中国大使館に中国人拉致被害者情報を伝達(2006/04/12)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2006.04.12-2)
■中国大使館に中国人拉致被害者情報を伝達
救う会では、4月10日にFAXで、また4月11日に郵送で、下記の中国人
拉致被害者情報を伝えました。現時点では大使館からの問合せはありませんが、
以下に伝達内容をご紹介いたします。
★中国人拉致被害者情報
在日中国大使館御中
平成18年4月11日
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 横田 滋
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 佐藤勝巳
私たちは北朝鮮に拉致された被害者を救出するために活動している民間団体、
家族会(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)、救う会(北朝鮮に拉致された日
本人を救出するための全国協議会)です。日本政府は折に触れ貴国政府に拉致問
題解決への協力を要請して参りましたが、ご承知の通り、2003年北朝鮮の
「指導者」金正日は自国が無辜の日本人を拉致し抑留続けていたことを認め、5
人の被害者を帰国させました。
帰国した拉致被害者とその家族の証言などによって、北朝鮮が世界各国から多
数の国民を拉致していたという驚くべき事実が明らかになってきました。私たち
家族会・救う会の調べでは6カ国(日本、韓国、中国、タイ、レバノン、ルーマ
ニア)について被害者の身元が確認されており、それ以外に6カ国(シンガポー
ル、マレーシア、ヨルダン、フランス、オランダ、イタリア)に関して複数の有
力証言があります。
その中には、貴国中華人民共和国国民もふくまれています。拉致は憎むべき国
家テロ・主権侵害であり、重大な人権侵害です。その立場から、私たちはこれま
で一貫してすべての拉致被害者の救出を要求し続け、韓国、タイ、レバノン、中
国の被害者家族とも様々な形で連繋して活動してきました。
特に、昨年12月から今年3月にかけて、私たちが積極的に調査活動を実施し
た結果、貴国国民の拉致被害に関する具体的情報が明らかになりました。中国人
被害者の一刻も早い救出を願い、貴国政府に私たちが持つ情報を提供させていた
だきます。特に、いま東京に北朝鮮の金桂寛外務次官と貴国の武大偉外務次官が
来ていらっしゃいますので、ぜひ中国人拉致被害者救出が貴国と北朝鮮との協議
で取り上げられるように願い、情報を提供いたします。
なお、直接大使館にお伺いして担当の方に面会して情報を提供させていただき
たいと、4月10日電話で連絡いたしましたが、私たちの大使館訪問を受けてい
ただけないようなお話でしたので残念ですが、電話に出られた大使館員のご指示
通りFAXでお伝えいたします。また、同じものを郵送しておきます。
中国人(マカオ在住)拉致被害者に関する情報
被害者氏名
孔令イン(貝二つの下に言)Hong Leng-ieng 1957年生まれ
蘇妙珍 So Mio-chun 1955年か1956年生まれ
拉致当時職業
2人ともマカオのHotel Lisboa宝石店店員
拉致日時、場所
1978年7月2日マカオで失踪
拉致発覚経緯
同じ日、マカオでマッサージガールのタイ人女性アノチャ・パンジョイさんも
失踪している。2005年帰国した拉致被害者曽我ひとみさんとその夫ジェンキ
ンズさんが、アノチャさんが北朝鮮に拉致されていることを詳しく証言した(資
料?)。
ジェンキンズさんは著書『告白』(2005年角川書店刊)の中で、アノチャ
さんから、マカオで拉致されたとき船の中に自分以外のアジア人女性が2人いた、
という証言を聞いている。
そこで、同じ日に失踪した孔さん、蘇さんも北朝鮮に拉致されている疑いが高
