あきらめない 飯塚繁雄さんお別れ会2(2022/03/16)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2022.03.16)
■あきらめない 飯塚繁雄さんお別れ会2
◆「諦めない」「工程表」と何度も
松野博一(拉致問題担当大臣兼内閣官房長官)
「飯塚繁雄さんお別れの会」に際して、一言御挨拶を申し上げます。まず、改
めて、飯塚繁雄さんの御冥福を、心よりお祈りするとともに、御遺族の皆様にお
悔やみを申し上げます。
私が飯塚繁雄さんにお会いしたのは、岸田内閣発足直後に官邸で総理とともに
ご家族の皆様と面会したときと、繁雄さんが家族会代表として最後に参加をされ
た国民大集会のときであります。その際、繁雄さんは、「諦めない」「工程表」
という言葉を何度も熱心に語っておられ、そのお姿が今も目に焼き付いておりま
す。
これらの言葉を胸に刻み、田口八重子さんが御子息の耕一郎さんにお会いされ
るその日まで、そして、全ての拉致被害者の帰国が一日も早く実現するよう、岸
田総理以下、政府一丸となって全力で取り組んでまいります。繁雄さんの御霊を
前に、改めてこの決意を申し上げ、お別れの言葉とさせていただきます。
◆拉致被害者や多くの失踪者は今この瞬間も苦しんでいる
大野元裕(埼玉県知事、拉致問題知事の会)
本日、飯塚繁雄さんのお別れ会に際し、北朝鮮による拉致被害者を救出する知
事の会を代表してご挨拶を申し上げます。ご逝去された飯塚繁雄さんのご冥福を
心よりお祈り申し上げます。またご遺族の皆様方に対し、謹んでお悔やみを申し
上げます。
飯塚さんは、平成14年から北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の活動に参加
されました。平成19年からは代表を務められ、政府への訴えや日本各地での署
名活動、講演活動など、拉致被害者の一日も早い帰国のため、全力を尽くしてお
られました。
埼玉県内でも、拉致問題を考える埼玉県民の集い、浦和駅前での署名活動など、
いつも先頭に立って取り組まれ、必ず拉致被害者全員を取り戻すという強い思い
を持って臨まれていらっしゃいました。
お亡くなりになる一か月前に開催された国民大集会において、「諦めない」と
何度も語られていたお姿が今でも思い出されます。
最期まで八重子さんの帰国を切望しながら御逝去された飯塚さんの御無念はど
れほどのものであったかと思うと、誠に残念でなりません。
大切な家族やその人生を奪い去った北朝鮮による拉致問題は、決して許すこと
ができない、我が国の主権と国民の人権に関わる重大な問題であります。
拉致被害者や拉致の可能性を否定できない多くの失踪者の方々は、今この瞬間
も苦しんでおられます。
飯塚耕一郎さんをはじめとした御家族の皆様と再会を実現させるためには、北
朝鮮に「拉致を必ず解決する」という国民の固い意志を発信し続けていくことが
何よりも重要です。
知事の会としても、待ったなしの拉致問題の早期解決を求める国民の気運を高
め、政府を力強く後押しすることにより、拉致被害者の方々の一刻も早い救出を
実現できるよう、しっかりと取り組んでまいりますことをお誓いして、私からの
挨拶とさせていただきます。
田口さんに埼玉に戻っていただきたいという思いを実現できず大変残念であり
ます。
◆必ず拉致被害者を奪還する
松田良昭(拉致問題地方議会全国協議会会長)
本日の飯塚繁雄さんのお別れの会に際し、謹んで哀悼の意を表します。
飯塚繁雄さんは昨年12月18日、埼玉県の病院で、御家族の皆様をはじめ多
くの方々の手厚い看護と回復への祈りもかなわず、ついに帰らぬ人となられまし
た。
ご家族、ご親族の皆様のお嘆きも、察するに余りあるものがございますが、何
よりも、飯塚繁雄さん、あなたの拉致被害者全員を帰国させるというその思いが
またかなっていないこと、この無念さを思いますと、痛恨の極みです。
飯塚繁雄さんは、昭和53年に1歳と2歳の幼い子供を残したまま北朝鮮に拉
致された田口八重子さんの兄として、八重子さんの行方が分からなくなって以降、
2人のお子さんのうち当時1歳だった耕一郎さんを引き取り、わが子として育て
てこられました。
15年前からは、横田さんに代わって家族会の代表に就任し、救出活動の先頭
に立ってこられました。
