朝鮮族中国人の北朝鮮体験記 これが人の住むところなのか(2000/12/31)
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救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
TEL 03-3946-5780/FAX 03-3944-5692 http://www.asahi-net.or.jp/~lj7k-ark
〒112-0015 文京区目白台3-25-13
担当:荒木和博(全国協議会事務局長 k-araki@mac.email.ne.jp)
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▼来年の正月は拉致された人々が実家で家族とすごせるように、年内解決を!
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このニュースは拉致問題に関する情報をお送りするものです。
恐縮ですが送信を希望されない方は荒木のID宛メールをお送り下さい。
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各位
結局拉致問題の年内解決はできませんでした。この一年ご協力下さいました皆様に
御礼申し上げるとともに、目標を達成できなかったことをお詫び致します。来年は何
とか解決できるように頑張ります。
北朝鮮側が誠意ある対応をしなければ制裁をというのが私たちの方針でしたが、米
国ではブッシュ氏が大統領に当選し、クリントン大統領の訪朝が断念され、これまで
の北朝鮮政策が大きく変わろうとしています。韓国では金大中政権の対北朝鮮融和政
策への国民の反発が高まり、韓国人拉致の問題もクローズアップされてきました。日
本でも朝銀信組の破綻や工作員の逮捕などで、北朝鮮から見れば制裁(本来当然のこ
とですが)のような状況になりつつあります。気を緩めず、さらに押していけば必ず
道は開けると思います。来年もご協力の程よろしくお願い申し上げます。(荒木)
■朝鮮族中国人の北朝鮮体験記 これが人の住むところなのか
以下は直接拉致問題に関係はありませんが、ご参考まで送ります。
原文は韓国の「脱北者同志会」(黄長ヨプ名誉会長・金徳弘会長)の機関誌「民族
統一」に「自由を求めてやってきた北韓人協会」の李ミンボク氏が送ってきたたもの。
筆者は去る5月末北朝鮮茂山に住む甥に会いに行った朝鮮族中国人のカン氏(58歳)
です。
これを読むと凍えることもなく家族で年を越せることの幸せを実感するとともに、
北朝鮮の人々を救うことと、拉致された人々を救出することは同一線上にあることを
痛感します。一刻も早くあの体制が変わり、拉致された人々が救出され家族と再会し、
飢餓のために家族の崩壊した北朝鮮の人々が暖かい家で再び団らんを持てるようにな
るようにしなければならないと思います。
豆満江を渡って北朝鮮会寧に到着した。会寧から茂山まで直線距離で40キロにしか
ならない。自動車で1時間なら行ける距離だ。しかし、車に乗って3日もかかって行っ
た。乗った汽車が故障して一晩を車内で明かし、その夜の間に誰かが汽車の部品を盗
んでいったため、さらに2日足止めを食った。
茂山に到着すると状況はさらにひどかった。東洋最大の露天鉄鉱石鉱山がある茂山
市がかくも荒廃するとは……驚いた。
甥が住んでいるアパートは空き家が多かった。アパート一棟が全く空になっている
ところもあるという。この原因は一家全部が死んだり、あるいは生きていくため家ま
で売ってでた場合も多いそうだ。甥と親しくしていたといううある家では家にある物
を一つずつ売って食いつないだがしまいに5月初め家を1万ウォン(コメ1キロが80ウォ
ン)で売って飯を食べ家族全員にいくばくかの金を分けた後散り散りに別れたという。
分かれるとき父親は「父がお前たちにこれ以上責任を持つことができないから、後の
日を約束してそのときまで何がなんでも生きていろ」という言葉を残したそうだ。甥
が語るには、子供たちは茂山市内でコッジェビ(浮浪児)をしているところを時々見
たが友人とその夫人はどうしたのか見たことがないという。
学校はやっているようだった。オルガンの音も聞こえ、運動場で並んでいる子供た
ちも見た。しかし、生徒の半分くらいは登校せず、出勤しない教員も多く、正常な教
育はほとんどできていないという。甥の工場も操業停止して久しいそうだ。燃料が断
