰国者を除く)
日本人 約100人 家族会・救う会推計
17人 日本政府認定、他に渡辺秀子さんの子ども2人(朝
鮮籍)を警察が認定
レバノン人 4人 1978年拉致され1979年までに救出された。うち1人
は米兵の妻
タイ人 1人 米兵の妻
ルーマニア人 1人 米兵の妻
中国人(マカオ系)2人 うち1人を韓国人拉致被害者崔銀姫氏が詳しく証言
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マレーシア人 4人 崔銀姫氏が伝聞証言
1978年8月にシンガポールで同時に失踪した4人
のマレーシア人女性の内1人をジェンキンス氏が平壌
で目撃
シンガポール人 1人 上記マレーシア人女性4人といっしょに失踪
フランス人 3人 上記レバノン人被害者が1978年に目撃
うち1人について崔銀姫氏と大韓機爆破テロ犯金賢姫
の伝聞証言あり
イタリア人 3人 上記レバノン人被害者が1978年に目撃
オランダ人 2人 上記レバノン人被害者が1978年に目撃
ヨルダン人 1人 崔銀姫氏が目撃
アメリカ人 1人 2004年、中国雲南省で失踪
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まず、被害者が特定されている中国(マカオ)、タイ、レバノン、ルーマニアについて
簡潔に説明する。2002年小泉首相の訪朝の結果、帰国した日本人拉致被害者5人の中の
一人である曽我ひとみさんは北朝鮮で脱走米兵と結婚していた。彼女は別の3人の脱走米
兵の家族と同じアパートで暮らした。その3人の妻も全員、拉致被害者だった。タイのア
ノーチャー・パンチョイ(Anocha Panjoy)さん、レバノンのシハーム・シュライテフ
(Siham Shraiteh)さん、ルーマニアのドイナ・ブンベア(Doina Bumbea)さんだ。
タイのアノーチャーさんは1978年マカオに働きに行っているとき拉致された。彼女が拉致
された日に、マカオ人女性2人孔令●(Leng-ieng Hong)さんと蘇妙珍(Mio-chun So)さ
んも失踪していた。その孔さんを北朝鮮で目撃したという人物が2人いる。
すなわち、1978年に拉致され1986年に自力で脱出した韓国人拉致被害者の女優崔銀姫
(Un-hee Choi)氏と大韓航空機テロ実行犯の金賢姫(Hyon-hui Kim)氏だ。両氏は1980
年代初め北朝鮮で孔令●さんに何回も会って話を交わしている。タイのアノーチャーさ
ん家族、レバノンのシハームさん家族、ルーマニアのドイナさん家族、マカオの孔令●
さん家族と家族会・救う会はたびたび相互に訪問し、連帯して拉致問題解決のために運
動している。(●は「貝貝」の下に「言」)
次に拉致の疑いが濃厚な7カ国の事件について説明したい。実は、1978年レバノンから4
人の女性が拉致された。しかし、レバノン政府がその事実を知り抗議したことなどから
1979年、4人は帰国した。ところがシハームさんはすでに結婚し妊娠していたため北朝鮮
に戻り、現在まで抑留されている。その4人からレバノン政府が行った事情聴取の結果、
彼女らは日本企業に就職すると騙され北朝鮮に連れて行かれた後、工作員になる基礎訓
練を受けさせられたという。訓練を受けた施設には28人の若い女性がおり,その中に
はフランス人3人,イタリア人3人,オランダ人2人,その他中東や西ヨーロッパから
きた女性が含まれていた、と証言している。そのことが現地のアラビア語新聞に報道さ
れている。新聞記事のコピーと英訳はお手元に配布した。
『EL NAHAR』(レバノンのアラビア語新聞)1979年11月9日付
(救う会ホームページ http://www.sukuukai.jp/img2/20121109_2.png を参照)
そして、先に紹介した崔銀姫氏と金賢姫氏はフランス人拉致被害者に関して北朝鮮の工
作機関の中でほぼ同じ話を伝聞している。すなわち、1970年代後半、フランスで法学を
学んでいた学生あるいは研究者、学者の女性が自称東洋の富豪の息子と恋愛して婚約し、
アジア旅行にでかけた。平壌空港に着いたとたん、その「婚約者」は姿を消し、フラン
スに帰ると抗議したら工作機関の人間に暴行されたという。いまもフランスで家族が娘
を待っているはずである。ぜひこの情報をフランス国内で広く伝えていただきたいと願
っている。
3.北朝鮮による拉致?4つの時期
救う会では 「拉致の全貌プロジェクト」を組織し、世界規模の拉致の全貌を明らか
にする作業を進めてきた。
現時点でのわれわれの結論をまず示しておく。