昨年、国民大集会の前に、我々地方議連が家族会・救う会の役員と面会しまし
た。その時飯塚さんは、「拉致問題を風化させないために、是非とも各地でブルー
リボンバッジを着けてほしい。そして〈アニメめぐみ〉をもっと多くの人に見て
もらうために力を貸してほしい」とおっしゃいました。その真剣なまなざしが忘
れられません。
今日も各地から地方議連50数名が来ておりますが、飯塚さんの話を受けて私
はすぐに各地の同志に連絡し、また地元の神奈川県では、全議員がバッジをつけ
る、神奈川県庁の職員もつける、「アニメめぐみ」の視聴100%を達成できま
した。
まだまだ我々はやります。そして必ず拉致被害者を奪還する。我々はあきらめ
ることなく頑張ります。安らかにお眠りください。
拉致問題全国地方議会協議会会長 松田良昭
◆今後も拉致問題解決の為に全力を尽くす
菅 義偉(前内閣総理大臣)
飯塚繁雄さんのお別れ会に際し一言ご挨拶を申し上げます。飯塚さんは、拉致
問題を何としても解決するという責任感で、ご自身の体調も顧みず、長年にわた
り家族会の代表として先頭に立って活動してこられました。
内閣総理大臣として拉致問題担当大臣として、その姿勢に本当に頭の下がる思
いでした。ご生前のお姿をおしのびし、飯塚さんのご冥福を心よりお祈り申し上
げます。
私の内閣においても、拉致問題を最重要課題に掲げ、一日も早い帰国実現に向
け全力を注いできましたが、在任中に問題を解決することができず、また飯塚さ
んが妹の田口八重子さんとの再会を果たせなかったことを、大変申し訳ない想い
であります。
今後も一人の政治家として、拉致問題解決の為に全力を尽くして参りますこと
を、飯塚繁雄さんのご霊前にお誓い申し上げ、私の挨拶とさせていただきます。
西岡力 安倍晋三元内閣総理大臣よりメッセージが来ています。私が代読させて
いただきます。
◆人生をかけて拉致問題に取り組む
安倍晋三(元内閣総理大臣)
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の前代表 飯塚繁雄様がお亡くなりになら
れ3か月近くの日々が過ぎました。本日のお別れの会には、マレーシア出張の為
に参加できず、申し訳なく思っております。
飯塚様の穏やかなお顔の中に、拉致被害者を絶対に取り戻すという強い意志、
そして、そのお人柄で家族会をまとめあげられるお姿が、走馬灯の如く蘇ってき
ます。飯塚様の人生をかけての想いを叶えられず、誠に申し訳なく、残念でなり
ません。
34年前、有本恵子さんのお父上が、父の安倍晋太郎事務所を訪ねて来られ、
その後、私は、政治家となり、拉致問題の解決に向け、全力を尽くそうと決意を
しました。当時は関心度も低く、被害者のご家族は、長い間、孤独で痛切な闘い
を強いられてこられました。これは政府、そしれ国の責任であります。
総理として拉致被害者全員を元気で帰国させたいと、ありとあらゆる考えを巡
らせ、実行して参りました。
それでも、全員の願いを叶えられず、内閣総理大臣として拉致問題を解決でき
なかったことは、痛恨の極みであり、一番の心残りです。と同時に、私は、その
強い想い決して諦めてはいません。
ご家族の方はご高齢になられ、被害者の方も歳を重ねてこられています。
私は、政治家として、一人の人間としても人生をかけて、拉致問題に取り組ん
で参ります。飯塚前代表、どうぞ天上から見守り、大きな力をお与え下さい。そ
して安らかにお眠りください。
支え続けられたご家族、家族会の皆様も、どれだけお寂しい事かと存じます。
今後も力をあわせて強く生きていかれますようお祈り申し上げ、衷心よりご冥福
をお祈り致します。
衆議院議員 安倍晋三
西岡 飯塚さんの思い出はたくさんありますが、一つだけご紹介すると、ご本を
出されたことがあったのですね。八重子さんのことについて。それを私に話さな
いで内の事務局に下さいました。運動を支えているのは目立つ人じゃなくて、事
務をやっている人だ、と。そういう言葉を平田事務局長、山岸事務局次長にかけ
てくださったことを覚えています。
代表として大臣に会われたり、大統領に会われたり、国連に訴えたりと、表舞
台に立っておられた方ですが、支えている裏方がいるから自分ができているんだ
という心持をずっともっていてくださる。そういうお人柄の人でした。
25年間と一言で言えば簡単ですが、色々なことがありました。人間ですから
