英秀氏証言?国際セミナー報告2(2012/12/19)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2012.12.19-2)
■英秀氏証言?国際セミナー報告2
【第1部】脱北者・元工作員等に聞く最新情報
櫻井よしこ(総合司会、ジャーナリスト)
みなさまこんにちは。北朝鮮問題は本当に切迫しています。日本の政権がまさ
に変わろうとしている時に、拉致被害者のご家族の皆様、拉致議連、そして救う
会、国民全体が改めて力を結集してこの問題解決にあたろうという決意を固めな
ければならないと思います。
今日は、脱北者の方にもお出でいただきました。新しい情報が多々聞けると思
います。まず、先ほど飛行場に着いたばかりですが、元朝鮮労働党作戦部に所属
し、資材調達係を務めていました李英秀(イ・ヨンス)さんにお話を伺い、新し
い情報について西岡さんから解説をしていただきます。
西岡 こういう所で話をされるのが初めてで、緊張されていますので、対話形式
で話をさせていただきたいと思います。李英秀さんは、昨年、日本のマスコミに
ちょっとだけ紹介されました。朴宣英(パク・ソンヨン)という韓国の女性議員
のところで日本人拉致について話をしたということが紹介されました。
しかし、こういう公開の席で話されるのは初めてです。まだ、北朝鮮に関係者
がいらっしゃるということで素顔はさらしたくないということでメガネをかけて
います。
また、マスコミの方々は報道される時に、声を変えていただくことが本人から
のたってのお願いです。実は羽田に着いた時、手続きがうまくいかなくて、さっ
き着かれました。まず自己紹介をお願いいたします。
◆耀徳(ヨドク)収容所の療養所にいた日本人女性
李英秀 このような重要な席に私を呼んでくださって、みなさんに感謝申し上げ
ます。ありがとうございます。
私は李英秀と申します。1965年に慈江道(チャガンド)で生まれました。
韓国軍捕虜として北朝鮮に捕らわれていた父の息子として生まれました。195
0年に捕虜になった父は炭鉱で長く働かされた後、2006年に亡くなりました。
1981年3月1日に人民軍に入りました。本来は韓国軍捕虜の息子は軍隊に
入れないのです。しかし、1980年に金日成の教示が出て、「在日帰国者、韓
国軍捕虜の家庭からも一家に一人軍隊に入れて徹底的に思想教育せよ」という指
示が出たため入隊できたのです。
81年3月から91年まで人民軍第2軍団66旅団で勤務しました。11年の
服務を終えた時、金正日の指令で、成分が悪い人たちは一般的に炭鉱に送られる
ということで、私は炭鉱に配置されました。その時金正日は、国家の電力事情が
困難だと。そこで若い軍出身者が炭鉱にいって石炭をたくさんとらなければなら
ないと言いました。
私はそれを聞いて、軍隊の中で一番苦しい生活を11年もさせておいて、その
後また炭鉱に送るのか、俺は行かないと拒否しました。「そんなひどい仕事をさ
せるならまず金正日の息子から送れ、そしたら自分も行ってやる」。その一言を
言ったため私は、北朝鮮の政治犯収容所、咸鏡南道にある耀徳(ヨドク)収容所
に送られました。
収容所に入った後、私は家鴨(あひる)の世話を任されました。彼らが食べる
ための、食肉のための家鴨です。耀徳収容所の中で、北朝鮮の高位層幹部とたく
さん知り合いました。彼らは収容所に入れられていたからです。副主席の金英柱
(キムヨンジュ、金日成の実弟)の娘婿、それから金達玄(キムダルヒョン)副
首相の婿、第2経済委員会の軍需担当副主席朴ソンチョルの息子等です。
その中で、金達玄の婿が、収容所の中の療養所の責任者になりました。私は彼
と知り合いになり、その療養所に行ったら、日本人の女性がそこにいました。食
事を準備してくれたんですが、その行動様式が北朝鮮人のようではなかったので
聞いてみたら、日本人だと言われました。耀徳に入って10年以上だと言われま
した。
私は直接その人と話すことはできませんでしたが、責任者の話によると、拉致
されてきて、スパイ教育をさせられそうになって拒否したので耀徳に入れられた
と言っていました。
皆さんは耀徳での生活がどんなものか分からないと思いますが、私が見たとこ
ろによると、10年入っていたわけですから服もぼろぼろで、使うふとんもあり
