横田家が記者会見2?質疑応答(2020/06/11)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2020.06.11-3)
以下は、昨日のメールに続き質疑応答の場面です。
■横田家が記者会見2?質疑応答
西岡 それではご質問を受けたいと思います。
◆「お父さん、天国に行けるんだからね」に涙で応えて
問 この度はお悔やみ申し上げます(すべての質問者が同じようなことを冒頭で
発言。以下略)
滋さんとはこれまで40年以上前から一緒に戦って来られたわけですけど、最
後に滋さんにかけられた言葉はどのようなものだったでしょうか。
横田早紀江 弱ってきた時に、看護士さんが気になって、「何でもいいから声を
かけてあげてください」、「大きな声を上げてください」とおっしゃいました。
聞こえていましたので、耳元で、「お父さん、天国に行けるんだからね」と。
「前にお世話になったマック・ダニエル先生とかロビンソン先生とかみんな待っ
ていて出迎えてくれるんだよ。気持ちよく眠ってください」と大きな声でいいま
した。
「私が行くときは忘れないで待っててね」と。そしたらうっすらと涙を流してい
た感じでした。
横田哲也 私が病院に行ってちょっと退出していた時、心拍数や呼吸数が低下す
る時に、母が今のようなことを口にしていたんです。最後の瞬間に、右目の内側
の所に涙が出ていました。
それは母の言葉、私の弟の言葉が聞こえていたのではないかなって思います。
それでやっぱり感謝かどうか分かりませんけども、涙だったらいいなと思ってい
ます。
◆一番楽になれる時に天に召された
問 早紀江さんにとって滋さんは戦友だと思いますが、滋さんはどのような旦那
さんでしたか。また拓也さんや哲也さんにとってはどのようなお父様でしたか。
早紀江 主人は朴訥な人で器用な人ではなかったんですが、自分の全身全霊を打
ち込んで、まっすぐに正直に頑張りぬく、強い人でした。絶対に愚痴を言わない、
弱音を吐かない人だったと思います。
ありがとうって言ってみなさんに言われまして、最後まであの病院の皆さんに
も大事にしていただいて、応援していただいて、今日まで来られたことを本当に
感謝しております。
子どもはもう大好きで、子どものことばかり考えて、国内旅行が多かったんで
すが、色々なところに連れていってくれました。
病気になってからしみじみと感じましたが、恩返ししとかなきゃいけないと思
いましたね。私が毎日、足首とか指とか必ず一日一回はマッサージしてあげて、
毎日通って頭とか方とか血流を良くするために。そういうことしかできないので
すが、してあげられてよかったなと思ってます。
戦いの日々だったものですから、一番いい状態で一番いい時に、一番楽になれ
る時に天に召されたなと思っています。
◆正直者で真面目で、して優しくて、とても強い大人
拓也 私から見た父親の印象は、正直者で真面目で、そして優しくて、とても強
い大人であり、父親であったと思っています。
一度まだ金正恩の前の金正日の頃に、両親と家の中で話をしていた時に、それ
はお酒を飲みながらの会話でしたけども、まあここでは電波のライブなんで具体
的な言葉は控えますが、私は子供としてですね、「自分としては許せない。こう
してこうしてボコボコにしてやりたい」って言ったことがあるんですが、珍しく
父はその時に、「そんなものではすまされない」と言ったことがありました。
父は皆様方の前でそういうことを決して口にしないし、怒りの表情を見せない。
きっと私たち以上に何倍も何十倍も、実は怒り、頭にきていて、でも皆さんには
見せないで姉の救出を最優先するために戦ってきたんだろうと、そう思ってます。
とても強い父親だったと思っています。
◆いつもニコニコ笑顔で優しい人だが強い人
哲也 父のイメージは、一言で言えば気を使って、みなさまご存じだと思います
けども、いつもニコニコ笑顔なので笑ってる印象が強く、優しい人だなというこ
とが思い浮かびます。
また、どこの家庭でも喧嘩ってありますよね、口喧嘩とか。その時に私と兄が
会話する時に、感情的になったりしますが、父は怒らずに敢えて笑って、話題を
書えて違うことで我々に話しかけてくる。絶対ショートしないようにしようって
いうようなことが何度も何度もありました。
なのでこういう運動の活動の中でもそういうことがあったのかもしれませんけ
ども、まさに優しい人だったんじゃないかなっというのがまずあります。父は非
常にお酒が好きだったわけですが、2年2か月前に入院して、食べることもでき
ず、飲むこともできず、病気の影響で音があまり伝えられないという非常に苦し
い環境にあったわけですけども、最後の最後に、亡くなってからではありますが、
棺に小さな日本酒を入れさせてもらいました。
◆人質外交を続けている北朝鮮の言うことを聞き続けるだけでいいのか