様々なぶつかり合いもあります。それが運動というものでありますが、14年間
飯塚さんがそのお人柄でこの国民運動を引っ張ってくださったから、わたしたち
はここにいるわけです。
もちろん全員を取り戻せていないという悔しさがありますが、ここまで来るこ
とができたのだなあと思います。そして飯塚さんが「あきらめない」とおっしゃっ
て、いまここにおだやかなお顔(写真)でいらっしゃいます。
私たちは絶対あきらめることはできないと、今年本当に勝負をかけなければな
らないと思っています。私たちは明日、家族会・救う会の会議をして、今年の運
動方針を決めます。全拉致被害者の即時一括帰国を実現させるために、ここにい
るすべての者が、一人ひとりの立場で全力を尽くすことを誓って、飯塚さんに捧
げようではありませんか。
◆我々は絶対にあきらめない
飯塚耕一郎(飯塚繁雄さん養子、田口八重子さん長男、家族会事務局長)
本日はお日柄がよい日にも関わらず、多くの方々が父飯塚繁雄のお別れ会にご
参加いただき、誠にありがとうございます。また生前、地方各地や政界などの皆
様にご支援をいただき誠にありがとうございました。
先ほどビデオもありましたが、父は昨年11月13日にこの会場で講演した後、
5日後に急遽体調を崩して入院してしまいました。そしてちょうど1か月後の1
2月18日に亡くなってしまいました。
入院当初はまだ意識がある状態で、そこで2枚のメモを書いていました。1つ
はただ「八重子」と書かれていて、はやり八重子さんのことは臨終の間際まで心
の多くを占めていたのだろうと思っています。
12月初旬にはほぼ意識がなくなっていました。私はICU(集中治療室)で父
の手を握りながら、これまで二人で歩いてきた活動を思い出していました。ある
週末には東日本に行き、次の週末には西日本に行きという日々で、日本中あらゆ
る所にお伺いして講演をさせていただき、色々な方々にお会いしてご協力をお願
いしてきました。
そのような活動を父は2002年から、私は2004年から約20年の活動が
形となって、結果として親父によかったことを見せてあげられなかったこと、つ
まり八重子さんとの再会に至らなかったことに関しては、悔やんでも悔やみきれ
ない気持ちです。
親父はきっと八重子さんと私が抱き合う姿を見て喜びたいと思っていたと思い
ますし、私は親父と八重子さんが抱き合う姿を見て喜びたいと思っていたと思い
ます。ただただそういうことができなかったことが悔やまれてなりません。
そしてこの会場にいるすべての方々は、同じように「あきらめない」という気
持ちを持ち、それを具体的な行動に移す必要があると思っていると思います。
「あきらめない」という言葉は、親父が再三再四使っていた言葉ではあります
が、本来は拉致問題を解決したいと思っているすべての方々の意思を表している
言葉だということに尽きると思います。我々は絶対にあきらめない。あきらめる
わけにはいかない。
ですので、この言葉を具体的な行動に移して拉致被害者の即時一括帰国を実現
し、親父と同じように再開できなくなる家族を増やしてはならないということを、
皆さん心に誓いましょう。
そしてすべての拉致被害者を日本に返すよう北朝鮮に強く求め、我々がこの問
題から解放され、明るい未来に向かって進んでいければなあと考えています。
ありがとうございました。
西岡 ここで岸田総理大臣、松野官房長官はお帰りになります。ありがとうござ
いました。それでは献花に移ります。まず菅義偉前内閣総理大臣お願いいたしま
す。
以下、各団体ごとに献花。
家族会
特定失踪者家族会
拉致議連
知事の会
拉致問題地方議会全国協議会
政府関係省庁
救う会・調査会
その他参列者
以上
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■岸田首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
https://www.kantei.go.jp/jp/iken.html
葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 岸田文雄殿
