救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

家族会・救う会代表団が国連人権委員会作業部会で陳述(2003/04/23)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2003.04.23-1)

■ 家族会・救う会代表団が国連人権委員会作業部会で陳述

 22日家族会・救う会代表団が国連人権委員会作業部会で陳述を行いました。ジュ
ネーブ時間午後3時10分から4時30分頃まで当初の予定を20分も超えて約80
分間にわたった陳述と質疑応答のあと、作業部会議長は「所在が確認できるまで作業
を続ける」という言明をしました。つまり、国連が「拉致問題は解決済み」とする北
朝鮮の主張を明確にしりぞけたということで、大成果だと思います。家族会・救う会
代表団と中川昭一議連会長、中山恭子内閣官房参与らのご活躍を心から喜びたいと思
います。
 以下、陳述の日本語原稿全文を掲載します。

【斎木参事官】
 本日、作業部会が我々に発言の機会を与えていただいたことに感謝致します。

 はじめに、本日この作業部会に出席している北朝鮮による拉致被害者家族連絡会・
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会代表団をご紹介致します。ま
ず、家族の方々ですが、団長の飯塚繁雄さん、団員の平野フミ子さん、有本嘉代子さ
ん、横田早紀江さん、横田拓也さんです。それぞれの方からは、のちほどの発言の際
に自己紹介をしていただくことに致します。それから、本件の申請の名義人である
「救う会」から島田洋一副会長です。
 次に、支援のための同行者を紹介します。まず、中川昭一衆議院議員。中川議員は、
日本の立法府で超党派で結成されている「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出す
るために行動する議員連盟」の会長を務めておられます。次に、中山恭子内閣官房参
与。中山参与は拉致被害者家族を支援するために、小泉総理大臣に直接任命されまし
た。このように私達代表団は、ご家族・立法府・行政府が一体となってこの場に出席
しておりますが、作業部会の方々には、北朝鮮による拉致問題を我々がいかに重視し
ているかをお分かりいただきたいと思います。

 私は、前回行われた昨年11月の作業部会の際に、皆様の前で北朝鮮により拉致さ
れた被害者ご家族の代理人として、作業部会の協力を求めたところであります。その
後、作業部会において、これらの案件を審議の対象とすることが決定されたと聞き、
嬉しく思いました。拉致問題の早期かつ全面的な解決に向けた作業部会の今後の作業
の進捗に大きく期待する次第であります。

 日本政府は、前回の作業部会以降も、北朝鮮による拉致問題の解決のため、様々な
努力を重ねてまいりました。日朝間のやりとりの中で、北朝鮮側に前向きな対応を求
めることは当然でありますが、そのほかにも、日本政府は、他国との様々なレベルで
の協議の場、国連総会や人権委員会の場においてもこの問題を取り上げ、国際世論の
喚起にも努めてまいりました。先月19日、土屋外務大臣政務官が、人権委員会のハ
イレベルセグメントで行ったステートメントにおいても、拉致問題を「人間の尊厳、
人権及び基本的自由の重大かつ明白な侵害」として取り上げ、「日本政府は、関係政
府に対し、これらの事件を十分に調査し、すべての関連情報を開示し、速やかに被害
者及びその家族を解放することを求めたいと思います。さらにこの関連で、当該政府
が『強制的又は非自発的失踪に関する作業部会』と十分に協力し、作業部会による日
本人拉致事件に関する調査を容易にするよう強く求めます。」と訴えました。

 しかしながら、残念なことに、この半年間、北朝鮮側からは全く協力は得られず、
問題解決に向けての進展はみられていません。前回の作業部会に提供した資料の中に、
日本政府に対し北朝鮮側が提供した関連情報に対してご家族が感じた疑問点、矛盾点
のリストがありましたが、これらの疑問点についても、北朝鮮側からの回答は全くあ
りません。また、前回作業部会で資料を提出した際からの追加関連情報として、例え
ば、北朝鮮側から失踪者の1人松木薫さんの遺骨として提供された骨が、法医学鑑定
の結果、別人のものであることが判明したことを挙げることができます。8名の消息
に関する北朝鮮側とのやりとり、新たに判明した事実、捜査当局の対応等を含む日本
国内における政府の取組等の詳細については、本日作業部会に先立って日本政府が提
出した追加関連情報を参照していただきたいと思います。日本政府としては、今後と
も追加関連情報を随時提供していく考えです。

