救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

寺越事件を石川県警に告訴・告発(2003/11/27)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2003.11.27-2)

■ 寺越事件を石川県警に告訴・告発


11月27日午前11時半、1963年石川県近海で拉致された寺越昭二さんの息
子、寺越昭男、北野政男、内田美津夫さんと救う会石川(米光正次会長)は、元北朝
鮮工作員安明進氏に証言などをもとに、石川県警に拉致実行犯オグホを刑事告訴・告
発した。西岡力救う会全国協議会常任副会長も同行した。
 石川県警は本部長の代理として公安課長が告訴、告発状を受け取り、全力で時間解
明に取り組むと約束した。家族と救う会側は早急に安明進氏の事情聴衆を実行するこ
とを求めた。

 その直後にもたれた記者会見には安明進氏がソウルから駆けつけ、寺越事件は拉致
以外考えられないと力説した。
 会見で昭男さんらは、北朝鮮は昭二さんは1968年の誕生日の朝に死亡したと通
告しているが、昨年10月に提供された昭二さんの墓地の写真を見ると、1927年
3月30日生まれ、1968年3月30日死亡と刻まれている、しかし、昭二さんの
生年月日は3月31日であり、本人が北朝鮮に上陸していれば自分の誕生日を間違っ
て伝えるはずはないので、安明進氏の証言とおり拉致現場で射殺されたことが確実に
なると、墓の写真と昭二さんの戸籍謄本を示しつつ話した。

 以下、寺越昭二さんに関する告訴状と寺越外雄さんに関する告発状を全文、掲載す
る。






                 告 訴 状

                         平成15年11月27日

 石川県警察本部長 殿

  〒929?1416 石川県羽咋郡志雄町字出浜イ233番地
告訴人   寺越昭男
  〒925?0137 石川県羽咋郡志賀町字福井ホ80番地1
告訴人   北野政男
  〒925?0608 石川県羽咋市神子原町ウ71番地
告訴人   内 田 美津夫
国 籍  朝鮮民主主義人民共和国
平壌市兄弟山区域鶴山里(1991年ころまでの住所)
平壌市万景台区域光復通り(1991年初めころからの住所)
被告訴人   オ グホ

