大学入試センター「朝鮮人強制連行」出題に関する声明(2004/01/25)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2004.01.25-2)
■ 大学入試センター「朝鮮人強制連行」出題に関する声明
1月17日大学入試センターが実施した試験の世界史で、「朝鮮人強制連行」を正
解とする問題が出されていたことが判明し、専門家や言論などから、「設問に欠陥が
あり、採点から外すべき」という意見が多数出ている。
よく知られているように北朝鮮は拉致事件追求をかわす狙いで、国連などの場でく
りかえし「日本が朝鮮半島占領時代に八百四十万人を強制連行した」と主張している。
昨年末の北京での非公式接触でもそれを持ちだした。
昨年九月三十日の国会「国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイ
ラク人道復興支援活動等に関する特別委員会」で川口外相は、山谷えり子議員(当時)
の質問に対して、昭和三十四年に外務省が調査したが、そうした事実はない、戦時中
に朝鮮半島から渡航してきた労働者の大半は自由意思だったという答弁をした。同じ
昭和三十四年に法務省入国管理局が閣議にかけた上で公刊した入管白書も、外務省調
査とほぼ同じ内容を書いている。
昨年11月12日に国連人権委員会作業部会で齋木・外務省審議官が北朝鮮側の強
制連行数百万人主張について「これは全く根拠のない主張」と明確に反論している。
拉致被害者と家族の全員奪還が国家的課題となっているいま、なぜ、入試センター
はわざわざ北朝鮮の「根拠のない主張」に通じる出題をしたのか、強い疑問を禁じ得
ない。早急に、同問題を採点からはずすことを求めたい。
また、教育界は、日本人の人権と日本国の主権に関わる重大問題である日本人拉致
について、積極的に取り上げていただきたいと強く求める。
平成16年1月25日
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 佐藤勝巳
参考資料
昭和三十四年五月に法務省入国管理局が公刊した最初の入管白書(『出入国管理とそ
の実態』)では、在日朝鮮人に関する歴史的経緯に関して以下のごとく簡潔にまとめ
ている。その部分を全文引用しておく。
〈第二章 出入国管理の沿革と現在の機構
第一節 戦前の出入国管理
四、朝鮮人の移住
戦前の出入国管理をかえりみる際に、当時日本国民であり、現在わが国にとつて特
殊な外国人としての地位をしめる朝鮮人についても一言しておかねばならない。
韓国併合の翌年明治四十四年末に日本内地に在留した朝鮮人は四千余人にすぎなか
つた。大正中期に以後になって朝鮮人が数多くわが国に移住するようになったが、そ
のおもな原因の一つは、朝鮮本土の人口増加である。日本統治の開始された明治四十
三年の末に約千三百万を数えた朝鮮人人口は、終戦前に三千万近い数(朝鮮本土に二
千五百余万・日本内地・満洲・華北・ソ連等に約四百万)に達していた。とくに南朝
鮮の農村の過剰人口が鉱工業の未発達な朝鮮内で吸収されないために、低賃金労働者
として日本内地に渡航することになった。近距離なので、その移住のあり方は、出稼
ぎ的に往来しながら(たとえば、大正十三年の渡航数は約十二万であったが、帰還数
は約七万五千であり、昭和十三年の渡航数は約十六万であつたが、帰還数は約十四万
であつた。)漸次、都市・工場・炭鉱地帯に定着し、昭和十三年末に在留者は約八十
万を数えた。
大正の中期以後、この朝鮮人労務者の移住は、治安・労務問題の上から社会問題化
していたので、政府は行政措置により、生活の見通しの立たないものの渡航阻止を行
なつた。その後、戦時態勢の進展にともない日本内地で国民動員計画が進められる際
に朝鮮人労務者もふくまれ、昭和十四年から九月から、朝鮮内の指定された地域で、
企業主が渡航希望の労務者を募集し、十七年二月からはその募集が総督府のあっせん
により行なわれ、十九年九月からは国民徴用令にもとづいて行なわれた。しかし三月
末には、下関・釜山間の連絡船がほとんどとだえ、その募集渡航が行なわれなくなっ
た。(したがつて、国民徴用令による期間は六か月余であつた。)十四年九月以降、