北朝鮮は全世界にわたって大規模な韓国人、外国人拉致を行った。
北朝鮮による拉致は以下の4つの大きなピークがある。
1.1950年から53年までの朝鮮戦争中の韓国人拉致
2.戦後から1976年までの漁船拿捕を中心とする韓国人拉致
3.1976年金正日の「工作員現地化教育のための教官拉致」指令による韓国、日本、
諸外国での拉致
4.1990年代後半以降、脱北者支援など北朝鮮にとって「有害」と判断される行為
を行う者たちの拉致
このうち1.については「韓国戦争拉北者事件資料院」(李美一理事長)におい
て詳細な研究、資料収集が行われている。ここではその結論として「金日成
(Il-sung Kim)の指令の下、約10万人の韓国人拉致が組織的かつ大規模になされた。
朝鮮戦争中の日本人、外国人拉致は確認されていない」という事実を指摘しておく。
2.については、旅客機ハイジャック1件を除いてすべてが海上境界線付近に接近
した韓国漁船と軍用船を対象としている。また、拉致された漁民らの選抜作業が行わ
れ、拉致された3,692人のうちの約88%(3,257人)には北朝鮮の発展像を見せて政治
宣伝のために早期に帰還させ、約12%(435人)だけが継続して抑留され、その中の
一部を工作員として使おうとする訓練が実施された。この点について本プロジェクト
は漁船拿捕を中心とする休戦後の韓国での拉致について、詳しく分析したところ、漁
船拿捕型の拉致は1976年以前に集中しているという事実を発見した。
この時期、北朝鮮から工作員を韓国や外国に派遣して行う拉致は確認されていない。
なお、同時期、秘密隠蔽を目的とする日本人拉致があった。それ以外にも日本人拉
致はあったとする証言などは多いが、実体は不明だ。外国人拉致は判明していない。
1963年、日本に侵入した清津(Chongjin)連絡所工作員によって日本人漁民3人の
拉致がなされたことが確認されている。
1969年に金日成が「必要なら日本人を包摂工作し拉致工作もすることもできるのだ」
と工作部門幹部会議で教示している。しかし、この金日成教示に基づいてどの程度日
本人拉致が実行されたのか、全く分かっていない。清津連絡所では76年の金正日の拉
致指令以前から、日本人拉致を「必要に応じてやっていた」というが、その実体は分
からない。70年代前半に失踪した日本人とよく似た人物を工作機関内で目撃したとい
う証言がある。
4.1976年の金正日拉致指令による世界規模の拉致
3.1976年の金正日拉致指令による世界規模の拉致(1976?80年代初め)について、6
人の元工作機関員の証言などこの間入手した情報を分析して次の点を明らかにした。
後継者となった金正日は1976年初め、対南工作の新方針を示す中で「工作員の現地
化教育を徹底して行え、そのために現地人を連れて来て教育にあたらせよ」と拉致指
令を下した。この点について元工作員の証言を中心にする詳細なレポートを作成した。
金正日は、1974年金日成の後継者として公式に指名された後、対南工作部門を掌握
するため、1975年6月から11月初めにかけて対南工作部門の集中検閲を行い、1976年
初め、対南工作の新方針を演説し、「革命的党を作る指導核心工作員を韓国に配置
せよ」と命じた。指導核心工作員の育成のために教官を拉致せよと命じたのだ。拉致
指令は金正日の新方針の中心部分に位置する。
拉致指令の翌年の1977年から1978年にかけて工作員の教官にするための日本人、韓
国人、外国人拉致が世界規模で集中して行われた。
日本人拉致は金正日の拉致指令直後の1977年、78年に集中している。日本政府認定
の17人のうち13人がこの2年に拉致された。その大部分が、教官か教官の配偶者にしよ
うとしたものと考えられる。また、韓国、日本以外の10カ国、中国(マカオ)、タイ、
レバノン、ルーマニア、シンガポール、マレーシア、ヨルダン、フランス、イタリア、
オランダの拉致はすべて78年かその直前に集中している。
韓国では、1977年、78年に、日本でなされたと同じように工作員が韓国に上陸して行
う拉致が多発した。これは工作員の韓国人化教育の教官にするためだ。ヨーロッパ旅行
中の高校教師の拉致もこの時期にあった。これも工作員教育の教官にしようとした可能
性が高い。また、78年には金正日が気に入っていた映画監督と女優を香港までおびき出
して拉致した。朝鮮戦争休戦後の韓国人拉致は漁船拿捕を除くと17人だが、そのうち約
半数の8人がこの2年間に集中している。
一方、金正日は、南出身者を安易に工作員として用いたことが、対南工作の誤りと規
