中国人(マカオ在住)拉致被害者に関する情報(2006/09/02)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2006.09.02)
家族会・救う会訪中団は8月30日帰国した。
訪中団が持参していた中国人拉致に関する情報を本メールで公開する。
■ 中国人(マカオ在住)拉致被害者に関する情報
被害者氏名
孔令イン(貝二つの下に言)Hong Leng-ieng 1957年生まれ
蘇妙珍 So Mio-chun 1955年か1956年生まれ
拉致当時職業
2人ともマカオのHotel Lisboa宝石店店員
拉致日時、場所
1978年7月2日マカオで失踪
拉致発覚経緯
同じ日、マカオでマッサージガールのタイ人女性アノチャ・パンジョイさんも失踪
している。2005年帰国した拉致被害者曽我ひとみさんとその夫ジェンキンズさん
が、アノチャさんが北朝鮮に拉致されていることを詳しく証言した(資料1)。
ジェンキンズさんは著書『告白』(2005年角川書店刊)の中で、アノチャさん
から、マカオで拉致されたとき船の中に自分以外のアジア人女性が2人いた、という
証言を聞いている。
そこで、同じ日に失踪した孔さん、蘇さんも北朝鮮に拉致されている疑いが高まっ
た。
一方、1978年に香港から拉致され1986年にウィーンから脱出した韓国人女
優崔銀姫氏は、北朝鮮で抑留されていたとき隣に招待所に孔さんというマカオ女性が
住んでいて親しくつきあっていたと、著書『闇からの谺』(1988年池田書店刊、
1989年文藝春秋文庫に収録)に書いていた。
家族会・救う会は2005年12月13日韓国を訪れ崔銀姫氏と面談した。崔銀姫氏
に孔令インさんの失踪前の写真を見せて確認を求めたところ、間違いなくこの女性だ
と話した。そこで崔氏が孔さんから聞いていた自身の身の上などに関する話を詳しく
聞き取った(資料?)。
家族会・救う会は2006年1月13日マカオを訪れ、孔令インさんの家族と面談
した。崔氏から聞き取った身の上情報が孔令インさんのものと一致するかどうか確認
したところ、ほぼすべてが一致した(資料2)。
孔さん家族より要請を受け、家族会・救う会は2006年3月18日、ソウルで孔
さん家族と崔氏の面会をアレンジした(資料2)。
以上
資料1 曽我ひとみさんが知る外国人拉致被害者3人
増元照明・家族会事務局長と西岡力・救う会常任副会長が2005年5月28日、
佐渡市にて曽我ひとみさんに面会して聞き取った
拉致被害タイ人女性
名前 アノチャ(ジェンキンスさんの記憶する名前ではアノーチェ)
生年月日 曽我さんより2歳くらい上 8、9、10月生まれ
拉致経緯 1978年7月に日本で仕事があるといわれ、だまされて来たと本人が曽
我ひとみさんに話した。なお、ジェンキンスさんは著書の中で、マカオの路上で襲わ
れボートに乗せられ拉致された、と書いている。
出身 タイの農村出身 仕事のためマカオに来ていた。
家族 父のみ 母は死亡 兄が一人いる
80年 元米兵ラリー・アブシャ(LARRY ABSHIER)と結婚
平壌市勝湖地域立石里(平壌中心部から車で20分)の平屋で暮らす
曽我さん夫婦の平屋の近く 行き来ができた
83年7月10日 アブシャが病死 子どもはいない
84年12月 勝湖地域立岩里の2階立てアパート(2階に2世帯、1階に2世帯)
に引っ越す 2階に一人で住む
曽我一家も2階の隣に住む
89年 アノチャが立石里アパートから出ていく 行き先は不明
その後その部屋は空き屋
資料2 マカオ女性孔さんについての崔銀姫証言記録(西岡力救う会常任副会長が2005
年12月13日、ソウルで聞き取り)
・1978年秋ころ 金剛山宿泊所玄関で目撃 もう一人のマカオ人女性と一緒だっ
た。
・1979年6月頃から9月20日 平壌・東北里招待所4号閣に住む孔さんとしば
しば会い話を交わした。崔は隣の招待所に住んでいた。
・1982年1月22日から3月8日 同上