■救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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■あきらめない 飯塚繁雄さんお別れ会2
◆「諦めない」「工程表」と何度も
松野博一(拉致問題担当大臣兼内閣官房長官)
「飯塚繁雄さんお別れの会」に際して、一言御挨拶を申し上げます。まず、改
めて、飯塚繁雄さんの御冥福を、心よりお祈りするとともに、御遺族の皆様にお
悔やみを申し上げます。
私が飯塚繁雄さんにお会いしたのは、岸田内閣発足直後に官邸で総理とともに
ご家族の皆様と面会したときと、繁雄さんが家族会代表として最後に参加をされ
た国民大集会のときであります。その際、繁雄さんは、「諦めない」「工程表」
という言葉を何度も熱心に語っておられ、そのお姿が今も目に焼き付いておりま
す。
これらの言葉を胸に刻み、田口八重子さんが御子息の耕一郎さんにお会いされ
るその日まで、そして、全ての拉致被害者の帰国が一日も早く実現するよう、岸
田総理以下、政府一丸となって全力で取り組んでまいります。繁雄さんの御霊を
前に、改めてこの決意を申し上げ、お別れの言葉とさせていただきます。
◆拉致被害者や多くの失踪者は今この瞬間も苦しんでいる
大野元裕(埼玉県知事、拉致問題知事の会)
本日、飯塚繁雄さんのお別れ会に際し、北朝鮮による拉致被害者を救出する知
事の会を代表してご挨拶を申し上げます。ご逝去された飯塚繁雄さんのご冥福を
心よりお祈り申し上げます。またご遺族の皆様方に対し、謹んでお悔やみを申し
上げます。
飯塚さんは、平成14年から北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の活動に参加
されました。平成19年からは代表を務められ、政府への訴えや日本各地での署
名活動、講演活動など、拉致被害者の一日も早い帰国のため、全力を尽くしてお
られました。
埼玉県内でも、拉致問題を考える埼玉県民の集い、浦和駅前での署名活動など、
いつも先頭に立って取り組まれ、必ず拉致被害者全員を取り戻すという強い思い
を持って臨まれていらっしゃいました。
お亡くなりになる一か月前に開催された国民大集会において、「諦めない」と
何度も語られていたお姿が今でも思い出されます。
最期まで八重子さんの帰国を切望しながら御逝去された飯塚さんの御無念はど
れほどのものであったかと思うと、誠に残念でなりません。
大切な家族やその人生を奪い去った北朝鮮による拉致問題は、決して許すこと
ができない、我が国の主権と国民の人権に関わる重大な問題であります。
拉致被害者や拉致の可能性を否定できない多くの失踪者の方々は、今この瞬間
も苦しんでおられます。
飯塚耕一郎さんをはじめとした御家族の皆様と再会を実現させるためには、北
朝鮮に「拉致を必ず解決する」という国民の固い意志を発信し続けていくことが
何よりも重要です。
知事の会としても、待ったなしの拉致問題の早期解決を求める国民の気運を高
め、政府を力強く後押しすることにより、拉致被害者の方々の一刻も早い救出を
実現できるよう、しっかりと取り組んでまいりますことをお誓いして、私からの
挨拶とさせていただきます。
田口さんに埼玉に戻っていただきたいという思いを実現できず大変残念であり
ます。
◆必ず拉致被害者を奪還する
松田良昭(拉致問題地方議会全国協議会会長)
本日の飯塚繁雄さんのお別れの会に際し、謹んで哀悼の意を表します。
飯塚繁雄さんは昨年12月18日、埼玉県の病院で、御家族の皆様をはじめ多
くの方々の手厚い看護と回復への祈りもかなわず、ついに帰らぬ人となられまし
た。
ご家族、ご親族の皆様のお嘆きも、察するに余りあるものがございますが、何
よりも、飯塚繁雄さん、あなたの拉致被害者全員を帰国させるというその思いが
またかなっていないこと、この無念さを思いますと、痛恨の極みです。
飯塚繁雄さんは、昭和53年に1歳と2歳の幼い子供を残したまま北朝鮮に拉
致された田口八重子さんの兄として、八重子さんの行方が分からなくなって以降、
2人のお子さんのうち当時1歳だった耕一郎さんを引き取り、わが子として育て
てこられました。
15年前からは、横田さんに代わって家族会の代表に就任し、救出活動の先頭
に立ってこられました。
昨年、国民大集会の前に、我々地方議連が家族会・救う会の役員と面会しまし
た。その時飯塚さんは、「拉致問題を風化させないために、是非とも各地でブルー