問 私の印象では、滋さんはどちらかっていうと北朝鮮に対して経済制裁強化一
辺倒というよりも、現実的で対話の道を探して行かなきゃいけないっていうこと
だったと思うんですけども、拓也さん、哲也さんはこれを踏まえてこれからもさ
れていくのかどうか、それよりも経済制裁強めて即時全員一括返還という流れで
これからも運動されていくのかを教えてください。
拓也 外交していく以上はこちらがいて相手がいる、絶対に交渉しなくては物事
が進まないのはもう当たり前の話なので、それは政治家同士、政権同士で交渉し
ていくことは重要だと思いますが、私はあえて父よりも母の言葉を借りて言うと、
私は小さい頃に、そして私だけでなく皆様方も親から教えられたことですね、間
違ったことをしてはいけないってことを教えられたと思います。
何が正義で何が邪悪な悪であるかということをしっかり踏まえれば、今北朝鮮
がやっている、拉致を43年前から続けて、今も人質外交を続けていることが正
しいのかどうかということになった時に、日本人が日本国が何も言わずに、相手
のいうことを聞き続けることでいいのかということを、私たち自身、国民自身、
ジャーナリズムがそれを意識する必要が私はあると思います。
哲也 ご質問は圧力と対話という言葉でまとめられると思いますが、会話だけで
すむならそれでいいんですが、それではすまないから拳を上げてこちらに誘導し
ようとしていると思います。
まあ親が子どもをしつける時も、話してるだけじゃ言うこと聞かないですね。
学校の先生がクラスの生徒をしつけるのもそうだと思います。できてない子たち
には、最後にはどこかの場面で圧力が必要だと思います。
◆布でできたブルーリボンとめぐみの写真を棺にいれた
問 二つお聞きしたいことがあります。一つは有本さんがお亡くなりになってか
らそれほど時が経っていない。またこういう時期(コロナウイルス)ですから、
なかなか直接のお見舞いというのが難しくなってる時期がました。
その間滋さんはても寂しい思いをされているということも気になって言い出し
たと思うんですけれども、どんな風にお見舞いを続けていらしか、それから今日
はご出棺するまで教会の方に置いてあったわけですけれども、ずとお声をか続け
ていらしたのか。
また、日本酒の小さいものを入れてあげたという話がありましたけれども、滋
さんとって色々大切なものもあったと思いますし、棺に何か収められたものがあ
りましたらば教えて頂ければ。写真とか。
早紀江 コロナで面会謝絶になっていました。しかし行かなくなっちゃうと、本
当に弱ってしまうなと思ったので、毎日私はベランダに咲いている13センチく
らいのバラの花に手紙を添えて、届けてもらっていました。そんなことしかでき
また、長い年月が経ちましたので、さすがにかわいそうだったねっていうことで、
布でできたブルーリボンを棺にいれました。まためぐみちゃんの写真、佐渡で写
した写真ですが、いつも病院で見ていましたので、それを胸のところに置きまし
た。
◆「北朝鮮だけには負けたくないね」
問 病気になる前に滋さんはめぐみさんについて、どんなことをおっしゃってい
ましたか。
早紀江 めぐみがどこにいるのか分からない25年間は、色々なことを話しまし
た。またあまりにも長い月日を一緒にやってきましたから、いつでも同じような
考えでいますので、「北朝鮮だけには負けたくないね」と話していました。
◆自分の命削ってでも、講演に行くことを決めていた
拓也 入院の前後、全国で1400回以上講演に行っていて、父が書いていた手
書きの手帳を見た時に、やはり姉に再会する前に自分の体を壊して、会えなくなっ
てしまうと一番いけないから、「週に1回予定をお受けしないとか、この月は神
奈川県から出ないとか、そういうことを自分で決めないと体を壊しちゃう」よっ
ていうことを、生意気な口調で父に言って、「そうしなきゃダメだ」ということ
を何回も言ったことがありますが、「それはできない。行くんだ」ということを
何回も言っていたんです。
だから本当に、自分の命削ってでも、行くことを決めていたんだなって、いつ
も思っています。
◆「早く朝鮮から取り戻したいよね」
哲也 入院期間中のどのタイミングかは分かりませんが、かなりの猛暑だったの
かもしれませんが、新潟市の講演会の時に喋ったことのある内容ですけども、写
真を父に見せながら、「早く朝鮮から取り戻したいよね」と言っていました。
「そうだよね」と弱い口調ではありましたが。やっぱりそういう思いは意識が薄
れてもいつも思っていたんだなと感じました。
天国に行ったことは本当に救出活動の親世代からこそで、我々が受け継ぐ中で、
それを叶えられなかった力不足を姉に詫びたいと思っております。
つづく
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葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 安倍晋三殿