日本内地に募集された労務者は、六十三万五千余人となるが、そのうち契約期間がす
ぎて帰還したものがおり、また職場を離れて他へ移動したものもおり、終戦当時にそ
の事業現場にいたものは、三十二万二千余人であつた。このほかに軍人・軍属として
日本内地にいたものが終戦時に約十一万人いた。なお、右の期間中も、従来通り数多
くの一般朝鮮人が来往しており、終戦当時には、全在留朝鮮人は約二百万を数えた。
朝鮮人のおもな在留地は、六大都市をふくむ府県、朝鮮に近い福岡・山口・広島県
および北海道の炭鉱地であり、以上の十道府県の在留朝鮮人は、内地在留全朝鮮人の
約四分の三をしめていた。〉
〈 第二節 占領下の出入国管理
一、引 揚
昭和二十年九月二日、横浜沖のミズリー号でわが国が降伏文書に調印してから二十
七年四月二十八日の平和条約発効までの六年八か月の間、わが国の統治権は連合国最
高司令官の制限の下におかれ、それまで内務省所管であつた外国人の出入国管理は、
総司令部の手に移った。
総司令部が最初に処理しなければならないことは引揚であつた。海外にある日本軍
および一般邦人あわせて六百数十万の引揚について急速な能率的活動をはじめたが、
同時に国内にいる外国人およびこれに準ずるものの本国引揚を進めた。
在留朝鮮人は、終戦直後に帰国をあせり西辺の港に殺到して混乱を起していた。政
府はいち早く動員労務者や復員者の優先的輸送の措置をとり、総司令部もその方針を
つぎ、またそれにひきつづいて一般朝鮮人の引揚を進めた。朝鮮から引き揚げてくる
日本人をのせた船に日本から引き揚げる朝鮮人がのった。帰国熱にかられた朝鮮人は
一日もはやい引揚をいそいで終戦から二十一年三月末までに百三十余万のものが朝鮮
に引き揚げた。二十一年二月に、総司令部は帰国希望者の実態を把握するために、朝
鮮人・中国人・台湾人・琉球人の登録を行なつた。その結果を朝鮮人についてみると、
二十一年三月十八日現在、在留総数六四七、〇〇六人が登録し、そのうち五一四、〇
六〇人(うち北鮮への帰国希望者九、七〇一人)が帰国希望と登録した。総司令部は
その五十一万余人の帰国希望者の計画輸送をすすめて、同年九月末までにその輸送を
終了しようとした。
朝鮮人は、終戦後、解放された祖国へ、大きな期待を持って引き揚げたのであつた
が、国土が二分され、経済再建が思わしくなく、生活の見通しのたたないことから、
これなら日本の方がまだよいとて、逆航するものが多くなった。一方、その当時に、
日本において相当に自由にふるまえたことも、その引揚熱をさます一因ともなり、そ
れまでに引揚を準備したもので思いとどまるものが多かつた。そのため総司令部・日
本政府の熱心な努力にもかかわらず、同年夏以後の引揚はまつたく低調になって、二
十一年四月以後、その年末までの引揚者は八二、九〇〇人にすぎず、その後、二十二
年 八、三九二人、二十三年 二、八二二人、二十四年 三、四八二人、二十五年
二、二九四人という状態であつた。その引揚者をはこぶ船は佐世保から釜山へ一か月
に大体一回運航していた。二十五年六月に動乱がおこって、それまでつづけられた集
団的朝鮮人の引揚は、終了することになった。
以上により、終戦当時に二百万を数えた朝鮮人のうち、動員労務者・復員者は、個
人の自由意思でふみ止まつたものを別とすれば、全員が優先的に引き揚げた。一般の
在留者も約百万人引き揚げた。あと五十万人にちかいものが残ったが、これらの大部
分は日本内地に早くから来往し、その生活基盤を日本社会に深くきずいているもので
あつた。
なお、在留朝鮮人の中で北鮮に引揚を希望したものは、二十一年十一月に米ソ間に
締結されたソ連地区引揚協定の実施により、二十二年三月と六月に合計三五一人が引
き揚げた。〉
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
TEL 03-3946-5780/FAX 03-3946-5784
http://www.sukuukai.jp
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
担当:平田隆太郎(事務局長info@sukuukai.jp)
