拉致被害者救出運動20年特別集会記録1(2017/03/27)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2017.03.27)
平成29年3月24日、家族会・救う会・拉致議連は、拉致被害者救出運動2
0年特別集会を東京・文京区民センターで開催した。
家族会が結成され、北朝鮮にとらわれている拉致被害者を救出する運動が始まっ
て今年3月25日で20年になる。政府認定被害者が最初に拉致された時から4
0年が経っている。平成14年に5人の被害者を取り戻すという成果があったが、
その後は1人も取り戻せていない。3団体は、3月23日、「わが国が拉致問題
を最優先として、全被害者が帰ってくれば独自制裁解除など見返りを出せるとい
う姿勢で働きかければ、今年中に全被害者を救うことも十分可能」との共同声明
を出した。
参加者は、家族会から飯塚繁雄代表、横田哲也事務局次長、有本明弘さん、斉
藤文代さん、松本孟さん、本間勝さん、寺越昭男さん、北野政男さんが、救う会
から西岡力会長が、拉致議連から塚田一郎事務局長が参加し、平沼赳夫会長のメッ
セージを代読した。さらに政府から加藤勝信・拉致問題担当大臣、各党拉致問題
対策本部から山谷えり子自民党本部長、渡辺周民進党本部長、上田勇公明党委員
長、中山恭子日本のこころ代表が参加した。
また、横田早紀江さん、横田拓也さん、増元照明さんについては、集会前日の
記者会見における発言を収録した。西岡力救う会会長が司会を務めた。
■拉致被害者救出運動20年特別集会記録1
◆日本は当たり前の国家ではなかった
西岡 本当に長い年月がかかってしまっています。先ほど、飯塚さんと話をしま
したが、田口八重子さんは22歳で1歳と2歳の子どもをベビーホテルに預けた
まま拉致されましたが、今60歳です。今年の誕生日が来ると61歳。ちょうど
私と同じ年齢です。
40年前、私は何をしていたか。大学4年生でした。まだ社会に出ていなくて、
自分の人生はどうなるんだろうなと思っていた。私はその後大学院に行き、韓国
で勉強して、大学教授になり、今還暦を迎えて、そろそろ老後を考えるという歳
になってしまいました。
その40年間を奪われたまま、まだ取り戻すことができていないというのが拉
致問題です。
今朝の新聞やテレビ等でも少し出ていましたが、運動を始めて20年経って、
初代代表の横田滋さんが、昨日の記者会見に来られなくなった。また当初から運
動していた有本嘉代子さんも、このところ出てくることができなくなっています。
ただ歳をとっただけではないと私は思っています。被害者を救うためにやれる
ことは何でもやるという活動をした結果、命をすりへらして、会見にも出ること
ができないくらい疲れ果てている。
最近の滋さんの話ですが、「悔いはない」と。多分、嘉代子さんも同じ気持ち
ではないかと思います。できることを全部やってきたという自信がある。しかし、
まだ娘の顔を見ることができない。それがこの40年間であり、そして20年間
でした。
お配りした(昨日の)声明にも、「無念で悔しくて言葉がない」と書きました。
最初の20年間は、家族の人たちは、「静かにしていなさい。騒いだら北にいる
被害者が危うくなる」と言われました。
その中で有本さんは何回も上京されて孤軍奮闘されていました。しかし、この
国は確実な証拠が当時あったにも関わらず、家族会・救う会ができるまでは、一
部の例外を除いて、政治家も外務省もマスコミも被害者を見捨ててきました。
私は1991年に文芸春秋社から出ている「諸君!」という雑誌に、「日本人
が拉致されている」という論文を書きました。学者として一番最初に書いたと思
いますが、その時言われたのは、「どうやったら被害者を助けられるでしょうか」
ではなく、「西岡先生身の危険はないですか」でした。警察の関係者や公安調査
庁や自衛隊の関係者から言われました。
日本の学者が、日本語で、日本の雑誌に、「日本人が拉致されている」と書い
たら身の危険がないかと心配される異常な空間があったんです。それを打ち破っ
たのは、20年前、<家族の人たちが名前を出して訴えたら、向こうにいる被害
者はもしかしたら証拠をなくすために殺されるかもしれない>という緊張感があ
りながらも、世論に訴えようという決断をし、実名を出して写真を公開し、活動
を始めたからです。タブーが解けたのです。
私は全国で講演しながら繰り返し言っています。日本が当たり前の国家であれ
ば、日本人が拉致されている事実が分かった段階で、今日加藤大臣が来てくださっ
ていますが、担当大臣ができていたはずです。
少なくとも1988年3月の、参議院予算委員会における梶山(静六)答弁で、
