今ここまで言える日本人拉致の全体像-東京連続集会91報告2(2016/06/24)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2016.06.24)
■今ここまで言える日本人拉致の全体像-東京連続集会91報告2
◆陸上では遭遇拉致はない
西岡 配布資料の「拉致の3類型、『条件拉致』の発見」を見てください。これ
は現場で何回も討論しながら議論してきた結果ですが、Aパターンの海上遭遇拉
致とBパターンの人定拉致があることは、常識だったわけです。逆に言うと、B
パターンの人定拉致こそが拉致の主流だと思っていたわけです。
ところが、1977年、78年の拉致について色々調べると、もう一つ、条件
拉致があるのではないかということが分かってきたということです。惠谷さんど
うですか。
恵谷 治(ジャーナリスト、救う会拉致の全貌プロジェクト委員)
そうですね。我々が命名した条件拉致が拉致を考える上で新しい考えです。そ
の前に、Aパターン海上遭遇拉致からお話します。工作員と偶然出会って、秘密
の暴露を避けるために拉致されたケースです。偶発的に出会って連れ去られるの
は海上でしかない、陸上ではないと判断しました。
その根拠は、米子で松本京子さんが拉致された時、近所の老人が工作員の顔を
見ています。「お前たち何しているんだ」と言った時に、ドンと殴られて7針縫
うけがをしています。その老人を拉致していません。この場合、逃げることが先
決で、拉致した上でもう一人拉致する余裕がないのか、いずれにしても陸上では
そういうケースはないと判断しました。
横田めぐみさんも当初は遭遇拉致ではないかと考えていましたが、同じ月日の
同じ時間のその場は真っ暗で、めぐみさんは「若い女性を連れてこい」という条
件拉致だった。人定せず、若い女性とかカップルとかの条件を与えて作戦行動さ
せています。
◆寺越事件は、拉致命令はなく、工作員の浸透直後だったから拉致した
西岡 陸上では遭遇拉致はないという重要な話です。めぐみさんの場合は、安明
進がそういうことを聞いたということもあり遭遇拉致と思っていました。しかし、
現場は暗く、目撃できる状況ではなかったということが分かった。
一方、松本京子さんの拉致現場に言ってみると、一本道で海岸まで続く道があっ
て、その道の横に出ている狭い路地に松本さんと拉致の犯人が座っていた。これ
はたまたまのことです。
路地先の主人が、近所にお茶を飲みに行っていて、帰って来た。北朝鮮の犯人
たちは通り過ぎるだろうと思っていたが、その路地先の人だから、路地に入って
きて、本当に遭遇が起きた。それで殴って逃げた。
これこそ拉致現場を目撃されたわけです。松本さんを捕まえていたわけで、そ
の松本さんがその後失踪する。それなのに「拉致をしていない」。多分それは作
戦だから、陸上で見られたらまず逃げることが最優先なのだろうと判断しました。
海上拉致についても、逃げることが最優先であることは間違いがない。では寺
越事件はどうして起きたのか。これは仮説です。絶対に暴露されてはいけないこ
とがあって、それを隠蔽しようとした。
それが何かと考えた時、後で「工作員の浸透・回収」という話をしますが、工
作員を浸透させた直後に、寺越さんたちの漁船が接近してきたとすると、もし寺
越さんたちが逃げたら警察に通報するかもしれない。そうすると、自分たちが上
陸させた工作員が捕まってしまう。
工作員を浸透させる任務で来ていた人間たちが、その任務が失敗するかもしれ
ないという事態になって初めて拉致をする。もしも工作員を浸透させる直前に遭
遇したら、まず逃げて安全な時間にまた入ってくればいい。
そのくらい慎重で、ずるがしこく行動するのが工作員であるにも関わらず、寺
越事件だけは、拉致をしてこいと命令されていないのに、拉致したのは、浸透し
た直後だったからなのではないかという仮説を出したわけです。
◆「若い乗組員を拉致し残る船員は船ごと沈めた」との脱北者証言も
恵谷 もう一点付け加えると、海上遭遇拉致と言えるかどうか分かりませんが、