まった。
一方、1978年に香港から拉致され1986年にウィーンから脱出した韓国
人女優崔銀姫氏は、北朝鮮で抑留されていたとき隣の招待所に孔さんというマカ
オ女性が住んでいて親しくつきあっていたと、著書『闇からの谺』(1988年
池田書店刊、1989年文藝春秋文庫に収録)に書いていた。
家族会・救う会は2005年12月13日韓国を訪れ崔銀姫氏と面談した。崔銀
姫氏に孔令インさんの失踪前の写真を見せて確認を求めたところ、間違いなくこ
の女性だと話した。そこで崔氏が孔さんから聞いていた自身の身の上などに関す
る話を詳しく聞き取った(資料?)。
家族会・救う会は2006年1月13日マカオを訪れ、孔令インさんの家族と
面談した。崔氏から聞き取った身の上情報が孔令インさんのものと一致するかど
うか確認したところ、ほぼすべてが一致した(資料?)。
孔さん家族より要請を受け、家族会・救う会は2006年3月18日、ソウル
で孔さん家族と崔氏の面会をアレンジした(資料?)。
★付属資料
資料?曽我ひとみさんが知る外国人拉致被害者
増元照明・家族会事務局長と西岡力・救う会常任副会長が2005年5月28
日、佐渡市にて曽我ひとみさんに面会して聞き取った。
拉致被害タイ人女性
名前 アノーチャー(ジェンキンスさんの記憶する名前ではアノーチェ)
生年月日 曽我さんより2歳くらい上 8、9、10月生まれ
拉致経緯 1978年7月に日本で仕事があるといわれ、だまされて来たと本人
が曽我ひとみさんに話した。なお、ジェンキンスさんは著書の中で、マカオの路
上で襲われボートに乗せられ拉致された、と書いている。
出身 タイの農村出身 仕事のためマカオに来ていた。
家族 父のみ 母は死亡 兄が一人いる
80年 元米兵ラリー・アブシャ(LARRY ABSHIER)と結婚
平壌市勝湖地域立石里(平壌中心部から車で20分)の平屋で暮らす
曽我さん夫婦の平屋の近く 行き来ができた
83年7月10日 アブシャが病死 子どもはいない
84年12月 勝湖地域立岩里の2階立てアパート(2階に2世帯、1階に2世
帯)に引っ越す 2階に一人で住む
曽我一家も2階の隣に住む
89年 アノーチャーが立石里アパートから出ていく 行き先は不明
その後その部屋は空き屋
資料?マカオ女性孔さんについての崔銀姫証言記録(西岡力救う会常任副会長が
2005年12月13日、ソウルで聞き取り)
・1978年秋ころ 金剛山宿泊所玄関で目撃 もう一人のマカオ人女性と一緒
だった。
・1979年6月頃から9月20日 平壌・東北里招待所4号閣に住む孔さんと
しばしば会い話を交わした。崔は隣の招待所に住んでいた。
・1982年1月22日から3月8日 同上
・その後、工作員に中国語を教えているという話を聞いた。
・83年以降、申監督と再会し映画の仕事で忙しくなり、孔さんとは会っていな
い。
・ミス孔(コン)と呼んでおり、下の名前は知らない。
・カトリック信者、洗礼名マリア。82年近くの林の中に入り、落ち葉に胸まで
つかりながら、崔に洗礼を授けた。資格はないが「こういう場合は出来る」と言っ
ていたという。
・家族 母親と弟がマカオにいる。父親は中国本土の大学教授でマカオに逃げて
くるとき一緒に来られなかった。
・母親が針仕事をして生計を立てていた。
・高校時代にバレーボールの選手だった。
・高校を卒業後、大学に行きたかったが、弟を大学に進学させるため就職した。
・宝石店の店員をしつつ、副業として観光ガイドをしていた。
・20歳の夏、2人の自称日本人男性の案内をして海岸に行き、そこで初対面の
女性と一緒になった。2人ともボートに乗せられ海岸近くを回ったあと、沖に出
て無理矢理大きな船に乗せられ北朝鮮に連れてこられた。
・その女性は孔さんより10歳程度上に見えた。飲み屋で働いていたという。社
会経験が豊富なので北朝鮮に連れていかれてからも激しく抵抗した。孔さんは泣
