国際会議終了(2002/02/13)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2002.02.13-1)
■国際会議終了
ちょっとご報告が遅れましたが去る9日、10日と東京で開催された第3回北朝
鮮人権と難民問題国際会議は無事終了しました。ご協力いただいた多数の皆様
方、カンパをお送りくださった皆様方に心より御礼申し上げます。
全体の報告は後ほど致しますが、とりあえず横田滋家族会代表と増元照明同
事務局次長のスピーチをお送りします。
<横田滋さんのスピーチ>
私の長女めぐみは1977年11月15日、中学校のクラブ活動のバドミントンの練
習を終え帰宅途中、友人と別れた直後、新潟市の自宅近くで忽然と消息を絶ち
ました。
警察は身代金目的の誘拐、暴行目的の拉致、交通事故、自殺、家出等あらゆ
る面から大規模な捜査を行いましたが、目撃情報がなく、遺留品も発見できず、
謎のまま推移し、家族は「めぐみは今どこにいるのだろうか」「何が原因でい
なくなったのだろうか」と心配し続け、19年余が経過しました。
ところが1997年1月下旬、韓国に亡命した複数の元北朝鮮工作員の証言で、
めぐみが北朝鮮の工作員に拉致され平壌にいるとの情報が入りました。「生き
ていたのか」と喜びが込み上げましたが、「北朝鮮に連行される際、暗い船倉
に押し込められ『お母さん助けて』と壁を掻き毟ったため、着いたときには手
の爪が剥がれそうになり、血だらけだった」とか、「朝鮮語を習得すればお母
さんのところへ帰すと言われ一所懸命勉強したが、18歳になったとき、それが
叶わぬことと知り、ノイローゼになり、2度入院した」等悲惨なもので、何と
か早く救出しなければと決心しました。
マスコミもこのことを知り、取材が始まりましたが、家族にとって、本人及
び私たちの実名を出すかどうかで迷いました。実名を出さなければ事実の信憑
性が薄れるが、一方実名を出すと北朝鮮がそんなことはなかったことにするた
め、殺してしまう恐れがあり、家族内で意見が分かれましたが、最終的には、
日本側がこれだけの情報を持っているということを北朝鮮に公表する方が、身
の安全が図られると判断し、実名を出すことを決意しました。
2月3日、衆議院予算委員会で西村真悟代議士が「北朝鮮工作組織による日本
人誘拐拉致」に関し質問したことから、拉致事件が大きく脚光を浴びることと
なり、マスコミが大々的に報道をはじめました。当初、政府は調査中として明
確な答弁をしませんでしたが、5月になって北朝鮮による拉致と正式に認め、
その年の警察白書にも掲載されました。ここには「7件10名」と記されていま
すが、石原慎太郎東京都知事は150名にも達すると話しています。
北朝鮮による日本人拉致はこのとき初めて明らかになったのかと思いました
が、実は1988年、参議院で金賢姫の日本人化教育係であった「李恩恵」と呼ば
れた女性、福井、新潟、鹿児島でのカップル拉致、富山での未遂事件等につい
て、政府に対し質問がなされ、北朝鮮による拉致の疑いが濃い旨の答弁がなさ
れています。被害者家族はこれで政府が何とか解決してくれると期待したが、
マスコミがほとんど取り上げなかったことと、被害者家族が名乗り上げなかっ
たことから世間の関心が盛り上がらず、政府も事実上放置したままでした。
しかし、被害者家族はめぐみのことを契機に拉致問題が大きく取り上げられ
たことから、今、家族が声を合わせて立ち上がらなければ解決の機会がなくな
ると97年3月「北朝鮮による拉致」被害者家族連絡会を結成しました。
「結婚を反対されたから家出をした」「借金の返済に困り姿を消した」等、
事実に反する心ない噂に傷つけられた等の話が出た後、被害者家族が団結して、
政府、赤十字、アムネスティ等に救出を要請することを決め、実行しました。
被害者家族連絡会の結成を機に、新潟はじめ全国主要都市に「救出を支援す
る会」が結成され、現在は26の組織が出来、家族を支援すると共に集会、署名
活動等により同胞を救わなければと云う国民世論を高めたり、「拉致事件解決
について進展がないままコメ支援を行うことを反対する」等、問題が生じる度、
家族と共に政府に要請を行っています。
また、私達は、韓国の拉致被害者家族と連帯し、それぞれの政府に対し、拉
致事件の解決を訴えて参りましたが、2001年2月下旬から3月上旬にかけワシン
トン、ニューヨークを訪れ、国務省、議会調査局、議会関係者、国連人権団体
に、北朝鮮による日本人拉致の実情を訴え、協力をお願いしました。アメリカ
でお目にかかった方すべてが、拉致はテロであり、解決に協力する旨理解を示
してくれました。
2001年4月には韓国の被害者家族と共にジュネーブの国連本部を訪ね、強制
的失跡ワーキンググループに対し、拉致問題解決について訴えをし、受理され
たました。