以前、海上で漁船が襲われて拉致されたという記事が「産経新聞」に出ました。
この場合は、海上において漁民や地元民から情報を聞き出す目的だったかもしれ
ない。遭遇ではなく、そういう拉致もあることが最近分かってきました。
これまでの日本人拉致は、朝鮮労働党作戦部、調査部で、党がやっていたわけ
ですが、海上における漁民拉致は偵察総局という人民軍の作戦のようです。今後
この問題にも注目すべき必要があると思っています。
※編集部注:拉致問題対策本部が、脱北した朝鮮人民軍元幹部から事情聴取した
中で、1980年代に日本海で漁船の日本人乗組員6人の中で「若者だけを連れ
去り、残る船員は船ごと沈めた」と証言したという記事(「産経」25.05.28)
◆77年、78年に人定拉致とは違う条件拉致をやっていた
西岡 まだ分からないことがある。これだけが全部とは言えない。まだ闇がある
ということが前提です。
寺越事件が人定拉致ではなく、拉致を目的としたものではないもう一つの証拠
は、拉致された後、寺越さんたちは特別な任務を与えられておらず、帰国した元
在日朝鮮人と同じ扱いだったということです。
何か日本人として使いたいことがあれば、別途管理されると思うんです。田口
八重子さんや横田めぐみさんたちは別途管理されているんですが、そういうこと
がなかったという点でも、緊急避難的に拉致をしたのではないか。
在日朝鮮人と同じ扱いだったからこそ日本に手紙も書けた。横田めぐみさんた
ちが日本に手紙を書くのはありえないほど厳しい管理をされているのとはここも
違うと思っています。
次の人定拉致ですが、高姉弟(敬美、剛)、久米裕さん、田口八重子さん、原
敕晁さんは、日本国内の組織がこういう人を探せと言われて、人を探して、北と
連絡を取りながら、拉致することを決め、「いつ、どの海岸に連れてこい」と言っ
て北から迎えが来るという形です。
少し違いますが、国外の拉致もある面で人定しているわけで、有本恵子さんは
八尾恵が「対象者さ」と田宮に連絡して、これでいいか何回も連絡して、これで
いこうとなった後おびき出された。変形ですが、海岸におびき出すのではなく、
空港におびき出したり、北朝鮮の工作員に引き渡すわけですが、人定しているこ
とは間違いない。
本来、拉致というのは緻密に計画して、必要な人材がいて、それに合う人を探
して、これでいきますよということでやるものなのです。ここまでは常識的な話
だと思いますが、我々が今日北朝鮮に問題提起したいのは、「あなたたちは、7
7年、78年に、この人定拉致とは違う条件拉致をやっていたでしょう。記録を
調べてみなさい。我々が行っていることが正しいと分かったら、日本を甘く見て
はいけないということが分かるはずだ」ということです。
松本京子さんは1977年10月で、富山未遂事件が78年8月です。この間
集中的にあった拉致の中で、久米裕さん、田口八重子さん、原敕晁さんは人定拉
致ですが、その他は条件拉致だったというのが我々の主張です。
条件拉致は、ある条件、若い女性とか若い男女というような条件に合う者を拉
致する。誰をではなく、条件が与えられて工作員たちが上陸する。そして条件に
合う人を探して、待ち伏せして、袋に入れて、連絡して迎えが来るという形です。
◆当初は拉致被害者の工作員化が狙い
蓮池さんが話されているものを見たり、地村さんから話を聞くと、「当初若い
女性が狙われていた。若い女性を工作員の教官ではなく工作員にしようとしてい
た」ようです。
田口さんや地村富貴恵さんは、「金正日政治軍事大学に入らないか」と言われ
た。田口さんは、工作員になったら海外に行けて、逃げ出せば日本に帰れるかも
しれないから「なりたい」と言っていたという話を聞いています。
めぐみさんは、10代前半でも、洗脳して工作員に使うにはいいと思われた可
能性がある。蓮池さんの話では、本人たちを洗脳して工作員にするという計画が
あって、特に女性たちが訓練を受けたけれども、海外で演習を行った時に、逃げ