 このように、北朝鮮側の前向きな対応が得られないまま一日一日が過ぎて行くのを
当事者であるご家族はどのように感じておられるかを詳しく申し上げるつもりはあり
ません。すでに事件が発生してから四半世紀近い月日が経過しており、ご家族も日々
老いてゆかれます。実際、本日この場に出席しておられる平野フミ子さんのお父様は、
娘である増元るみ子さんとの再会を果たせないまま昨年お亡くなりになりました。ご
家族にはもう一刻の猶予もありません。

 しかし、政府がいくら言葉を尽くしても、被害者ご本人に関する情報を一番良く知っ
ているのは他でもなくそれぞれのご家族であり、作業部会にこの拉致問題につき理解
を深めていただくためにご家族の直接の説明以上のものはありません。こうした観点
から、本日は、日本より被害者のご家族が作業部会に出席し、メンバーの皆様の前で
直接陳述する機会を持つこととなった次第です。

 16日に人権委員会において採択された、「北朝鮮の人権状況決議」には、北朝鮮
に「外国人の拉致に関するすべての未解決の問題を明確にかつ透明性をもって解決す
る」ことを求めるとともに、北朝鮮がこの作業部会を含む人権委員会のテーマ別手続
に無制限に協力することを求めています。

 日本政府としては、本件決議を国連人権委員会として拉致問題の解決を北朝鮮に迫っ
たものとして高く評価するとともに、これを受け、北朝鮮側が迅速且つ適切に問題解
決に向けた取組みを進めることを期待しておりますが、作業部会におかれても、この
決議を受け、北朝鮮側がこの問題に関して作業部会に積極的に協力するよう、さらに
強く求めていただきたいと思います。

 作業部会におかれては、これから行われる各人からの御発言に注意深く耳を傾けて
いただき、北朝鮮に更なる情報提供を求めていただくよう期待しております。」

【飯塚繁雄】
(?.概要説明)
 作業部会委員の皆様、本日はお忙しいなか、私たち北朝鮮に拉致され死亡とされた
被害者の家族に、陳述の機会を与えて下さったことを感謝申し上げます。私は、その
拉致され死亡とされた被害者のひとり、田口八重子の兄、飯塚繁雄と申します。私の
妹、八重子の事例をご説明申し上げる前に、出席者全員を代表して、この拉致問題を
めぐる最近の動向をまずご説明させていただきます。

 愛する娘・息子・兄弟姉妹の理由のない突然の失踪、実は北朝鮮による拉致という
悲劇に見舞われた私たち家族は、愛する者たちを取り返すため、家族会を結成し、支
援者・政府と連携しながら、活動を続けてまいりました。

 さて、私たちの拉致被害者救出運動の一環として、2001年4月に、私たちは一度目
の申請を当強制的失踪部会に行いましたけれども、情報が不十分ということで審議は
打ち切られました。私たちの事例は、主権国家自体が国家の活動として他国民を拉致
するという極めてまれなものであり、当該国政府の協力を前提とする当部会の活動の
性格を考えれば、審査の終結はやむを得ないものであったかもしれません。

 しかし、ご存知のように、2002年9月17日に平壌で行われた小泉純一郎首相と北朝
鮮の金正日との歴史的な首脳会談で、金正日は、それまでの完全なる否認の態度を、
驚くべきことにあらため、ついに、北朝鮮の日本人拉致への関与を認め、遺憾の意を
表しました。金正日は、その際、13人の日本人の拉致を認め、5人は生存、8人は死亡、
日本政府が拉致と認定したあと2人の被害者については、北朝鮮領土内に未入国、と
伝えてきました。
 5人の生存者はその後、日本に帰国し、現在も日本にとどまっております。一方、
死亡とされた8人に関して、2002年9月に行われた斎木参事官を団長とする日本政府調
査団の調査へも北朝鮮は不誠実な対応を行い、物的証拠を提出することなく、むしろ
偽造と思われるような死亡診断書等を提出してきました。こうした北朝鮮の提出した
「証拠」等の矛盾点と疑問点をまとめ、私ども家族は2002年10月にさらなる調査を日
本政府に要請し、日本政府は北朝鮮に回答を求めました。
 それをうけて、2002年11月、死亡とされた8人の審査を再度申請するため、私たち
家族の代理として、斎木参事官が、当地ジュネーブに赴き、委員の皆様に概要を説明
申し上げたところであります。