「拉致はテロであり、絶対許さない」という国際世論の高まりは、拉致問題
解決の大きい力となりますが、最終的には日本政府自身が解決する問題で、私
どもは日本政府が毅然とした態度で、北朝鮮に臨むことを望みます。
私達被害者家族の大部分は70歳代後半で、80歳代の方も数人おり、高齢化し
ています。中には心労から倒れ、10数年間寝たきりで、「会いたい、会いたい
」と呟くだけで、今年の冬を越すのが難しいと心配されている方もいます。拉
致されたほとんどの方が拉致されてから24年になり、家族に手紙、電話も許さ
れないまま拘束されていることは、重大な人権侵害にあたると考えます。
残された家族は心労と高齢で限界に近づいています。せめて声だけでも聞き
たい、安否だけでも知りたいと願っています。
一日も早く、親子が一堂に会し、喜びあえる日が来ることを全員望んでいま
す。
私どもの望みが実現するよう、本日ご参加の皆様のお力添えを心からお願い
申し上げます。
<増元照明さんのスピーチ>
紹介いただきました鹿児島で「金正日に拉致された」増元るみ子の弟の増元
照明です。
私は「次姉」が1978年8月12日、友人である市川修一さんとともに「吹
上浜に夕日を見に行く」と云って、朝、玄関を嬉しそうに出て行くのを見送っ
て以来彼女の顔を見ていません。
当時、私はまだ学生で夏休みを利用し帰省しておりましたが、数日後には離
鹿することもあり11日夜は家族と一緒に夕食を摂りました。その会話の中で
姉るみ子が12日に市川さんという方とデートすることを知りました。次姉の
口振りから察するに付き合って間もないけれど、後々結婚をも考えているよう
な感じでしたので一抹の寂しさを感じたものでした。姉とは年も近かったのも
あり4人兄弟の中で最も仲のよい姉で、安い給料のなかから私に小遣いをくれ
たり、大学の「入学祝い」をくれたり私にとってもありがたい存在でした。
ところが、楽しいデートに行ったはずの二人は12日夜になっても一向に帰
ってくることはなく夜半過ぎても帰ってくることはありませんでした。何かあ
ったと思った家族でしたが警察に「捜索願」を出すのを1日まち、「吹上浜」
まで家族で探しに云ったのです。
今思えば「捜索願」を出すのが遅れたことが悔やまれます。ただそれを早急に
出したからといって姉が「拉致」されずに済んだのかは判りませんが。
「吹上浜」の浜辺に向かう駐車場に市川さんの車を発見したのは、どちらか
の家族だったと記憶しています。
「車」は施錠され、窓越しに見える車内にはカメラと姉のバッグがありまし
た。付近を二人の名前を呼びながら探し回ったものでしたが、結局何も見つけ
られずに警察の捜索をお願いしたのだと思います。それから地元の警察・消防
団・知人の方々の協力をおねがいし、真夏の暑い中樹木の生い茂るあたりを含
め駐車場周辺から1キロ四方に及ぶ大捜索を開始しましたが、結局見つけられ
たのは市川さんの「サンダル」の片割れだけでした。後に警察が押収した「車
」のなかには「姉の財布ほか小間物」の入ったバッグとカメラ等置き去りにさ
れていました。遺留品の必需性から考えると、「蒸発」など考えられず、又、
二人を取り巻く環境から「駆け落ち」ということも考えられず、事件性を含む
失踪ということで警察の記録に残ることになりました。
カメラには二人が拉致される直前に撮ったと思われる楽しげに笑いかける其
々の顔が写されていました。これがその写真です。(写真を示す)
楽しそうな笑顔の中には、直後に起きる二人の運命を微塵も感じさせるもの
ではありません。やがてこの「笑顔」が「恐怖」に変わりそして「悲しみの泣
き顔」に変わったのかと思うと悲しくてなりません。明るい世界から「暗闇」
のなかへ無理やり引き釣りこまれたことを思うと悔しくて仕方ありません。
事件の数年後、所謂「連続アベック失踪事件」として、産経新聞が「北朝鮮
」の拉致の疑いが強いことをスクープし、「新潟・柏崎」「福井・小浜」「鹿
児島・吹上浜」の事件と、未遂に終わった「富山」の事件を紹介する記事によ
ってはじめて家族にも「北朝鮮による拉致」が知らされました。家族は肉親の
生存を確信し安堵感もありましたが、さて「北朝鮮という国」に関し何らの知
識も持たず、どうすれば救えるのかもわからず、ただ「日本政府」による救出
を願うだけの日々を過ごさなければなりませんでした。「国交」がないのは知
っていました。しかし、この「犯罪」が明らかになった以上救出すべきは「国
家の責任」です。民衆を代表する「国会議員の責任」でもあったはずです。し
かし、政府はその後も救出に向け何らの方策もとり得ないでいました。‘88
年、時の「自治大臣」が国会答弁の中で、「北朝鮮による拉致の疑いが非常に
濃い」と言明してからも、同様に救出に関しては無策のまま、これを「放置」
してきました。
では何故「拉致」が行われたのか?