いてばかりいた。拉致された直後、身の回りのものを買うために大使館街の外貨
ショップに連れていかれた。そのとき、インドネシア大使館に飛び込み助けを求
めたが、北朝鮮当局に引き渡された。その後、もう一人の女性とは別れた。
・孔さんからタイ人女性についてはまったく聞いていない。
・北朝鮮に連れていかれた後、胃の病気をした。子宮の手術もした。
・金正日の秘密宴会に出たことがある。金正日から良い結婚をさせてやると言わ
れたと言っていた。
・孔さんの家族が韓国まで来るならぜひ会いたい。孔さんを助けてあげたい。
資料?増元照明・家族会事務局長と西岡力・救う会常任副会長のマカオの拉致被
害者家族と面会記録
面会日時 2006年1月13日午後6時から8時頃まで
面会場所 マカオのホテル
拉致被害者 孔令イン(貝二つの下に言)Hong Leng-ieng 1957年生まれ
1978年7月2日マカオで失踪 マカオのホテル宝石店店員
同じ日、宝石店同僚ソー・ミオチュンと
タイ人女性アノーチャー・パンジョイも失踪
韓国人拉致被害者・崔銀姫が北朝鮮で孔さんに会ったと証言
面会した家族 弟と父親
面会概要
西岡が2005年12月13日、ソウルで聞き取った崔銀姫証言を伝達し、事実関
係を確認した。その結果、一緒に拉致された女性に関する情報だけが食い違うが
それ以外はほぼ完全に一致した。
お父さんと弟さんは「今日聞いた情報と、崔さんが本に書いていることを見る
と、姉は拉致されている可能性が高い」と話した。
弟さんは、「同じ被害者の弟同士として増元さんに会いたかった。気持ちは同
じだ。2人の姉が早く無事に帰ってくるように願う」と話した。
お父さんは「増元さんに心から同情する。西岡さんが貴重な情報をもたらして
くれたこと感謝する」と話す。
増元が日本の家族の救出運動について説明したが、2人は「助けたい気持ちは
同じだ。しかし、今のところ、静かにしていたい。記者会見のようなものはでき
ない。」という立場を表明。
増元の「北朝鮮にいる被害者の危険を心配しているからか」という質問に対し
ても、回答を避けた。
2人は、日本の家族会・救う会と今後も連絡を取りあいながら確認作業を続け
たいと表明された。
増元、西岡は、孔さんを含むすべての被害者を救出するために運動している、
今後日本と国際社会で孔さん拉致についても訴えていくことを約束した。
●崔銀姫証言と家族の話の一致点、相違点
・家族関係「母親と弟がマカオにいる。父親は中国本土の大学教授でマカオに逃
げてくるとき一緒に来られなかった」は完全に一致。
・母親の職業「針仕事」も一致
・父親の職業もほぼ一致 崔証言「大学教師」 実際「大卒で中学教師」
※ 崔は1988年に出版した著書の中では「父親は大陸で教鞭を執っている」と記述
・本人の宗教 カソリックも一致 「洗礼名マリア」は家族が記憶しておらず調
査することになった
・「高校時代にバレーボールの選手だった」は完全に一致、高校時代3年間バレー
ボールをしており、マカオ代表選手だった。
※この情報は崔の著書にはない。
・「高校を卒業後、大学に行きたかったが、弟を大学に進学させるため就職した」
は完全に一致、母親に自分が働いて弟を進学させたいと申し出たという。
・「宝石店店員」は完全に一致
・「副業として観光ガイドをしていた」はほぼ一致 副業としてドッグレースの
切符売りをしていた。失踪する1週間前に母親に、ある人から観光ガイドを頼ま
れ宝石店の同僚女性と一緒にいくだろうと話した。弟さんによると、観光ガイド
はそれが最初ではないかという。
・拉致されたときの年齢「20歳の夏」は完全に一致。
・一緒に拉致された女性の情報だけが食い違う。
崔証言「2人の自称日本人男性の案内をして海岸に行き、そこで初対面の女性と
一緒になった。その女性は孔さんより10歳程度上に見えた。飲み屋で働いてい
たという」
実際 同じ日、失踪したのは宝石店の同僚ソー・ミオチュンさん。
ソーさんは事件当時22歳。ソーさん家族と孔さん家族は事件前からつきあいが