 その後、事態は好転することなく、一種の膠着状態が続いております。北朝鮮は、
私たちの指摘した矛盾点・疑問点に未だ何ら回答をよこしません。それどころか、今
日、その家族は出席していない、今ひとりの死亡とされた被害者である松木薫氏の遺
骨として、北朝鮮が提出した骨の一部は、警察庁の科学的鑑定の結果、43歳で死亡し
たとされる松木さんのものではあり得ない60歳以上の女性のものと判明しました。北
朝鮮の報告の信頼性はますます揺らいでいると同時に、死亡とされた被害者の生きて
いる可能性が高まっています。
 こうした不誠実な対応をくりかえしながら、北朝鮮は、拉致問題は解決済みと主張
しています。彼らの許されざる対応はこれだけにとどまりません。2002年10月に、四
半世紀の歳月を経て、日本に帰国した5人の被害者は、北朝鮮に拉致されている間に
家族を形成していました。
 にもかかわらず、北朝鮮は5人が帰国する際、その家族が一緒に日本に行くことを
許しませんでした。5人の被害者は、帰国後、北朝鮮に戻ることなく日本に留まり、
家族を日本に呼び寄せ、言論の自由・恐怖からの自由のある日本で、今後どこでどの
ような生活を送るか意思決定を行いたいと表明しました。こうした当然の要求を北朝
鮮は拒絶し、今日に至るも、被害者とその子供たち並びにひとりの夫は離れ離れのま
まです。
 北朝鮮は、クアラルンプールで2002年10月に開かれた日朝国交正常化交渉その他の
場で、要求を拒絶する理由として、日本政府が、被害者の帰国は一時的なものであり、
数週間内に北朝鮮に返す、という約束を破ったからと主張しています。しかし、そも
そも拉致により意に反して北朝鮮に連れ去られた被害者が四半世紀ぶりに帰国し、日
本に残って子供たちを待ちたいとしている時に、北朝鮮に残っている家族を人質に取
るような行為が許されてよいのでしょうか。また、日本国憲法は、移動の自由を保障
しており、被害者が日本に留まることを決意した以上、北朝鮮とは異なり、本人の意
に反して、外国への出国を強制されることなどあり得ませんし、それが当然のことで
す。

 帰国した被害者、家族、支援者、政府そして日本国民が一体となって、拉致問題を
解決すべく、努力を重ねておりますけれども、他主権国家がかかわる本事例のような
場合、一国だけの努力には限界があります。これは、国際社会が一体となって、対峙
しなければならない、まさに現在進行形のテロリズムです。問題解決には当作業部会
のお力添えが是非とも必要です。
 ありがとうございました。続きまして、個別事例の説明に入りたいと思います。

(?.個別事例)
(1.田口八重子)
【飯塚繁雄】
 それでは、私の妹、八重子の事例を説明させていただきます。
 妹、八重子は、1978年6月、幼い二人の子を託児所に預けたまま、忽然と姿を消し
ました。その後、何の音沙汰もない日々が続きましたけれども、思わぬところから八
重子の消息が明らかとなりました。1987年11月、大韓航空の旅客機が爆破され、犯人
として東洋人の女性が逮捕されました。この女性は日本のパスポートを所持していま
しけれども、実は、キム・ヒョンヒという北朝鮮工作員でした。彼女は、他の北朝鮮
工作員とともに、日本人になりすまして、海外で北朝鮮の謀略活動に従事するため、
北朝鮮国内で日本語・日本人化教育を受けていたことを告白しました。彼女の教育係
は朝鮮名をリ・ウネと言い、それが私の妹、田口八重子だったのです。