たことがあった。それでやはり成人の洗脳は無理ということで、本人を工作員に
する計画が中途で中止になり、その後教官として使われた、と。
これは金賢姫も同じことを言っています。当時、若い女性を連れてきて洗脳し
ろという命令が金正日から出ていた、と。しかし、なかなかうまくいかないとい
う状況だったんです。
それで拉致の常識とは離れた条件拉致を始めたのではないか。
恵谷 私が思うのは、当初は若い女性。それが松本京子さん、横田めぐみさん。
めぐみさんは我々から見ると中学生ですが、北から見ると結構大人に見えたのか
もしれない。
金正日は最初は女性を洗脳して工作員にするということは、ある意味で確信を
持ってやっていて、その成果が金賢姫です。その後のアベック拉致も、男はいわ
ば付け足しだったと北の指導員が言っています。とにかく目的は女性だった。
しかし、女性一人では精神的に不安定になり、寂しいとか色々な問題があるの
でカップルにしろとなった。
◆77年は若い女性が狙われ、78年はアベックが狙われた
西岡 その後、曽我さんだけが若いカップルではなく母子で、お母さんはそれほ
ど若くない。曽我さんに聞いてみると、拉致した時、3人の男に後ろから襲われ
ています。お母さんと曽我さんがうす暗い道を歩いていた。お母さんはいつもズ
ボンをはいていた。曽我さんはその日ワンピースだった。後ろから見たら、若い
アベックに見えたのではないか、というのも一つの仮説です。
そうすると、77年は若い女性が狙われ、78年はアベックが狙われた。条件
ということとぴったり合うということです。
拉致する時は調査部の工作員1人と、作戦部の戦闘員3人の4人で拉致をする。
蓮池さん、地村さん、曽我さんのケースについては、被害者が帰ってきています
から分かっているんですが、みんな同じです。
蓮池さんのケースは崔(チェ)スンチョルという調査部の工作員、地村さんの
ケースは有名な辛光洙(シン・ガンス)、曽我さんのケースは金ミョンスクとい
う女性の工作員でした。そしてそれぞれ3人の戦闘員がいました。
北朝鮮の戦闘員なら一人で一人を拉致できると思います。惠谷さんの推測では
戦闘員2人と組長が1人ですね。
恵谷 戦闘員というのは聞きなれない言葉でしょうが、朝鮮労働党作戦部に所属
している人物を戦闘員と言います。腕っぷしが強くて乱暴なことが得意。北朝鮮
の用語では、浸透組と言います。日本に潜入するのはだいたい3人で1組です。
そして浸透組には組長が1人います。実行組のリーダーです。
それとは別に調査部の工作員が1人。海岸事業や日本の風習などにたけた日本
事情に明るい1人と組んで拉致を重ねてきたのが実態です。
西岡 調査部の工作員は日本語ができます。崔スンチョルについては、相当詳し
いことを、蓮池さん、地村さんたちが話しています。なぜそれが分かるかという
と、崔スンチョルは工作員を引退した後、指導員として蓮池さん、地村さんたち
と同じ地域にいたんです。そして行ったり来たりをずいぶんしていたそうです。
だから昔の話を詳しく聞いているんです。
◆工作員も条件拉致は無理と考えたが
崔スンチョルは新潟県柏崎に行って拉致をしてこいと言われた時、「これは無
理だ。もっと準備の時間が必要だ」と言って、叱責されたということを、後で被
害者は聞いています。
この叱責されたことを考えると、何回も日本に浸透して、小熊和也さんの身分
を盗用して成りすましたりした経験のある人間として、拉致をするには日本国内
の地下組織と協力して人定をさせて、その人間が警察のスパイでないかも確認し
た上でやるのが常道なんです。いくら時間がないからといって、海岸で無理やり
拉致するというのは常道ではない。もう少し時間をくれれば、自分にも日本に地
下組織があるから若い女を連れてこれる、と言ったんじゃないかと思います。
しかし、「だめだ、やれ」と言われた。それで3人の戦闘員を連れて崔スンチョ
ルは新潟県柏崎沖に来るわけです。そして上陸して3泊したということです。旅
館を変えた。そして戦闘員たちが度胸をつけるために、食堂で、日本語でカレー