第1 告訴事実
被告訴人は,昭和38年5月12日,日本国民を朝鮮民主主義人民共和国内へ移送目
的で略取する等の非合法活動をする目的で工作船にて本邦領海内に侵入し,上陸の機
会を窺っていたところ,同日午前2時ころ,石川県羽咋郡富来町福浦燈台235度4
海里海上付近において,メバル漁のために漁船に乗船していた寺越昭二(告訴人の実
父,当時36歳),同外雄(昭二の実弟,当時24歳),及び同武志(昭二の甥,当
時13歳)らに目撃され,同人らに大声で騒がれたことから,同人らに対し工作船に
乗るように命じたが,抵抗されたため,自己の犯罪を隠蔽するため,
1 とっさに昭二を殺意しようと決意し,前記日時場所において,あらかじめ所持し
ていた拳銃を用いて銃弾を発射し,同人に命中させ,よって,そのころ,同所におい
て,同人を殺害し
2 前記日時場所において,上記犯行の発覚を防ぐため,直ちに同人の死体を乗船し
ていた工作船に積載して搬送した上,同海上付近において,所携のロープに重りを結
びつけて海中に投げ込み,もって死体を遺棄し
たものである。
第2 罪名及び罰条
殺人  刑法199条
死体遺棄  刑法190条
第3 告訴の理由
1 告訴人らと被害者との関係
告訴人らは,昭和38年5月12日午前2時ころ,石川県羽咋郡富来町福浦燈台23
5度4海里海上付近において,被告訴人により拳銃で殺害され,死体を遺棄された寺
越昭二(当時36歳)の子で,寺越昭男は長男(昭和25年3月14日生),北野政
夫は次男(昭和26年4月1日生),内田美津夫は三男(昭和28年7月7日生)で
ある。
2 告訴に至った経緯
告訴人らの父の死亡の情報としては,朝鮮民主主義人民共和国(以下,「北朝鮮」と
いう。)より,1968年(昭和43年),41才の誕生日の朝,清津の病院でベッ
ドから落ちて死亡していたところを発見された(病死)と発表され,告訴人らには1
990年(平成2年)に「墓の土」と称するものが渡され,2002年(平成14年)
に墓の写真が提供されている。
しかし,北朝鮮で生活したことを示す写真や手紙,遺骨などの客観的証拠が示されて
いないこと,北朝鮮より提供された墓石と称する石の写真はコンクリートがとても白
く,1968年に作られたものには見えなかったこと,また,その石の写真には,父
の生年月日が1927年(昭和2年)3月30日,死亡日が1968年(昭和43年)3
月30日とあるが,父の生年月日は1927年(昭和2年)3月31日であり,父本
人が北朝鮮で生活していたのであれば間違えるはずもない生年月日の情報が間違って
いたこと,しかも,北朝鮮元工作員の安明進氏(以下,「安氏」という。)が199
8年(平成10年)に日本で出版した「北朝鮮拉致工作員」(徳間書店)の中で,本
件事件の実行犯(被告訴人)から聞いた話として,当日漁に出て行方不明になった3
人のうち,1人を現場で射殺したと被告訴人が語るのを,安氏が直接聞いたと書かれ
ていることから,父は北朝鮮で病死したのではなく,被告訴人に殺害され,死体を遺
棄されたものと考えられる。
3 被害の経緯
(1) 上記安氏が,本件事件の実行犯(被告訴人)から聞いた話とは,おおよそ,以
下の通りである。
(2) 被告訴人は,1961,2年ころから17年間日本侵入担当の清津連絡所で工
作員をしており,その後も同連絡所で方向長,党書記という指揮官として6,7年勤
務した後,金正日政治大学教官となり副講座長となった。
安氏は,1988年(昭和63年)11月ころ,安氏が所属していた金日成政治軍事
大学2年時,当時60歳くらいで,「航海講座」の副講座長をしていた被告訴人の講
義時間中,被告訴人と学生との以下のようなやりとりから,本件事件について聞くこ
ととなった。
被告訴人:「我が国の海岸線は単純だが,日本は凸凹が多いが砂浜が多いので地形を
みて航海することは容易ではない。(韓国)江原道は海岸がすぐ山につながっている
ので地形を見て航海することが容易だ」
学  生:「教官,日本によく侵入したのでしょう」
被告訴人:「そうだ,よく行ってきた。おれは日本だけに行って南には行っていない」
学  生:「丁教官が拉致したと言っていますが,教官のときも拉致がありましたか」
被告訴人:「おれたちもたくさんやった。おれが元祖だ。おれたちがしたのが一番先
