救う会全国協議会

〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
TEL:03-3946-5780 FAX:03-3946-5784 info@sukuukai.jp

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

日朝首脳会談から20年ー特別集会4(2022/09/28)
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2022.09.28-2)

■日朝首脳会談から20年ー特別集会4

西岡力(救う会会長)

◆死亡の確認をしていなかった日本政府

 そして次の日、「説明会はすぐにはない」ということでした。でも9月18日
の朝、安倍さんの秘書の方から私の携帯に電話がかかってきて、「これから副長
官が皆さんが泊まっているホテルに行きます」と。みんな同じ思いで「亡くなっ
た」と言われているわけですから、眠れない夜を過ごしていたんです。

 しかし、すぐに電話をかけて起きてもらって、ホテルの会議室をとって安倍副
長官を待っていました。そうしたら副長官が来られました。朝一番で来られたと
いうことは、今から考えると、出勤時間の前に来られたわけです。だから政府の
公式の説明会とは別に、政治家安倍晋三として来て下さったんだなあと思うので
す。

 「まず家族の人に報告しなければならないと思ってきました」というのが開口
一番で、「死んだ」と言われている人たちは、「死因は何ですか」、「いつ死ん
だのですか」と聞きました。「分からない」、「分からない」とおっしゃった。

 私は少し大きな声で、「前日確認したと言ったじゃないですか。副長官確認し
たんですか」と言いました。確認するために待たせたことは分かっていましたか
ら。そうしたら、「していない」と。「平壌ではそんなことができる状況ではな
かった」ということでした。

 それで、「おかしい」と思ったのです。そうしたら安倍さんが、「実は」と言っ
て、「昼の時間に外務省の人が自分の所に来て、蓮池さん夫妻、地村さん夫妻、
そしてめぐみさんの娘と言われる人が来ていて、『これから面会に行きます』と
言った」そうです。それが唯一の確認作業だったのです。

 しかし、安倍さんが「だめだ」と言ったんです。「総理が来ていらっしゃるの
だからここに来てもらいなさい」と。そうしたその外務省の人は、安倍さんの言
葉を正確には覚えていませんが、「少し遠いところにいるのでここに来てもらう
のは難しい」と。そうしたら安倍さんが、「私が行く」と言った。そうしたら、
「いや、副長官のことはちょっと」と、あたかも5人が副長官と会いたくないと
言っているかのように聞こえるような言い方をしたそうです。

◆北朝鮮で被害者とめぐみさんの娘に面会した駐英公使も「確認していない」と

 そういう中で刻々と昼の時間が過ぎて、次の会談の時間が近づいていることも
あって、その年の2月まで外務省の北東アジア課長をやっていて、その時はロン
ドンの駐英大使間の公使だった人が確認作業に行ったのです。

 その確認作業に行かれた人が、9月18日に東京にいるということが分かった
のです。安倍さんの話から確認作業に行った人が分かったから、外務省に電話し
て、その人がどこにいるのかということをやったら、分かったんです。

 でもその人は、その時から数えて明日か明後日にロンドンに帰ることになって
いて、「ショッピングに行っているから連絡がつきません」と外務省が言って、
なかなか会えないんです。

 その人を掴まえることができないままで、地村保さんや浜本雄幸さんは福井に
帰ってしまった。もう列車の時間が来ていた。でも、地村さんにしても浜本さん
にしても、最初に自分の息子や妹に会った人ですから、様子を聞きたいのは当た
り前です。

 でもそういう人がいるということも知らされてなかったから、帰ってしまった
わけです。やっと4時になって外務省の人を掴まえることができて、横田家は4
人で会ったのです。その時滋さんは、「いよいよ本当に引導を渡されるかもしれ
ないと思った」と言っていた記憶があります。

 めぐみさんの娘という人と会ったのですから、いつ、どういう風に死んだのか
を言われると思ったのです。そうしたら、「娘という人に会いましたが、その人
が娘だという確認はしていません」という答えだった。だから、「死亡の確認は
していません」と。

 その人の娘だという証拠としてバトミントンのラケットを持ってきたんです。
めぐみさんは当時バトミントン部だった。そのバトミントンのラケットを両親に
見てもらって、これが失踪した時に持っていたものかどうかをしなければ先に進
まないのですが、それは借りられないということだった。しかし、写真は撮れた
筈ですが、それもしてなかった。

 外務省の施設に来て下さいと言われた理由は、「暗号のかかる電話がある」と
いうことだった。昼にそれを見たのなら、横田さんに電話をして、「このラケッ
トのメーカーはここですか」とか聞けばよかったのに、それもしなかった。電話
なんか一度もしていないわけです。