 しかし、北朝鮮は、爆破テロを韓国のでっち上げと主張し続けたのです。日本代表
団が、1991年5月に北京で開かれた第3回日朝国交正常化交渉で、はじめて八重子の事
例を取り上げた後、1992年11月の第8回交渉で、北朝鮮代表団は、この事例に言及す
ること自体許せないとして、席を立ち、そのまま日朝国交正常化交渉は途絶えました。
 しかし、昨秋の日朝首脳会談で、金正日は13人の拉致を認め、妹、八重子は死亡し
た8人のひとりであると北朝鮮は通告してきました。八重子は、同じ拉致被害者であ
る原敕晃さんと結婚し、原さんが1986年7月19日に肝硬変でなくなった直後、同年7
月30日に、自動車事故で死亡したとされています。

 しかし、北朝鮮が日本政府に提出したのは、死亡診断書だけであり、墓は洪水で流
され、遺骨は消失したと主張しています。また、北朝鮮は、八重子はリ・ウネではな
く、そもそもそのような日本人教育係など存在しないと主張していますけれども、私
たちは、こうした一連の主張は自らのテロ行為への関与を否定するためのうそである
と考えています。大韓航空機爆破テロ事件の日付より前に死亡したことにしていると
ころに明らかな作為が感じられます。

 なお、原さんを拉致した北朝鮮工作員シン・ガンスは、原さんのパスポートを使い、
原さんになりすまして、韓国で謀略活動を行っている際に逮捕されました。その後、
有罪判決を受け収監されていましたけれども、金大中大統領の特赦で、2000年に北朝
鮮に送還され、非転向の英雄として遇されていると報道されています。この報道内容
は、金正日が、拉致は部下が独断でやったことで、関与したものを処罰したと主張し
ていることと整合性がありません。

 北朝鮮は、主にふたつの目的を持って日本人を拉致したと、金正日は認めました。
ひとつは、北朝鮮工作員の日本語・日本人化教育の「先生」、もうひとつは身寄りの
ないひとを拉致し、その日本人の身元を盗むことです。八重子は前者の例であり、そ
れが本当かどうかわかりませんけれども、八重子と結婚したとされる、原敕晃さんが
後者の例なのです。

 八重子の幼かった二人の子どもは、私の妹と私がひとりずつ引き取って養育し、立
派に成人しました。八重子はどんなにかこの子らに会いたいでしょう。すでに四半世
紀が過ぎ去ってしまいましたけれども、作業部会のお力添えを頂き、親子の再会を実
現してやりたいし、私も生きている間に、妹、八重子に一目会いたい、それが現在の
率直な気持ちです。

 続きまして、平野フミ子さんが、妹、増元るみ子さんの事例を説明申し上げます。
ありがとうございました。

(2.増元るみ子)
【平野フミ子】
 本日はありがとうございます。私は、拉致され死亡とされた被害者、増元るみ子の
姉、平野フミ子と申します。

 妹、るみ子は、1978年8月12日、ボーイフレンドの市川修一さんと、海岸に夕日を
見に行くと言い残して、家を出たまま、いまだに帰ってきません。
行方がわからなくなった現場には、カギがかけられたままの市川修一さんの乗用車が
残されていました。車のなかには、妹、るみ子のバッグとカメラが残されており、海
辺の砂場に、修一さんのサンダルが片方だけ落ちていました。その他には、何も手が
かりがなく、その当時は、「現代の神隠し」と報道されました。この時、妹24歳、
修一さん23歳でした。

 しかし、このような奇妙なカップルの失踪事件は、妹、るみ子と市川修一さんのケー
スだけではなかったのです。1978年の夏、4組の若いカップルが、北朝鮮工作員の拉
致の標的となり、1組は未遂に終わったものの、るみ子と修一さんのそれを含めた3組
のカップルが、北朝鮮に連れ去られたのです。 