ませんでした。咸鏡道ですから雪がたくさん降ります。零下20度になるんです
が、古着を着ていて、靴も中が見えてしまうようなのをはいていました。
私は94年5月に耀徳を出たのですが、その時まで日本人女性はそこにいまし
た。私が耀徳を出た時、朴ソンチョル副主席の息子からの手紙、それから張成沢
のいとこの女性の婿から金敬姫宛の手紙を預ってきました。
その手紙を持って私は平壌に行ったんですが、その時、金日成大学を卒業して
外国語出版社に勤めていた友人に会いました。その父は、党作戦部の日本担当の
幹部でした。
◆金正日はすべての日本人を送り返そうとしたが工作機関幹部が反対
2002年、小泉総理が平壌に来た時、私は彼と話をしました。彼はその時、
金正日が小泉総理にだまされて拉致を認めてしまった、と。100億ドルくれる
と言われて、だまされて認めてしまったと言いました。
その時金正日は、すべての日本人を送り返そうとしたけれども、対南工作機関
の幹部たちが反対したと言うのです。各分野の工作員教育を担当した日本人たち
を返せば、工作機関の工作の秘密がばれてしまうと反対したのです。そこで作戦
部の幹部が拉致被害者の中から選んで、5人だけを送ったと聞きました。
◆日本に偽の遺骨を送って色々な問題に
それから、めぐみさんについては2004年末から2005年の初めくらいに、
もう一度平壌に行った時聞きました。その時なかなか会えなかったんですが、会っ
た時、日本に偽の遺骨を送って色々な問題になって忙しいんだと作戦部に務めて
いる友人がいいました。
なぜ偽物の遺骨を送ったのかと聞いたら、「知っているあまりにもたくさんの
ことを知っているので、返すことはできない。死ぬまで返すことはできないんだ」
と言っていました。「知っているは亡くなった金正日夫人の高英姫が管理してい
るので他の人が接近することは困難だ」とも言っていました。
なぜ生きている人をみんな送れないのかと言ったら、「彼らはスパイ教育に従
事したり秘密文献の翻訳をしたりしているので送ることはできない」と言いまし
た。
何人いるんだと聞いたところ、正確な数字は言わなくて、「多く連れてきた。
その中でスパイ教育に使えた人もいるし、使えなかった人もいるんだ」と言いま
した。
じゃあどこに住んでいるんだと聞いたら、「平壌の大城(テソン)区域に住ん
でいることになっているが、実際はそこに住んでいなくて、招待所に住んでいる。
スパイ教育は1対1でやるんだ」と言いました。
全員送って金を取ればよかったんじゃないかと言ったら、「全員送らないで選
んで送ったために結局金が取れなくて、作戦部の幹部たち何人かが左遷された」
と聞きました。
では最初から認めなければよかったじゃないかと言ったら、「金正日将軍様が
狐のようにずるい小泉にだまされてしまったんだ。今となってはしょうがない」
と言いました。ですから、「日本人にこれ以上絶対だまされてはならない」と。
私が、朴宣英議員のところで証言するきっかけになったのは、実は私の脱出の
プロセスに関わることですが、私のところにブローカーが「脱北しないか」と言
いに来たんです。
◆日本人4人の写真
そのブローカーが、「どうせ脱北するなら日本人拉致被害者の情報を取る方法
はないか。それを取ってきたら金になる」と勧めてくれたので、もう一度その友
だちのところに行きました。
そして長いことかかって彼を説得して、4枚の日本人拉致被害者の写真を受け
取りました。しかし、川を渡る時に、だまされてブローカーに取られてしまいま
した。
そこで私は韓国に入って、国情院に、「そのブローカーが韓国に入っていない
か、その人が写真を持っている筈だ」と言いました。その後聞いたところによる
と、そのブローカーは北朝鮮の様々な重要文献を持ち出したということで捕まっ
て、銃殺されたと聞きました。
その写真に日本人の名前が書いてあったのですが、私は日本語ができないので
覚えていないのですが、朴宣英議員に、「日本人が生きています。4人います」
と言ったわけです。2人の女性は作戦部が管理、男性1人、女性1人は対外連絡
部が管理しているということです。
西岡 歳はどのくらいでしたか。
李英秀 書類についていた写真だったのですが、中年に見えました。最近は、
「金正日が死んだ後、金正恩がまた日本から100億ドルを取ろうということで
拉致被害者を集めて、情報が漏れないように招待所で特別管理をしている。誰も
