タイ人拉致問題にタイ政府も動き(2006/07/21)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2006.07.21-2)
救う会の連絡員でタイ人拉致被害者家族を現地で支援している「北朝鮮に拉致
された人々を救援する会チェンマイ(ARNKA)」の代表を務める海老原智治
さん(地元大学講師)から、最近のタイ政府の動き(出典=タイ外務省のホーム
ページ)、被害者家族の近況などが相次いで届いておりますので下記に紹介しま
す。
なお、タイの情報に着き直接メール受信したいかたは、
ARNKA までお申込みください。
また、同会がご家族の協力で作成した、アノーチャーさんの出生から拉致まで
の経歴を詳しくまとめた「アノーチャーさん個人史」(日本語版・英語版・タイ
語版)があります。ご希望の方にはメール添付ファイルで送るとのことです(無
料)。希望言語を指定の上、メールで申込んで下さい。
■タイ人拉致問題にタイ政府も動き
★拉致疑惑で北朝鮮大使に協力要請=タクシン首相
タイのタクシン首相は6月26日、タイ人女性が1970年代に北朝鮮によっ
て拉致された疑惑が浮上していることに関連し、同国のオ・ヨンソン駐タイ大使
に調査協力を要請した。
この疑惑は、日本人の拉致被害者、曽我ひとみさんの夫、ジェンキンスさんが
昨年、北朝鮮でタイ人女性を目撃したことで急浮上。この女性は1978年にマ
カオで行方不明になったチェンマイ出身のタイ人、アノーチャーさんである可能
性が指摘されている。
★カンタティー・タイ外相の訪米で7月11日に北朝鮮問題を協議
2,006年7月11日、タイのカンタティー・スパモンコン外相はアメリカ
のコンドリーザ・ライス国務長官、ゴードン・イングランド国防長官代理、その
他上下院議員と会談した。会談内容は米タイFTA交渉をはじめ多岐に渡ったが、
そのうち北朝鮮問題に関する内容を要約すると次の通りである。
「カンタティー外相はライス米国務長官との会談で、7月末に行なわれるアセ
アン地域フォーラム(ARF)について、同フォーラムがアセアン各国以外にも
北朝鮮問題6カ国協議に参加する各国も参加し、ライス国務長官を含む6カ国協
議よりもハイレベルの人員が出席することから、同フォーラムを北朝鮮問題を協
議する場とすることを提案し、ライス国務長官も賛成した。
ライス長官は、北朝鮮問題の解決のためにタイが果す役割に注視したいと述べ
た。これに対してカンタティー外相は、外相がARFの枠組み外で北朝鮮外相と
会談することを表明した。
カンタティー外相は、クリストファー.ボンド共和党上院議員、トーマス・ラ
ントス民主党下院議員・リサ・マクウォスキー共和党上院議員とも会談し、北朝
鮮・ミャンマー・イランの問題について幅広く協議した。これらの問題はいずれ
も、アメリカがタイへ解決への協力を要請している。」
★今日タイ人拉致被害者アノーチャー・パンジョイさんが52歳の誕生日。家族
がお寺で寄進式
今日2006年7月12日、タイ人拉致被害者アノーチャー・パンジョイさん
が52歳の誕生日を迎えました。誕生日を迎え、アノーチャーさんの実家を守る
実兄スカム・パンジョイさんと家族が、実家近くのノーンセ寺でアノーチャーさ
んの早期帰還を願う寄進式を行ないました。
アノーチャーさんは78年に北朝鮮に拉致されたため、今日でかの地で28回
目の誕生日を迎えたことになります。
誕生日に当たり、実兄スカムさんは本会に心境を以下のように吐露しました。
「アノーチャーがいなくなって長い月日がたって、周囲の人はみな亡くなった、
亡くなったといい始めた。
何年たっても何の連絡も手がかりもなかったため、私たち家族もそう思う気持
ちが強くなって、これまで誕生日の寄進もせずに、ただ仏日やタイ正月に行なう
通常の寄進を、これが妹への寄進でもあると思って行っていた。要するに、私た
ち家族も亡くなったも同然と考えていたのだ。 しかし、昨年11月に突然妹の
消息が知れ、78年に北朝鮮に拉致されて現在もあちらにいるらしいということ
が詳しく分かった。拉致ということで驚き悲しんだが、消息が分かったことはう
