救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

最終決戦のとき、不退転の決意で全員救出を!国民大集会報告6(2015/05/08)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2015.05.08-2)

■最終決戦のとき、不退転の決意で全員救出を!国民大集会報告


◆拉致されて数十年、どうして取り戻せないのか

平野フミ子(増元るみ子姉)

 みなさんこんにちは。

 とうちゃーん。そこに坐ってるんでしょ。まだるみ子は帰っていないんだよ。
ごめんね。

 上の方の席が少し空いています。その席には多分、父の魂、そして家族に会え
なくて逝った家族、親世代、そして草創期から頑張ってくださった救う会の人た
ちが。つい最近は救う会福岡の辻さんが亡くなられました。本当に草創期から一
生懸命しておられました。そして新潟の馬場吉衛先生、埼玉の古藤さん。そして
特定失踪者のご家族も亡くなっていらっしゃいます。その方々の席だと思います。

 空席になっていたので私は寂しいなあと思っていたんですが、でもその魂が座っ
ていると思ったら、心強く感じました。

 とうちゃん、待っててね。ここにたくさんの心ある人たちがまだまだ私たちを
支えてくださっております。本当にありがとうございます。

 5人が帰っていらして、もう12年経ちました。家の父は、その2日後に亡く
なりましたから丸12年経ってしまいました。

 そしてその後、中山恭子さんだったと思います。普通にお話しさせていただい
たことがあります。私の妹るみ子は、他の拉致被害者は、どうなるんだろうか。
中国残留孤児みたいに、50年も、60年も経ってから帰ってくるんでしょうか。
もうそこに家族はいなかったということにならないだろうかと私はつぶやいたこ
とがあります。本当にその時の気持ちです。

 でもあれから12年経ってしまいます。拉致被害から38年経ちます。本当に
40年。最初の拉致からすれば50年、60年経っているんです。本当にどうし
て取り戻せないんでしょうか。不思議で、不思議で、しかたがありません。

 本当に国会議員の先生たちが、自分の子どもが、孫がこのようになったらとい
う強い気持ちを持って北朝鮮に戦いを挑んでいただきたい。そのように考えます
(拍手)。

 最後に一言。安倍総理。もう飛行機の中でしょうか。どうぞお願いですから横
田夫妻、有本夫妻の期待を裏切らないでください。本当に信じて、信じて、信じ
ているんです。どうぞお願いいたします。

 どうぞ横田夫妻、有本夫妻にめぐみちゃん、恵子さん、そして私の母にもるみ
子を抱かせてください。お願いします。今日は本当にありがとうございました
(拍手)。

◆天国の父母も見守っている

斉藤文代(松木薫さん姉)

 みなさん今日はたくさん集まっていただき感謝申し上げます。

 本当に悲しいことばかり続いています。1980年に弟がスペインのマドリッ
ドから拉致されましたが、あまり大昔のことは考えないようにいつも自分に言い
聞かせていますが、なぜか今日は珍しく古屋大臣とお会いすることができました。
母が亡くなる1年前に母の病院に顔を見せていただき、母の顔を見て、「斉藤さ
ん、お母さんはまだ目が光っているから絶対まだ大丈夫」と言われました。

 母も、しっかりと古屋大臣の顔を見ておりましたので、私もまだまだ頑張って
くれるなと思っていたんですが、その1年後、大臣が来られた1日前に息を引き
取りました。でも最後まで私と主人と薫の話もしましたし、帰ってきたらどう報
告するかなということで、「お母さんはもうお父さんのところに行っていいよ」、
「もう頑張らなくていいんだから」ということをしっかりと母に伝えました。

 そしたら母は、涙をぽろっと流して目をつむりました。それを私は見届けまし
たので、お母さんには薫に会わせてやれなくて申し訳なかったなと思ったんです
が、今度は私も、私たちの兄弟が会えるということで頑張らなければいけないな
あと思いました。