ラースを注文させた、と言っています。
つまり柏崎で上陸して、アベックがいそうな所を探したんだと思います。そし
て海岸だということで。蓮池さんたちは図書館に自転車を置いて、海岸に行き、
アベックだから暗い方にいってしまった。そこで待ち伏せされたんですが、崔ス
ンチョルは後で蓮池さんたちに衝撃的な言っています。
◆人定ではなく、アベックという条件で拉致
お前たちの前にアベックが来た。それを拉致しようと思っていたけれど、酔っ
払いのおじさんが一升びんをもって現れたので、それをやめてお前たちになった
んだ、と。
この証言から、条件拉致だったことが分かります。アベックという条件だった。
酔っ払いのおじさんが出てこなければ、前のアベックがやられたわけですから、
人定ではないということが分かったわけです。
そういう目で他の事件も見ていくと、そうではないかと思える。地村さんたち
のケースも、実はあの時展望台にもう一組のアベックがいた。展望台は2階建て
で、1階に一組のアベックがいたから2階に上がった。変な男たちがいると思っ
て1階の二人は逃げていったので、自分たちも席を立とうと思ったら、後ろから
襲われた。
1階にいたアベックが2階に行っていたら、地村さんたちは1階に座っていた
だろう。そうしたら地村さんたちではなく、1階にいたアベックが2階で拉致さ
れたかもしれない。
増元さんたちの場合は帰ってきていないので分かりませんが、アベックがやら
れたという点では一致していますし、富山の未遂事件もアベックがやられた。こ
の事件も4人の男に襲われていた。
ここまで分かってきたんですが、惠谷さんの分析で、工作員の潜入と脱出のパ
ターンから条件拉致を見ると、もう少し色々なことが分かってきます。
(3につづく)
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■救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
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みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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■今ここまで言える日本人拉致の全体像-東京連続集会91報告2
◆陸上では遭遇拉致はない
西岡 配布資料の「拉致の3類型、『条件拉致』の発見」を見てください。これ
は現場で何回も討論しながら議論してきた結果ですが、Aパターンの海上遭遇拉
致とBパターンの人定拉致があることは、常識だったわけです。逆に言うと、B
パターンの人定拉致こそが拉致の主流だと思っていたわけです。
ところが、1977年、78年の拉致について色々調べると、もう一つ、条件
拉致があるのではないかということが分かってきたということです。惠谷さんど
うですか。
恵谷 治(ジャーナリスト、救う会拉致の全貌プロジェクト委員)
そうですね。我々が命名した条件拉致が拉致を考える上で新しい考えです。そ
の前に、Aパターン海上遭遇拉致からお話します。工作員と偶然出会って、秘密
の暴露を避けるために拉致されたケースです。偶発的に出会って連れ去られるの
は海上でしかない、陸上ではないと判断しました。
その根拠は、米子で松本京子さんが拉致された時、近所の老人が工作員の顔を
見ています。「お前たち何しているんだ」と言った時に、ドンと殴られて7針縫
うけがをしています。その老人を拉致していません。この場合、逃げることが先
決で、拉致した上でもう一人拉致する余裕がないのか、いずれにしても陸上では
そういうケースはないと判断しました。
横田めぐみさんも当初は遭遇拉致ではないかと考えていましたが、同じ月日の
同じ時間のその場は真っ暗で、めぐみさんは「若い女性を連れてこい」という条
件拉致だった。人定せず、若い女性とかカップルとかの条件を与えて作戦行動さ
