タイ人拉致被害者家族の所感(2021/07/12)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2021.07.12)
北朝鮮に拉致された人々を救援する会チェンマイ(ARNKA、海老原智治代表)
から、7月11日に、タイ人北朝鮮拉致被害者アノーチャー・パンチョイさんが
67歳の誕生日を迎えるにあたって家族の所感を発表しました。
以下はその全文です。
■タイ人拉致被害者家族の所感
北朝鮮によるタイ人拉致被害者アノーチャー・パンチョイさん(1954年7
月12日チェンマイ生れ)は、1978年に出稼ぎ先のマカオで2名のマカオ人
女性と同時に突然失踪し、その後の消息は全く分かりませんでした。
失踪から27年後の2005年、チャールズ・ジェンキンスさんの証言により、
北朝鮮拉致であったことが判明しました。
アノーチャーさんは明日7月12日に、満67歳の誕生日を迎えます。
ご家族はこれまで毎年の誕生日には、自宅に僧侶を招き北部タイの伝統的な誕
生日寄進式を行って来ましたが、本年はコロナにより取りやめました。
また、昨年と一昨年の誕生日には2年連続して、タイ内務省ダムロンタム・セ
ンター(人権侵害や行政不服申立てを国民から受け付ける部門)チェンマイ県庁
支所を通じ、救援要請のためのタイ首相・外相面会を正式に書面で願い出ていま
した。しかし、タイ政府からは一切の回答がなく現在に至るまで黙殺されたまま
であるため、本年の再々度の申立ては見送りました。
このような中で、本年の誕生日に当たりご家族を代表して救出活動に携わって
来た、被害者甥のバンジョン・パンチョイさん(アノーチャーさん実兄の長男)
が、本会を通じて以下の所感を発しましたのでリリース致します。
◆タイ人拉致被害者アノーチャーさんの満67歳の誕生日を迎えるに当たっての、
被害者甥バンジョン・パンチョイさんの所感
1978年にアノーチャーは出稼ぎ先のマカオで、失踪しました。
私たち家族は、アノーチャーと一緒にマカオに同行していた友人からの手紙で、
失踪を知ることになりました。
私たち家族は失踪した事実を知っても何も出来ることはなく、ただ待つだけで
した。
43年前当時の田舎の連絡交通事情はとても悪く、家族は貧しく、どこかに何
かを訴え出ることも出来なかったのです。
それから27年の時が経った、2005年11月1日のことを、私ははっきり
と覚えています。
私の父でアノーチャーの実兄であるスカム・パンチョイはこの日、自宅で夜7
時半のITV(当時)のニュースを見ていました。すると「アノーチェという名の
タイ人女性が北朝鮮に拉致されている」という報道が流れ、北朝鮮で撮影された
「アノーチェ」の写真も映されたのです。
父はそれを見てすぐ、「アノーチャーに間違いない」と感じました。父と私は
地元サンカンペーン郡の郡長に会い、事実の確認を求めました。タイ外務省の担
当者が自宅を訪れて聞き取りをし、私たちはバンコクに行き、外務大臣に面会し
ました。
それからすぐに日本から、日本政府の担当者と家族会・救う会がチェンマイの
自宅を訪問し、東京で開催される会議へ招へいを受けました。2005年12月
に父と私は東京を訪れました。
父と私はそれ以来、何人ものタイ外相に救援を求める要望書を送り、タイ政府
の様々な部門にも面会を重ね救援を求めてきました。しかし、家族が得た回答と
言えば、いつも同じでした。「私たちタイ政府は可能なあらゆる方法で努力して
います。家族の力になりますよ。」ただこう言うばかりなのです。
拉致判明から10年目の2015年5月1日に、父スカム・パンジョイが逝去
しました。父は妹アノーチャーの帰還を最後まであきらめず、力を振り絞って救
援を訴えてきましたが、再会は叶いませんでした。
父は息を引き取る前、私にこう言いました。
「母・弟・家族の面倒をよく見てくれ。そしてアノーチャーのことを決して捨て
ないでくれ。生きているかどうかを確かめて、生きているなら連れて帰って来て
くれ。私はもう長くない。アノーチャーのことを頼む。」
私は父に、「叔母さんのことは出来る限りやる」と答えました。アノーチャー
がいなくなってから、もう43年もの年月が過ぎました。今、タイ政府のいずれ
の部署も、この件で私たちに連絡してくることはありません。タイ社会の関心も
薄れてしまいました。
タイ社会はあまりにもはっきりとした階級社会なのです。裕福な人間と貧乏人。
私と家族は常にこう考えます。それは、アノーチャーが貧乏人でただの田舎の農
家の娘にしか過ぎないから、誰からもかえりみられることがないのです。
もしもアノーチャーが、裕福だったり社会的に名のある人物の娘であったら、
きっともうずっと前に帰って来ていることでしょう。
今、私たち家族が希望を持てるのは、日本政府と日本の家族会・救う会だけで
す。アノーチャーの67歳の誕生日となる7月12日は、コロナ禍のために誕生
日寄進式を行うことが出来ません。行わないのは初めてのことですが、世界中の
人々がコロナに見舞われている中であり、致し方ありません。
このような厳しい中で、私は誕生日にあたり家族として叔母に思いを馳せます。
叔母に健康と幸福があって欲しく思います。
バンジョン・パンチョイ
以上
海老原氏の連絡先
Tomoharu EBIHARA
Director, the Association for the Rescue of North Korea Abductees, Chiangmai (ARNKA)
Tel. 084-222-9695
Email. infoarnka@gmail.com
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■菅首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
[PC]https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
[携帯]http://form1.kmail.kantei.go.jp/cgi-bin/k/iken/im/goiken.cgi
葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 菅義偉殿