接近できない」と聞いています。
◆横田めぐみさん?2006年末までの生存情報
西岡 めぐみさんのことはいつ聞いたんですか。もう一度確認したいのですが。
李英秀 2004年末か2005年の初めに食堂で聞きました。その友だちの父
は工作機関で日本を担当している人だった。そしてまた2006年12月か20
07年1月に写真をもらった時も、「めぐみの写真はどうかならないのか」と聞
いたら、「それは高英姫が管理しているので一切接近できない」と言いました。
2004年12月か2005年1月までは私は、「生きていた」と言えます。
それから2006年末、私が韓国に来る時も「接近できない」と言ったので生き
ていたと思います。
「何を知っているから送れないのか」と聞いたところ、「小さい時に来たので工
作機関の中のことについてもたくさんのことを知っている。また高位層の私生活
についても色々なことを知っているので送れない」と聞きました。
◆あひるの肉をわいろに得た情報
西岡 配布資料はこれまで私が繰り返し聞いたことをメモにしたものです。その
ことをもう一度話してくださったのです。私は彼に韓国で5回会って、色々なこ
とを聞き、彼の経歴は間違いがないと思います。
通常考えると、国軍捕虜の息子というのは一番(階級が)下なんです。監視さ
れているわけです。それが軍隊に入れたということも珍しいし、さらに耀徳収容
所に入れられたとすると、一番下の下なんです。
そういう人が国家秘密を知っているということは、常識では考えられないこと
ですが、実は彼が耀徳収容所で手紙を取り次いだという人が、後から韓国に来て、
「あの時世話になった」と。金日成の護衛総局長の息子と娘がいるんですが、そ
の人と彼は親しいのです。私の目の前でその話がされたりしました。
収容所には2種類あって、耀徳は革命化区域です。革命化区域は何年か入れて
出すのです。思想を革命化するということで、最高幹部の息子なども入れます。
ですからそこには情報がたくさん集まっています。
姜哲煥(カン・チョルファン)さんも耀徳に入っていたんですが、普通は耀徳
に入っていても、知らないんです。それは労働をさせられているからです。とこ
ろが彼は家鴨の世話をしたので、自由時間が多いんです。朝から晩まで家鴨のと
ころにいたわけです。
そして保衛部の人たちが肉を横流ししてくれと彼に接近してきた。それだけで
はなく、中に入っている幹部の息子たちが、「実は俺は幹部の家族なんだ。平壌
に戻ったらお前にいい思いをさせてやるから肉をくれ」と来るわけです。
その内に保衛部の人と一緒になって、「本当にこの人は幹部の息子だから幹部
に手紙を取り次いでお金を取ろう」というアルバイトをしていたんです。それが
かなりお金になった。北朝鮮ではお金があればすべてのことができるということ
を聞くと、実際お金を払ってソウルに来ているという人もいることも含めて、か
なり信憑性があるなというのが私の判断です。
彼は今でもつながっているラインがあるんですが、そのことについては今話を
しないほうがいいので、ここ(配布資料)ではAさんだけ出しています。この人
とはもう切れているので。
少なくとも2006年くらいまでめぐみさんは生きていた。しかし、秘密を知っ
ているから出さなかった、ということが明らかになってきました。
後で見ていただく金賢姫(キム・ヒョンヒ)さんの証言とも重なりますが、金
正日が、「対南工作は制約が多いので、現地人を包摂して、テロなどをさせる工
作員として使え」と言っています。拉致の目的として、教官として使うだけでな
く、洗脳して工作員として使うということがあったと書いてあります(配布資料)。
金賢姫さんもそのことを言っています。
様々なことからして大変貴重な証言で、生きていたということは間違いないと
いうことだと思います。櫻井さん何か聞きたいことがありますか。
◆高英姫(金正恩の生母)がめぐみさんを管理
櫻井 めぐみさんの情報を2006年末頃まで聞いていたということですが、高
英姫が管理しているのでコンタクトできないということですが、その他に例えば
めぐみさんがどういうことをしていたか、どういう暮らしをしていたかという情
報はありましたか。
李英秀 若い世代の工作員を教育する場所に行って、めぐみさんがその工作員教