「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚だ」と言った。この後担当大臣ができて、
対策本部ができて当たり前だったのです。
残念ながら我々の経験則で、残念で悔しくてしょうがないことですが、我が祖
国は国民の怒りがないと被害者を救い出す体制を作らなかったのです。事実が明
らかになっただけでは足りなかったのです。それを打ち破ったのが、家族会の結
成でした。
私は学者として、家族会結成の6年前に論文を書いていましたから、大変厳し
い問題だということをよく分かっていました。そういう中で、家族の人たちが、
「自分たちはどうなってもいい。自分たちが犠牲になるなら向こうにいる被害者
を助け出す」というのは容易な決断なんですが、そうではないんです。
日本にいる家族の決断によって、向こうにいる被害者が逆に危険になるかもし
れないという本当に厳しいぎりぎりの決断を20年前にされたのを見て、家族の
人たちは世論に訴えるという決断をされたわけですが、これで世論が盛り上がら
なかったら日本はもう国家でも何でもないと思って、我々専門家や心ある国民が
集まって救う会を作りました。
そして20年運動をしてきました。最初の20年と同じだけ経ってしまって、
残念ながら5人しか救い出すことができていません。飯塚さんがいつもおっしゃ
いますが、「節目なんかないんだ」と。「20周年、次は25周年と何を準備す
るかなど、こんなバカなことをするな。20年の節目で集会をすること自体異常
なことだ」と。
しかし今日、20年間活動してきたけれども、5人しか助け出せなかったとい
うみじめな現実を直視して、今日は来られていない横田滋さんが言われたように、
我々も、できるのにやらなかったということがないように、できるだけのことは
全部やったと。そういう面で悔いがないような活動をしなければならないと思っ
ています。
ここに集まってくださった皆さんは東京集会で毎月集まってくださっています。
自分ができることなら何でもして、助けたいと思っておられる。向こうにいる被
害者の人たちがどんな気持ちで40年を振り返って耐えているか。それを想像す
ると胸がはりさけるような辛い気持ちになります。
しかし、わが同朋が彼の地で、心の中で東を見て、「いつ助けに来るか」と我
が祖国を待っている以上、あきらめることは絶対にできないという決意を持って、
今日の集会を始めたいと思います。宜しくお願いいたします(拍手)。
◆長い時間の重みがある、今年こそ解決を
主催者挨拶
飯塚繁雄(家族会代表、田口八重子さん兄)
皆様こんばんは。いつもご支援いただき本当にありがとうございます。そうは
言いながら、皆さんのご協力を得て活動してからもう20年も経ってしまったと
いうことになるわけです。
そして、それぞれの被害者が向こうに連れて行かれて40年近く経ちました。
自由を奪われ、それでもまだ助けを待っている。この長い時間の重みです。本当
に被害者の皆さんはつらいと思います。特に精神的に。これだけ長いと、「もう
帰れないのではないか」という被害者がいるかもしれません。
私たちは、何とかして助け出そうという気持ちを統一して1997年3月25
日、明日ですが、結成以来20年になります。よく、「20年の節目」という話
がありますが、問題は20年も経ってしまったがそれでも解決できないのはなぜ
だろうという反省の上に立って、今日の看板にもありますように、「今年中にす
べての被害者を救出せよ」という大きな強いスローガンを立てながら、本当に
「今年こそは」ということが実現できるように政府、国会、関心を持ってくださ
る多くの方々が活動し、今日は加藤担当大臣、各党代表の先生方もおられますの
で、今後どうしたら今年中に解決できるかに焦点を当ててお話をしていきたいと
思います。
また今日は家族の方々も集まっておられますので、後程お話も聞けると思いま
す。「今度こそ」という言葉は何回も使うんですが、もし今年解決しなかったら
大変なことになると私自身は非常に懸念をもっています。
全国津々浦々で、そして当然ながらわが総理大臣を中心として、ミサイルが飛
んでこようが、核実験をやろうが、どんな状況下にあろうとも、この問題を最優
先にして前に出して、今年中にという期限を切った形で皆さんと共に、心と意志
を集中しながら戦っていきたいと思います。
横田さんがこの(集会のちらしの)写真にあるように、元気なうちに、絶対に
めぐみちゃんに会わせるということも含めて戦っていきたいと思います。今日は
ありがとうございました(拍手)。
西岡 今回は家族会・救う会とともに拉致議連にも主催者に入っていただきまし
た。昨日の記者会見では車椅子を押して平沼会長が来てくださいましたが、今日
は日程のことなどがあって、来てくださることはできませんでしたが、メッセー
