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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

横田めぐみさん拉致事件を検証?東京連続集会報告3(2013/12/04)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2013.12.04)

◆1か月前の松本京子さん事件と似ている

西岡 今のエンジンの音、女の子の悲鳴というのは他でもあることで、その辺も
貴重な情報だと思います。それらを踏まえ、我々は現場で、どうも条件拉致だっ
たのではないかと思ったわけです。条件拉致だとすると、一件だけというのはお
かしいんです。続けてなければならない。そこで米子の事件を思ったわけです。

 その1月前に、米子で、松本京子さんという若い女性がさらわれている。京子
さんの事件とめぐみさんの事件に共通性があるとすると、36年前の秋に、「若
い女性を連れてこい」という命令があったのではないか。共通性があると言える
のか言えないのか、ということが鍵になるのではと思って、次の日に富山に行き、
その次の日に米子の現場に行きました。

 まず地形的に似ています。住宅地と海岸が近い。京子さんが襲われた×印の地
点から海岸まで早足で歩いて650m、5分くらいです。この×印の前の家には女子
中学生が受験勉強をしていて、京子さんが失踪したと思われる時間に女性のすす
り泣きのような声を聞いているんです。

 京子さんは自宅から、毎週、月水金の夜、晩御飯を食べた後8時に編物教室に
行っていました。慣れるまでは街灯のついている別の道を行っていました。×印
からはまっすぐ海に出られます。細い路地はいっぱいあるんですが、まっすぐ海
に出られる道はあまりない。それで近道だからと街灯のない道を使っていました。

 そして京子さんと思われる女性が最後に目撃されているのが×印から海に向かっ
て右側の次の路地ところです。京子さんと男二人がうずくまっていた。

 私たちは、京子さんのお兄さんの孟(はじめ)さんの案内でここに行きました。
孟さんは当初、車で迎えに来るのを待っていたんじゃないかという解説をしてく
れたんですが、私はその時ピンときたんです。

 地村さんたちに8月に話を聞いた時、「袋に入れられてかつがれて斜面を降り
た。工作員の肩がお腹にくいこんで痛かった。あるところ来たらしゃがませられ
た。誰か来たらしゃがんで隠れる。だからここでも、しゃがんで隠れていたんで
はないかと思って状況を聞きましたら、実は海に向かう道で、もっと海沿いのお
宅の方が、3人がしゃがみこんだ場所の奥にある家に遊びに来ていて、家に帰る
ところだった。

 工作員からすると、×印の所で京子さんを襲ってまっすぐ5分で海岸まで行こ
うと思った。その時は誰もいなかった。ところが突然海に近い方の家から男の人
が出てきたので、横路に隠れ、しゃがんでやり過ごそうとしたんじゃないかと思
うと松本さんに言いました。

 すると松本さんは、「確かにしゃがんでいるところに塀がありました。塀の後
ろにしゃがんでいたんです」と。ところが、こちらに向かってきた人の家が、犯
人たちがしゃがんでいた路地の奥の家だったので、そこで曲がったんです。


◆目撃され殴ったのに拉致しなかった

惠谷 通常であれば通り過ぎる筈だったんです。道路に沿って壁があります。と
ころがその人は自分の家に行くために、偶然その路地に入ってきて当然戦闘員が
慌てたわけです。全く予期していなかったから。それでいきなりぶん殴った。

西岡 その人が、「何してるんだ」と言ったそうです。実はその男性の方は、京
子さんの失踪の3年くらい後に亡くなっているそうです。松本さんは直接その方
から話を聞いていないので、その家族からの伝聞なので少しそのやりとりが揺れ
てはいるんですが、少なくとも殴られて数針縫った。このことは家族としてよく
覚えているわけです。「しゃがんでいた人に殴られた」と。そして、「海側に逃
げていった」と。

 もう一つ、京子さんのサンダルの片方が、しゃがんでいたところから道に出た
ところに落ちていた。だからそこに京子さんがいたことは間違いない。

 さらに、袋には入っていなかった。男二人、女一人がしゃがんでいたわけで、
男二人と袋一つではなかったので見ることができた。だから袋に入れないでかつ
いで拉致することもあるんだなあと思います。さるぐつわは絶対されていたと思
います。さるぐつわをするプロセスですすり泣きのような声が聞こえたんじゃな
いかと思います。その後は声を出せないようにしてしゃがませられた。 そうで
なければ、目の前を人が通ったら「助けて!」と言いますよね。

 そこで色んな資料を見たら、蓮池祐木子さんは袋に入れられてないです。ガム
テープで口と目をぐるぐる巻きにされたと書いてあります。情勢に対しては少し
ゆるいんだなと。地村富貴江さんは、「展望台から浜に行き、浜で袋から出して
もらった」と言っています。

惠谷 富山の(未遂)事件では、アベックはひもで手足を縛られていたんですが、
「自分で足だけをほどいて、それで歩いていった」と。

西岡 しかしほどけるぐらいゆるかったわけですね。そこで現場から曽我ひとみ
さんに電話をして、「曽我さんは袋に入れられたけど、めぐみちゃんは袋に入れ
られていなかったと言ってなかったですか」と聞きました。