 その後、1980年に、日本の代表的新聞のひとつである産経新聞が、このカップル失
踪事件に北朝鮮が関与している可能性が高いという報道を行いました。しかし、北朝
鮮は一切の関与を否定するばかりか、拉致事件は日本側のでっち上げと、逆に私たち
を非難し続けました。

 ところが、昨秋の日朝首脳会談で、金正日が、突然、拉致を認め、5人生存、8人死
亡と通告してきました。そして、拉致された3組のカップルはすべて北朝鮮で結婚し
ていたことが明らかとなり、蓮池薫さん・祐木子(旧姓奥土)さんと地村保志さん・
富貴恵(旧姓浜本)の2組のカップルは生存とされ、帰国されました。しかし、妹、
るみ子と市川修一さんのカップルは死亡の8人に入っておりました。しかし、それを
聞いたとき、私はそのようなことを信じるわけにはいかないと思いました。なぜなら
死亡とされた10年後に金正日政治軍事大学で二人を見たと、元北朝鮮工作員の安明
進氏が証言しているからです。

 るみ子と私の父である増元正一は、病院のベッドの上で、そのニュースを聞いてい
ました。娘であるるみ子の帰りを、ただひたすら願ってきた父でしたけれども、その
時は肺がんと宣告されていました。娘と会えることだけを生きる支えとして、病気と
闘っていました。しかし、父、正一は死期を察していたのだと思います。これが、そ
の時の、私たちの父、正一の写真です(ここで写真を提示)。最後の言葉として、意
識朦朧としているなかで、「もう迎えに行けない」と言い、「おれは日本を信じる、
お前も信じろ」と息子であり私の弟である照明に告げた直後、意識不明となり、そ
の1週間後、10月15日、まさに5人の生存者が帰国した2日後に、この世を去りました。
どんなに娘であるるみ子に会いたかったかと思うと残念無念でなりません。

 その後、北朝鮮の発表内容を精査するうちに、次々に疑問点が浮かび上がりました。
二人とも20代の若さで心臓麻痺により死んだとか、お墓が洪水で流されたとか、あま
りにも不自然です。しかも、北朝鮮の提出した二人の結婚登録申請書は、生年月日が
両方とも間違っています。 

 母、信子は現在76歳となりました。父、正一の死後、心身ともすっかり弱っていま
す。一日も早く、北朝鮮から妹、るみ子を救出して、母、信子だけには会わせてやり
たいのです。今、拉致された人々を救い出さなければ、私たちは、二度と、彼らと再
会することはできないと思っています。そのためには、作業部会のお力添えが是非と
も必要なのです。

 続きまして、有本嘉代子さんが、娘、恵子さんの事例を説明申し上げます。ありが
とうございました。

(3.有本恵子)
【有本嘉代子】
 本日はありがとうございます。私は、拉致され死亡とされた被害者、有本恵子の母、
有本嘉代子と申します。 

 私の娘、恵子は、1983年にロンドンでの1年間の語学留学を終えて帰国する直前、
1970年に日航よど号をハイジャックし、北朝鮮に現在も保護されている日本人赤軍派
テロリストの妻たちと北朝鮮の工作員に、仕事を世話すると騙され、北朝鮮に拉致さ
れました。 

 実は、拉致されたのは恵子だけではありません。上記よど号グループと北朝鮮工作
員は、1980年代、北朝鮮の指令を受けて、ヨーロッパその他に住んでいる日本人の拉
致を組織的に実行していました。このよど号グループの元リーダー田宮高麿が、かつ
て、20人ぐらいを北朝鮮に連れてきたと、関係者に語っています。そのうち、金正日
は、昨秋の日朝首脳会談で、娘、恵子の他、今日そのご家族は出席していない松木薫
さんと石岡亨さんの3人を拉致したことを認めたと同時に、全員が死亡していると通
告してきました。

 娘、恵子はその石岡さんと結婚し、子どもをひとりもうけており、実は、娘の写真
とその子どもらしき乳児が写っている写真の同封された手紙が、1988年9月に、ポー
ランドの消印で、石岡さんの実家に送られてきていました。そして、北朝鮮が提出し
た死亡診断書によると、1988年11月4日、一家3人が自宅で一酸化炭素中毒により死亡
したことになっております。
 