■救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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以下は、昨日のメールに続き質疑応答の場面です。
■横田家が記者会見2?質疑応答
西岡 それではご質問を受けたいと思います。
◆「お父さん、天国に行けるんだからね」に涙で応えて
問 この度はお悔やみ申し上げます(すべての質問者が同じようなことを冒頭で
発言。以下略)
滋さんとはこれまで40年以上前から一緒に戦って来られたわけですけど、最
後に滋さんにかけられた言葉はどのようなものだったでしょうか。
横田早紀江 弱ってきた時に、看護士さんが気になって、「何でもいいから声を
かけてあげてください」、「大きな声を上げてください」とおっしゃいました。
聞こえていましたので、耳元で、「お父さん、天国に行けるんだからね」と。
「前にお世話になったマック・ダニエル先生とかロビンソン先生とかみんな待っ
ていて出迎えてくれるんだよ。気持ちよく眠ってください」と大きな声でいいま
した。
「私が行くときは忘れないで待っててね」と。そしたらうっすらと涙を流してい
た感じでした。
横田哲也 私が病院に行ってちょっと退出していた時、心拍数や呼吸数が低下す
る時に、母が今のようなことを口にしていたんです。最後の瞬間に、右目の内側
の所に涙が出ていました。
それは母の言葉、私の弟の言葉が聞こえていたのではないかなって思います。
それでやっぱり感謝かどうか分かりませんけども、涙だったらいいなと思ってい
ます。
◆一番楽になれる時に天に召された
問 早紀江さんにとって滋さんは戦友だと思いますが、滋さんはどのような旦那
さんでしたか。また拓也さんや哲也さんにとってはどのようなお父様でしたか。
早紀江 主人は朴訥な人で器用な人ではなかったんですが、自分の全身全霊を打
ち込んで、まっすぐに正直に頑張りぬく、強い人でした。絶対に愚痴を言わない、
弱音を吐かない人だったと思います。
ありがとうって言ってみなさんに言われまして、最後まであの病院の皆さんに
も大事にしていただいて、応援していただいて、今日まで来られたことを本当に
感謝しております。
子どもはもう大好きで、子どものことばかり考えて、国内旅行が多かったんで
すが、色々なところに連れていってくれました。
病気になってからしみじみと感じましたが、恩返ししとかなきゃいけないと思
いましたね。私が毎日、足首とか指とか必ず一日一回はマッサージしてあげて、
毎日通って頭とか方とか血流を良くするために。そういうことしかできないので
すが、してあげられてよかったなと思ってます。
戦いの日々だったものですから、一番いい状態で一番いい時に、一番楽になれ
る時に天に召されたなと思っています。
◆正直者で真面目で、して優しくて、とても強い大人
拓也 私から見た父親の印象は、正直者で真面目で、そして優しくて、とても強
い大人であり、父親であったと思っています。
一度まだ金正恩の前の金正日の頃に、両親と家の中で話をしていた時に、それ
はお酒を飲みながらの会話でしたけども、まあここでは電波のライブなんで具体
的な言葉は控えますが、私は子供としてですね、「自分としては許せない。こう
してこうしてボコボコにしてやりたい」って言ったことがあるんですが、珍しく
父はその時に、「そんなものではすまされない」と言ったことがありました。
父は皆様方の前でそういうことを決して口にしないし、怒りの表情を見せない。
きっと私たち以上に何倍も何十倍も、実は怒り、頭にきていて、でも皆さんには
見せないで姉の救出を最優先するために戦ってきたんだろうと、そう思ってます。
とても強い父親だったと思っています。
◆いつもニコニコ笑顔で優しい人だが強い人
哲也 父のイメージは、一言で言えば気を使って、みなさまご存じだと思います
けども、いつもニコニコ笑顔なので笑ってる印象が強く、優しい人だなというこ
とが思い浮かびます。
また、どこの家庭でも喧嘩ってありますよね、口喧嘩とか。その時に私と兄が
会話する時に、感情的になったりしますが、父は怒らずに敢えて笑って、話題を
書えて違うことで我々に話しかけてくる。絶対ショートしないようにしようって
いうようなことが何度も何度もありました。
なのでこういう運動の活動の中でもそういうことがあったのかもしれませんけ
ども、まさに優しい人だったんじゃないかなっというのがまずあります。父は非
常にお酒が好きだったわけですが、2年2か月前に入院して、食べることもでき
ず、飲むこともできず、病気の影響で音があまり伝えられないという非常に苦し
い環境にあったわけですけども、最後の最後に、亡くなってからではありますが、
棺に小さな日本酒を入れさせてもらいました。