 当時の条件拉致は袋に入れられないパターンかなと思って聞いたんですが、さっ
き言ったように、「覚えていないんです」ということでそれは確認できなかった
んですが、若い女性を二人の男が海の近くで襲って連れていくというパターンは
同じです。

 京子さんがあの時間にここを通るというのは、月水金で調べれば分かるんです
が、京子さんは普通のOLで、教官としてふさわしい人物ではないので、やはり条
件拉致ではないかと思います。

◆「若い女性を連れてこい」と指示

惠谷 新潟の現場と米子の現場の地図がありますが、この1977年というのは
金正日が前年に工作機関を掌握して自分の流儀でやっていくことにした。そして
よく言われる「現地化教育」の教官拉致ということでした。

 この2つの事件は、その前に久米裕さんの人定(背乗り)拉致がありますが、
この2つの事件は恐らく、「若い女性を連れてこい」と指示したと思うんです。

 新潟では、現場から3km北東に新潟港があります。ここはご存知のように万景
峰号号がずっと行き来していました。そして米子は北西10kmの所に境港があり
ます。境港は、事件後ですが、1992年に元山と姉妹都市を結び、今は解消し
ています。いずれも非常に北朝鮮と関係の深く、北朝鮮の人が出入りし、調査す
ることが十分可能な位置にあることが共通しています。

 松本京子さんのサンダルが現場に残されていたということは、袋をかぶせられ
ていないということですから、めぐみちゃんも袋には入れられずにかつがれたの
ではないかと推測できます。

◆アベックを拉致する時は引き離すためゴムボート2隻

西岡 35年前の夏の拉致の方は、もう一つ特徴があって、二人襲われているん
ですが、別々に北に連れていかれています。お互いにお互いの存在が分からない
ように連れていかれています。蓮池さんも、地村さんも、曽我さんも、北に着い
た後、「もう一人は日本に返した」、「日本にいる」と言われています。そして
不安にさせる。不安にさせた後洗脳教育をする。

 その後、「結婚する気があるのか」と言われて、突然会わされる。すると北朝
鮮に感謝するという心理戦を、彼らは最初から計画していた。地村さんは二人で
いた時襲われ、浜に連れて行かれて富貴恵さんは袋から出されているんですが、
保志さんの存在は全く気づかなかった。

 従って、ゴムボートが2隻あったのではないか。だとすると3人の戦闘員と一
人の工作員と言いましたが、通常3人または2人で入ってきます。一人は組長で
す。そして組員がいます。

 組長は通常はゴムボートのところにいて、組員だけを工作員が案内してくるん
ですが、二人を拉致するというのは通常ではないやり方で、ゴムボートが2隻あっ
て、組長も上がってくる。北朝鮮の戦闘員は一人で一人を拉致できます。富貴恵
さんは、戦闘員一人と辛光洙(シン・ガンス)でした。辛はやさ男で、武闘派で
はないわけです。日本語がうまい。

惠谷 そうは言っても訓練は受けていますよ。

西岡 工作員は、拉致は戦闘員がやることで俺は上なんだという意識が強い。そ
して戦闘員は一人で一人を拉致できる。若い女性を一人という場合は、二人だけ
で来ることは十分ありえることです。工作員一人と戦闘員一人で、組長はゴムボー
トのところで待っていたのではないか。この方が通常のパターンです。

 次の年になって二人いっぺんにやれとなったので3人上がってきて、(在日の
案内人と)4人で行動した。ゴムボートは置きっぱなしで。あるいはゴムボート
はどこかに隠した。とにかく二人いたということが新潟の事件と共通している。
海岸まで近いことも共通しています。だからこれは条件拉致かなと思いました。

 そしてもう一つ。これは現場に行ってみて討論するから思うんですが、米子の
京子さんの事件では(殴られた人に)拉致の現場をみられています。犯人が目撃
されているわけです。それなのにその人を拉致しなかった。そこで遭遇が起きて
いるわけです。それなのに逃げようとした。殴っただけで。

 上陸した時に、何か見られて拉致して機密を隠せという命令はなかったのでは
ないか。寺越事件はちょっと違うのかなと思います。寺越事件の現場も行きまし
た。そのことは後で触れます。

 無線機を見られたくらいで拉致をするのであれば、拉致をしているところを見
られたのに逃げたというのは矛盾する。そのことも含めてめぐみさんの拉致は遭
遇拉致ではなく、条件拉致だと思います。当時は、「若い女性を連れてこい」と
いう命令があったと。

◆拉致した女性を工作員にする計画が

 富貴恵さんの証言として「産経新聞」が報道していますが、「当初は拉致した
女性を工作員にする計画があった」。富貴恵さんと田口八重子さんに、金正日政
治軍事大学に入らないかという話まであったそうです。女性がターゲットだった。

 それを考えてみると、確かにそうだと。海外の拉致で今明らかになっているの
は、アメリカ人留学生を除くとみんな女性なんです。タイも女性、マカオも女性、
レバノンもルーマニアも女性です。それから疑惑があるシンガポール、マレーシ
ア、ヨルダン、フランス、オランダ、イタリアも全部女性です。