 しかし、その死亡の証拠というのは、一片の死亡診断書に過ぎません。北朝鮮では
ガス暖房はほとんど普及しておらず、ガス中毒で死ぬなどあり得ないと、北朝鮮に住
んだ経験のある人たちが異口同音におっしゃっています。しかも、その診断書に記載
された娘、恵子の誕生日は誤っております。また、娘、恵子を含め、横田めぐみさん
を除く、死亡とされた8人のうち7人の診断書が、それぞれ遠く離れた場所に住んでい
たと北朝鮮が主張しているにもかかわらず、同じ病院により発行されています。加え
て、その7人のお墓はすべて洪水で流されたとされているのです。
なお、ヨーロッパで拉致され金正日が認めたもうひとりの被害者、松木薫さんの「遺
骨」は8人の死亡されたとされる被害者に関する唯一の物的証拠と言ってよいわけで
すけれども、飯塚繁雄さんが先ほど述べられたように、他人のものであることがわかっ
ています。

 北朝鮮の恐るべき秘密工作の尖兵であるよど号グループは、彼らの指導者である金
正日が、少なくとも娘恵子を含め3人のヨーロッパからの拉致を認め、謝罪したにも
かかわらず、拉致関与を白々しくも否定し続けております。

 しかしながら、よど号ハイジャック犯の元妻、八尾恵は、2002年3月、法廷におい
て宣誓の下、ヨーロッパでの日本人拉致への自身も含めたよど号グループの関与を証
言しました。その後、八尾は、私たち夫婦に、自らの非を認め、直接謝罪しました。
また、つい先日、2003年4月4日に、昨年北朝鮮より帰国し逮捕された、よど号グルー
プのリーダー小西隆裕の妻小西タカ子に旅券法違反の有罪判決が下され、判決理由で
裁判長は「被告はヨーロッパなどでよど号グループの協力者になり得る日本人を見つ
け、北朝鮮に入国させる活動に従事していた」と認定しました。

 私も夫の明弘も、恵子が生きていると確信しておりますけれども、すでに70代後半
と老境に入り、残された時間は多くありません。なにとぞ、作業部会のお力添えを頂
き、一目、我が娘、恵子に会いたい、それが私たち夫婦の願いでございます。

 続きまして、横田早紀江さんが、娘、めぐみさんの事例を説明申し上げます。あり
がとうございました。

(4.横田めぐみ)
【横田早紀江】
 本日はありがとうございます。私は、拉致され死亡とされた被害者、横田めぐみの
母、横田早紀江と申します。 

 私の娘、めぐみは、1977年11月15日、13歳のとき、中学校からの下校途中、自宅近
くで消息を絶ちました。その後20年近く、消息は全く不明でしたけれども、韓国に亡
命した北朝鮮工作員の証言により、娘、めぐみは、北朝鮮工作員に拉致され、平壌の
金正日政治軍事大学で、工作員の日本人化教育の教員をしていることが、1997年1月
に判明しました。日本政府も、1997年5月に、北朝鮮による拉致と認定しました。

 北朝鮮は、一貫して日本人拉致への関与を全面的に否定してきましたけれども、昨
秋の日朝首脳会談で、金正日は、一転して、13人の拉致を認めたわけです。しかし、
娘、めぐみは、他の7人同様、死亡と通告されました。

 北朝鮮の発表によると、めぐみは、1993年、うつ病により入院し、同年3月13日、
回復期に病院の庭を散歩中、医師が1時間ほど目を離した間に、自分の衣服を裂き、
それを紐として利用し、首つり自殺したとされています。しかし、カルテは存在しな
いとされ、また、一旦、病院裏の共同墓地に埋葬された後、めぐみの夫が遺骨を引き
取ったため、現在、墓所は不明で、遺品も存在しないとされています。この発表内容
はあまりに不自然な上、一片の死亡診断書以外証拠は一切提出されていません。この
ようなお話を一体誰が信じるのでしょうか。

 加えて、未確認ではありますけれども、最近になって、娘、めぐみは金正日一族の
日本語教師をしているとの情報が入っています。これが事実とすれば、1993年に死亡
したとする北朝鮮の発表は完全に虚偽ということになります。