 母を21年介護してきましたが、今度は私の方が気が緩んだのか分かりません
が、ちょっと病気になりました。これに負けないように、私もなんとしてでも薫
に会ってから、という気持ちで日々を送っています。

 薫も向こうで絶対にお姉さんと会うんだ、家族と会うんだという気持ちで頑張っ
てくれていると思っています。言葉は少ないのですが、精神はしっかりした子で
したから、頑張っているとは思います。

 2002年と2004年に骨を出されましたが、私は全く信じていませんし、
お墓にも持って帰りませんでした。それは父に対しても親孝行ができたと思って
います。

 母が亡くなった時に、こういう話は自分の胸だけに入れておこうと思ったんで
すが、非常に長い付き合いの住職さんでしたから、後でお父さんのところにお母
さんを入れてあげますからと。「やっとこれでお父さんとお母さんが一緒になっ
て天国であなたたちを見守ってくれるし、薫さんも必ず帰ってくるから」とおっ
しゃっていただきました。

 私はそれを信じて、また日本政府の方針を信じて待っていたいという気持ちで
日々を送っています。色々な病気を持っていますから、病院の先生からもあまり
考え事はしないようにということを伝えられていますので、昔のことは考えない
ようにと自分でも思ってはいたんですが、今日はふとなつかしい方とお会いして、
また薫が帰ってくる日まで頑張って、皆様方のご協力もお願いしながら頑張りた
いと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします。ありがとうございます(拍
手)。

◆弟を拉致したよど号犯に「あなたがたは何人ですか」と言いたい

松木信宏(松木薫さん弟)

 お世話になっています。先ほど姉が母親の話をしましたが、ああいう話をされ
た後はどうしてもちょっと強いことがいいにくくなります。

 母は会場にきているのか、はたまた一足先に北朝鮮に行って、兄の傍で枕元に
立っているのか分かりませんが、本当に兄のことを人一倍かわいがってくれてい
た母親です。

 その兄を連れ去ったよど号犯の妻たち。今は文明の利器でツイッターというつ
ぶやきを載せるものがあります。そこで、「自分たちは拉致などしていない。北
朝鮮の調査委員会の聴取を受けたので、それで明らかになるだろう」とそういう
ことを言っております。

 「あなたがたは何人ですか」とまず私は言いたいと思います。「あなた方は日
本人だと言っているはずなのに、なぜ北朝鮮の調査委員会にこのことを話さなけ
ればいけないのか。話す相手は日本の警察だけだ」と。私はそのように思ってい
ます(拍手)。

 また、かわいそうなことにつぶやきをするわけです。そうすると、「あなた方
は帰ってこなくていい」等、ほとんど憐みの言葉はないです。「君らは日本に必
要ない」と書かれています。

 しかし彼らは、それが自分たちの励ましと思っているみたいです。何とも幸せ
な人間たちです。そういう人間だから、あの北朝鮮で精神もこわれることなく、
長い間暮らしていけたんだろうと私は確信しています。

 しかしそうは言っても、彼らは先ほども有本のお父さんが言われましたように、
どういう思考回路の持ち主であろうが、実行犯であることは間違いないので、そ
の内日本に帰ってくることになろうかとも思います。その時は是非、日本の警察
にビシバシとやっていただきたいと思います(拍手)。今後とも宜しくお願いい
たします(拍手)。

◆日本の政府のどこかに弱腰がある

松本 孟(松本京子さん兄)

 みなさんこんにちは。大勢の方がお見えになり、本当にありがとうございます。

 私の妹がいなくなって39年が経ちます。過ぎた日は帰ってきませんが、妹が
一日も早く帰れるように私も一生懸命やってきました。しかし、残念なことに、
未だに帰ってきません。

 私たちは何も無理なことを言っているわけではないんです。日本から勝手に北
朝鮮に連れていって、未だに返さない。だから「妹を返せ」と言っているだけな
んです。当たり前のことだと思います。

 自分の家族が連れていかれていなくなった。それでいいという家族はいないと
思います。「返せ!」と言っているだけのことなんです。脅しているわけでもな
い。当たり前のことを言っているだけ。その当たり前のことがどうしてできない
のか。