■救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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北朝鮮に拉致された人々を救援する会チェンマイ(ARNKA、海老原智治代表)
から、7月11日に、タイ人北朝鮮拉致被害者アノーチャー・パンチョイさんが
67歳の誕生日を迎えるにあたって家族の所感を発表しました。
以下はその全文です。
■タイ人拉致被害者家族の所感
北朝鮮によるタイ人拉致被害者アノーチャー・パンチョイさん(1954年7
月12日チェンマイ生れ)は、1978年に出稼ぎ先のマカオで2名のマカオ人
女性と同時に突然失踪し、その後の消息は全く分かりませんでした。
失踪から27年後の2005年、チャールズ・ジェンキンスさんの証言により、
北朝鮮拉致であったことが判明しました。
アノーチャーさんは明日7月12日に、満67歳の誕生日を迎えます。
ご家族はこれまで毎年の誕生日には、自宅に僧侶を招き北部タイの伝統的な誕
生日寄進式を行って来ましたが、本年はコロナにより取りやめました。
また、昨年と一昨年の誕生日には2年連続して、タイ内務省ダムロンタム・セ
ンター(人権侵害や行政不服申立てを国民から受け付ける部門)チェンマイ県庁
支所を通じ、救援要請のためのタイ首相・外相面会を正式に書面で願い出ていま
した。しかし、タイ政府からは一切の回答がなく現在に至るまで黙殺されたまま
であるため、本年の再々度の申立ては見送りました。
このような中で、本年の誕生日に当たりご家族を代表して救出活動に携わって
来た、被害者甥のバンジョン・パンチョイさん(アノーチャーさん実兄の長男)
が、本会を通じて以下の所感を発しましたのでリリース致します。
◆タイ人拉致被害者アノーチャーさんの満67歳の誕生日を迎えるに当たっての、
被害者甥バンジョン・パンチョイさんの所感
1978年にアノーチャーは出稼ぎ先のマカオで、失踪しました。
私たち家族は、アノーチャーと一緒にマカオに同行していた友人からの手紙で、
失踪を知ることになりました。
私たち家族は失踪した事実を知っても何も出来ることはなく、ただ待つだけで
した。
43年前当時の田舎の連絡交通事情はとても悪く、家族は貧しく、どこかに何
かを訴え出ることも出来なかったのです。
それから27年の時が経った、2005年11月1日のことを、私ははっきり
と覚えています。
私の父でアノーチャーの実兄であるスカム・パンチョイはこの日、自宅で夜7
時半のITV(当時)のニュースを見ていました。すると「アノーチェという名の
タイ人女性が北朝鮮に拉致されている」という報道が流れ、北朝鮮で撮影された
「アノーチェ」の写真も映されたのです。
父はそれを見てすぐ、「アノーチャーに間違いない」と感じました。父と私は
地元サンカンペーン郡の郡長に会い、事実の確認を求めました。タイ外務省の担
当者が自宅を訪れて聞き取りをし、私たちはバンコクに行き、外務大臣に面会し
ました。
それからすぐに日本から、日本政府の担当者と家族会・救う会がチェンマイの
自宅を訪問し、東京で開催される会議へ招へいを受けました。2005年12月
に父と私は東京を訪れました。
父と私はそれ以来、何人ものタイ外相に救援を求める要望書を送り、タイ政府
の様々な部門にも面会を重ね救援を求めてきました。しかし、家族が得た回答と
言えば、いつも同じでした。「私たちタイ政府は可能なあらゆる方法で努力して
います。家族の力になりますよ。」ただこう言うばかりなのです。
拉致判明から10年目の2015年5月1日に、父スカム・パンジョイが逝去
しました。父は妹アノーチャーの帰還を最後まであきらめず、力を振り絞って救
援を訴えてきましたが、再会は叶いませんでした。
父は息を引き取る前、私にこう言いました。
「母・弟・家族の面倒をよく見てくれ。そしてアノーチャーのことを決して捨て
ないでくれ。生きているかどうかを確かめて、生きているなら連れて帰って来て
くれ。私はもう長くない。アノーチャーのことを頼む。」
私は父に、「叔母さんのことは出来る限りやる」と答えました。アノーチャー
がいなくなってから、もう43年もの年月が過ぎました。今、タイ政府のいずれ
の部署も、この件で私たちに連絡してくることはありません。タイ社会の関心も
薄れてしまいました。
タイ社会はあまりにもはっきりとした階級社会なのです。裕福な人間と貧乏人。
私と家族は常にこう考えます。それは、アノーチャーが貧乏人でただの田舎の農
家の娘にしか過ぎないから、誰からもかえりみられることがないのです。
もしもアノーチャーが、裕福だったり社会的に名のある人物の娘であったら、
きっともうずっと前に帰って来ていることでしょう。
今、私たち家族が希望を持てるのは、日本政府と日本の家族会・救う会だけで
す。アノーチャーの67歳の誕生日となる7月12日は、コロナ禍のために誕生
日寄進式を行うことが出来ません。行わないのは初めてのことですが、世界中の
人々がコロナに見舞われている中であり、致し方ありません。
このような厳しい中で、私は誕生日にあたり家族として叔母に思いを馳せます。
叔母に健康と幸福があって欲しく思います。
バンジョン・パンチョイ
以上
海老原氏の連絡先
Tomoharu EBIHARA
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Tel. 084-222-9695
Email. infoarnka@gmail.com
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下記をクリックして、ご意見を送ってください。
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葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 菅義偉殿
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TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
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