リボンバッジを着けてほしい。そして〈アニメめぐみ〉をもっと多くの人に見て
もらうために力を貸してほしい」とおっしゃいました。その真剣なまなざしが忘
れられません。
今日も各地から地方議連50数名が来ておりますが、飯塚さんの話を受けて私
はすぐに各地の同志に連絡し、また地元の神奈川県では、全議員がバッジをつけ
る、神奈川県庁の職員もつける、「アニメめぐみ」の視聴100%を達成できま
した。
まだまだ我々はやります。そして必ず拉致被害者を奪還する。我々はあきらめ
ることなく頑張ります。安らかにお眠りください。
拉致問題全国地方議会協議会会長 松田良昭
◆今後も拉致問題解決の為に全力を尽くす
菅 義偉(前内閣総理大臣)
飯塚繁雄さんのお別れ会に際し一言ご挨拶を申し上げます。飯塚さんは、拉致
問題を何としても解決するという責任感で、ご自身の体調も顧みず、長年にわた
り家族会の代表として先頭に立って活動してこられました。
内閣総理大臣として拉致問題担当大臣として、その姿勢に本当に頭の下がる思
いでした。ご生前のお姿をおしのびし、飯塚さんのご冥福を心よりお祈り申し上
げます。
私の内閣においても、拉致問題を最重要課題に掲げ、一日も早い帰国実現に向
け全力を注いできましたが、在任中に問題を解決することができず、また飯塚さ
んが妹の田口八重子さんとの再会を果たせなかったことを、大変申し訳ない想い
であります。
今後も一人の政治家として、拉致問題解決の為に全力を尽くして参りますこと
を、飯塚繁雄さんのご霊前にお誓い申し上げ、私の挨拶とさせていただきます。
西岡力 安倍晋三元内閣総理大臣よりメッセージが来ています。私が代読させて
いただきます。
◆人生をかけて拉致問題に取り組む
安倍晋三(元内閣総理大臣)
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の前代表 飯塚繁雄様がお亡くなりになら
れ3か月近くの日々が過ぎました。本日のお別れの会には、マレーシア出張の為
に参加できず、申し訳なく思っております。
飯塚様の穏やかなお顔の中に、拉致被害者を絶対に取り戻すという強い意志、
そして、そのお人柄で家族会をまとめあげられるお姿が、走馬灯の如く蘇ってき
ます。飯塚様の人生をかけての想いを叶えられず、誠に申し訳なく、残念でなり
ません。
34年前、有本恵子さんのお父上が、父の安倍晋太郎事務所を訪ねて来られ、
その後、私は、政治家となり、拉致問題の解決に向け、全力を尽くそうと決意を
しました。当時は関心度も低く、被害者のご家族は、長い間、孤独で痛切な闘い
を強いられてこられました。これは政府、そしれ国の責任であります。
総理として拉致被害者全員を元気で帰国させたいと、ありとあらゆる考えを巡
らせ、実行して参りました。
それでも、全員の願いを叶えられず、内閣総理大臣として拉致問題を解決でき
なかったことは、痛恨の極みであり、一番の心残りです。と同時に、私は、その
強い想い決して諦めてはいません。
ご家族の方はご高齢になられ、被害者の方も歳を重ねてこられています。
私は、政治家として、一人の人間としても人生をかけて、拉致問題に取り組ん
で参ります。飯塚前代表、どうぞ天上から見守り、大きな力をお与え下さい。そ
して安らかにお眠りください。
支え続けられたご家族、家族会の皆様も、どれだけお寂しい事かと存じます。
今後も力をあわせて強く生きていかれますようお祈り申し上げ、衷心よりご冥福
をお祈り致します。
衆議院議員 安倍晋三
西岡 飯塚さんの思い出はたくさんありますが、一つだけご紹介すると、ご本を
出されたことがあったのですね。八重子さんのことについて。それを私に話さな
いで内の事務局に下さいました。運動を支えているのは目立つ人じゃなくて、事
務をやっている人だ、と。そういう言葉を平田事務局長、山岸事務局次長にかけ
てくださったことを覚えています。
代表として大臣に会われたり、大統領に会われたり、国連に訴えたりと、表舞
台に立っておられた方ですが、支えている裏方がいるから自分ができているんだ
という心持をずっともっていてくださる。そういうお人柄の人でした。
25年間と一言で言えば簡単ですが、色々なことがありました。人間ですから
様々なぶつかり合いもあります。それが運動というものでありますが、14年間