巷間云われている「金政権の念願」である「南韓」の併合・「朝鮮半島の金
政権による統一」の為、「南韓」に送る「スパイの完全日本人化」の教育係り
として。又、身寄りのない人を拉致し、その人物になりすまして「南韓」での
スパイ活動や破壊活動をしやすくするというものであったのではないか?(実
際「李恩恵」・「原敕晁」さん等の事例がある)真実は「金親子」に聞かなけ
ればわからない。
それもあったであろうとは思いますが、私にはもう一つの何故の理由を考え
ています。「宿命」―高沢皓司著―を読んだ時感じたことです。
その本の中には、「よど号のっとり犯」の事が書かれてあり、そして彼等が「
北朝鮮」でどのように変説していったのかが描かれていて、その「よど号犯の
変化」を最も喜んだのが「金日成」でありました。日本国内にて堅固な意思を
持ち「反政府」の旗頭的存在だった赤軍派のメンバーが、簡単に「北」の思想
に染まっていく様を見て、もっと多くの日本人を連れて来て金日成の信奉者と
して教育し、日本へ送り返せば日本の赤化や日本転覆まで成せる工作員が生ま
れると言う風に考え、又、日本人をスパイとして使うことに意義があると考え
たのではないだろうか?あくまで憶測でありますが。どちらにしても「金親子
」の人を人とも思わない所行と言わざるを得ない。「首領」即ち「金親子」の
ために命を捨てて尽くさぬものは人間以下であるといっているのが金日成の基
本理念であるから、憎っくき日本人が犬以上であるわけはないですが。
{ここで言う「金日成主義」とは、1974年北朝鮮労働党が採択決定したも
ので「党の唯一思想体系確立の十大原則」が金日成主義の基本理念であるらし
い。
1、 偉大な首領金日成同士の革命思想で、全社会を一色化するために命を捧
げて闘争しなければならない。
2、 偉大な首領金日成同士を忠誠をもって仰ぎ奉らなければならない。
3、 偉大な首領金日成同士の権威を絶対化しなければならない。
4、 偉大な首領金日成同士の革命思想を信念とし、首領の教示を信条としな
ければならない。
5、 偉大な首領金日成同士の教示を執り行うについて無条件性の原則を徹底
して守らなければならない。
6、 偉大な首領金日成同士を中心とする全党の思想的意思統一と革命的団結
を強化しなければならない。
7、 偉大な首領金日成に学び、共産主義的風貌と革命的事業の方法、人民的
事業の作風を所有しなければならない。
8、 偉大な首領金日成同士から授けられた政治的生命を大切にし、首領の大
きな政治的信任と配慮に高い政治的自覚と技術により忠誠をもって報いなけれ
ばならない。
9、 偉大な首領金日成同士の唯一の領導のもと、全党,全国、全軍が終始変
わることなく活動する強固な組織規律を確立しなければならない。
10、 偉大な首領金日成同士が切り拓かれた革命事業を代を継いで最後まで
継承し、完成させなければならない。
ここで言う「忠誠」とは、「ひたすら首領のために生き、青春も命も喜んで
捧げること」(細則)であり、無条件性とは、金日成の教示は、即ち、「法と
して、至上の命令として受け止め、どのような些細な理由も口実も許されない。
(細則)政治的生命とは生物学的生命に優先して首領が人々に与えたもので、こ
の政治的生命を失うことは肉体的生命をうしなうよりも北朝鮮社会では悲惨で
不名誉なことである。そしてこの政治的生命を失った人間は、人間としての生
命も保障されない。なぜならそんな人間は生きている意味のない存在となるか
らである。北朝鮮では私達が普通に考えるような「人権」という概念は存在し
ない。
「政治的生命を第一の生命と認識し・・・・・、政治的生命のためには肉体
的生命を塵芥のように」(細則)捨てる覚悟をもたねばならないのである。}
(「宿命」より)
ノルベルト・フォラツェン氏の著書の中に描かれている多くの朝鮮人民の生