 77、78年に、「外国人の女性を連れてこい」と。その女性を洗脳して本人
を工作員に使おうという最初の計画があったのかもしれない。しかし、これは金
賢姫も言っていますし、蓮池さんたちも言っていたと思いますが、「成人を拉致
しても洗脳できなかった」、「一度海外に出したら逃げたケースがあった」、
「それで教官に使うことになった」と。 これは安明進も言っていたと思います。

 つまり、レバノンの人が逃げたんです。そういうことも含め、当初は若い女性
だった。しかし、めぐみさんが精神のバランスを崩したりして一人ではだめだか
ら、後で結婚させられるように、アベックをという風に、1年経って変わったの
かなと思います。

 つまり、あの77、78年という時期は本当に特異な時期で、背乗りというの
は76年の金正日の現地化指令以前からあったわけですが、条件拉致というのは
かなり乱暴なやり方です。

 海岸近くにゴムボートを置いて、住宅地に隠れていて、通りがかりの女性をさ
らっていくということです。安明進も言っていましたし、何人かの工作員も言っ
ていましたが、「マグジャビ拉致」というのがこれだったのかなと思います。

 朝鮮語でマグジャビというのはむやみやたらにという意味です。「マグジャビ
で拉致をして、教官に使えない人も出てきたので、日本国内の組織に人定をさせ
るようになりました」と安明進は、政治軍事大学の教室で教官から聞いているん
です。

 マグジャビと田口さんの拉致は前後関係があるのではなく、並行して行われて
いますから、言われていることと一致はしませんが、多分77、78年にこのよ
うな形の条件拉致があったのかなと思います。

 そうするとこの時期にいなくなった若い女性がほかにいるのかです。家族が届
出していない人であっても、海岸でいなくなった人がいるのか。あるいは76年
の金正日の拉致指令以降行われた条件拉致はいつまで続いたのか、というのが問
題になります。それが当初申し上げた手口を分析するということです。

◆車は使っていない

惠谷 言い忘れましたが、新潟は白い車と言いましたが、米子では黒いクラウン
が事件前後に目撃されています。京子さんと二人が塀んところにしゃがんでいた
ことについて、お兄さんの孟さんは、「車を待っていたのではないか」と最初我
々に言われました。地元では黒いクラウンが一般的になっています。海岸までの
一直線の道は、道幅3mくらいです。そこにクラウンが止まると通行の邪魔にな
ります。

 地元の人は運転手に、「ちょっとどいてくれ」と言ったところ、素直にどいた
らしいですが、2日間止まっていたそうです。だから大きいクラウンがいたとい
うことは記憶に鮮明に残ると思います。

 そこことがあってお兄さんは我々に説明したんですが、では拉致の時間に車の
発進音があったのかということに関してはないんです。私はやはり、めぐみちゃ
んの時と同じように、隠れていた地点からかつがれて、一挙に走ったと思います。
戦闘員なら数分で海岸に到達できると思われます。そういう意味で、新潟の現場、
米子の現場は非常によく似ています。

西岡 それだけじゃなくて富山の現場、小浜の現場、柏崎の現場、吹上浜の現場
も共通していますね。

惠谷 海岸とは言え、めぐみちゃんの場合は内陸に向かって350m、米子は6
50mですが、翌年の拉致はもう目の前が海です。

西岡 小浜は展望台ですからちょっとは離れていますが。でも海岸にかついでい
ける距離でやっているという点では共通していますね。

惠谷 繰り返しますが、米子ではっきり分かったこと、前から報道はありました
が今回行って確認したことは、うずくまっていたところに、「お前ら何をしてい
るんだ」と声をかけた人がいた。するといきなり数針縫うほど殴られた。この目
撃者を拉致していないことです。

 つまり、秘密保持、証拠隠滅のために遭遇拉致があるのではないかというのが
当初の我々の仮説でした。そうなると、特定失踪者の中には遭遇拉致で連れてい
かれた人がいるのではないかと考えていたのですが、目撃者も拉致していないと
いうことは、漁船の寺越事件は別として、遭遇拉致はさほど多くないのではない
か。とにかく逃げるわけですから、拉致をしてわざわざ連れて行くのは少ないの
ではないか。

 そういうことを考えると、めぐみちゃんは決して、無線機を見られたから連れ
ていかれたということではなく、「若い娘を連れてこい」という指示に従って条
件拉致をした後、13歳の中学生だということが判明して、安明進も言っていま
すが、「目撃されたので証拠隠滅のために連れてきた」という言い訳を上部にし
たのではないか。あまりにも若すぎる人を連れてきた言い訳のために「見られた
ので連れてきた」と言ったのではないかと考えられます。

 通常、工作員は(人通りのある)こういうところで無線なんか使いません。だ
からめぐみちゃんが無線を見るような機会は絶対なかったと思います。同じ日、
同じ時刻の暗さも調べた結果、はっきりそう言えるようになったということです。

(4につづく)


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