たれたのが昨年末で、労働者もそれ以上仕事に出てこないという。ときどき出勤した
人々は機械部品の中で高く売れる銅をはぎ取って持っていったり、屑鉄になってしまっ
た機会を持ちだして売ったりもした。銅は中国に密輸する。屑鉄は中国の貿易業者が
持ってくる小麦粉と交換して食べるという。
工場幹部はこの事実を知っていても止めることができないという。かつて上部から
「工場従業員が飢え死にすればおまえの責任だ」という追求を受けてから、「そう、
とりあえずそうやってでも生きていけ」と言って手助けしてやるしかないのだ。「こ
んな調子で機会、電線、電話線など皆はがして食糧と交換して食べれば遠からず交通
や通信など基本的な施設が完全に破壊されるだろうに」と心配されている。
茂山に住む別の甥は金日成大学出身である。私が見たところは英語もうまく、最高
のインテリだが研究所で生活が保障されないのでリュックを担いで食料を得ようと歩
き回っている。中国に来さえすればっ前途洋々なのに…。何という国家的損失だろう。
北朝鮮全域で結婚するとき昔なら出身成分、党への忠誠などを高い価値として新郎
新婦を迎えあったものだが、最近は中国に親戚がいる人を最高としている。中国の親
戚がいれば少なくとも飢え死にはしないだろうと考えるからだという。カン氏は北朝
鮮から帰るとすぐ家族会議を開いた。生活費を大幅に減らすこと、子供たちの小遣い
も減らすこと、食卓におかず三つ以上おかないようにすることなどを決定した。彼は
このようにして集めたお金で近いうちに再び北朝鮮に行ってこなければならないと心
に決めたという。
ファリョン県ジョヤン村に住む朝鮮族中国人林スンボクさん(女性)は次のように
語った。
冬の間することがなく北朝鮮に行って担ぎ屋でもしてこようと決めた。国境を越え
ると文字通り衝撃を受けた。北朝鮮に近いところに住みながらこれほどだとは知らな
かった。道路や市場の道端にはやせこけて真っ黒な子供たち(コッジェビ)が数えき
れない程さまよっていた。白頭山の寒さの中で皆が透けて見えるような服を引っかけ
るように来てつまみ食いをするのは見るだけで吐き気をもよおした。
地面におちて泥まみれになったものをそのまま口にもっていく。飢えを我慢できず
盗んで食ったりもするが袋だたきにされて血が流れても口に入れたものを忘れること
はなない。
自分も子供のいる父母として見るに絶えず「おまえ達のお父さん、お母さんはいな
いのか」と聞いた。意外にも子供たちの答えは「いるんだけど… 家から出ろと言う
ので出て来たんです」というのだった。
「えっ、自分の子供を追い出すとは…」
同じ親として北朝鮮の親に対する罵りが限りなく出て来た。しかし、それも僅かの
間だった。実際にその両親に会ってみると事情は正反対だった。食糧配給をできない
ので両親として子供たちを飢え死にさせたくなくて家から出したのだった。そして
「お前たちは物ごいをしても盗みをしても何が何でも生き残れ」と懇々と諭したのだっ
た。両親の最後の愛を込めたこの言葉を理解したとき本当に胸の張り裂けそうで堪え
難かった。
かわいそうな子供たちが夜はどこで寝るのかと思い探しに行ってみた。その子供た
ちは寒さをしのごうとボイラーから出た灰の中に身体をうずめて眠るのだった。頭だ
け出した灰の外は零下30度の寒さだ。家に皆連れていくこともできなかったので子供
たちのことを考え寝ることも出来ず明け方早く出てみた。夜が明けると子供たちは一
人また一人と灰をはらって起き上がる。しかし、まだ眠っている子供たちがいる。心
配になって揺すってみると寝ているのではなく、すでに死んでいたのだった。
「朝鮮に来て商売しようとした私は人間ではなかった」
持っていった品物を会う人ごとに分けてあげ、涙の豆満江をまた渡った。
流れる涙をこらえることができず…。(了)
救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
TEL 03-3946-5780/FAX 03-3944-5692 http://www.asahi-net.or.jp/~lj7k-ark
〒112-0015 文京区目白台3-25-13
担当:荒木和博(全国協議会事務局長 k-araki@mac.email.ne.jp)
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▼来年の正月は拉致された人々が実家で家族とすごせるように、年内解決を!