育を担当しているとは聞きました。しかし、具体的なことは私には話せないと言
いました。生きているということを教えてやるだけでも大きなことだと思えと言
われました。
櫻井 めぐみさんは結婚して、子どもさんもいて、その他病院に入ったというこ
とが日本に伝わっていますが、このようなめぐみさんの状態について聞いたこと
がありますか。
李英秀 私が聞いたところでは、大きな病があるということは聞いていません。
教育をするのに出勤、退勤もちゃんとできていると聞いています。
櫻井 教育というのは日本語教育ですか。どういう教育ですか。
李英秀 日本語教育です。
櫻井 高英姫が関心をもってめぐみさんを管理しているというのはどういうこと
なんでしょうか。高英姫の近くに住んでいるということでしょうか。どういう状
況なんでしょうか。
李英秀 私は具体的には分かりませんが、高英姫は在日出身で日本語をよく使い
ました。まためぐみさんが幼くして拉致されたので同情して、自分が面倒をみた
んじゃないかと思います。
櫻井 高英姫は金正日が最も愛する女性と伝えられていますが、金正日一家にた
びたびめぐみさんは近づいたということでしょうか。
李英秀 そういう具体的なことは分かりません。そういうことは教えられないと
言われました。生きているということを教えただけでも大変なことだと思えと言
われました。
櫻井 小泉総理が100億ドルを約束したということですね。私はこのことを1
回書いて、「全くそういうことはない」と秘書の方から否定されました。しかし、
その後脱北してきた人から、またこのような会でもこの100億ドルの話を聞い
たわけですが、李英秀もまた100億ドルを約束したと聞いたということでした。
これはどのくらい信憑性があると思っていいですか。
李英秀 具体的なことは分かりません。でも、「拉致を金正日が認めて頭が痛い、
100億ドル取ろうと思って認めてしまった」と聞きました。
櫻井 どうもありがとうございました。西岡さん、色々な話が出たわけですが、
また思いがけなく新しい情報が出たと思いますが、李英秀さんのお話の中で、例
えばめぐみさんが2006年までは生存情報があったということも含め、李英秀
さんの情報を私たちはどのようにとらえたらいいのでしょうか。
◆拉致被害者は生きている
西岡 今現在もめぐみさんたちが生きていることは間違いありません。それは様
々なことを総合して、私が自信を持って言えるのです。ですから2006年まで
生きていたということは全然矛盾しません。
こういう席で話すので(李英秀さんは)少しあがっているのですが、私はソウ
ルで何回も話をし、そして裏づけの調査もしていますので、かれがこういう話を
聞いたというのは間違いないと思います。
残念なのは4枚の写真とその名前が分からないということです。彼は他の日本
人については具体的なことは知らないんですね。ただ、めぐみさんについては、
偽の遺骨で頭が痛いという話が出て、めぐみという奴だと友人が言ったからめぐ
みを知ったということです。また日本人がいるということは聞いているわけです。
もう一つ心配なのは、収容所の中に日本人がいた、被害者だと聞いたというこ
とです。実はこれについては彼と色々作業をしました。あまり具体的なことは言
えないんですが、今の段階では拉致被害者ではなく、日本人妻じゃないかという
情報が出てきています。
現在やっていることについては言えないこともありますが、とにかく日本人の
拉致被害者が収容所にいるということが明らかになったら、すぐにでも助けにい
かなければならないような緊迫した状況になると思います。日本人妻が収容所に
いるということも許せないことですが、日本人妻が収容所にいるということは既
に確認されていることで、そういうことについては、言えないこともありますが、
重要な情報だと思っています。
櫻井 姜哲煥さんのレポートの中に、耀徳収容所の中の日本人の話が出ています
が、李英秀さんが会った人はその段階で10年いたわけですね。未だに複数の日
本人妻や日本人がいると考えた方が現実的ですね。
李英秀 去年、あるラインで確認したんですが、その女性はまだいるということ
でした。もう一人いるそうです。それから革命化区域ではなく、終身監禁区域
(統制区域)にも日本人がいると聞きました。
櫻井 李英秀さんどうもありがとうございました(拍手)。
(つづく)