定した。これを受けて拿捕した韓国漁民を工作員として使うことが中止されたので、漁
船拿捕拉致はこれ以降ほぼなくなった。
世界規模での教官拉致がいつまで続いたのかは不明だが、指導核心工作員の現地化教
育は1980年から始まっているので、教官確保のための拉致は80年以前に一段落していた
可能性が高い。もちろん、教官欠員補充のための拉致がその後も行われていた可能性も
否定できない。
1980年代前半、日本人の赤軍派よど号グループによる日本人拉致がヨーロッパで組織
的に展開された。これは、日本人を北朝鮮工作員として使おうという金正日の指令によ
るものだ。80年代後半、彼らのメンバー2人が日本に戻り自衛隊への工作を行おうとし
て逮捕された。その頃以降、このタイプの拉致も確認されていない。
金正日は2002年9月、日本人拉致を認め謝罪した。だが「特殊機関の一部が妄動主義、
英雄主義に走ってこういうことを行ってきたと考えている」として自身の関与を否定し
た上で、わずか5人だけを帰し「拉致したのは13人だけ、残り8人は死亡した」という新
たな嘘をついた。嘘には動機がある。なぜ、この時点で全被害者を帰さなかったのか。
拉致被害者救出のために必ず解明すべき問題だ。
日本政府は北朝鮮が出した死亡の証拠が全てでたらめだったことから「全員生存を前
提に」早期帰還を求めている。しかし、なぜ偽遺骨まで出して生きている人を死んだと
して隠さなければならなかったのか、その動機に関する日本政府の見解は公表されてい
ない。
私たちは「金正日拉致指令やテロ指令などを認めることにつながる被害者を帰すこと
が出来なかった」と主張し続けている。
76年の金正日拉致指令は秘密とされた。現地化した工作員が韓国や第3国で身分偽装
に成功するためには、秘密保持が求められる。金正日は現地化した工作員を使って大
韓航空機爆破というテロを実行している。拉致指令が明らかになれば、北朝鮮は、タイ
はもちろん国連安保理常任理事家屋のフランスや中国をはじめとして全世界から糾弾
される。拉致問題は日本と北朝鮮の外交懸案でなく、全世界と北朝鮮の懸案となる。
だからこそ、金正日政権は以上のような拉致の全貌を必死で隠しているのだ。
最後に4.「1990年代後半以降、脱北者支援など北朝鮮にとって「有害」と判断され
る行為を行う者たちの拉致」について見ておきたい。
1990年代後半以降、人口の15%にあたる300万人が餓死する中、大量の脱北者が中朝国
境を越えた。韓国人キリスト教宣教師や貿易商らが中朝国境地域でそれらの脱北者を
助けるようになり、その結果、金正日政権にとって望ましくない外部情報が北朝鮮に
大量に流入することになる。このころから、国家保衛部が中国まで出てきて脱北者の
取り締まりを行っている。その過程で、脱北者を支援していた韓国人宣教師などが拉
致された。また、2000年代になり脱北者を支援していた中国国籍朝鮮族が多数拉致さ
れたという有力情報がある。2004年8月14日、東南アジア諸国と境界を接する中国南部
の雲南省(Yun-nan-sheng)迪慶(bDe- chenデチェン)チベット族自治州シャングリ
ラ県(香格里拉Shangri-La県。旧称、中甸Zhong Dian)で消息を絶った米国青年デヴィ
ド・スネドン(David Sneddon、当時24)もまさにこの時期の拉致の類型にあてはまる
ので、北朝鮮に拉致された可能性が高いと我々は認識している。
以上、北朝鮮による拉致は日朝2国間の問題でなく、北朝鮮が世界規模で行ったテロ事
件であることを説明してきた。ヨーロッパでもルーマニア人が被害者になっている事
実が明らかになっており、フランス人、イタリア人、オランダ人も拉致されている可
能性が極めて高い。また、日本人もスペインとイギリス、デンマークで拉致されてい
る。北朝鮮は自国民の人権を著しく抑圧しているだけでなく、世界規模で拉致を行な
い、いまだに多数の無辜の外国人を不当に抑留し続けているということにも関心を持
っていただければ幸いだ。
以上
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■救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
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担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
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