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恐縮ですが送信を希望されない方は荒木のID宛メールをお送り下さい。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
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結局拉致問題の年内解決はできませんでした。この一年ご協力下さいました皆様に
御礼申し上げるとともに、目標を達成できなかったことをお詫び致します。来年は何
とか解決できるように頑張ります。
北朝鮮側が誠意ある対応をしなければ制裁をというのが私たちの方針でしたが、米
国ではブッシュ氏が大統領に当選し、クリントン大統領の訪朝が断念され、これまで
の北朝鮮政策が大きく変わろうとしています。韓国では金大中政権の対北朝鮮融和政
策への国民の反発が高まり、韓国人拉致の問題もクローズアップされてきました。日
本でも朝銀信組の破綻や工作員の逮捕などで、北朝鮮から見れば制裁(本来当然のこ
とですが)のような状況になりつつあります。気を緩めず、さらに押していけば必ず
道は開けると思います。来年もご協力の程よろしくお願い申し上げます。(荒木)
■朝鮮族中国人の北朝鮮体験記 これが人の住むところなのか
以下は直接拉致問題に関係はありませんが、ご参考まで送ります。
原文は韓国の「脱北者同志会」(黄長ヨプ名誉会長・金徳弘会長)の機関誌「民族
統一」に「自由を求めてやってきた北韓人協会」の李ミンボク氏が送ってきたたもの。
筆者は去る5月末北朝鮮茂山に住む甥に会いに行った朝鮮族中国人のカン氏(58歳)
です。
これを読むと凍えることもなく家族で年を越せることの幸せを実感するとともに、
北朝鮮の人々を救うことと、拉致された人々を救出することは同一線上にあることを
痛感します。一刻も早くあの体制が変わり、拉致された人々が救出され家族と再会し、
飢餓のために家族の崩壊した北朝鮮の人々が暖かい家で再び団らんを持てるようにな
るようにしなければならないと思います。
豆満江を渡って北朝鮮会寧に到着した。会寧から茂山まで直線距離で40キロにしか
ならない。自動車で1時間なら行ける距離だ。しかし、車に乗って3日もかかって行っ
た。乗った汽車が故障して一晩を車内で明かし、その夜の間に誰かが汽車の部品を盗
んでいったため、さらに2日足止めを食った。
茂山に到着すると状況はさらにひどかった。東洋最大の露天鉄鉱石鉱山がある茂山
市がかくも荒廃するとは……驚いた。
甥が住んでいるアパートは空き家が多かった。アパート一棟が全く空になっている
ところもあるという。この原因は一家全部が死んだり、あるいは生きていくため家ま
で売ってでた場合も多いそうだ。甥と親しくしていたといううある家では家にある物
を一つずつ売って食いつないだがしまいに5月初め家を1万ウォン(コメ1キロが80ウォ
ン)で売って飯を食べ家族全員にいくばくかの金を分けた後散り散りに別れたという。
分かれるとき父親は「父がお前たちにこれ以上責任を持つことができないから、後の
日を約束してそのときまで何がなんでも生きていろ」という言葉を残したそうだ。甥
が語るには、子供たちは茂山市内でコッジェビ(浮浪児)をしているところを時々見
たが友人とその夫人はどうしたのか見たことがないという。
学校はやっているようだった。オルガンの音も聞こえ、運動場で並んでいる子供た
ちも見た。しかし、生徒の半分くらいは登校せず、出勤しない教員も多く、正常な教
育はほとんどできていないという。甥の工場も操業停止して久しいそうだ。燃料が断
たれたのが昨年末で、労働者もそれ以上仕事に出てこないという。ときどき出勤した