・その後、工作員に中国語を教えているという話を聞いた。
・83年以降、申監督と再会し映画の仕事で忙しくなり、孔さんとは会っていない。
・ミス孔(コン)と呼んでおり、下の名前は知らない。
・カトリック信者、洗礼名マリア。82年近くの林の中に入り、落ち葉に胸までつか
りながら、崔に洗礼を授けた。資格はないが「こういう場合は出来る」と言っていた
という。
・家族 母親と弟がマカオにいる。父親は中国本土の大学教授でマカオに逃げてくる
とき一緒に来られなかった。
・母親が針仕事をして生計を立てていた。
・高校時代にバレーボールの選手だった。
・高校を卒業後、大学に行きたかったが、弟を大学に進学させるため就職した。
・宝石店の店員をしつつ、副業として観光ガイドをしていた。
・20歳の夏、2人の自称日本人男性の案内をして海岸に行き、そこで初対面の女性
と一緒になった。2人ともボートに乗せられ海岸近くを回ったあと、沖に出て無理矢
理大きな船に乗せられ北朝鮮に連れてこられた。
・その女性は孔さんより10歳程度上に見えた。飲み屋で働いていたという。社会経
験が豊富なので北朝鮮に連れていかれてからも激しく抵抗した。孔さんは泣いてばか
りいた。拉致された直後、身の回りのものを買うために大使館街の外貨ショップに連
れていかれた。そのとき、インドネシア大使館に飛び込み助けを求めたが、北朝鮮当
局に引き渡された。その後、もう一人の女性とは別れた。
・孔さんからタイ人女性についてはまったく聞いていない。
・北朝鮮に連れていかれた後、胃の病気をした。子宮の手術もした。
・金正日の秘密宴会に出たことがある。金正日から良い結婚をさせてやると言われた
と言っていた。
・孔さんの家族が韓国まで来るならぜひ会いたい。孔さんを助けてあげたい。
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救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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家族会・救う会訪中団は8月30日帰国した。
訪中団が持参していた中国人拉致に関する情報を本メールで公開する。
■ 中国人(マカオ在住)拉致被害者に関する情報
被害者氏名
孔令イン(貝二つの下に言)Hong Leng-ieng 1957年生まれ
蘇妙珍 So Mio-chun 1955年か1956年生まれ
拉致当時職業
2人ともマカオのHotel Lisboa宝石店店員
拉致日時、場所
1978年7月2日マカオで失踪
拉致発覚経緯
同じ日、マカオでマッサージガールのタイ人女性アノチャ・パンジョイさんも失踪
している。2005年帰国した拉致被害者曽我ひとみさんとその夫ジェンキンズさん
が、アノチャさんが北朝鮮に拉致されていることを詳しく証言した(資料1)。
ジェンキンズさんは著書『告白』(2005年角川書店刊)の中で、アノチャさん
から、マカオで拉致されたとき船の中に自分以外のアジア人女性が2人いた、という
証言を聞いている。
そこで、同じ日に失踪した孔さん、蘇さんも北朝鮮に拉致されている疑いが高まっ
た。
一方、1978年に香港から拉致され1986年にウィーンから脱出した韓国人女
優崔銀姫氏は、北朝鮮で抑留されていたとき隣に招待所に孔さんというマカオ女性が
住んでいて親しくつきあっていたと、著書『闇からの谺』(1988年池田書店刊、
1989年文藝春秋文庫に収録)に書いていた。
家族会・救う会は2005年12月13日韓国を訪れ崔銀姫氏と面談した。崔銀姫氏
に孔令インさんの失踪前の写真を見せて確認を求めたところ、間違いなくこの女性だ
と話した。そこで崔氏が孔さんから聞いていた自身の身の上などに関する話を詳しく
聞き取った(資料?)。
家族会・救う会は2006年1月13日マカオを訪れ、孔令インさんの家族と面談