活が正にこの思想の下に成されていす事が感じられます。ここで注目しなけれ
ばならないのは、「北朝鮮では・・・・・「人権」という概念は存在しない。
」というところでしょう。高沢氏が「十大原則」から感じられたことでしょう
が、21世紀の世界において「人権」を無視して政権を維持している為政者が
存在してよいのでしょうか?自由主義社会では考えられない思想です。まさに
「ファッショ体制」そのものです。その体制の下、特定の人間の贅沢や権力維
持のために多くの人々の生命を勝手に左右するような為政者をこのまま放置し
ていてよいのでしょうか?我々の家族が被っている悲惨な人生を、朝鮮人民が
受けている悲惨な実態を放置していて決して良いとは思えません。フォラツェ
ン氏がおっしゃるように後世の人々に「何故放置していたのか?なぜ黙ってい
たのか?」ととがめられないように世界中が声をあげて「北朝鮮金正日政権」
を非難しなければならないのではないでしょうか?
最後に金正日に言いたい。1978年8月12日の朝、自宅を出て行ったあ
のときの笑顔の「姉」をあの時のままの若さで返して欲しい。出来ればもう1
度、人生をやり直す時を返して欲しい。我々は決して許さない。
★★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
TEL 03-3946-5780/FAX 03-3944-5692 http://www.asahi-net.or.jp/~lj7k- ark
〒112-0015 東京都文京区目白台3-25-13
担当:荒木和博(事務局長 k-araki@mac.email.ne.jp)
----------------------------------------------------------------------
恐縮ですが送信を希望されない方は荒木のID宛メールをお送り下さい。
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■国際会議終了
ちょっとご報告が遅れましたが去る9日、10日と東京で開催された第3回北朝
鮮人権と難民問題国際会議は無事終了しました。ご協力いただいた多数の皆様
方、カンパをお送りくださった皆様方に心より御礼申し上げます。
全体の報告は後ほど致しますが、とりあえず横田滋家族会代表と増元照明同
事務局次長のスピーチをお送りします。
<横田滋さんのスピーチ>
私の長女めぐみは1977年11月15日、中学校のクラブ活動のバドミントンの練
習を終え帰宅途中、友人と別れた直後、新潟市の自宅近くで忽然と消息を絶ち
ました。
警察は身代金目的の誘拐、暴行目的の拉致、交通事故、自殺、家出等あらゆ
る面から大規模な捜査を行いましたが、目撃情報がなく、遺留品も発見できず、
謎のまま推移し、家族は「めぐみは今どこにいるのだろうか」「何が原因でい
なくなったのだろうか」と心配し続け、19年余が経過しました。
ところが1997年1月下旬、韓国に亡命した複数の元北朝鮮工作員の証言で、
めぐみが北朝鮮の工作員に拉致され平壌にいるとの情報が入りました。「生き
ていたのか」と喜びが込み上げましたが、「北朝鮮に連行される際、暗い船倉
に押し込められ『お母さん助けて』と壁を掻き毟ったため、着いたときには手
の爪が剥がれそうになり、血だらけだった」とか、「朝鮮語を習得すればお母
さんのところへ帰すと言われ一所懸命勉強したが、18歳になったとき、それが
叶わぬことと知り、ノイローゼになり、2度入院した」等悲惨なもので、何と
か早く救出しなければと決心しました。
マスコミもこのことを知り、取材が始まりましたが、家族にとって、本人及
び私たちの実名を出すかどうかで迷いました。実名を出さなければ事実の信憑
性が薄れるが、一方実名を出すと北朝鮮がそんなことはなかったことにするた