せています。
◆寺越事件は、拉致命令はなく、工作員の浸透直後だったから拉致した
西岡 陸上では遭遇拉致はないという重要な話です。めぐみさんの場合は、安明
進がそういうことを聞いたということもあり遭遇拉致と思っていました。しかし、
現場は暗く、目撃できる状況ではなかったということが分かった。
一方、松本京子さんの拉致現場に言ってみると、一本道で海岸まで続く道があっ
て、その道の横に出ている狭い路地に松本さんと拉致の犯人が座っていた。これ
はたまたまのことです。
路地先の主人が、近所にお茶を飲みに行っていて、帰って来た。北朝鮮の犯人
たちは通り過ぎるだろうと思っていたが、その路地先の人だから、路地に入って
きて、本当に遭遇が起きた。それで殴って逃げた。
これこそ拉致現場を目撃されたわけです。松本さんを捕まえていたわけで、そ
の松本さんがその後失踪する。それなのに「拉致をしていない」。多分それは作
戦だから、陸上で見られたらまず逃げることが最優先なのだろうと判断しました。
海上拉致についても、逃げることが最優先であることは間違いがない。では寺
越事件はどうして起きたのか。これは仮説です。絶対に暴露されてはいけないこ
とがあって、それを隠蔽しようとした。
それが何かと考えた時、後で「工作員の浸透・回収」という話をしますが、工
作員を浸透させた直後に、寺越さんたちの漁船が接近してきたとすると、もし寺
越さんたちが逃げたら警察に通報するかもしれない。そうすると、自分たちが上
陸させた工作員が捕まってしまう。
工作員を浸透させる任務で来ていた人間たちが、その任務が失敗するかもしれ
ないという事態になって初めて拉致をする。もしも工作員を浸透させる直前に遭
遇したら、まず逃げて安全な時間にまた入ってくればいい。
そのくらい慎重で、ずるがしこく行動するのが工作員であるにも関わらず、寺
越事件だけは、拉致をしてこいと命令されていないのに、拉致したのは、浸透し
た直後だったからなのではないかという仮説を出したわけです。
◆「若い乗組員を拉致し残る船員は船ごと沈めた」との脱北者証言も
恵谷 もう一点付け加えると、海上遭遇拉致と言えるかどうか分かりませんが、
以前、海上で漁船が襲われて拉致されたという記事が「産経新聞」に出ました。
この場合は、海上において漁民や地元民から情報を聞き出す目的だったかもしれ
ない。遭遇ではなく、そういう拉致もあることが最近分かってきました。
これまでの日本人拉致は、朝鮮労働党作戦部、調査部で、党がやっていたわけ
ですが、海上における漁民拉致は偵察総局という人民軍の作戦のようです。今後
この問題にも注目すべき必要があると思っています。
※編集部注:拉致問題対策本部が、脱北した朝鮮人民軍元幹部から事情聴取した
中で、1980年代に日本海で漁船の日本人乗組員6人の中で「若者だけを連れ
去り、残る船員は船ごと沈めた」と証言したという記事(「産経」25.05.28)
◆77年、78年に人定拉致とは違う条件拉致をやっていた
西岡 まだ分からないことがある。これだけが全部とは言えない。まだ闇がある
ということが前提です。
寺越事件が人定拉致ではなく、拉致を目的としたものではないもう一つの証拠
は、拉致された後、寺越さんたちは特別な任務を与えられておらず、帰国した元
在日朝鮮人と同じ扱いだったということです。
何か日本人として使いたいことがあれば、別途管理されると思うんです。田口
八重子さんや横田めぐみさんたちは別途管理されているんですが、そういうこと
がなかったという点でも、緊急避難的に拉致をしたのではないか。
在日朝鮮人と同じ扱いだったからこそ日本に手紙も書けた。横田めぐみさんた
ちが日本に手紙を書くのはありえないほど厳しい管理をされているのとはここも
違うと思っています。
次の人定拉致ですが、高姉弟(敬美、剛)、久米裕さん、田口八重子さん、原
敕晁さんは、日本国内の組織がこういう人を探せと言われて、人を探して、北と
連絡を取りながら、拉致することを決め、「いつ、どの海岸に連れてこい」と言っ