 実は、日朝首脳会談後、めぐみの娘、キム・ヘギョンさんの存在が明らかになり、
日本政府による科学的鑑定の結果、めぐみの実の娘、すなわち私たち夫婦の孫である
ことが判明しています。しかし、この15歳とされる私たちの孫の住所・電話番号等連
絡先はわかりません。また、少女の父、めぐみの夫とされる人物は全く姿をあらわし
たことがありません。

 この少女と日本で会えるよう、北朝鮮に要請しましたけれども、拒否されています。
昨秋、クアラルンプールで開かれた日朝国交正常化交渉の場で、私たち夫婦から、こ
の私たちの孫である少女とその父とされる人物に1通ずつ、計4通の手紙を、日本代表
団を通じて北朝鮮代表団に手渡してもらいました。しかし、今日まで、返事はなく、
本人たちに届いたかどうかも不明です。

 私ども夫婦は、めぐみが生きていると確信しておりますけれども、娘が拉致されて
から四半世紀を超え、すでに夫婦とも老齢のため、残された時間は多くありません。
なにとぞ、作業部会のお力添えを頂き、娘、めぐみに、失われた年月は戻りませんけ
れども、まだ長いこれからの人生を、自由の地で過ごさせてやりたい、それが私たち
夫婦の願いでございます。

 続きまして、私の息子でありめぐみの弟である横田拓也が今回陳述の総括をさせて
いただきます。ありがとうございました。

(?.まとめ)
【横田拓也】
 ありがとうございます。私は、拉致され死亡とされた被害者、横田めぐみの弟、横
田拓也と申します。

 4人の拉致被害者の事例を中心にそれぞれの家族が説明しました通り、今日、個別
事例を説明しなかったものも含め北朝鮮によって死亡と伝えられた8人の拉致被害者
が、外部との接触を閉ざされた北朝鮮領土内で生きている可能性が高いと、私たちは
考えております。

 拉致への関与を全面的に否定し、私たちの捏造と非難した第1回目の申請時と異な
り、北朝鮮は、少なくとも13人の日本人の拉致を認め、今日、申請している8人につ
いては、拉致関与を認め、死亡通告をしたわけです。本当に死んでいるのであれば、
それを隠す理由はないように思われます。逆に北朝鮮が何ら証拠らしい証拠を提出で
きないこと自体、8人の死亡とされた被害者が生存していることを示唆しているので
はないでしょうか。

 実は、死亡とされた8人と生存とされ帰国した5人には、ひとつの大きな相違点があ
ります。それは、元北朝鮮工作員で韓国に亡命したアン・ミョンジン氏らから、北朝
鮮国内での目撃情報がもたらされていたり、よど号グループなどの関与が明らかな被
害者は死亡とされている一方、ほとんど何の消息もなかった被害者は生存していると
され、実際に日本に帰国することができました。この北朝鮮に都合のよい仕分けは、
昨秋の日朝首脳会談で、金正日が自分自身の関与を否定し、部下に責任をなすりつけ、
死亡とされた被害者については、亡命工作員の証言をわざわざ否定するような死亡日
付を通告してきたことと符合します。金正日の関与を否定するために作り上げられた
フィクション、それが8人死亡、5人生存というシナリオです。

 私がこの場で是非強調しておきたいこととして、北朝鮮は否定していますけれども、
現在申請中の、北朝鮮が認めた8人以外にも、多くの日本人・韓国人その他国民が拉
致され、未だ北朝鮮領土内に拘束されている可能性が高いことがあります。