れしかった。
だから、今年は一刻も早く妹が帰ってくることを願って、妹の誕生日にお寺で
寄進を行なうことにした。家族みんなが妹を想っている。早く帰ってきてほしい。」
アノーチャーさんの経歴を簡単に振り返ると次の通りです。
1954年7月12日に北部タイのチェンマイ県サンカンペーン郡ファイサー
イ村で出生し、19歳(1973)でバンコクに仕事に行きました。そして、1
978年5月21日または7月2日(24歳)に出稼ぎ先のマカオから北朝鮮に
拉致されました(拉致の正確な日付はいずれか未確定)。
拉致後の北朝鮮での消息は、1989年までジェンキンスさん・曽我さんの近
所で過ごしたことから、89年まではジェンキンスさんが北朝鮮での経験を綴っ
た著書『告白』の記述や証言から詳しく分かっています。
しかし89年に北朝鮮当局によって「在北朝鮮のドイツ人ビジネスマン」と再
婚することになり(北朝鮮で78年に結婚した元アメリカ兵の先夫ラリー・アブ
シャー氏は83年に死去)、当局によりどこかに転居させられたということです。
転居以降の目撃証言はなく消息は明確ではありませんが、2003年にジェン
キンスさんが日本に移る直前、北朝鮮当局より「日本に行かず北朝鮮に留まれば
アノーチャーと一緒にさせる」と言われたということです。そのため、少なくと
も2003年まで、そして恐らく現在も北朝鮮国内にいる可能性が高いと考えら
れます。
※小泉首相宛、はがき・メールを!(〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内
閣総理大臣 小泉純一郎殿、首相官邸のホームページ=
http://www.kantei.go.jp/の右下の「ご意見募集」欄を利用)
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救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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救う会の連絡員でタイ人拉致被害者家族を現地で支援している「北朝鮮に拉致
された人々を救援する会チェンマイ(ARNKA)」の代表を務める海老原智治
さん(地元大学講師)から、最近のタイ政府の動き(出典=タイ外務省のホーム
ページ)、被害者家族の近況などが相次いで届いておりますので下記に紹介しま
す。
なお、タイの情報に着き直接メール受信したいかたは、
ARNKA までお申込みください。
また、同会がご家族の協力で作成した、アノーチャーさんの出生から拉致まで
の経歴を詳しくまとめた「アノーチャーさん個人史」(日本語版・英語版・タイ
語版)があります。ご希望の方にはメール添付ファイルで送るとのことです(無
料)。希望言語を指定の上、メールで申込んで下さい。
■タイ人拉致問題にタイ政府も動き
★拉致疑惑で北朝鮮大使に協力要請=タクシン首相
タイのタクシン首相は6月26日、タイ人女性が1970年代に北朝鮮によっ
て拉致された疑惑が浮上していることに関連し、同国のオ・ヨンソン駐タイ大使
に調査協力を要請した。
この疑惑は、日本人の拉致被害者、曽我ひとみさんの夫、ジェンキンスさんが
昨年、北朝鮮でタイ人女性を目撃したことで急浮上。この女性は1978年にマ
カオで行方不明になったチェンマイ出身のタイ人、アノーチャーさんである可能
性が指摘されている。
★カンタティー・タイ外相の訪米で7月11日に北朝鮮問題を協議
2,006年7月11日、タイのカンタティー・スパモンコン外相はアメリカ
のコンドリーザ・ライス国務長官、ゴードン・イングランド国防長官代理、その
他上下院議員と会談した。会談内容は米タイFTA交渉をはじめ多岐に渡ったが、
そのうち北朝鮮問題に関する内容を要約すると次の通りである。
「カンタティー外相はライス米国務長官との会談で、7月末に行なわれるアセ
アン地域フォーラム(ARF)について、同フォーラムがアセアン各国以外にも