ジを預かっております。拉致議連事務局長の塚田一郎先生が代読してくださいま
す。宜しくお願いいたします。
◆強い意志を示し、行動していく
平沼赳夫(拉致議連会長、代読塚田一郎事務局長)
塚田 今西岡会長からお話がありましたように、今日は残念ながら出席がかない
ませんので私から会長のメッセージを代読させていただきます。
メッセージ
横田めぐみさん、松本京子さん、久米裕さんが1977年に拉致されてから4
0年、家族会・救う会が結成され20年の歳月が過ぎました。
この間、皆様が困難な状況の中で活動を続けてこられたことを思い返しますと、
拉致問題が未だ解決に至らないことは痛恨の思いです。
拉致議連は結成以降、家族会・救う会の皆様方と思いを共有し、行動を共にし
てきました。
引き続き、皆様と共に拉致被害者全員の即時救出の為、強い意志を示し、行動
していく拉致議連であることをお約束致します。
特定失踪者を含めたすべての拉致被害者をご家族のもとへ、一刻も早く取り戻
すべく私も全力で戦うことをお誓い申し上げます。
拉致議連 会長 衆議院議員 平沼赳夫
塚田 今日は各党からもお話があると思いますが、拉致議連は262名の超党派
の議員連盟ですが、その総意として、この1年の間に必ず拉致被害者を救出する
という家族会・救う会の思いをしっかり受け止めて、やれることを全力でやって
いくことをお約束申し上げて、会長のメッセージ代読とさせていただきます。宜
しくお願いいたします。ありがとうございました(拍手)。
(2につづく)
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■安倍首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
[PC]https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
[携帯]http://form1.kmail.kantei.go.jp/cgi-bin/k/iken/im/goiken.cgi
葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 安倍晋三殿
■救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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平成29年3月24日、家族会・救う会・拉致議連は、拉致被害者救出運動2
0年特別集会を東京・文京区民センターで開催した。
家族会が結成され、北朝鮮にとらわれている拉致被害者を救出する運動が始まっ
て今年3月25日で20年になる。政府認定被害者が最初に拉致された時から4
0年が経っている。平成14年に5人の被害者を取り戻すという成果があったが、
その後は1人も取り戻せていない。3団体は、3月23日、「わが国が拉致問題
を最優先として、全被害者が帰ってくれば独自制裁解除など見返りを出せるとい
う姿勢で働きかければ、今年中に全被害者を救うことも十分可能」との共同声明
を出した。
参加者は、家族会から飯塚繁雄代表、横田哲也事務局次長、有本明弘さん、斉
藤文代さん、松本孟さん、本間勝さん、寺越昭男さん、北野政男さんが、救う会
から西岡力会長が、拉致議連から塚田一郎事務局長が参加し、平沼赳夫会長のメッ
セージを代読した。さらに政府から加藤勝信・拉致問題担当大臣、各党拉致問題
対策本部から山谷えり子自民党本部長、渡辺周民進党本部長、上田勇公明党委員
長、中山恭子日本のこころ代表が参加した。
また、横田早紀江さん、横田拓也さん、増元照明さんについては、集会前日の
記者会見における発言を収録した。西岡力救う会会長が司会を務めた。
■拉致被害者救出運動20年特別集会記録1
◆日本は当たり前の国家ではなかった
西岡 本当に長い年月がかかってしまっています。先ほど、飯塚さんと話をしま
したが、田口八重子さんは22歳で1歳と2歳の子どもをベビーホテルに預けた
まま拉致されましたが、今60歳です。今年の誕生日が来ると61歳。ちょうど
私と同じ年齢です。
40年前、私は何をしていたか。大学4年生でした。まだ社会に出ていなくて、
自分の人生はどうなるんだろうなと思っていた。私はその後大学院に行き、韓国
で勉強して、大学教授になり、今還暦を迎えて、そろそろ老後を考えるという歳
になってしまいました。
その40年間を奪われたまま、まだ取り戻すことができていないというのが拉
致問題です。
今朝の新聞やテレビ等でも少し出ていましたが、運動を始めて20年経って、
初代代表の横田滋さんが、昨日の記者会見に来られなくなった。また当初から運
動していた有本嘉代子さんも、このところ出てくることができなくなっています。