め、殺してしまう恐れがあり、家族内で意見が分かれましたが、最終的には、
日本側がこれだけの情報を持っているということを北朝鮮に公表する方が、身
の安全が図られると判断し、実名を出すことを決意しました。
2月3日、衆議院予算委員会で西村真悟代議士が「北朝鮮工作組織による日本
人誘拐拉致」に関し質問したことから、拉致事件が大きく脚光を浴びることと
なり、マスコミが大々的に報道をはじめました。当初、政府は調査中として明
確な答弁をしませんでしたが、5月になって北朝鮮による拉致と正式に認め、
その年の警察白書にも掲載されました。ここには「7件10名」と記されていま
すが、石原慎太郎東京都知事は150名にも達すると話しています。
北朝鮮による日本人拉致はこのとき初めて明らかになったのかと思いました
が、実は1988年、参議院で金賢姫の日本人化教育係であった「李恩恵」と呼ば
れた女性、福井、新潟、鹿児島でのカップル拉致、富山での未遂事件等につい
て、政府に対し質問がなされ、北朝鮮による拉致の疑いが濃い旨の答弁がなさ
れています。被害者家族はこれで政府が何とか解決してくれると期待したが、
マスコミがほとんど取り上げなかったことと、被害者家族が名乗り上げなかっ
たことから世間の関心が盛り上がらず、政府も事実上放置したままでした。
しかし、被害者家族はめぐみのことを契機に拉致問題が大きく取り上げられ
たことから、今、家族が声を合わせて立ち上がらなければ解決の機会がなくな
ると97年3月「北朝鮮による拉致」被害者家族連絡会を結成しました。
「結婚を反対されたから家出をした」「借金の返済に困り姿を消した」等、
事実に反する心ない噂に傷つけられた等の話が出た後、被害者家族が団結して、
政府、赤十字、アムネスティ等に救出を要請することを決め、実行しました。
被害者家族連絡会の結成を機に、新潟はじめ全国主要都市に「救出を支援す
る会」が結成され、現在は26の組織が出来、家族を支援すると共に集会、署名
活動等により同胞を救わなければと云う国民世論を高めたり、「拉致事件解決
について進展がないままコメ支援を行うことを反対する」等、問題が生じる度、
家族と共に政府に要請を行っています。
また、私達は、韓国の拉致被害者家族と連帯し、それぞれの政府に対し、拉
致事件の解決を訴えて参りましたが、2001年2月下旬から3月上旬にかけワシン
トン、ニューヨークを訪れ、国務省、議会調査局、議会関係者、国連人権団体
に、北朝鮮による日本人拉致の実情を訴え、協力をお願いしました。アメリカ
でお目にかかった方すべてが、拉致はテロであり、解決に協力する旨理解を示
してくれました。
2001年4月には韓国の被害者家族と共にジュネーブの国連本部を訪ね、強制
的失跡ワーキンググループに対し、拉致問題解決について訴えをし、受理され
たました。
「拉致はテロであり、絶対許さない」という国際世論の高まりは、拉致問題
解決の大きい力となりますが、最終的には日本政府自身が解決する問題で、私
どもは日本政府が毅然とした態度で、北朝鮮に臨むことを望みます。
私達被害者家族の大部分は70歳代後半で、80歳代の方も数人おり、高齢化し
ています。中には心労から倒れ、10数年間寝たきりで、「会いたい、会いたい
」と呟くだけで、今年の冬を越すのが難しいと心配されている方もいます。拉
致されたほとんどの方が拉致されてから24年になり、家族に手紙、電話も許さ
れないまま拘束されていることは、重大な人権侵害にあたると考えます。
残された家族は心労と高齢で限界に近づいています。せめて声だけでも聞き
たい、安否だけでも知りたいと願っています。
一日も早く、親子が一堂に会し、喜びあえる日が来ることを全員望んでいま
す。
私どもの望みが実現するよう、本日ご参加の皆様のお力添えを心からお願い
申し上げます。