て北から迎えが来るという形です。
少し違いますが、国外の拉致もある面で人定しているわけで、有本恵子さんは
八尾恵が「対象者さ」と田宮に連絡して、これでいいか何回も連絡して、これで
いこうとなった後おびき出された。変形ですが、海岸におびき出すのではなく、
空港におびき出したり、北朝鮮の工作員に引き渡すわけですが、人定しているこ
とは間違いない。
本来、拉致というのは緻密に計画して、必要な人材がいて、それに合う人を探
して、これでいきますよということでやるものなのです。ここまでは常識的な話
だと思いますが、我々が今日北朝鮮に問題提起したいのは、「あなたたちは、7
7年、78年に、この人定拉致とは違う条件拉致をやっていたでしょう。記録を
調べてみなさい。我々が行っていることが正しいと分かったら、日本を甘く見て
はいけないということが分かるはずだ」ということです。
松本京子さんは1977年10月で、富山未遂事件が78年8月です。この間
集中的にあった拉致の中で、久米裕さん、田口八重子さん、原敕晁さんは人定拉
致ですが、その他は条件拉致だったというのが我々の主張です。
条件拉致は、ある条件、若い女性とか若い男女というような条件に合う者を拉
致する。誰をではなく、条件が与えられて工作員たちが上陸する。そして条件に
合う人を探して、待ち伏せして、袋に入れて、連絡して迎えが来るという形です。
◆当初は拉致被害者の工作員化が狙い
蓮池さんが話されているものを見たり、地村さんから話を聞くと、「当初若い
女性が狙われていた。若い女性を工作員の教官ではなく工作員にしようとしてい
た」ようです。
田口さんや地村富貴恵さんは、「金正日政治軍事大学に入らないか」と言われ
た。田口さんは、工作員になったら海外に行けて、逃げ出せば日本に帰れるかも
しれないから「なりたい」と言っていたという話を聞いています。
めぐみさんは、10代前半でも、洗脳して工作員に使うにはいいと思われた可
能性がある。蓮池さんの話では、本人たちを洗脳して工作員にするという計画が
あって、特に女性たちが訓練を受けたけれども、海外で演習を行った時に、逃げ
たことがあった。それでやはり成人の洗脳は無理ということで、本人を工作員に
する計画が中途で中止になり、その後教官として使われた、と。
これは金賢姫も同じことを言っています。当時、若い女性を連れてきて洗脳し
ろという命令が金正日から出ていた、と。しかし、なかなかうまくいかないとい
う状況だったんです。
それで拉致の常識とは離れた条件拉致を始めたのではないか。
恵谷 私が思うのは、当初は若い女性。それが松本京子さん、横田めぐみさん。
めぐみさんは我々から見ると中学生ですが、北から見ると結構大人に見えたのか
もしれない。
金正日は最初は女性を洗脳して工作員にするということは、ある意味で確信を
持ってやっていて、その成果が金賢姫です。その後のアベック拉致も、男はいわ
ば付け足しだったと北の指導員が言っています。とにかく目的は女性だった。
しかし、女性一人では精神的に不安定になり、寂しいとか色々な問題があるの
でカップルにしろとなった。
◆77年は若い女性が狙われ、78年はアベックが狙われた
西岡 その後、曽我さんだけが若いカップルではなく母子で、お母さんはそれほ
ど若くない。曽我さんに聞いてみると、拉致した時、3人の男に後ろから襲われ
ています。お母さんと曽我さんがうす暗い道を歩いていた。お母さんはいつもズ
ボンをはいていた。曽我さんはその日ワンピースだった。後ろから見たら、若い
アベックに見えたのではないか、というのも一つの仮説です。
そうすると、77年は若い女性が狙われ、78年はアベックが狙われた。条件
ということとぴったり合うということです。
拉致する時は調査部の工作員1人と、作戦部の戦闘員3人の4人で拉致をする。
蓮池さん、地村さん、曽我さんのケースについては、被害者が帰ってきています
から分かっているんですが、みんな同じです。
蓮池さんのケースは崔(チェ)スンチョルという調査部の工作員、地村さんの