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■英秀氏証言?国際セミナー報告2
【第1部】脱北者・元工作員等に聞く最新情報
櫻井よしこ(総合司会、ジャーナリスト)
みなさまこんにちは。北朝鮮問題は本当に切迫しています。日本の政権がまさ
に変わろうとしている時に、拉致被害者のご家族の皆様、拉致議連、そして救う
会、国民全体が改めて力を結集してこの問題解決にあたろうという決意を固めな
ければならないと思います。
今日は、脱北者の方にもお出でいただきました。新しい情報が多々聞けると思
います。まず、先ほど飛行場に着いたばかりですが、元朝鮮労働党作戦部に所属
し、資材調達係を務めていました李英秀(イ・ヨンス)さんにお話を伺い、新し
い情報について西岡さんから解説をしていただきます。
西岡 こういう所で話をされるのが初めてで、緊張されていますので、対話形式
で話をさせていただきたいと思います。李英秀さんは、昨年、日本のマスコミに
ちょっとだけ紹介されました。朴宣英(パク・ソンヨン)という韓国の女性議員
のところで日本人拉致について話をしたということが紹介されました。
しかし、こういう公開の席で話されるのは初めてです。まだ、北朝鮮に関係者
がいらっしゃるということで素顔はさらしたくないということでメガネをかけて
います。
また、マスコミの方々は報道される時に、声を変えていただくことが本人から
のたってのお願いです。実は羽田に着いた時、手続きがうまくいかなくて、さっ
き着かれました。まず自己紹介をお願いいたします。
◆耀徳(ヨドク)収容所の療養所にいた日本人女性
李英秀 このような重要な席に私を呼んでくださって、みなさんに感謝申し上げ
ます。ありがとうございます。
私は李英秀と申します。1965年に慈江道(チャガンド)で生まれました。
韓国軍捕虜として北朝鮮に捕らわれていた父の息子として生まれました。195
0年に捕虜になった父は炭鉱で長く働かされた後、2006年に亡くなりました。
1981年3月1日に人民軍に入りました。本来は韓国軍捕虜の息子は軍隊に
入れないのです。しかし、1980年に金日成の教示が出て、「在日帰国者、韓
国軍捕虜の家庭からも一家に一人軍隊に入れて徹底的に思想教育せよ」という指
示が出たため入隊できたのです。
81年3月から91年まで人民軍第2軍団66旅団で勤務しました。11年の
服務を終えた時、金正日の指令で、成分が悪い人たちは一般的に炭鉱に送られる
ということで、私は炭鉱に配置されました。その時金正日は、国家の電力事情が
困難だと。そこで若い軍出身者が炭鉱にいって石炭をたくさんとらなければなら
ないと言いました。
私はそれを聞いて、軍隊の中で一番苦しい生活を11年もさせておいて、その
後また炭鉱に送るのか、俺は行かないと拒否しました。「そんなひどい仕事をさ
せるならまず金正日の息子から送れ、そしたら自分も行ってやる」。その一言を
言ったため私は、北朝鮮の政治犯収容所、咸鏡南道にある耀徳(ヨドク)収容所
に送られました。
収容所に入った後、私は家鴨(あひる)の世話を任されました。彼らが食べる
ための、食肉のための家鴨です。耀徳収容所の中で、北朝鮮の高位層幹部とたく
さん知り合いました。彼らは収容所に入れられていたからです。副主席の金英柱
(キムヨンジュ、金日成の実弟)の娘婿、それから金達玄(キムダルヒョン)副
首相の婿、第2経済委員会の軍需担当副主席朴ソンチョルの息子等です。
その中で、金達玄の婿が、収容所の中の療養所の責任者になりました。私は彼
と知り合いになり、その療養所に行ったら、日本人の女性がそこにいました。食
事を準備してくれたんですが、その行動様式が北朝鮮人のようではなかったので
聞いてみたら、日本人だと言われました。耀徳に入って10年以上だと言われま
した。
私は直接その人と話すことはできませんでしたが、責任者の話によると、拉致
されてきて、スパイ教育をさせられそうになって拒否したので耀徳に入れられた
と言っていました。
皆さんは耀徳での生活がどんなものか分からないと思いますが、私が見たとこ
ろによると、10年入っていたわけですから服もぼろぼろで、使うふとんもあり
ませんでした。咸鏡道ですから雪がたくさん降ります。零下20度になるんです
が、古着を着ていて、靴も中が見えてしまうようなのをはいていました。