あり、事件翌日連絡を取り合った。ソーさんが同じ日に失踪したことは間違いな
い。弟さんは崔証言に出てくる女性は、タイ人女性アノーチャー?・パンジョイ
さんではないかと推測。
資料?中国人拉致被害者家族と崔銀姫氏との面会記録
3月18日午後、救う会の斡旋により中国人拉致被害者家族が韓国ソウル市内
のホテルで崔銀姫氏と面会した。面会したのは、1978年7月2日マカオで失踪し
た孔令イン(貝二つの下に言)Hong Leng-iengさん(1957年生まれ)の家族、弟
と父親の二人。
面会には西岡副会長と島田洋一副会長が同席、通訳を勤めた。面会の様子は以
下のようだった。
まず、家族が崔さんに孔さんと北朝鮮で良い友人になってくれたことに対して
感謝の意を表明があり、お会いできてうれしいとの挨拶が両者からあった。その
後、孔さんの拉致される前の多数の写真を見て、崔さんが「間違いない」と断言
した。また、崔さんは「お父さんの顔が孔さんとそっくりだ」とも語った。
崔さんから、孔さんは自分に「父は中国本土で学校の先生をしており、母は針
仕事をしており、弟は学校に通っている」と伝えたが正しいかという確認の質問
があり、全部正しい、それ以外にも崔さんが伝えてくれた情報はすべて正しいと
の答えがあった。
1月の時点で明らかになっていない新事実が一つある。崔さんは西岡副会長に
孔さんの洗礼名が「マリア」であったと伝えたが、家族は孔さんがカソリックで
洗礼を受けていることは知っていたが、洗礼名は覚えていなかった。その後、家
族が孔さんが洗礼を受けた教会で調べたところ、洗礼名は「マリア」で間違いな
かった。つまり、家族さえ記憶していなかった孔さんの情報を崔さんが伝えたこ
とになり、拉致されたことは完全に間違いないといえる。
確認作業をする途中、弟さんはお姉さんである孔さんのことを思いだしたのか、
感極まって涙で言葉が出ない場面もあった。
崔さんは、「孔さんは必ず元気でおり、早く自由世界で家族と再会できるよう
に毎日お祈りしている」と話し、家族も「自分たちもそれを願っている。早く孔
さんと会いたい」と繰り返し答えていた。
その後、崔さんが家族に北朝鮮での孔さんの様子について伝えた。その中で西
岡が12月にソウルで聞くことが出来なかった部分を紹介する。
・孔さんから、朝鮮語を学び中国語を教えているという話を聞いた。誰に教えて
いるのかについては話が出なかったので分からない。
・孔さんも崔もストレスのため胃腸が悪くなり、昼食後消化のため散歩をしてい
た。そのとき、監視の目を盗んで2人で会った。孔さんが焼酎とするめを服の中
に隠して持ってきて大きな岩の陰に隠れて二人で酒を酌み交わしながら色々な話
をした。
・孔さんは金正日の秘密宴会に出たことがあり、そこで金正日から良い結婚をさ
せてやると言われた、と崔に話した。
崔さんは、「自分が1988年に手記を発表したとき、孔さんの家族に会いた
かった。そのとき、韓国の東亜日報記者がマカオまで取材に行ったが、孔さんの
家族は取材を拒否したので、会えなかった。なぜその時私と会おうとしなかった
か」という質問をした。孔さん家族からは、「そのとき、大韓機爆破事件、ラン
グーン爆弾テロ事件、崔銀姫さんたちの脱出事件などがあり雰囲気が良くなかっ
たので、記者には会ったが取材を拒否した。その後、半年後、崔さんに会いたい
と考え記者に連絡したが、うまくいかなかった」という答えがあった。
※小泉首相宛、はがき・メールを!(〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内
閣総理大臣 小泉純一郎殿、首相官邸のホームページ=
http://www.kantei.go.jp/の右下の「ご意見募集」欄を利用)
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