ケースは有名な辛光洙(シン・ガンス)、曽我さんのケースは金ミョンスクとい
う女性の工作員でした。そしてそれぞれ3人の戦闘員がいました。
北朝鮮の戦闘員なら一人で一人を拉致できると思います。惠谷さんの推測では
戦闘員2人と組長が1人ですね。
恵谷 戦闘員というのは聞きなれない言葉でしょうが、朝鮮労働党作戦部に所属
している人物を戦闘員と言います。腕っぷしが強くて乱暴なことが得意。北朝鮮
の用語では、浸透組と言います。日本に潜入するのはだいたい3人で1組です。
そして浸透組には組長が1人います。実行組のリーダーです。
それとは別に調査部の工作員が1人。海岸事業や日本の風習などにたけた日本
事情に明るい1人と組んで拉致を重ねてきたのが実態です。
西岡 調査部の工作員は日本語ができます。崔スンチョルについては、相当詳し
いことを、蓮池さん、地村さんたちが話しています。なぜそれが分かるかという
と、崔スンチョルは工作員を引退した後、指導員として蓮池さん、地村さんたち
と同じ地域にいたんです。そして行ったり来たりをずいぶんしていたそうです。
だから昔の話を詳しく聞いているんです。
◆工作員も条件拉致は無理と考えたが
崔スンチョルは新潟県柏崎に行って拉致をしてこいと言われた時、「これは無
理だ。もっと準備の時間が必要だ」と言って、叱責されたということを、後で被
害者は聞いています。
この叱責されたことを考えると、何回も日本に浸透して、小熊和也さんの身分
を盗用して成りすましたりした経験のある人間として、拉致をするには日本国内
の地下組織と協力して人定をさせて、その人間が警察のスパイでないかも確認し
た上でやるのが常道なんです。いくら時間がないからといって、海岸で無理やり
拉致するというのは常道ではない。もう少し時間をくれれば、自分にも日本に地
下組織があるから若い女を連れてこれる、と言ったんじゃないかと思います。
しかし、「だめだ、やれ」と言われた。それで3人の戦闘員を連れて崔スンチョ
ルは新潟県柏崎沖に来るわけです。そして上陸して3泊したということです。旅
館を変えた。そして戦闘員たちが度胸をつけるために、食堂で、日本語でカレー
ラースを注文させた、と言っています。
つまり柏崎で上陸して、アベックがいそうな所を探したんだと思います。そし
て海岸だということで。蓮池さんたちは図書館に自転車を置いて、海岸に行き、
アベックだから暗い方にいってしまった。そこで待ち伏せされたんですが、崔ス
ンチョルは後で蓮池さんたちに衝撃的な言っています。
◆人定ではなく、アベックという条件で拉致
お前たちの前にアベックが来た。それを拉致しようと思っていたけれど、酔っ
払いのおじさんが一升びんをもって現れたので、それをやめてお前たちになった
んだ、と。
この証言から、条件拉致だったことが分かります。アベックという条件だった。
酔っ払いのおじさんが出てこなければ、前のアベックがやられたわけですから、
人定ではないということが分かったわけです。
そういう目で他の事件も見ていくと、そうではないかと思える。地村さんたち
のケースも、実はあの時展望台にもう一組のアベックがいた。展望台は2階建て
で、1階に一組のアベックがいたから2階に上がった。変な男たちがいると思っ
て1階の二人は逃げていったので、自分たちも席を立とうと思ったら、後ろから
襲われた。
1階にいたアベックが2階に行っていたら、地村さんたちは1階に座っていた
だろう。そうしたら地村さんたちではなく、1階にいたアベックが2階で拉致さ
れたかもしれない。
増元さんたちの場合は帰ってきていないので分かりませんが、アベックがやら
れたという点では一致していますし、富山の未遂事件もアベックがやられた。こ
の事件も4人の男に襲われていた。
ここまで分かってきたんですが、惠谷さんの分析で、工作員の潜入と脱出のパ
ターンから条件拉致を見ると、もう少し色々なことが分かってきます。
(3につづく)
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