 我が国では、100人以上にも上ると見られる、日本政府が現在認定していないもの
の、北朝鮮による拉致の疑いがある被害者を助けるため、私たちは特定失踪者問題調
査会を2003年1月に設立しました。実際、昨秋、帰国した5人の被害者のうち、曽我ひ
とみさんは、金正日が日朝首脳会談で拉致を認めるまで、日本では、警察も含め、単
なる行方不明事件と考えられていました。信じられないことに、北朝鮮はひとみさん
と一緒に消息を絶ったお母さんの曽我ミヨシさんに関しては何も知らないと主張して
います。私たちは、ひとみさんから、母ミヨシさんについて当作業部会に対し所在確
認の申請をするよう依頼を受けており、近くこれを提出いたします。こうした事例に
直面すると、死亡とされた8人、日本政府が認定しているけれども、北朝鮮が関与を
否定している久米裕さんと曽我ミヨシさんの2人以外、まだまだ多くの日本人が北朝
鮮に拉致され、囚われの身になっていることは確実だと思われます。

 私たちは、拉致された私たちの愛する者たち全員を助け出すため、長年、家族で団
結し、支援者・日本国民の物心両面にわたる援助を得て、救出運動を展開して参りま
した。小泉首相も、「拉致問題解決なくして日朝国交正常化なし」という断固とした
姿勢を堅持しています。

 昨年9月の日朝首脳会談での金正日の拉致謝罪を受け、10月にクアラルンプールで
開かれた日朝国交正常化交渉においても、日本代表団は、死亡とされた8人に関する
さらなる情報の提供、帰国した5人の被害者と家族の日本での再会を求めました。そ
こでは、北朝鮮の認めた13人以外の2人の日本政府が認定した被害者と北朝鮮の関与
の可能性が高い別の3人の消息も尋ねました。また、昨年秋、内閣官房に「拉致被害
者・家族支援室」が常設の政府部署として設置されました。当作業部会にとくに関連
することとして、2002年11月11日、日本政府を代表して、原口幸市国連大使は、国連
総会第3委員会で、北朝鮮による拉致に言及し、私たちの再申請に対し、作業部会が
「迅速かつ効果的な措置をとること」を要請しました。

 そもそも、大多数の善良なる北朝鮮国民自体が、独裁者の圧制のもとに苦しんでい
る被害者であると言えます。全ての人間は基本的人権の保障された生活を送る権利が
あり、主権国家は国民がそうした生活を送れるよう最大限の努力を行う義務がありま
す。これは政治問題ではなく、体制・世界観・宗教の相違を超えた普遍的人権・人道
問題であります。

 何といっても、国の枠組みに入りきらない人権・人道問題に関して、国連ほど影響
力があり実行力のある組織は地球上に存在しません。2002年12月18日、国連総会本会
議において全会一致で採択された強制的失踪決議において、国連総会が、「如何なる
国も強制的失踪を実行し、容認し、又は許容してはならないことを再確認」したこと
は、私たちを勇気づけました。

 さらに、2003年4月16日、日本も共同提案国となり、欧州連合が提出した、北朝鮮
の人権状況に関する決議が、国連人権委員会で採択されました。この決議は、当作業
部会その他の国連機関に無制限で協力することや、日本人を含む「外国人の拉致に関
するすべての未解決の問題を明確にかつ透明性をもって解決する」ことを北朝鮮に求
めています。北朝鮮が私たちの申請に誠実な対応することは、今や、国際的責務になっ
ているのではないでしょうか。

 しかしながら、2003年4月17日に、作業部会事務局より手交された、当作業部会へ
の回答のなかで、北朝鮮は、「日本が執拗に騒ぎ立てている拉致問題は、既に解決し
ており、検討に値しない」と主張し、日本の「背信は相互の不信感を増幅するだけで
あり、さらに、より深刻な結果をもたらすであろう」と私たちを脅かしています。
私たちはこうした卑劣な脅しに決して屈せず、譲歩もいたしません。むしろ、今後、
私たちは、現在申請中の8人以外に、順次拉致された可能性の高い日本人についても
申請していきたいと考えています。作業部会委員の皆様のお力添えが、私たちの愛す
る家族にもう一度自由を与えるためには、決定的に重要であることを最後に強調させ
ていただきます。

 作業部会委員の皆様、本日は、お忙しい中、私たちの陳述を注意深く聴いてくださ
り、誠にありがとうございました。出席者全員を代表してお礼申し上げます。残され
た時間で、皆様のご質問にお答えするとともに、ご忠告をいただければ幸いと存じま
す。


  
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