ただ歳をとっただけではないと私は思っています。被害者を救うためにやれる
ことは何でもやるという活動をした結果、命をすりへらして、会見にも出ること
ができないくらい疲れ果てている。
最近の滋さんの話ですが、「悔いはない」と。多分、嘉代子さんも同じ気持ち
ではないかと思います。できることを全部やってきたという自信がある。しかし、
まだ娘の顔を見ることができない。それがこの40年間であり、そして20年間
でした。
お配りした(昨日の)声明にも、「無念で悔しくて言葉がない」と書きました。
最初の20年間は、家族の人たちは、「静かにしていなさい。騒いだら北にいる
被害者が危うくなる」と言われました。
その中で有本さんは何回も上京されて孤軍奮闘されていました。しかし、この
国は確実な証拠が当時あったにも関わらず、家族会・救う会ができるまでは、一
部の例外を除いて、政治家も外務省もマスコミも被害者を見捨ててきました。
私は1991年に文芸春秋社から出ている「諸君!」という雑誌に、「日本人
が拉致されている」という論文を書きました。学者として一番最初に書いたと思
いますが、その時言われたのは、「どうやったら被害者を助けられるでしょうか」
ではなく、「西岡先生身の危険はないですか」でした。警察の関係者や公安調査
庁や自衛隊の関係者から言われました。
日本の学者が、日本語で、日本の雑誌に、「日本人が拉致されている」と書い
たら身の危険がないかと心配される異常な空間があったんです。それを打ち破っ
たのは、20年前、<家族の人たちが名前を出して訴えたら、向こうにいる被害
者はもしかしたら証拠をなくすために殺されるかもしれない>という緊張感があ
りながらも、世論に訴えようという決断をし、実名を出して写真を公開し、活動
を始めたからです。タブーが解けたのです。
私は全国で講演しながら繰り返し言っています。日本が当たり前の国家であれ
ば、日本人が拉致されている事実が分かった段階で、今日加藤大臣が来てくださっ
ていますが、担当大臣ができていたはずです。
少なくとも1988年3月の、参議院予算委員会における梶山(静六)答弁で、
「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚だ」と言った。この後担当大臣ができて、
対策本部ができて当たり前だったのです。
残念ながら我々の経験則で、残念で悔しくてしょうがないことですが、我が祖
国は国民の怒りがないと被害者を救い出す体制を作らなかったのです。事実が明
らかになっただけでは足りなかったのです。それを打ち破ったのが、家族会の結
成でした。
私は学者として、家族会結成の6年前に論文を書いていましたから、大変厳し
い問題だということをよく分かっていました。そういう中で、家族の人たちが、
「自分たちはどうなってもいい。自分たちが犠牲になるなら向こうにいる被害者
を助け出す」というのは容易な決断なんですが、そうではないんです。
日本にいる家族の決断によって、向こうにいる被害者が逆に危険になるかもし
れないという本当に厳しいぎりぎりの決断を20年前にされたのを見て、家族の
人たちは世論に訴えるという決断をされたわけですが、これで世論が盛り上がら
なかったら日本はもう国家でも何でもないと思って、我々専門家や心ある国民が
集まって救う会を作りました。
そして20年運動をしてきました。最初の20年と同じだけ経ってしまって、
残念ながら5人しか救い出すことができていません。飯塚さんがいつもおっしゃ
いますが、「節目なんかないんだ」と。「20周年、次は25周年と何を準備す
るかなど、こんなバカなことをするな。20年の節目で集会をすること自体異常
なことだ」と。
しかし今日、20年間活動してきたけれども、5人しか助け出せなかったとい
うみじめな現実を直視して、今日は来られていない横田滋さんが言われたように、
我々も、できるのにやらなかったということがないように、できるだけのことは
全部やったと。そういう面で悔いがないような活動をしなければならないと思っ
ています。
ここに集まってくださった皆さんは東京集会で毎月集まってくださっています。
自分ができることなら何でもして、助けたいと思っておられる。向こうにいる被
害者の人たちがどんな気持ちで40年を振り返って耐えているか。それを想像す
ると胸がはりさけるような辛い気持ちになります。
しかし、わが同朋が彼の地で、心の中で東を見て、「いつ助けに来るか」と我
が祖国を待っている以上、あきらめることは絶対にできないという決意を持って、
今日の集会を始めたいと思います。宜しくお願いいたします(拍手)。
◆長い時間の重みがある、今年こそ解決を
主催者挨拶
飯塚繁雄(家族会代表、田口八重子さん兄)