私は94年5月に耀徳を出たのですが、その時まで日本人女性はそこにいまし
た。私が耀徳を出た時、朴ソンチョル副主席の息子からの手紙、それから張成沢
のいとこの女性の婿から金敬姫宛の手紙を預ってきました。
その手紙を持って私は平壌に行ったんですが、その時、金日成大学を卒業して
外国語出版社に勤めていた友人に会いました。その父は、党作戦部の日本担当の
幹部でした。
◆金正日はすべての日本人を送り返そうとしたが工作機関幹部が反対
2002年、小泉総理が平壌に来た時、私は彼と話をしました。彼はその時、
金正日が小泉総理にだまされて拉致を認めてしまった、と。100億ドルくれる
と言われて、だまされて認めてしまったと言いました。
その時金正日は、すべての日本人を送り返そうとしたけれども、対南工作機関
の幹部たちが反対したと言うのです。各分野の工作員教育を担当した日本人たち
を返せば、工作機関の工作の秘密がばれてしまうと反対したのです。そこで作戦
部の幹部が拉致被害者の中から選んで、5人だけを送ったと聞きました。
◆日本に偽の遺骨を送って色々な問題に
それから、めぐみさんについては2004年末から2005年の初めくらいに、
もう一度平壌に行った時聞きました。その時なかなか会えなかったんですが、会っ
た時、日本に偽の遺骨を送って色々な問題になって忙しいんだと作戦部に務めて
いる友人がいいました。
なぜ偽物の遺骨を送ったのかと聞いたら、「知っているあまりにもたくさんの
ことを知っているので、返すことはできない。死ぬまで返すことはできないんだ」
と言っていました。「知っているは亡くなった金正日夫人の高英姫が管理してい
るので他の人が接近することは困難だ」とも言っていました。
なぜ生きている人をみんな送れないのかと言ったら、「彼らはスパイ教育に従
事したり秘密文献の翻訳をしたりしているので送ることはできない」と言いまし
た。
何人いるんだと聞いたところ、正確な数字は言わなくて、「多く連れてきた。
その中でスパイ教育に使えた人もいるし、使えなかった人もいるんだ」と言いま
した。
じゃあどこに住んでいるんだと聞いたら、「平壌の大城(テソン)区域に住ん
でいることになっているが、実際はそこに住んでいなくて、招待所に住んでいる。
スパイ教育は1対1でやるんだ」と言いました。
全員送って金を取ればよかったんじゃないかと言ったら、「全員送らないで選
んで送ったために結局金が取れなくて、作戦部の幹部たち何人かが左遷された」
と聞きました。
では最初から認めなければよかったじゃないかと言ったら、「金正日将軍様が
狐のようにずるい小泉にだまされてしまったんだ。今となってはしょうがない」
と言いました。ですから、「日本人にこれ以上絶対だまされてはならない」と。
私が、朴宣英議員のところで証言するきっかけになったのは、実は私の脱出の
プロセスに関わることですが、私のところにブローカーが「脱北しないか」と言
いに来たんです。
◆日本人4人の写真
そのブローカーが、「どうせ脱北するなら日本人拉致被害者の情報を取る方法
はないか。それを取ってきたら金になる」と勧めてくれたので、もう一度その友
だちのところに行きました。
そして長いことかかって彼を説得して、4枚の日本人拉致被害者の写真を受け
取りました。しかし、川を渡る時に、だまされてブローカーに取られてしまいま
した。
そこで私は韓国に入って、国情院に、「そのブローカーが韓国に入っていない
か、その人が写真を持っている筈だ」と言いました。その後聞いたところによる
と、そのブローカーは北朝鮮の様々な重要文献を持ち出したということで捕まっ
て、銃殺されたと聞きました。
その写真に日本人の名前が書いてあったのですが、私は日本語ができないので
覚えていないのですが、朴宣英議員に、「日本人が生きています。4人います」
と言ったわけです。2人の女性は作戦部が管理、男性1人、女性1人は対外連絡
部が管理しているということです。
西岡 歳はどのくらいでしたか。
李英秀 書類についていた写真だったのですが、中年に見えました。最近は、
「金正日が死んだ後、金正恩がまた日本から100億ドルを取ろうということで
拉致被害者を集めて、情報が漏れないように招待所で特別管理をしている。誰も
接近できない」と聞いています。
◆横田めぐみさん?2006年末までの生存情報