<増元照明さんのスピーチ>
紹介いただきました鹿児島で「金正日に拉致された」増元るみ子の弟の増元
照明です。
私は「次姉」が1978年8月12日、友人である市川修一さんとともに「吹
上浜に夕日を見に行く」と云って、朝、玄関を嬉しそうに出て行くのを見送っ
て以来彼女の顔を見ていません。
当時、私はまだ学生で夏休みを利用し帰省しておりましたが、数日後には離
鹿することもあり11日夜は家族と一緒に夕食を摂りました。その会話の中で
姉るみ子が12日に市川さんという方とデートすることを知りました。次姉の
口振りから察するに付き合って間もないけれど、後々結婚をも考えているよう
な感じでしたので一抹の寂しさを感じたものでした。姉とは年も近かったのも
あり4人兄弟の中で最も仲のよい姉で、安い給料のなかから私に小遣いをくれ
たり、大学の「入学祝い」をくれたり私にとってもありがたい存在でした。
ところが、楽しいデートに行ったはずの二人は12日夜になっても一向に帰
ってくることはなく夜半過ぎても帰ってくることはありませんでした。何かあ
ったと思った家族でしたが警察に「捜索願」を出すのを1日まち、「吹上浜」
まで家族で探しに云ったのです。
今思えば「捜索願」を出すのが遅れたことが悔やまれます。ただそれを早急に
出したからといって姉が「拉致」されずに済んだのかは判りませんが。
「吹上浜」の浜辺に向かう駐車場に市川さんの車を発見したのは、どちらか
の家族だったと記憶しています。
「車」は施錠され、窓越しに見える車内にはカメラと姉のバッグがありまし
た。付近を二人の名前を呼びながら探し回ったものでしたが、結局何も見つけ
られずに警察の捜索をお願いしたのだと思います。それから地元の警察・消防
団・知人の方々の協力をおねがいし、真夏の暑い中樹木の生い茂るあたりを含
め駐車場周辺から1キロ四方に及ぶ大捜索を開始しましたが、結局見つけられ
たのは市川さんの「サンダル」の片割れだけでした。後に警察が押収した「車
」のなかには「姉の財布ほか小間物」の入ったバッグとカメラ等置き去りにさ
れていました。遺留品の必需性から考えると、「蒸発」など考えられず、又、
二人を取り巻く環境から「駆け落ち」ということも考えられず、事件性を含む
失踪ということで警察の記録に残ることになりました。
カメラには二人が拉致される直前に撮ったと思われる楽しげに笑いかける其
々の顔が写されていました。これがその写真です。(写真を示す)
楽しそうな笑顔の中には、直後に起きる二人の運命を微塵も感じさせるもの
ではありません。やがてこの「笑顔」が「恐怖」に変わりそして「悲しみの泣
き顔」に変わったのかと思うと悲しくてなりません。明るい世界から「暗闇」
のなかへ無理やり引き釣りこまれたことを思うと悔しくて仕方ありません。
事件の数年後、所謂「連続アベック失踪事件」として、産経新聞が「北朝鮮
」の拉致の疑いが強いことをスクープし、「新潟・柏崎」「福井・小浜」「鹿
児島・吹上浜」の事件と、未遂に終わった「富山」の事件を紹介する記事によ
ってはじめて家族にも「北朝鮮による拉致」が知らされました。家族は肉親の
生存を確信し安堵感もありましたが、さて「北朝鮮という国」に関し何らの知
識も持たず、どうすれば救えるのかもわからず、ただ「日本政府」による救出
を願うだけの日々を過ごさなければなりませんでした。「国交」がないのは知
っていました。しかし、この「犯罪」が明らかになった以上救出すべきは「国
家の責任」です。民衆を代表する「国会議員の責任」でもあったはずです。し
かし、政府はその後も救出に向け何らの方策もとり得ないでいました。‘88
年、時の「自治大臣」が国会答弁の中で、「北朝鮮による拉致の疑いが非常に
濃い」と言明してからも、同様に救出に関しては無策のまま、これを「放置」
してきました。
では何故「拉致」が行われたのか?