■中国大使館に中国人拉致被害者情報を伝達
救う会では、4月10日にFAXで、また4月11日に郵送で、下記の中国人
拉致被害者情報を伝えました。現時点では大使館からの問合せはありませんが、
以下に伝達内容をご紹介いたします。
★中国人拉致被害者情報
在日中国大使館御中
平成18年4月11日
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 横田 滋
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 佐藤勝巳
私たちは北朝鮮に拉致された被害者を救出するために活動している民間団体、
家族会(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会)、救う会(北朝鮮に拉致された日
本人を救出するための全国協議会)です。日本政府は折に触れ貴国政府に拉致問
題解決への協力を要請して参りましたが、ご承知の通り、2003年北朝鮮の
「指導者」金正日は自国が無辜の日本人を拉致し抑留続けていたことを認め、5
人の被害者を帰国させました。
帰国した拉致被害者とその家族の証言などによって、北朝鮮が世界各国から多
数の国民を拉致していたという驚くべき事実が明らかになってきました。私たち
家族会・救う会の調べでは6カ国(日本、韓国、中国、タイ、レバノン、ルーマ
ニア)について被害者の身元が確認されており、それ以外に6カ国(シンガポー
ル、マレーシア、ヨルダン、フランス、オランダ、イタリア)に関して複数の有
力証言があります。
その中には、貴国中華人民共和国国民もふくまれています。拉致は憎むべき国
家テロ・主権侵害であり、重大な人権侵害です。その立場から、私たちはこれま
で一貫してすべての拉致被害者の救出を要求し続け、韓国、タイ、レバノン、中
国の被害者家族とも様々な形で連繋して活動してきました。
特に、昨年12月から今年3月にかけて、私たちが積極的に調査活動を実施し
た結果、貴国国民の拉致被害に関する具体的情報が明らかになりました。中国人
被害者の一刻も早い救出を願い、貴国政府に私たちが持つ情報を提供させていた
だきます。特に、いま東京に北朝鮮の金桂寛外務次官と貴国の武大偉外務次官が
来ていらっしゃいますので、ぜひ中国人拉致被害者救出が貴国と北朝鮮との協議
で取り上げられるように願い、情報を提供いたします。
なお、直接大使館にお伺いして担当の方に面会して情報を提供させていただき
たいと、4月10日電話で連絡いたしましたが、私たちの大使館訪問を受けてい
ただけないようなお話でしたので残念ですが、電話に出られた大使館員のご指示
通りFAXでお伝えいたします。また、同じものを郵送しておきます。
中国人(マカオ在住)拉致被害者に関する情報
被害者氏名
孔令イン(貝二つの下に言)Hong Leng-ieng 1957年生まれ
蘇妙珍 So Mio-chun 1955年か1956年生まれ
拉致当時職業
2人ともマカオのHotel Lisboa宝石店店員
拉致日時、場所
1978年7月2日マカオで失踪
拉致発覚経緯
同じ日、マカオでマッサージガールのタイ人女性アノチャ・パンジョイさんも
失踪している。2005年帰国した拉致被害者曽我ひとみさんとその夫ジェンキ
ンズさんが、アノチャさんが北朝鮮に拉致されていることを詳しく証言した(資
料?)。
ジェンキンズさんは著書『告白』(2005年角川書店刊)の中で、アノチャ
さんから、マカオで拉致されたとき船の中に自分以外のアジア人女性が2人いた、
という証言を聞いている。
そこで、同じ日に失踪した孔さん、蘇さんも北朝鮮に拉致されている疑いが高
まった。
一方、1978年に香港から拉致され1986年にウィーンから脱出した韓国
人女優崔銀姫氏は、北朝鮮で抑留されていたとき隣の招待所に孔さんというマカ
オ女性が住んでいて親しくつきあっていたと、著書『闇からの谺』(1988年