だろう。196×年ノト半島に入っておれたちは3人拉致してきた」
学  生:「そのときにも拉致していたのですか」
学  生:「その話してください」
被告訴人:「だめだ。講義を進めなくては…。話してやろうか」
被告訴人:「夜,日本の海岸に船の明かりを消して低速で侵入したのだが,思いがけ
ない場所に小さな船が突然現れ,大声を出して何か言ってきた。声が聞こえてそれが
分かった。
その場で状況を判断しなければならない。任務は遂行しなければだめだが,目の前に
人がいる。学生たち,お前たちならどうする」
学  生:「殺さなければなりませんね」
被告訴人:「子供たちがいたらどうする」
学  生:(沈黙)
被告訴人:「子供一人のために革命事業をだめにするのか。そのとき,子供がいたん
だ。子供でも殺さなければならない。しかし,その場で殺して遺体を放置すれば次に
侵入するときに疑われる。疑われない場所まで乗せていってそこで殺して捨てなけれ
ばだめだ。
それで,こちらに乗り移らせようと何回も上がってこいと言ったがきかなかった。小
さな子供がこわがって大声で泣いた。泣き声が大きかったのでその場で子供をかばっ
ている人を射殺した。そのあと,ぶるぶる震えている子供一人,大人一人を乗り移ら
せ死体も乗せ上げた。
彼らの船が証拠として残るから,こちらの船を一度後進させてその船をひきつぶした」
学  生:「死体をなぜ船に乗せたのですか(死体が重いことを知っての質問)」
被告訴人:「船にはロープがたくさんあるのに死体一つ持ち上げられないのか」
学  生:「清津まで死体を乗せてきたのですか」
被告訴人:「何キロか行って捨てた」
学  生:「死体はそのままでは沈まないではないですか」
被告訴人:「潜水に使う鉛の重りがあるだろう。それをいくつかひもで結びつければ
沈む」
4 安氏の証言
(1) 安氏は,告訴人らの要請を受けて本件事件現場を訪れると,以下のような証言
をした。
(2) まず,被害者らが網を仕掛けた岩場が眺められる小福浦海岸の現場を見て,す
ぐに安氏は「(岩場が続く海岸からすぐに2メートル程度の崖となり,崖の上に道路
があるという地形が)工作員の上陸地点としてとてもふさわしいところだ」と話した。
(3) さらに,安氏は,近くに民家は全くなく,当時は,道路も舗装されておらず街
灯もなく夜は真っ暗であったが,これらの条件は上陸地点として最適であること,こ
れらに加えて,もう一つ海から見て何か目印になるものがあることが上陸地点として
使う条件であるが,当時は,大きな松が一本近くの山に立っていたこと,そして,メ
バル漁の網はいつも同じ場所に仕掛けるものではなく,被害者らは,たまたまその日
その磯に仕掛けたこと等を確認すると,「当日,拉致実行犯であるオ・グホ教官(被
告訴人)らを乗せた工作船はこれまで何度も利用してきた小福浦の上陸地点に向かっ
て松の木を目印に灯を消してゆっくりと侵入してきた。ちょうどその日寺越さんたち
が仕掛けた網の所に近づき,それを見た寺越さんらが漁師にとって貴重な網を引っか
けられては大変と工作船に向かい大声を上げた。不法侵入の現場を目撃されたため,
工作員らは漁師らを拉致しようとして工作船に乗り移れと命令したが,言うことを聞
かなかったので,恐怖で泣き声を上げた武志さんを抱きかかえてかばった昭二さんを
その場で射殺し,外雄さんと武志さんと昭二さんの死体を工作船に乗せ,しばらく航
海した後死体に重りをつけて海に捨て二人は清津の連絡所まで拉致していった,と考
えると,自分が工作員養成学校で聞いた拉致実行犯の話と現場の様子が一致する」と
説明した。
(4) また,安氏は「北朝鮮は寺越さんら3人が遭難して海中を漂流しているところ
を発見して,救助して清津に連れて行ったと主張している(告訴人注:1988年旧
日本社会党の嶋崎譲衆議院議員が訪朝した時の北朝鮮の説明)と聞くが,全く信じら
れない嘘です。5月の海の中に投げ出されたなら寒さで凍え死んでしまいます。
わたしは直接日本人拉致をしませんでしたが,寺越昭二さんを射殺し外雄さんと武志
さんを拉致した工作員と同じ機関に所属していたものとして,申し訳ない気持ちでいっ
ぱいです。事件の真相を一日でも早く明らかにするため,寺越昭二さんの息子さん方
と救う会石川の運動に対して,できる限りの協力を行う覚悟です」と証言している。