 そして外務省の人は蓮池さんと地村さんにも会ったわけです。当時家族会事務
局長だった蓮池透さんは東京にいましたから、蓮池家も駐英公使に会えたわけで
す。しかし、「蓮池薫と名乗る人と会いましたが、この人が蓮池薫さんだという
確認はできませんでした」ということでした。

 後で、帰国した蓮池さんに話を聞くと、蓮池さんはズボンをまくって、けがの
あとを駐英公使に見せたそうです。蓮池さんは小学校の時、交通事故に遭ってお
り、その傷跡があるんです。「これが自分が蓮池薫だという証拠だ」と。

 でも残念ながら、日本政府、当時の外務省は蓮池さんの特徴を事前に調査して
いなかったのです。それなら暗号のかかる電話で連絡してくればいいのに、それ
もしなかった。

 そして蓮池さんも地村さんも、外務省の人に会って開口一番、「家の両親は元
気ですか」と聞いたと後で聞きました。答えは、「分かりません」だった。確か
に2月までは東京にいましたが、その後ロンドンに行かれていたということで、
正確なことは知らなかったのですが、地村さんのお母さんはその年の5月に亡く
なっているんですね。でも、お母さんが亡くなられていることを地村さんが知っ
たのは、2度目に外務省の斎木さん等の調査団が行った時でした。

 それを聞いて、蓮池さんと地村さんが、「大同江の河原に行って、焼酎で弔い
をしました」と言っていました。

◆政府に「助ける」姿勢がなかった

 助けようと思っていたのなら、何とか確認しなければということになる。その
時思ったのですが、私が政府の関係者だったら、「この人たちが被害者なんです」
と言ったら、そこで手錠でもして、「私は日本政府の人間だからこの人たちを日
本に連れて帰ります」と言いますよ。あるいは、「この人たちを日本に送るまで
一緒にいます」と言いますよ。

 まさか、5人は後で取り戻すというような交渉になるとは思わなかった。北朝
鮮が認めた被害者なんですから即時帰国させるのが当たり前じゃないですか。そ
の交渉をすぐ始めるべきである。先ほど耕一郎さんが言っていましたが、これは
事件なんですから、外交交渉とは別だとすれば被害者が出てきたら、あるいは北
朝鮮が被害者だと認めた人を置いておくという発想が、私はその時理解できませ
んでした。

 だから当時の日本政府の中に、残念ながら「助ける」姿勢がなかった。外交問
題の一つとして議題には拉致問題を上げていましたが、無理やり外国に連れてこ
られた人が目の前にいる。一日も早く取り戻さなければならないという意識があっ
たらこんなことにはならなかったと思います。

 でも、そのことが分かったのも、安倍副長官が朝来てくれたからなんです。当
時、政府が発表したわけですから、マスコミは「遺族」、「死亡者」という言葉
を使っていました。

◆日本人が「死亡」とあきらめたら殺すかもしれなかった

 小泉さんに会って報告を受けたのは9月27日ですから、安倍さんが来なけれ
ば10日間マスコミは「遺族」、「死亡者」という言葉を使っていたでしょう。
そういうことが定着してしまったら取り戻すことができない。もしかしたら、日
本人が「死亡」とあきらめたら殺すかもしれなかった。

 それで9月19日に緊急記者会見をして、「遺族という言葉は使わないでくれ」、
「死亡ではなく死亡と通報された被害者だ」ということをしました。そして逆に、
「まだ生きているんだ。救出運動は終わっていないんだ」と思ったわけです。

 そして5年間戦ってきて、拉致があるかないかの勝負では勝ったのです。北朝
鮮が「拉致をした」と認めた。しかしその瞬間から北朝鮮は、「拉致は解決した」
と言い出した。

 今も宋日昊(ソン・イルホ)という人が、ペーパーを出して「拉致は解決済」
と言いましたが、宋日昊は何も知らない人です。工作機関の人でも保衛部の人で
もないから。日本が少しうまいのですが、私も一度会って怒鳴り合いをしたこと
がありますが、何も知りません。言われたことを言っているだけです。

◆北朝鮮が出した死亡の証拠はみんな嘘だった

 とにかく、北朝鮮の公式的立場は、2002年9月17日までは「拉致はない」
で、それ以降は「解決済」です。私たちの立場は「解決していない」です。

 まず死亡についてですが、北朝鮮は「8人死亡」と言いましたが、死亡の証拠
が出てきたのか。政府が9月27日に調査団を派遣して、「証拠」なるものを持っ
てきたわけですが、8枚の「死亡診断書」が出てきましたが、それはみんなでた
らめでした。