池田書店刊、1989年文藝春秋文庫に収録)に書いていた。
家族会・救う会は2005年12月13日韓国を訪れ崔銀姫氏と面談した。崔銀
姫氏に孔令インさんの失踪前の写真を見せて確認を求めたところ、間違いなくこ
の女性だと話した。そこで崔氏が孔さんから聞いていた自身の身の上などに関す
る話を詳しく聞き取った(資料?)。
家族会・救う会は2006年1月13日マカオを訪れ、孔令インさんの家族と
面談した。崔氏から聞き取った身の上情報が孔令インさんのものと一致するかど
うか確認したところ、ほぼすべてが一致した(資料?)。
孔さん家族より要請を受け、家族会・救う会は2006年3月18日、ソウル
で孔さん家族と崔氏の面会をアレンジした(資料?)。
★付属資料
資料?曽我ひとみさんが知る外国人拉致被害者
増元照明・家族会事務局長と西岡力・救う会常任副会長が2005年5月28
日、佐渡市にて曽我ひとみさんに面会して聞き取った。
拉致被害タイ人女性
名前 アノーチャー(ジェンキンスさんの記憶する名前ではアノーチェ)
生年月日 曽我さんより2歳くらい上 8、9、10月生まれ
拉致経緯 1978年7月に日本で仕事があるといわれ、だまされて来たと本人
が曽我ひとみさんに話した。なお、ジェンキンスさんは著書の中で、マカオの路
上で襲われボートに乗せられ拉致された、と書いている。
出身 タイの農村出身 仕事のためマカオに来ていた。
家族 父のみ 母は死亡 兄が一人いる
80年 元米兵ラリー・アブシャ(LARRY ABSHIER)と結婚
平壌市勝湖地域立石里(平壌中心部から車で20分)の平屋で暮らす
曽我さん夫婦の平屋の近く 行き来ができた
83年7月10日 アブシャが病死 子どもはいない
84年12月 勝湖地域立岩里の2階立てアパート(2階に2世帯、1階に2世
帯)に引っ越す 2階に一人で住む
曽我一家も2階の隣に住む
89年 アノーチャーが立石里アパートから出ていく 行き先は不明
その後その部屋は空き屋
資料?マカオ女性孔さんについての崔銀姫証言記録(西岡力救う会常任副会長が
2005年12月13日、ソウルで聞き取り)
・1978年秋ころ 金剛山宿泊所玄関で目撃 もう一人のマカオ人女性と一緒
だった。
・1979年6月頃から9月20日 平壌・東北里招待所4号閣に住む孔さんと
しばしば会い話を交わした。崔は隣の招待所に住んでいた。
・1982年1月22日から3月8日 同上
・その後、工作員に中国語を教えているという話を聞いた。
・83年以降、申監督と再会し映画の仕事で忙しくなり、孔さんとは会っていな
い。
・ミス孔(コン)と呼んでおり、下の名前は知らない。
・カトリック信者、洗礼名マリア。82年近くの林の中に入り、落ち葉に胸まで
つかりながら、崔に洗礼を授けた。資格はないが「こういう場合は出来る」と言っ
ていたという。
・家族 母親と弟がマカオにいる。父親は中国本土の大学教授でマカオに逃げて
くるとき一緒に来られなかった。
・母親が針仕事をして生計を立てていた。
・高校時代にバレーボールの選手だった。
・高校を卒業後、大学に行きたかったが、弟を大学に進学させるため就職した。
・宝石店の店員をしつつ、副業として観光ガイドをしていた。
・20歳の夏、2人の自称日本人男性の案内をして海岸に行き、そこで初対面の
女性と一緒になった。2人ともボートに乗せられ海岸近くを回ったあと、沖に出
て無理矢理大きな船に乗せられ北朝鮮に連れてこられた。
・その女性は孔さんより10歳程度上に見えた。飲み屋で働いていたという。社
会経験が豊富なので北朝鮮に連れていかれてからも激しく抵抗した。孔さんは泣
いてばかりいた。拉致された直後、身の回りのものを買うために大使館街の外貨
ショップに連れていかれた。そのとき、インドネシア大使館に飛び込み助けを求
めたが、北朝鮮当局に引き渡された。その後、もう一人の女性とは別れた。