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
■ 大学入試センター「朝鮮人強制連行」出題に関する声明
1月17日大学入試センターが実施した試験の世界史で、「朝鮮人強制連行」を正
解とする問題が出されていたことが判明し、専門家や言論などから、「設問に欠陥が
あり、採点から外すべき」という意見が多数出ている。
よく知られているように北朝鮮は拉致事件追求をかわす狙いで、国連などの場でく
りかえし「日本が朝鮮半島占領時代に八百四十万人を強制連行した」と主張している。
昨年末の北京での非公式接触でもそれを持ちだした。
昨年九月三十日の国会「国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイ
ラク人道復興支援活動等に関する特別委員会」で川口外相は、山谷えり子議員(当時)
の質問に対して、昭和三十四年に外務省が調査したが、そうした事実はない、戦時中
に朝鮮半島から渡航してきた労働者の大半は自由意思だったという答弁をした。同じ
昭和三十四年に法務省入国管理局が閣議にかけた上で公刊した入管白書も、外務省調
査とほぼ同じ内容を書いている。
昨年11月12日に国連人権委員会作業部会で齋木・外務省審議官が北朝鮮側の強
制連行数百万人主張について「これは全く根拠のない主張」と明確に反論している。
拉致被害者と家族の全員奪還が国家的課題となっているいま、なぜ、入試センター
はわざわざ北朝鮮の「根拠のない主張」に通じる出題をしたのか、強い疑問を禁じ得
ない。早急に、同問題を採点からはずすことを求めたい。
また、教育界は、日本人の人権と日本国の主権に関わる重大問題である日本人拉致
について、積極的に取り上げていただきたいと強く求める。
平成16年1月25日
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 佐藤勝巳
参考資料
昭和三十四年五月に法務省入国管理局が公刊した最初の入管白書(『出入国管理とそ
の実態』)では、在日朝鮮人に関する歴史的経緯に関して以下のごとく簡潔にまとめ
ている。その部分を全文引用しておく。
〈第二章 出入国管理の沿革と現在の機構
第一節 戦前の出入国管理
四、朝鮮人の移住
戦前の出入国管理をかえりみる際に、当時日本国民であり、現在わが国にとつて特
殊な外国人としての地位をしめる朝鮮人についても一言しておかねばならない。
韓国併合の翌年明治四十四年末に日本内地に在留した朝鮮人は四千余人にすぎなか
つた。大正中期に以後になって朝鮮人が数多くわが国に移住するようになったが、そ
のおもな原因の一つは、朝鮮本土の人口増加である。日本統治の開始された明治四十
三年の末に約千三百万を数えた朝鮮人人口は、終戦前に三千万近い数(朝鮮本土に二
千五百余万・日本内地・満洲・華北・ソ連等に約四百万)に達していた。とくに南朝
鮮の農村の過剰人口が鉱工業の未発達な朝鮮内で吸収されないために、低賃金労働者
として日本内地に渡航することになった。近距離なので、その移住のあり方は、出稼
ぎ的に往来しながら(たとえば、大正十三年の渡航数は約十二万であったが、帰還数
は約七万五千であり、昭和十三年の渡航数は約十六万であつたが、帰還数は約十四万
であつた。)漸次、都市・工場・炭鉱地帯に定着し、昭和十三年末に在留者は約八十
万を数えた。
大正の中期以後、この朝鮮人労務者の移住は、治安・労務問題の上から社会問題化
していたので、政府は行政措置により、生活の見通しの立たないものの渡航阻止を行
なつた。その後、戦時態勢の進展にともない日本内地で国民動員計画が進められる際
に朝鮮人労務者もふくまれ、昭和十四年から九月から、朝鮮内の指定された地域で、
企業主が渡航希望の労務者を募集し、十七年二月からはその募集が総督府のあっせん
により行なわれ、十九年九月からは国民徴用令にもとづいて行なわれた。しかし三月
末には、下関・釜山間の連絡船がほとんどとだえ、その募集渡航が行なわれなくなっ
た。(したがつて、国民徴用令による期間は六か月余であつた。)十四年九月以降、
日本内地に募集された労務者は、六十三万五千余人となるが、そのうち契約期間がす