飯塚さんがそのお人柄でこの国民運動を引っ張ってくださったから、わたしたち
はここにいるわけです。
もちろん全員を取り戻せていないという悔しさがありますが、ここまで来るこ
とができたのだなあと思います。そして飯塚さんが「あきらめない」とおっしゃっ
て、いまここにおだやかなお顔(写真)でいらっしゃいます。
私たちは絶対あきらめることはできないと、今年本当に勝負をかけなければな
らないと思っています。私たちは明日、家族会・救う会の会議をして、今年の運
動方針を決めます。全拉致被害者の即時一括帰国を実現させるために、ここにい
るすべての者が、一人ひとりの立場で全力を尽くすことを誓って、飯塚さんに捧
げようではありませんか。
◆我々は絶対にあきらめない
飯塚耕一郎(飯塚繁雄さん養子、田口八重子さん長男、家族会事務局長)
本日はお日柄がよい日にも関わらず、多くの方々が父飯塚繁雄のお別れ会にご
参加いただき、誠にありがとうございます。また生前、地方各地や政界などの皆
様にご支援をいただき誠にありがとうございました。
先ほどビデオもありましたが、父は昨年11月13日にこの会場で講演した後、
5日後に急遽体調を崩して入院してしまいました。そしてちょうど1か月後の1
2月18日に亡くなってしまいました。
入院当初はまだ意識がある状態で、そこで2枚のメモを書いていました。1つ
はただ「八重子」と書かれていて、はやり八重子さんのことは臨終の間際まで心
の多くを占めていたのだろうと思っています。
12月初旬にはほぼ意識がなくなっていました。私はICU(集中治療室)で父
の手を握りながら、これまで二人で歩いてきた活動を思い出していました。ある
週末には東日本に行き、次の週末には西日本に行きという日々で、日本中あらゆ
る所にお伺いして講演をさせていただき、色々な方々にお会いしてご協力をお願
いしてきました。
そのような活動を父は2002年から、私は2004年から約20年の活動が
形となって、結果として親父によかったことを見せてあげられなかったこと、つ
まり八重子さんとの再会に至らなかったことに関しては、悔やんでも悔やみきれ
ない気持ちです。
親父はきっと八重子さんと私が抱き合う姿を見て喜びたいと思っていたと思い
ますし、私は親父と八重子さんが抱き合う姿を見て喜びたいと思っていたと思い
ます。ただただそういうことができなかったことが悔やまれてなりません。
そしてこの会場にいるすべての方々は、同じように「あきらめない」という気
持ちを持ち、それを具体的な行動に移す必要があると思っていると思います。
「あきらめない」という言葉は、親父が再三再四使っていた言葉ではあります
が、本来は拉致問題を解決したいと思っているすべての方々の意思を表している
言葉だということに尽きると思います。我々は絶対にあきらめない。あきらめる
わけにはいかない。
ですので、この言葉を具体的な行動に移して拉致被害者の即時一括帰国を実現
し、親父と同じように再開できなくなる家族を増やしてはならないということを、
皆さん心に誓いましょう。
そしてすべての拉致被害者を日本に返すよう北朝鮮に強く求め、我々がこの問
題から解放され、明るい未来に向かって進んでいければなあと考えています。
ありがとうございました。
西岡 ここで岸田総理大臣、松野官房長官はお帰りになります。ありがとうござ
いました。それでは献花に移ります。まず菅義偉前内閣総理大臣お願いいたしま
す。
以下、各団体ごとに献花。
家族会
特定失踪者家族会
拉致議連
知事の会
拉致問題地方議会全国協議会
政府関係省庁
救う会・調査会
その他参列者
以上
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■岸田首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
https://www.kantei.go.jp/jp/iken.html
葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 岸田文雄殿
■救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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