◆人質外交を続けている北朝鮮の言うことを聞き続けるだけでいいのか
問 私の印象では、滋さんはどちらかっていうと北朝鮮に対して経済制裁強化一
辺倒というよりも、現実的で対話の道を探して行かなきゃいけないっていうこと
だったと思うんですけども、拓也さん、哲也さんはこれを踏まえてこれからもさ
れていくのかどうか、それよりも経済制裁強めて即時全員一括返還という流れで
これからも運動されていくのかを教えてください。
拓也 外交していく以上はこちらがいて相手がいる、絶対に交渉しなくては物事
が進まないのはもう当たり前の話なので、それは政治家同士、政権同士で交渉し
ていくことは重要だと思いますが、私はあえて父よりも母の言葉を借りて言うと、
私は小さい頃に、そして私だけでなく皆様方も親から教えられたことですね、間
違ったことをしてはいけないってことを教えられたと思います。
何が正義で何が邪悪な悪であるかということをしっかり踏まえれば、今北朝鮮
がやっている、拉致を43年前から続けて、今も人質外交を続けていることが正
しいのかどうかということになった時に、日本人が日本国が何も言わずに、相手
のいうことを聞き続けることでいいのかということを、私たち自身、国民自身、
ジャーナリズムがそれを意識する必要が私はあると思います。
哲也 ご質問は圧力と対話という言葉でまとめられると思いますが、会話だけで
すむならそれでいいんですが、それではすまないから拳を上げてこちらに誘導し
ようとしていると思います。
まあ親が子どもをしつける時も、話してるだけじゃ言うこと聞かないですね。
学校の先生がクラスの生徒をしつけるのもそうだと思います。できてない子たち
には、最後にはどこかの場面で圧力が必要だと思います。
◆布でできたブルーリボンとめぐみの写真を棺にいれた
問 二つお聞きしたいことがあります。一つは有本さんがお亡くなりになってか
らそれほど時が経っていない。またこういう時期(コロナウイルス)ですから、
なかなか直接のお見舞いというのが難しくなってる時期がました。
その間滋さんはても寂しい思いをされているということも気になって言い出し
たと思うんですけれども、どんな風にお見舞いを続けていらしか、それから今日
はご出棺するまで教会の方に置いてあったわけですけれども、ずとお声をか続け
ていらしたのか。
また、日本酒の小さいものを入れてあげたという話がありましたけれども、滋
さんとって色々大切なものもあったと思いますし、棺に何か収められたものがあ
りましたらば教えて頂ければ。写真とか。
早紀江 コロナで面会謝絶になっていました。しかし行かなくなっちゃうと、本
当に弱ってしまうなと思ったので、毎日私はベランダに咲いている13センチく
らいのバラの花に手紙を添えて、届けてもらっていました。そんなことしかでき
また、長い年月が経ちましたので、さすがにかわいそうだったねっていうことで、
布でできたブルーリボンを棺にいれました。まためぐみちゃんの写真、佐渡で写
した写真ですが、いつも病院で見ていましたので、それを胸のところに置きまし
た。
◆「北朝鮮だけには負けたくないね」
問 病気になる前に滋さんはめぐみさんについて、どんなことをおっしゃってい
ましたか。
早紀江 めぐみがどこにいるのか分からない25年間は、色々なことを話しまし
た。またあまりにも長い月日を一緒にやってきましたから、いつでも同じような
考えでいますので、「北朝鮮だけには負けたくないね」と話していました。
◆自分の命削ってでも、講演に行くことを決めていた
拓也 入院の前後、全国で1400回以上講演に行っていて、父が書いていた手
書きの手帳を見た時に、やはり姉に再会する前に自分の体を壊して、会えなくなっ
てしまうと一番いけないから、「週に1回予定をお受けしないとか、この月は神
奈川県から出ないとか、そういうことを自分で決めないと体を壊しちゃう」よっ
ていうことを、生意気な口調で父に言って、「そうしなきゃダメだ」ということ
を何回も言ったことがありますが、「それはできない。行くんだ」ということを
何回も言っていたんです。
だから本当に、自分の命削ってでも、行くことを決めていたんだなって、いつ
も思っています。
◆「早く朝鮮から取り戻したいよね」
哲也 入院期間中のどのタイミングかは分かりませんが、かなりの猛暑だったの
かもしれませんが、新潟市の講演会の時に喋ったことのある内容ですけども、写
真を父に見せながら、「早く朝鮮から取り戻したいよね」と言っていました。
「そうだよね」と弱い口調ではありましたが。やっぱりそういう思いは意識が薄
れてもいつも思っていたんだなと感じました。
天国に行ったことは本当に救出活動の親世代からこそで、我々が受け継ぐ中で、
それを叶えられなかった力不足を姉に詫びたいと思っております。
つづく
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