ぎて帰還したものがおり、また職場を離れて他へ移動したものもおり、終戦当時にそ
の事業現場にいたものは、三十二万二千余人であつた。このほかに軍人・軍属として
日本内地にいたものが終戦時に約十一万人いた。なお、右の期間中も、従来通り数多
くの一般朝鮮人が来往しており、終戦当時には、全在留朝鮮人は約二百万を数えた。
朝鮮人のおもな在留地は、六大都市をふくむ府県、朝鮮に近い福岡・山口・広島県
および北海道の炭鉱地であり、以上の十道府県の在留朝鮮人は、内地在留全朝鮮人の
約四分の三をしめていた。〉
〈 第二節 占領下の出入国管理
一、引 揚
昭和二十年九月二日、横浜沖のミズリー号でわが国が降伏文書に調印してから二十
七年四月二十八日の平和条約発効までの六年八か月の間、わが国の統治権は連合国最
高司令官の制限の下におかれ、それまで内務省所管であつた外国人の出入国管理は、
総司令部の手に移った。
総司令部が最初に処理しなければならないことは引揚であつた。海外にある日本軍
および一般邦人あわせて六百数十万の引揚について急速な能率的活動をはじめたが、
同時に国内にいる外国人およびこれに準ずるものの本国引揚を進めた。
在留朝鮮人は、終戦直後に帰国をあせり西辺の港に殺到して混乱を起していた。政
府はいち早く動員労務者や復員者の優先的輸送の措置をとり、総司令部もその方針を
つぎ、またそれにひきつづいて一般朝鮮人の引揚を進めた。朝鮮から引き揚げてくる
日本人をのせた船に日本から引き揚げる朝鮮人がのった。帰国熱にかられた朝鮮人は
一日もはやい引揚をいそいで終戦から二十一年三月末までに百三十余万のものが朝鮮
に引き揚げた。二十一年二月に、総司令部は帰国希望者の実態を把握するために、朝
鮮人・中国人・台湾人・琉球人の登録を行なつた。その結果を朝鮮人についてみると、
二十一年三月十八日現在、在留総数六四七、〇〇六人が登録し、そのうち五一四、〇
六〇人(うち北鮮への帰国希望者九、七〇一人)が帰国希望と登録した。総司令部は
その五十一万余人の帰国希望者の計画輸送をすすめて、同年九月末までにその輸送を
終了しようとした。
朝鮮人は、終戦後、解放された祖国へ、大きな期待を持って引き揚げたのであつた
が、国土が二分され、経済再建が思わしくなく、生活の見通しのたたないことから、
これなら日本の方がまだよいとて、逆航するものが多くなった。一方、その当時に、
日本において相当に自由にふるまえたことも、その引揚熱をさます一因ともなり、そ
れまでに引揚を準備したもので思いとどまるものが多かつた。そのため総司令部・日
本政府の熱心な努力にもかかわらず、同年夏以後の引揚はまつたく低調になって、二
十一年四月以後、その年末までの引揚者は八二、九〇〇人にすぎず、その後、二十二
年 八、三九二人、二十三年 二、八二二人、二十四年 三、四八二人、二十五年
二、二九四人という状態であつた。その引揚者をはこぶ船は佐世保から釜山へ一か月
に大体一回運航していた。二十五年六月に動乱がおこって、それまでつづけられた集
団的朝鮮人の引揚は、終了することになった。
以上により、終戦当時に二百万を数えた朝鮮人のうち、動員労務者・復員者は、個
人の自由意思でふみ止まつたものを別とすれば、全員が優先的に引き揚げた。一般の
在留者も約百万人引き揚げた。あと五十万人にちかいものが残ったが、これらの大部
分は日本内地に早くから来往し、その生活基盤を日本社会に深くきずいているもので
あつた。
なお、在留朝鮮人の中で北鮮に引揚を希望したものは、二十一年十一月に米ソ間に
締結されたソ連地区引揚協定の実施により、二十二年三月と六月に合計三五一人が引
き揚げた。〉
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
TEL 03-3946-5780/FAX 03-3946-5784
http://www.sukuukai.jp
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
担当:平田隆太郎(事務局長info@sukuukai.jp)
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