 それは日本の政府のどこかに弱腰があるからでしょう。もっと強く言えないの
か。何も北朝鮮の人をいじめるわけではないんです。

 この39年間の苦しみというのは、北朝鮮の人に分かるでしょうか。連れ去ら
れた家族の苦しみを一日でも早くいやしたい。それだけのことです。そして大勢
の日本の人たちが怒っている。そのことを北朝鮮の方に、身に沁みて分かってい
ただきたいと思います。ありがとうございました(拍手)。

◆北朝鮮に家族がいて、子どもがいて、孫がいる拉致被害者

寺越昭男(寺越昭二さん長男)

 みなさんこんにちは。

 昨日新幹線で石川からこちらに来ました。3月14日に北陸新幹線が開通しま
したが、私はたまたまその日が誕生日で、65歳になりました。父が拉致された
のは私が13歳の時です。それからもう52年経ちました。

 今私の娘の夫が新幹線の運転手をしています。たまたまです。娘が4歳の時に、
北朝鮮から手紙が来ました。「突然北朝鮮で暮らすことになった」という叔父
(寺越外雄さん)からの手紙でした。それからでも30年経ちます。振り返って
みると、長いようで、あっという間に過ぎたような53年でした。

 今一番心配しているのは、北朝鮮にいる従兄弟(寺越武志さん)のことです。
従兄弟は、「拉致ではなく救助された」と言わされています。だからこの従兄弟
をどうやって日本に連れ戻すことができるか、取り返すことができるかは本当に
難しい問題だと思います。

 家族がいて、子どもがいて、孫がいて、そういうように北朝鮮で根を張った今
の従兄弟の環境を考えると、どうすれば一番いいのかなという思いでいっぱいで
す。多分、他に被害者の皆さんが帰られた時に、一番最後に残る問題じゃないか
と思います。

 皆様方の知恵をお借りしながら頑張っていきたいので、宜しくお願いしたいと
思います。ありがとうございました(拍手)。

◆365日、心の中に重いものをかつぐ日々

北野政男(寺越昭二さん次男)

 みなさんお忙しい中、たくさんお集まりをいただきありがとうございます。

 今日、日比谷公園に来た時、1時間ほど早く着きましたので、公園の中を散策
したのですが、ある女の人は子どもさんと一緒に手をつないで、また若い人も手
をつないで楽しそうに歩いていました。年寄りの人は、ベンチに夫婦で座って何
やら話をしていました。一言声をかけてもいいかなと思うような、そんな雰囲気
でした。

 日本は今平和ですよね。何の心配もなくこうやって散策できる。唯一の心配は、
方向音痴でどこかに行ってしまわないかなということでした。こんな平和な日本
を作ったのは、みなさん方一人ひとりです。先人の方も含めてです。

 田舎に行っても平和です。今日あたりは田植え日和で、うちらのところでは田
植えをしています。私も帰ってすぐに田植えをします。前は家族3、4人総出で
田植えをしましたが、やろうと思えば一人でも田植えができる。機械化されてい
ますから、田を起すのも、すべて機会です。

 皆様方一人ひとりが普通の考えで日本を守ってきたからこれだけ平和になって
きた。でも今、壇上にいる家族は、そんな平和な日々を過ごしていながらも、3
65日、心の中に重いものをかついでいます。

 うちの親父みたいに、「亡くなった」と聞けば、後ろ髪を引かれる思いはあっ
ても、思い出だけ残してあきらめはつくけれど、壇上にいる家族は、365日心
が重い。気が晴れない。そういう思いで壇上にいます。

 私たちが、国会議員に一票を投じて選びますが、その国会議員から総理になら
れた、大臣になられた。私たちの思いを持った人が国会議員です。その国会議員
の人たちが、私たちの思いに応える。そういう意味でもっと頑張ってほしいと思
います。

 簡単ですが、終わります(拍手)。

(7につづく)

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