西岡 めぐみさんのことはいつ聞いたんですか。もう一度確認したいのですが。
李英秀 2004年末か2005年の初めに食堂で聞きました。その友だちの父
は工作機関で日本を担当している人だった。そしてまた2006年12月か20
07年1月に写真をもらった時も、「めぐみの写真はどうかならないのか」と聞
いたら、「それは高英姫が管理しているので一切接近できない」と言いました。
2004年12月か2005年1月までは私は、「生きていた」と言えます。
それから2006年末、私が韓国に来る時も「接近できない」と言ったので生き
ていたと思います。
「何を知っているから送れないのか」と聞いたところ、「小さい時に来たので工
作機関の中のことについてもたくさんのことを知っている。また高位層の私生活
についても色々なことを知っているので送れない」と聞きました。
◆あひるの肉をわいろに得た情報
西岡 配布資料はこれまで私が繰り返し聞いたことをメモにしたものです。その
ことをもう一度話してくださったのです。私は彼に韓国で5回会って、色々なこ
とを聞き、彼の経歴は間違いがないと思います。
通常考えると、国軍捕虜の息子というのは一番(階級が)下なんです。監視さ
れているわけです。それが軍隊に入れたということも珍しいし、さらに耀徳収容
所に入れられたとすると、一番下の下なんです。
そういう人が国家秘密を知っているということは、常識では考えられないこと
ですが、実は彼が耀徳収容所で手紙を取り次いだという人が、後から韓国に来て、
「あの時世話になった」と。金日成の護衛総局長の息子と娘がいるんですが、そ
の人と彼は親しいのです。私の目の前でその話がされたりしました。
収容所には2種類あって、耀徳は革命化区域です。革命化区域は何年か入れて
出すのです。思想を革命化するということで、最高幹部の息子なども入れます。
ですからそこには情報がたくさん集まっています。
姜哲煥(カン・チョルファン)さんも耀徳に入っていたんですが、普通は耀徳
に入っていても、知らないんです。それは労働をさせられているからです。とこ
ろが彼は家鴨の世話をしたので、自由時間が多いんです。朝から晩まで家鴨のと
ころにいたわけです。
そして保衛部の人たちが肉を横流ししてくれと彼に接近してきた。それだけで
はなく、中に入っている幹部の息子たちが、「実は俺は幹部の家族なんだ。平壌
に戻ったらお前にいい思いをさせてやるから肉をくれ」と来るわけです。
その内に保衛部の人と一緒になって、「本当にこの人は幹部の息子だから幹部
に手紙を取り次いでお金を取ろう」というアルバイトをしていたんです。それが
かなりお金になった。北朝鮮ではお金があればすべてのことができるということ
を聞くと、実際お金を払ってソウルに来ているという人もいることも含めて、か
なり信憑性があるなというのが私の判断です。
彼は今でもつながっているラインがあるんですが、そのことについては今話を
しないほうがいいので、ここ(配布資料)ではAさんだけ出しています。この人
とはもう切れているので。
少なくとも2006年くらいまでめぐみさんは生きていた。しかし、秘密を知っ
ているから出さなかった、ということが明らかになってきました。
後で見ていただく金賢姫(キム・ヒョンヒ)さんの証言とも重なりますが、金
正日が、「対南工作は制約が多いので、現地人を包摂して、テロなどをさせる工
作員として使え」と言っています。拉致の目的として、教官として使うだけでな
く、洗脳して工作員として使うということがあったと書いてあります(配布資料)。
金賢姫さんもそのことを言っています。
様々なことからして大変貴重な証言で、生きていたということは間違いないと
いうことだと思います。櫻井さん何か聞きたいことがありますか。
◆高英姫(金正恩の生母)がめぐみさんを管理
櫻井 めぐみさんの情報を2006年末頃まで聞いていたということですが、高
英姫が管理しているのでコンタクトできないということですが、その他に例えば
めぐみさんがどういうことをしていたか、どういう暮らしをしていたかという情
報はありましたか。
李英秀 若い世代の工作員を教育する場所に行って、めぐみさんがその工作員教
育を担当しているとは聞きました。しかし、具体的なことは私には話せないと言
いました。生きているということを教えてやるだけでも大きなことだと思えと言