・孔さんからタイ人女性についてはまったく聞いていない。
・北朝鮮に連れていかれた後、胃の病気をした。子宮の手術もした。
・金正日の秘密宴会に出たことがある。金正日から良い結婚をさせてやると言わ
れたと言っていた。
・孔さんの家族が韓国まで来るならぜひ会いたい。孔さんを助けてあげたい。
資料?増元照明・家族会事務局長と西岡力・救う会常任副会長のマカオの拉致被
害者家族と面会記録
面会日時 2006年1月13日午後6時から8時頃まで
面会場所 マカオのホテル
拉致被害者 孔令イン(貝二つの下に言)Hong Leng-ieng 1957年生まれ
1978年7月2日マカオで失踪 マカオのホテル宝石店店員
同じ日、宝石店同僚ソー・ミオチュンと
タイ人女性アノーチャー・パンジョイも失踪
韓国人拉致被害者・崔銀姫が北朝鮮で孔さんに会ったと証言
面会した家族 弟と父親
面会概要
西岡が2005年12月13日、ソウルで聞き取った崔銀姫証言を伝達し、事実関
係を確認した。その結果、一緒に拉致された女性に関する情報だけが食い違うが
それ以外はほぼ完全に一致した。
お父さんと弟さんは「今日聞いた情報と、崔さんが本に書いていることを見る
と、姉は拉致されている可能性が高い」と話した。
弟さんは、「同じ被害者の弟同士として増元さんに会いたかった。気持ちは同
じだ。2人の姉が早く無事に帰ってくるように願う」と話した。
お父さんは「増元さんに心から同情する。西岡さんが貴重な情報をもたらして
くれたこと感謝する」と話す。
増元が日本の家族の救出運動について説明したが、2人は「助けたい気持ちは
同じだ。しかし、今のところ、静かにしていたい。記者会見のようなものはでき
ない。」という立場を表明。
増元の「北朝鮮にいる被害者の危険を心配しているからか」という質問に対し
ても、回答を避けた。
2人は、日本の家族会・救う会と今後も連絡を取りあいながら確認作業を続け
たいと表明された。
増元、西岡は、孔さんを含むすべての被害者を救出するために運動している、
今後日本と国際社会で孔さん拉致についても訴えていくことを約束した。
●崔銀姫証言と家族の話の一致点、相違点
・家族関係「母親と弟がマカオにいる。父親は中国本土の大学教授でマカオに逃
げてくるとき一緒に来られなかった」は完全に一致。
・母親の職業「針仕事」も一致
・父親の職業もほぼ一致 崔証言「大学教師」 実際「大卒で中学教師」
※ 崔は1988年に出版した著書の中では「父親は大陸で教鞭を執っている」と記述
・本人の宗教 カソリックも一致 「洗礼名マリア」は家族が記憶しておらず調
査することになった
・「高校時代にバレーボールの選手だった」は完全に一致、高校時代3年間バレー
ボールをしており、マカオ代表選手だった。
※この情報は崔の著書にはない。
・「高校を卒業後、大学に行きたかったが、弟を大学に進学させるため就職した」
は完全に一致、母親に自分が働いて弟を進学させたいと申し出たという。
・「宝石店店員」は完全に一致
・「副業として観光ガイドをしていた」はほぼ一致 副業としてドッグレースの
切符売りをしていた。失踪する1週間前に母親に、ある人から観光ガイドを頼ま
れ宝石店の同僚女性と一緒にいくだろうと話した。弟さんによると、観光ガイド
はそれが最初ではないかという。
・拉致されたときの年齢「20歳の夏」は完全に一致。
・一緒に拉致された女性の情報だけが食い違う。
崔証言「2人の自称日本人男性の案内をして海岸に行き、そこで初対面の女性と
一緒になった。その女性は孔さんより10歳程度上に見えた。飲み屋で働いてい
たという」
実際 同じ日、失踪したのは宝石店の同僚ソー・ミオチュンさん。
ソーさんは事件当時22歳。ソーさん家族と孔さん家族は事件前からつきあいが
あり、事件翌日連絡を取り合った。ソーさんが同じ日に失踪したことは間違いな
い。弟さんは崔証言に出てくる女性は、タイ人女性アノーチャー?・パンジョイ
さんではないかと推測。