添付書類
1 北朝鮮が寺越昭二の墓と発表した石の写真
2 寺越昭二の戸籍謄本



              ★ ★ ★ ★ ★ ★


                  告 発 状

                         平成15年11月27日

 石川県警察本部長 殿

〒658?0083 兵庫県神戸市東灘区魚崎中町三丁目2番地16号
告発人   寺 越 文 雄
〒929?1416 石川県羽咋郡志雄町字出浜イ233番地
告発人   寺 越 昭 男
〒925?0137 石川県羽咋郡志賀町字福井ホ80番地1
告発人   北 野 政 男
〒925?0608 石川県羽咋市神子原町ウ71番地
告発人   内 田 美津夫
〒929?0223 石川県石川郡美川町浜町ソ471?3
告発人   米 光 正 次
国 籍  朝鮮民主主義人民共和国
平壌市兄弟山区域鶴山里(1991年ころまでの住所)
平壌市万景台区域光復通り(1991年初めころからの住所)
被告発人   オ グホ

第1 告発事実
被告発人は,昭和38年5月12日,日本国民を朝鮮民主主義人民共和国内へ移送目
的で略取する等の非合法活動をする目的で工作船にて本邦領海内に侵入し,上陸の機
会を窺っていたところ,同日午前2時ころ,石川県羽咋郡富来町福浦燈台235度4
海里海上付近において,メバル漁のために漁船に乗船していた寺越昭二(告発人の実
父,当時36歳),同外雄(昭二の実弟,当時24歳),及び同武志(昭二の甥,当
時13歳)らに目撃され,同人らに大声で騒がれたことから,同人らに対し工作船に
乗るように命じたが,抵抗されたため,自己の犯罪を隠蔽するため,朝鮮民主主義人
民共和国内に移送する目的で,前記日時場所において,外雄を略取したものである。
第2 罪名及び罰条
国外移送目的略取  刑法226条
第3 告発の理由
1 告発人らと被害者との関係
告発人らは,昭和38年5月12日午前2時ころ,石川県羽咋郡富来町福浦燈台23
5度4海里海上付近において,被告発人により朝鮮民主主義人民共和国に移送する目
的で略取された寺越外雄(当時24歳)とは,寺越文雄は兄(昭和11年2月12日
生),同寺越昭男(昭和25年3月14日生),同北野政男(昭和26年4月1日生
),同内田美津夫(昭和28年7月7日生)らは甥(外雄の兄である亡寺越昭二の子)
にあたり,米光正次は,北朝鮮に拉致された日本人を救出する石川県民の会会長であ
る。
2 告発に至った経緯
告発人らの叔父である外雄は,昭和38年5月11日午後11時45分ころ,メバル
漁のために同日の午後4時ころに仕掛けた網の様子を見るために,昭二,武志らと共
に福浦港を出港したが,そのまま行方不明となり,翌12日午前8時ころ,高浜港か
ら4海里離れた地点で,外雄らが乗船していた無人の船が他の漁船によって発見され
た。
その後,行方不明から24年経過した1987年(昭和62年)1月24日,外雄か
ら「昭二,外雄,武志の3人は,1963年5月にとつぜん,朝鮮で暮らすようにな
りました」との手紙が朝鮮民主主義人民共和国(以下,「北朝鮮」という。)より届
き,翌1988年8月,当時衆議院議員であった嶋崎譲氏(社会党)が訪朝した際,
北朝鮮より遭難していた3人を救助して連れてきたあと,本人たちが自分の意志で北
朝鮮で暮らすことにしたとの説明を受けた。
しかし,行方不明当日は,海は静かな凪であったこと,また網を仕掛けたのは海岸か
らすぐ見える300メートルくらいしか離れていない地点であり,泳いでも海岸まで
たどり着ける場所だったこと,5月の海に投げ出され漂流していたのであるならば,
寒さで凍え死んでしまっているであろうこと,しかも,北朝鮮元工作員の安明進氏
(以下,「安氏」という。)が1998年(平成10年)に日本で出版した「北朝鮮
拉致工作員」(徳間書店)の中で,本件事件の実行犯(被告発人)から聞いた話とし
て,当日漁に出て行方不明になった3人のうち,1人を現場で射殺したと被告発人が
語るのを,安氏が直接聞いたと書かれていることなどから,外雄は自分の意志で北朝
鮮で暮らすことになったのではなく,被告発人に略取されたものと考えられる。
3 被害の経緯
(1) 上記安氏が,本件事件の実行犯(被告発人)から聞いた話とは,おおよそ,以
下の通りである。
(2) 被告発人は,1961,2年ころから17年間日本侵入担当の清津連絡所で工
作員をしており,その後も同連絡所で方向長,党書記という指揮官として6,7年勤
務した後,金正日政治大学教官となり副講座長となった。
安氏は,1988年(昭和63年)11月ころ,安氏が所属していた金日成政治軍事
大学2年時,当時60歳くらいで,「航海講座」の副講座長をしていた被告発人の講
義時間中,被告発人と学生との以下のようなやりとりから,本件事件について聞くこ
ととなった。
被告発人:「我が国の海岸線は単純だが,日本は凸凹が多いが砂浜が多いので地形を
みて航海することは容易ではない。(韓国)江原道は海岸がすぐ山につながっている
ので地形を見て航海することが容易だ」
学  生:「教官,日本によく侵入したのでしょう」