巷間云われている「金政権の念願」である「南韓」の併合・「朝鮮半島の金
政権による統一」の為、「南韓」に送る「スパイの完全日本人化」の教育係り
として。又、身寄りのない人を拉致し、その人物になりすまして「南韓」での
スパイ活動や破壊活動をしやすくするというものであったのではないか?(実
際「李恩恵」・「原敕晁」さん等の事例がある)真実は「金親子」に聞かなけ
ればわからない。
それもあったであろうとは思いますが、私にはもう一つの何故の理由を考え
ています。「宿命」―高沢皓司著―を読んだ時感じたことです。
その本の中には、「よど号のっとり犯」の事が書かれてあり、そして彼等が「
北朝鮮」でどのように変説していったのかが描かれていて、その「よど号犯の
変化」を最も喜んだのが「金日成」でありました。日本国内にて堅固な意思を
持ち「反政府」の旗頭的存在だった赤軍派のメンバーが、簡単に「北」の思想
に染まっていく様を見て、もっと多くの日本人を連れて来て金日成の信奉者と
して教育し、日本へ送り返せば日本の赤化や日本転覆まで成せる工作員が生ま
れると言う風に考え、又、日本人をスパイとして使うことに意義があると考え
たのではないだろうか?あくまで憶測でありますが。どちらにしても「金親子
」の人を人とも思わない所行と言わざるを得ない。「首領」即ち「金親子」の
ために命を捨てて尽くさぬものは人間以下であるといっているのが金日成の基
本理念であるから、憎っくき日本人が犬以上であるわけはないですが。
{ここで言う「金日成主義」とは、1974年北朝鮮労働党が採択決定したも
ので「党の唯一思想体系確立の十大原則」が金日成主義の基本理念であるらし
い。
1、 偉大な首領金日成同士の革命思想で、全社会を一色化するために命を捧
げて闘争しなければならない。
2、 偉大な首領金日成同士を忠誠をもって仰ぎ奉らなければならない。
3、 偉大な首領金日成同士の権威を絶対化しなければならない。
4、 偉大な首領金日成同士の革命思想を信念とし、首領の教示を信条としな
ければならない。
5、 偉大な首領金日成同士の教示を執り行うについて無条件性の原則を徹底
して守らなければならない。
6、 偉大な首領金日成同士を中心とする全党の思想的意思統一と革命的団結
を強化しなければならない。
7、 偉大な首領金日成に学び、共産主義的風貌と革命的事業の方法、人民的
事業の作風を所有しなければならない。
8、 偉大な首領金日成同士から授けられた政治的生命を大切にし、首領の大
きな政治的信任と配慮に高い政治的自覚と技術により忠誠をもって報いなけれ
ばならない。
9、 偉大な首領金日成同士の唯一の領導のもと、全党,全国、全軍が終始変
わることなく活動する強固な組織規律を確立しなければならない。
10、 偉大な首領金日成同士が切り拓かれた革命事業を代を継いで最後まで
継承し、完成させなければならない。
ここで言う「忠誠」とは、「ひたすら首領のために生き、青春も命も喜んで
捧げること」(細則)であり、無条件性とは、金日成の教示は、即ち、「法と
して、至上の命令として受け止め、どのような些細な理由も口実も許されない。
(細則)政治的生命とは生物学的生命に優先して首領が人々に与えたもので、こ
の政治的生命を失うことは肉体的生命をうしなうよりも北朝鮮社会では悲惨で
不名誉なことである。そしてこの政治的生命を失った人間は、人間としての生
命も保障されない。なぜならそんな人間は生きている意味のない存在となるか
らである。北朝鮮では私達が普通に考えるような「人権」という概念は存在し
ない。
「政治的生命を第一の生命と認識し・・・・・、政治的生命のためには肉体
的生命を塵芥のように」(細則)捨てる覚悟をもたねばならないのである。}
(「宿命」より)
ノルベルト・フォラツェン氏の著書の中に描かれている多くの朝鮮人民の生
活が正にこの思想の下に成されていす事が感じられます。ここで注目しなけれ
ばならないのは、「北朝鮮では・・・・・「人権」という概念は存在しない。
」というところでしょう。高沢氏が「十大原則」から感じられたことでしょう
が、21世紀の世界において「人権」を無視して政権を維持している為政者が
存在してよいのでしょうか?自由主義社会では考えられない思想です。まさに
「ファッショ体制」そのものです。その体制の下、特定の人間の贅沢や権力維
持のために多くの人々の生命を勝手に左右するような為政者をこのまま放置し
ていてよいのでしょうか?我々の家族が被っている悲惨な人生を、朝鮮人民が
受けている悲惨な実態を放置していて決して良いとは思えません。フォラツェ
ン氏がおっしゃるように後世の人々に「何故放置していたのか?なぜ黙ってい
たのか?」ととがめられないように世界中が声をあげて「北朝鮮金正日政権」
を非難しなければならないのではないでしょうか?
最後に金正日に言いたい。1978年8月12日の朝、自宅を出て行ったあ
のときの笑顔の「姉」をあの時のままの若さで返して欲しい。出来ればもう1
度、人生をやり直す時を返して欲しい。我々は決して許さない。
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救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
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