資料?中国人拉致被害者家族と崔銀姫氏との面会記録
3月18日午後、救う会の斡旋により中国人拉致被害者家族が韓国ソウル市内
のホテルで崔銀姫氏と面会した。面会したのは、1978年7月2日マカオで失踪し
た孔令イン(貝二つの下に言)Hong Leng-iengさん(1957年生まれ)の家族、弟
と父親の二人。
面会には西岡副会長と島田洋一副会長が同席、通訳を勤めた。面会の様子は以
下のようだった。
まず、家族が崔さんに孔さんと北朝鮮で良い友人になってくれたことに対して
感謝の意を表明があり、お会いできてうれしいとの挨拶が両者からあった。その
後、孔さんの拉致される前の多数の写真を見て、崔さんが「間違いない」と断言
した。また、崔さんは「お父さんの顔が孔さんとそっくりだ」とも語った。
崔さんから、孔さんは自分に「父は中国本土で学校の先生をしており、母は針
仕事をしており、弟は学校に通っている」と伝えたが正しいかという確認の質問
があり、全部正しい、それ以外にも崔さんが伝えてくれた情報はすべて正しいと
の答えがあった。
1月の時点で明らかになっていない新事実が一つある。崔さんは西岡副会長に
孔さんの洗礼名が「マリア」であったと伝えたが、家族は孔さんがカソリックで
洗礼を受けていることは知っていたが、洗礼名は覚えていなかった。その後、家
族が孔さんが洗礼を受けた教会で調べたところ、洗礼名は「マリア」で間違いな
かった。つまり、家族さえ記憶していなかった孔さんの情報を崔さんが伝えたこ
とになり、拉致されたことは完全に間違いないといえる。
確認作業をする途中、弟さんはお姉さんである孔さんのことを思いだしたのか、
感極まって涙で言葉が出ない場面もあった。
崔さんは、「孔さんは必ず元気でおり、早く自由世界で家族と再会できるよう
に毎日お祈りしている」と話し、家族も「自分たちもそれを願っている。早く孔
さんと会いたい」と繰り返し答えていた。
その後、崔さんが家族に北朝鮮での孔さんの様子について伝えた。その中で西
岡が12月にソウルで聞くことが出来なかった部分を紹介する。
・孔さんから、朝鮮語を学び中国語を教えているという話を聞いた。誰に教えて
いるのかについては話が出なかったので分からない。
・孔さんも崔もストレスのため胃腸が悪くなり、昼食後消化のため散歩をしてい
た。そのとき、監視の目を盗んで2人で会った。孔さんが焼酎とするめを服の中
に隠して持ってきて大きな岩の陰に隠れて二人で酒を酌み交わしながら色々な話
をした。
・孔さんは金正日の秘密宴会に出たことがあり、そこで金正日から良い結婚をさ
せてやると言われた、と崔に話した。
崔さんは、「自分が1988年に手記を発表したとき、孔さんの家族に会いた
かった。そのとき、韓国の東亜日報記者がマカオまで取材に行ったが、孔さんの
家族は取材を拒否したので、会えなかった。なぜその時私と会おうとしなかった
か」という質問をした。孔さん家族からは、「そのとき、大韓機爆破事件、ラン
グーン爆弾テロ事件、崔銀姫さんたちの脱出事件などがあり雰囲気が良くなかっ
たので、記者には会ったが取材を拒否した。その後、半年後、崔さんに会いたい
と考え記者に連絡したが、うまくいかなかった」という答えがあった。
※小泉首相宛、はがき・メールを!(〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内
閣総理大臣 小泉純一郎殿、首相官邸のホームページ=
http://www.kantei.go.jp/の右下の「ご意見募集」欄を利用)
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救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
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