 8枚の内7枚は同じ病院で発行されていて、手で押すゴム印の位置は3枚が同
じでした。私が透かして見たら一致しているんです。コピーしたわけえです。す
ぐに家族支援室にその話を持っていった記憶があります。そして「遺骨」なるも
のも、他人のものだった。

 北朝鮮は「8人死亡」と言いましたが、8人の内1人分でも客観的な死亡の証
拠があったのならともかく、8分の0だったのです。

 先程耕一郎さんが言いましたが、監視対象になっているのです。1週間に1回
は「生活総和」という政治学習を全人民がやっているわけです。そもそも配給制
ですから配給台帳があるわけです。住居も自由に決められないで、党が決めるん
です。拉致被害者はもっと厳しい監視の対象なんです。

 その8人が「死んだ」と言って、その8人の誰一人についても本物の死亡診断
書を出せなかったし、遺骨も出せなかった。交通事故で2人死んだと言っていま
すが、2人とも交通事故証明書の名前の所をホワイトで消したものをコピーして
きた。

 我々だって客観的な証拠やDNAが出たら死亡と認めざるをえないわけです。
それを向こうができなかったんです。北朝鮮は、「日本が死んだ人を生き返らせ
ようとして無理を言っている」と言いましたが、厳しく管理していた8人につい
て死亡の証拠を出せなかったら彼らは嘘つきなんです。

◆横田家と5人の家族を平壌に呼ぶ作戦

 その後も戦いが続いていて、北朝鮮は、拉致に関する国民の世論が急激に盛り
上がったのを見て、これをつぶさなければ日本からお金を取れないと思ったはず
です。

 当時統一戦線部にいた張真晟(チャン・ジンソン)という人が今韓国にいます
が、統一戦線部というのは優秀で、日本の世論を分析して、横田早紀江さんが世
論の中心だ。彼女の影響力を削ぐことだと思ったのです。

 そして、あんなに言葉がうまいんだから政治家をしていたのではないかと思っ
て、調べてみたら政治経験が何もない。そこで田舎のばかなおばさんが、安倍晋
三とか西岡力という右翼の言葉に騙されて話しているという線で宣伝しろという
ことになったそうです。

 そしてその後執拗に横田さんたちを平壌に呼ぼうとすることが始まります。斎
木昭調査団が行った時、めぐみさんの元夫がでてくるんですね。「8人の内7人
は遺骨があったけれども洪水で流れた」と。「松木さんのものだけは流れたけれ
ど下流で拾った。そして2回火葬した。2回目の火葬は小泉訪朝の前の8月30
日だった」と。

 こんなばかばかしい話はないんですが、一応流れているんです。だから「違う
かも知れないが」と言って出した。めぐみさんのものは「夫が持っている」と。
「それなら遺骨をください」と言うと、「だめだ」と。「横田さんの両親が平壌
に来てくれたら渡します」ということだった。

 そこで家族会で色々な話をして、「今は行かない」と決めたのです。そして北
朝鮮にいる5人は、「自分たちは日本に行かない。家族が会いに来てください」
と言っていたんですが、「行かない」ということを決めた。そうしたら突然、
「一時帰国で返す」と言ってきた。

(5につづく)


★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
■岸田首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
https://www.kantei.go.jp/jp/iken.html

葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 岸田文雄殿

■救う会全国協議会ニュース

発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
  
■ サイト内検索 ■


■ メールニュース ■
2024/12/02
国民大集会報告4
2024/11/29
国民大集会報告3
2024/11/27
国民大集会報告2
2024/11/25
国民大集会報告1
2024/11/23
「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」決議

■過去のメールニュース■

  ■ 2024年
  ■ 2023年
  ■ 2022年
  ■ 2021年
  ■ 2020年
  ■ 2019年
  ■ 2018年
  ■ 2017年
  ■ 2016年
  ■ 2015年
  ■ 2014年
  ■ 2013年
  ■ 2012年
  ■ 2011年
  ■ 2010年
  ■ 2009年
  ■ 2008年
  ■ 2007年
  ■ 2006年
  ■ 2005年
  ■ 2004年
  ■ 2003年
  ■ 2002年
  ■ 2001年
  ■ 2000年
  ■ 1999年
■あなたにも出来る救出運動■
あなたにもできること

 ■ 映画「めぐみ」 ■ 

映画「めぐみ」

■ 書 籍 ■