人々は機械部品の中で高く売れる銅をはぎ取って持っていったり、屑鉄になってしまっ
た機会を持ちだして売ったりもした。銅は中国に密輸する。屑鉄は中国の貿易業者が
持ってくる小麦粉と交換して食べるという。
工場幹部はこの事実を知っていても止めることができないという。かつて上部から
「工場従業員が飢え死にすればおまえの責任だ」という追求を受けてから、「そう、
とりあえずそうやってでも生きていけ」と言って手助けしてやるしかないのだ。「こ
んな調子で機会、電線、電話線など皆はがして食糧と交換して食べれば遠からず交通
や通信など基本的な施設が完全に破壊されるだろうに」と心配されている。
茂山に住む別の甥は金日成大学出身である。私が見たところは英語もうまく、最高
のインテリだが研究所で生活が保障されないのでリュックを担いで食料を得ようと歩
き回っている。中国に来さえすればっ前途洋々なのに…。何という国家的損失だろう。
北朝鮮全域で結婚するとき昔なら出身成分、党への忠誠などを高い価値として新郎
新婦を迎えあったものだが、最近は中国に親戚がいる人を最高としている。中国の親
戚がいれば少なくとも飢え死にはしないだろうと考えるからだという。カン氏は北朝
鮮から帰るとすぐ家族会議を開いた。生活費を大幅に減らすこと、子供たちの小遣い
も減らすこと、食卓におかず三つ以上おかないようにすることなどを決定した。彼は
このようにして集めたお金で近いうちに再び北朝鮮に行ってこなければならないと心
に決めたという。
ファリョン県ジョヤン村に住む朝鮮族中国人林スンボクさん(女性)は次のように
語った。
冬の間することがなく北朝鮮に行って担ぎ屋でもしてこようと決めた。国境を越え
ると文字通り衝撃を受けた。北朝鮮に近いところに住みながらこれほどだとは知らな
かった。道路や市場の道端にはやせこけて真っ黒な子供たち(コッジェビ)が数えき
れない程さまよっていた。白頭山の寒さの中で皆が透けて見えるような服を引っかけ
るように来てつまみ食いをするのは見るだけで吐き気をもよおした。
地面におちて泥まみれになったものをそのまま口にもっていく。飢えを我慢できず
盗んで食ったりもするが袋だたきにされて血が流れても口に入れたものを忘れること
はなない。
自分も子供のいる父母として見るに絶えず「おまえ達のお父さん、お母さんはいな
いのか」と聞いた。意外にも子供たちの答えは「いるんだけど… 家から出ろと言う
ので出て来たんです」というのだった。
「えっ、自分の子供を追い出すとは…」
同じ親として北朝鮮の親に対する罵りが限りなく出て来た。しかし、それも僅かの
間だった。実際にその両親に会ってみると事情は正反対だった。食糧配給をできない
ので両親として子供たちを飢え死にさせたくなくて家から出したのだった。そして
「お前たちは物ごいをしても盗みをしても何が何でも生き残れ」と懇々と諭したのだっ
た。両親の最後の愛を込めたこの言葉を理解したとき本当に胸の張り裂けそうで堪え
難かった。
かわいそうな子供たちが夜はどこで寝るのかと思い探しに行ってみた。その子供た
ちは寒さをしのごうとボイラーから出た灰の中に身体をうずめて眠るのだった。頭だ
け出した灰の外は零下30度の寒さだ。家に皆連れていくこともできなかったので子供
たちのことを考え寝ることも出来ず明け方早く出てみた。夜が明けると子供たちは一
人また一人と灰をはらって起き上がる。しかし、まだ眠っている子供たちがいる。心
配になって揺すってみると寝ているのではなく、すでに死んでいたのだった。
「朝鮮に来て商売しようとした私は人間ではなかった」
持っていった品物を会う人ごとに分けてあげ、涙の豆満江をまた渡った。
流れる涙をこらえることができず…。(了)