した。崔氏から聞き取った身の上情報が孔令インさんのものと一致するかどうか確認
したところ、ほぼすべてが一致した(資料2)。
孔さん家族より要請を受け、家族会・救う会は2006年3月18日、ソウルで孔
さん家族と崔氏の面会をアレンジした(資料2)。
以上
資料1 曽我ひとみさんが知る外国人拉致被害者3人
増元照明・家族会事務局長と西岡力・救う会常任副会長が2005年5月28日、
佐渡市にて曽我ひとみさんに面会して聞き取った
拉致被害タイ人女性
名前 アノチャ(ジェンキンスさんの記憶する名前ではアノーチェ)
生年月日 曽我さんより2歳くらい上 8、9、10月生まれ
拉致経緯 1978年7月に日本で仕事があるといわれ、だまされて来たと本人が曽
我ひとみさんに話した。なお、ジェンキンスさんは著書の中で、マカオの路上で襲わ
れボートに乗せられ拉致された、と書いている。
出身 タイの農村出身 仕事のためマカオに来ていた。
家族 父のみ 母は死亡 兄が一人いる
80年 元米兵ラリー・アブシャ(LARRY ABSHIER)と結婚
平壌市勝湖地域立石里(平壌中心部から車で20分)の平屋で暮らす
曽我さん夫婦の平屋の近く 行き来ができた
83年7月10日 アブシャが病死 子どもはいない
84年12月 勝湖地域立岩里の2階立てアパート(2階に2世帯、1階に2世帯)
に引っ越す 2階に一人で住む
曽我一家も2階の隣に住む
89年 アノチャが立石里アパートから出ていく 行き先は不明
その後その部屋は空き屋
資料2 マカオ女性孔さんについての崔銀姫証言記録(西岡力救う会常任副会長が2005
年12月13日、ソウルで聞き取り)
・1978年秋ころ 金剛山宿泊所玄関で目撃 もう一人のマカオ人女性と一緒だっ
た。
・1979年6月頃から9月20日 平壌・東北里招待所4号閣に住む孔さんとしば
しば会い話を交わした。崔は隣の招待所に住んでいた。
・1982年1月22日から3月8日 同上
・その後、工作員に中国語を教えているという話を聞いた。
・83年以降、申監督と再会し映画の仕事で忙しくなり、孔さんとは会っていない。
・ミス孔(コン)と呼んでおり、下の名前は知らない。
・カトリック信者、洗礼名マリア。82年近くの林の中に入り、落ち葉に胸までつか
りながら、崔に洗礼を授けた。資格はないが「こういう場合は出来る」と言っていた
という。
・家族 母親と弟がマカオにいる。父親は中国本土の大学教授でマカオに逃げてくる
とき一緒に来られなかった。
・母親が針仕事をして生計を立てていた。
・高校時代にバレーボールの選手だった。
・高校を卒業後、大学に行きたかったが、弟を大学に進学させるため就職した。
・宝石店の店員をしつつ、副業として観光ガイドをしていた。
・20歳の夏、2人の自称日本人男性の案内をして海岸に行き、そこで初対面の女性
と一緒になった。2人ともボートに乗せられ海岸近くを回ったあと、沖に出て無理矢
理大きな船に乗せられ北朝鮮に連れてこられた。
・その女性は孔さんより10歳程度上に見えた。飲み屋で働いていたという。社会経
験が豊富なので北朝鮮に連れていかれてからも激しく抵抗した。孔さんは泣いてばか
りいた。拉致された直後、身の回りのものを買うために大使館街の外貨ショップに連
れていかれた。そのとき、インドネシア大使館に飛び込み助けを求めたが、北朝鮮当
局に引き渡された。その後、もう一人の女性とは別れた。
・孔さんからタイ人女性についてはまったく聞いていない。
・北朝鮮に連れていかれた後、胃の病気をした。子宮の手術もした。
・金正日の秘密宴会に出たことがある。金正日から良い結婚をさせてやると言われた
と言っていた。
・孔さんの家族が韓国まで来るならぜひ会いたい。孔さんを助けてあげたい。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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