北朝鮮問題6カ国協議に参加する各国も参加し、ライス国務長官を含む6カ国協
議よりもハイレベルの人員が出席することから、同フォーラムを北朝鮮問題を協
議する場とすることを提案し、ライス国務長官も賛成した。
ライス長官は、北朝鮮問題の解決のためにタイが果す役割に注視したいと述べ
た。これに対してカンタティー外相は、外相がARFの枠組み外で北朝鮮外相と
会談することを表明した。
カンタティー外相は、クリストファー.ボンド共和党上院議員、トーマス・ラ
ントス民主党下院議員・リサ・マクウォスキー共和党上院議員とも会談し、北朝
鮮・ミャンマー・イランの問題について幅広く協議した。これらの問題はいずれ
も、アメリカがタイへ解決への協力を要請している。」
★今日タイ人拉致被害者アノーチャー・パンジョイさんが52歳の誕生日。家族
がお寺で寄進式
今日2006年7月12日、タイ人拉致被害者アノーチャー・パンジョイさん
が52歳の誕生日を迎えました。誕生日を迎え、アノーチャーさんの実家を守る
実兄スカム・パンジョイさんと家族が、実家近くのノーンセ寺でアノーチャーさ
んの早期帰還を願う寄進式を行ないました。
アノーチャーさんは78年に北朝鮮に拉致されたため、今日でかの地で28回
目の誕生日を迎えたことになります。
誕生日に当たり、実兄スカムさんは本会に心境を以下のように吐露しました。
「アノーチャーがいなくなって長い月日がたって、周囲の人はみな亡くなった、
亡くなったといい始めた。
何年たっても何の連絡も手がかりもなかったため、私たち家族もそう思う気持
ちが強くなって、これまで誕生日の寄進もせずに、ただ仏日やタイ正月に行なう
通常の寄進を、これが妹への寄進でもあると思って行っていた。要するに、私た
ち家族も亡くなったも同然と考えていたのだ。 しかし、昨年11月に突然妹の
消息が知れ、78年に北朝鮮に拉致されて現在もあちらにいるらしいということ
が詳しく分かった。拉致ということで驚き悲しんだが、消息が分かったことはう
れしかった。
だから、今年は一刻も早く妹が帰ってくることを願って、妹の誕生日にお寺で
寄進を行なうことにした。家族みんなが妹を想っている。早く帰ってきてほしい。」
アノーチャーさんの経歴を簡単に振り返ると次の通りです。
1954年7月12日に北部タイのチェンマイ県サンカンペーン郡ファイサー
イ村で出生し、19歳(1973)でバンコクに仕事に行きました。そして、1
978年5月21日または7月2日(24歳)に出稼ぎ先のマカオから北朝鮮に
拉致されました(拉致の正確な日付はいずれか未確定)。
拉致後の北朝鮮での消息は、1989年までジェンキンスさん・曽我さんの近
所で過ごしたことから、89年まではジェンキンスさんが北朝鮮での経験を綴っ
た著書『告白』の記述や証言から詳しく分かっています。
しかし89年に北朝鮮当局によって「在北朝鮮のドイツ人ビジネスマン」と再
婚することになり(北朝鮮で78年に結婚した元アメリカ兵の先夫ラリー・アブ
シャー氏は83年に死去)、当局によりどこかに転居させられたということです。
転居以降の目撃証言はなく消息は明確ではありませんが、2003年にジェン
キンスさんが日本に移る直前、北朝鮮当局より「日本に行かず北朝鮮に留まれば
アノーチャーと一緒にさせる」と言われたということです。そのため、少なくと
も2003年まで、そして恐らく現在も北朝鮮国内にいる可能性が高いと考えら
れます。
※小泉首相宛、はがき・メールを!(〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内
閣総理大臣 小泉純一郎殿、首相官邸のホームページ=
http://www.kantei.go.jp/の右下の「ご意見募集」欄を利用)
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TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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