皆様こんばんは。いつもご支援いただき本当にありがとうございます。そうは
言いながら、皆さんのご協力を得て活動してからもう20年も経ってしまったと
いうことになるわけです。
そして、それぞれの被害者が向こうに連れて行かれて40年近く経ちました。
自由を奪われ、それでもまだ助けを待っている。この長い時間の重みです。本当
に被害者の皆さんはつらいと思います。特に精神的に。これだけ長いと、「もう
帰れないのではないか」という被害者がいるかもしれません。
私たちは、何とかして助け出そうという気持ちを統一して1997年3月25
日、明日ですが、結成以来20年になります。よく、「20年の節目」という話
がありますが、問題は20年も経ってしまったがそれでも解決できないのはなぜ
だろうという反省の上に立って、今日の看板にもありますように、「今年中にす
べての被害者を救出せよ」という大きな強いスローガンを立てながら、本当に
「今年こそは」ということが実現できるように政府、国会、関心を持ってくださ
る多くの方々が活動し、今日は加藤担当大臣、各党代表の先生方もおられますの
で、今後どうしたら今年中に解決できるかに焦点を当ててお話をしていきたいと
思います。
また今日は家族の方々も集まっておられますので、後程お話も聞けると思いま
す。「今度こそ」という言葉は何回も使うんですが、もし今年解決しなかったら
大変なことになると私自身は非常に懸念をもっています。
全国津々浦々で、そして当然ながらわが総理大臣を中心として、ミサイルが飛
んでこようが、核実験をやろうが、どんな状況下にあろうとも、この問題を最優
先にして前に出して、今年中にという期限を切った形で皆さんと共に、心と意志
を集中しながら戦っていきたいと思います。
横田さんがこの(集会のちらしの)写真にあるように、元気なうちに、絶対に
めぐみちゃんに会わせるということも含めて戦っていきたいと思います。今日は
ありがとうございました(拍手)。
西岡 今回は家族会・救う会とともに拉致議連にも主催者に入っていただきまし
た。昨日の記者会見では車椅子を押して平沼会長が来てくださいましたが、今日
は日程のことなどがあって、来てくださることはできませんでしたが、メッセー
ジを預かっております。拉致議連事務局長の塚田一郎先生が代読してくださいま
す。宜しくお願いいたします。
◆強い意志を示し、行動していく
平沼赳夫(拉致議連会長、代読塚田一郎事務局長)
塚田 今西岡会長からお話がありましたように、今日は残念ながら出席がかない
ませんので私から会長のメッセージを代読させていただきます。
メッセージ
横田めぐみさん、松本京子さん、久米裕さんが1977年に拉致されてから4
0年、家族会・救う会が結成され20年の歳月が過ぎました。
この間、皆様が困難な状況の中で活動を続けてこられたことを思い返しますと、
拉致問題が未だ解決に至らないことは痛恨の思いです。
拉致議連は結成以降、家族会・救う会の皆様方と思いを共有し、行動を共にし
てきました。
引き続き、皆様と共に拉致被害者全員の即時救出の為、強い意志を示し、行動
していく拉致議連であることをお約束致します。
特定失踪者を含めたすべての拉致被害者をご家族のもとへ、一刻も早く取り戻
すべく私も全力で戦うことをお誓い申し上げます。
拉致議連 会長 衆議院議員 平沼赳夫
塚田 今日は各党からもお話があると思いますが、拉致議連は262名の超党派
の議員連盟ですが、その総意として、この1年の間に必ず拉致被害者を救出する
という家族会・救う会の思いをしっかり受け止めて、やれることを全力でやって
いくことをお約束申し上げて、会長のメッセージ代読とさせていただきます。宜
しくお願いいたします。ありがとうございました(拍手)。
(2につづく)
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■安倍首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
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葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 安倍晋三殿
■救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
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担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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