われました。
櫻井 めぐみさんは結婚して、子どもさんもいて、その他病院に入ったというこ
とが日本に伝わっていますが、このようなめぐみさんの状態について聞いたこと
がありますか。
李英秀 私が聞いたところでは、大きな病があるということは聞いていません。
教育をするのに出勤、退勤もちゃんとできていると聞いています。
櫻井 教育というのは日本語教育ですか。どういう教育ですか。
李英秀 日本語教育です。
櫻井 高英姫が関心をもってめぐみさんを管理しているというのはどういうこと
なんでしょうか。高英姫の近くに住んでいるということでしょうか。どういう状
況なんでしょうか。
李英秀 私は具体的には分かりませんが、高英姫は在日出身で日本語をよく使い
ました。まためぐみさんが幼くして拉致されたので同情して、自分が面倒をみた
んじゃないかと思います。
櫻井 高英姫は金正日が最も愛する女性と伝えられていますが、金正日一家にた
びたびめぐみさんは近づいたということでしょうか。
李英秀 そういう具体的なことは分かりません。そういうことは教えられないと
言われました。生きているということを教えただけでも大変なことだと思えと言
われました。
櫻井 小泉総理が100億ドルを約束したということですね。私はこのことを1
回書いて、「全くそういうことはない」と秘書の方から否定されました。しかし、
その後脱北してきた人から、またこのような会でもこの100億ドルの話を聞い
たわけですが、李英秀もまた100億ドルを約束したと聞いたということでした。
これはどのくらい信憑性があると思っていいですか。
李英秀 具体的なことは分かりません。でも、「拉致を金正日が認めて頭が痛い、
100億ドル取ろうと思って認めてしまった」と聞きました。
櫻井 どうもありがとうございました。西岡さん、色々な話が出たわけですが、
また思いがけなく新しい情報が出たと思いますが、李英秀さんのお話の中で、例
えばめぐみさんが2006年までは生存情報があったということも含め、李英秀
さんの情報を私たちはどのようにとらえたらいいのでしょうか。
◆拉致被害者は生きている
西岡 今現在もめぐみさんたちが生きていることは間違いありません。それは様
々なことを総合して、私が自信を持って言えるのです。ですから2006年まで
生きていたということは全然矛盾しません。
こういう席で話すので(李英秀さんは)少しあがっているのですが、私はソウ
ルで何回も話をし、そして裏づけの調査もしていますので、かれがこういう話を
聞いたというのは間違いないと思います。
残念なのは4枚の写真とその名前が分からないということです。彼は他の日本
人については具体的なことは知らないんですね。ただ、めぐみさんについては、
偽の遺骨で頭が痛いという話が出て、めぐみという奴だと友人が言ったからめぐ
みを知ったということです。また日本人がいるということは聞いているわけです。
もう一つ心配なのは、収容所の中に日本人がいた、被害者だと聞いたというこ
とです。実はこれについては彼と色々作業をしました。あまり具体的なことは言
えないんですが、今の段階では拉致被害者ではなく、日本人妻じゃないかという
情報が出てきています。
現在やっていることについては言えないこともありますが、とにかく日本人の
拉致被害者が収容所にいるということが明らかになったら、すぐにでも助けにい
かなければならないような緊迫した状況になると思います。日本人妻が収容所に
いるということも許せないことですが、日本人妻が収容所にいるということは既
に確認されていることで、そういうことについては、言えないこともありますが、
重要な情報だと思っています。
櫻井 姜哲煥さんのレポートの中に、耀徳収容所の中の日本人の話が出ています
が、李英秀さんが会った人はその段階で10年いたわけですね。未だに複数の日
本人妻や日本人がいると考えた方が現実的ですね。
李英秀 去年、あるラインで確認したんですが、その女性はまだいるということ
でした。もう一人いるそうです。それから革命化区域ではなく、終身監禁区域
(統制区域)にも日本人がいると聞きました。
櫻井 李英秀さんどうもありがとうございました(拍手)。
(つづく)
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