救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

国連人権委員会強制的失踪作業部会に提出された曽我ひとみさんの訴え(2003/11/12)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2003.11.12-2)

■国連人権委員会強制的失踪作業部会に提出された曽我ひとみさんの訴え

  ジュネーブの国連人権委員会強制的失踪作業部会で、本日、午前11時(日本時
間19時)に、曽我ひとみさんからの提出文書が報告されます。本人は参加せず、外
務省アジア大洋州局の斎木審議官が代行し、また政府としての報告も行われる予定で
す。内閣支援室から岡田副室長が同行します。また、その後、16時(日本時間24
時)に記者団にブリーフィングがある予定です。以下は、曽我ひとみさんの訴え全文
です。

 私は、1978年に北朝鮮に拉致された、曽我ひとみです。
今回、私と一緒に拉致され、いなくなった私の母、曽我ミヨシのことをお願いしたく
て、この文章を送ります。宜しくお願い致します。
 北朝鮮によって拉致されたのは、1978年8月12日土曜日、新潟県佐渡郡真野
町四日町の路上で私と母は一緒に襲われて今まで母の消息は未だに何一つわかってお
りません。

 1978年8月12日土曜日、19時頃、家を出て私と母は近所のお店に夕食のお
かずを買いに二人で出かけました。その日は、ごく普通の日を過ごし二人で出かけた
買い物が母と生き別れになってしまうとは知る由もありませんでした。

 私の家から、逸見商店までは、まっすぐな一本道で500メートル位離れている場
所にあり、歩いて5?6分の距離です。私の家も、お店も国道沿いです。国道沿いに
は四日町の家並みが続いていますが、その当時は、とても暗く、当時街灯は数少なか
ったので、大変暗い道でした。灯りと言えば、家並みの中の灯りがぼんやりと照らさ
れる程度でした。最初、家を出て反対側に渡り、海側の歩道を母と一列になって歩い
ていました。行きも帰りも車の往来は2?3台程度でした。

 お店に着いて、お店の中には10分もいなかったと思います。品物を見ながら「あ
れにしようか、これにしようか?」と決めたりして、お店のおばさんと少し会話をし
てお店を後にしました。帰り道も海側を歩きました。帰りは母と二人並んで歩いてい
ました。その日の帰り道に、私と母に挨拶をしたと言う、近所のおばさんの証言があ
りますが、私には覚えがありません。

 私と母は、買い物を終えて、話をしながら家に向かっていました。お店と家のちょ
うど真ん中辺りを少し過ぎた頃、国道沿いにある臼木農機具整備工場の手前、永井忠
昭さんのお宅辺りだったと思います。背後に人の気配がして、私が後ろを振り向く
と、男の人が3人横並びに私達の後ろをついてくるのが見えました。私と母は、その
男達3人を見て「気持ち悪い、怖いね」と話をしながら歩き続けました。その後少し
して、私と母が足早に歩き始めた途端、急に後ろから男達3人が、走って来て私と母
は、国道沿いの臼木農機具整備工場から14?15メートル先のお宅の敷地内にあ
る、歩道と敷地内の境に140cm位の高さの赤い実のなる木の辺りに引きずり込ま
れました。

 私はすぐに、口をふさがれ、手足を縛られ、袋の中に入れられました。私はちょっ
とは、抵抗しましたが、男性3人の力と私の力では抵抗出来ず、体をパタパタとさせ
るくらいしか出来なかったのです。母は襲われるまで横にいたから一緒に襲われたと
思いましたが、私はすぐに、袋に入れられ担がれ、その場を去った様なので、母の気
配は感じることさえも無理でした。そして、私は1人に担がれ数分運ばれて、小舟ら
しいものに乗せられ、しばらくして、海へ出た気配を感じました。

 縛られて、袋の中に入れられたまま船の中で出発を待っている時に日本語を話す女
性の声がしました。しかし、日本人ではないような気がしました。日本語の話し方が
少しおかしいようでした。小さな声で話をしていたので内容は聞き取れませんでし
た。そして、誰と話をしているかも、その中にいる人数も、わかりませんでした。

 海へ出たあと、もう少し、大きい船に乗り替えました。袋のまま船室の中の一室へ
運ばれ初めて袋から出してもらいました。部屋の中からは、1日中出ることもなく、
その船の中で人を見たのは、朝と昼、2回の食事を運んできた男性のみ1人だけでした。
 1978年8月13日、17時頃、北朝鮮の清津に到着。(13日17時頃と、時
間がはっきりと覚えているのは、拉致されたとき腕時計を身につけていましたので時
間は覚えています。)清津について後、招待所に移動しましたが、その責任者に母の
行方を聞きましたところ「日本で元気に暮らしているから心配しなくてもいい」と言
われました。

 1978年8月12日土曜日の夜から一度も会っていない母です。並々ならぬ苦労
の中で私と妹を育ててくれた母に、もうこれ以上苦労をさせるわけにはいきません。

 何の消息もわかっていない母を助けて下さい。どんな小さな情報でも欲しいと言う
気持ちで一杯です。今年母は72才になります。体のことが大変心配です。どうか、
私に親孝行させて下さい。

 皆様、どうぞ宜しくお願い致します。心より信じております。
 有難うございました。

                          曽我ひとみ(署名)



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