被告発人:「そうだ,よく行ってきた。おれは日本だけに行って南には行っていない」
学  生:「丁教官が拉致したと言っていますが,教官のときも拉致がありましたか」
被告発人:「おれたちもたくさんやった。おれが元祖だ。おれたちがしたのが一番先
だろう。196×年ノト半島に入っておれたちは3人拉致してきた」
学  生:「そのときにも拉致していたのですか」
学  生:「その話してください」
被告発人:「だめだ。講義を進めなくては…。話してやろうか」
被告発人:「夜,日本の海岸に船の明かりを消して低速で侵入したのだが,思いがけ
ない場所に小さな船が突然現れ,大声を出して何か言ってきた。声が聞こえてそれが
分かった。
その場で状況を判断しなければならない。任務は遂行しなければだめだが,目の前に
人がいる。学生たち,お前たちならどうする」
学  生:「殺さなければなりませんね」
被告発人:「子供たちがいたらどうする」
学  生:(沈黙)
被告発人:「子供一人のために革命事業をだめにするのか。そのとき,子供がいたん
だ。子供でも殺さなければならない。しかし,その場で殺して遺体を放置すれば次に
侵入するときに疑われる。疑われない場所まで乗せていってそこで殺して捨てなけれ
ばだめだ。
それで,こちらに乗り移らせようと何回も上がってこいと言ったがきかなかった。小
さな子供がこわがって大声で泣いた。泣き声が大きかったのでその場で子供をかばっ
ている人を射殺した。そのあと,ぶるぶる震えている子供一人,大人一人を乗り移ら
せ死体も乗せ上げた。
彼らの船が証拠として残るから,こちらの船を一度後進させてその船をひきつぶした」
学  生:「死体をなぜ船に乗せたのですか(死体が重いことを知っての質問)」
被告発人:「船にはロープがたくさんあるのに死体一つ持ち上げられないのか」
学  生:「清津まで死体を乗せてきたのですか」
被告発人:「何キロか行って捨てた」
学  生:「死体はそのままでは沈まないではないですか」
被告発人:「潜水に使う鉛の重りがあるだろう。それをいくつかひもで結びつければ
沈む」
4 安氏の証言
(1) 安氏は,告発人らの要請を受けて本件事件現場を訪れると,以下のような証言
をした。
(2) まず,被害者らが網を仕掛けた岩場が眺められる小福浦海岸の現場を見て,す
ぐに安氏は「(岩場が続く海岸からすぐに2メートル程度の崖となり,崖の上に道路
があるという地形が)工作員の上陸地点としてとてもふさわしいところだ」と話した。
(3) さらに,安氏は,近くに民家は全くなく,当時は,道路も舗装されておらず街
灯もなく夜は真っ暗であったが,これらの条件は上陸地点として最適であること,こ
れらに加えて,もう一つ海から見て何か目印になるものがあることが上陸地点として
使う条件であるが,当時は,大きな松が一本近くの山に立っていたこと,そして,メ
バル漁の網はいつも同じ場所に仕掛けるものではなく,被害者らは,たまたまその日
その磯に仕掛けたこと等を確認すると,「当日,拉致実行犯であるオ・グホ教官(被
告発人)らを乗せた工作船はこれまで何度も利用してきた小福浦の上陸地点に向かっ
て松の木を目印に灯を消してゆっくりと侵入してきた。ちょうどその日寺越さんたち
が仕掛けた網の所に近づき,それを見た寺越さんらが漁師にとって貴重な網を引っか
けられては大変と工作船に向かい大声を上げた。不法侵入の現場を目撃されたため,
工作員らは漁師らを拉致しようとして工作船に乗り移れと命令したが,言うことを聞
かなかったので,恐怖で泣き声を上げた武志さんを抱きかかえてかばった昭二さんを
その場で射殺し,外雄さんと武志さんと昭二さんの死体を工作船に乗せ,しばらく航
海した後死体に重りをつけて海に捨て二人は清津の連絡所まで拉致していった,と考
えると,自分が工作員養成学校で聞いた拉致実行犯の話と現場の様子が一致する」と
説明した。
(4) また,安氏は「北朝鮮は寺越さんら3人が遭難して海中を漂流しているところ
を発見して,救助して清津に連れて行ったと主張していると聞くが,全く信じられな
い嘘です。5月の海の中に投げ出されたなら寒さで凍え死んでしまいます。
わたしは直接日本人拉致をしませんでしたが,寺越昭二さんを射殺し外雄さんと武志
さんを拉致した工作員と同じ機関に所属していたものとして,申し訳ない気持ちでいっ
ぱいです。事件の真相を一日でも早く明らかにするため,寺越昭二さんの息子さん方
と救う会石川の運動に対して,できる限りの協力を行う覚悟です」と証言している。
以 上
 


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発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
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担当:平田隆太郎(事務局長info@sukuukai.jp)
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
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