救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

「寺越事件50年、今何をすべきか 東京特別集会」全記録



◆事件の4年前北朝鮮からの密航者を逮捕、これが大きく報道されていれば


内田美津夫 皆さんこんばんは。今日はどうもありがとうございます。
 私が10歳の時にこの事件が起こり、今年で私は60になります。本当に真相が長く究明できず、長いなと思っています。
 当時、海の事故だったので父親は死んだものとあきらめました。24年経ってから、兄の政男から、「父ちゃん生きとった」という話がありまして、また少し経って、実はなくなっていたと。
 ずっと親父は死んだものとあきらめて、日常生活を過ごしておりました。その後、小泉総理が2002年に拉致問題の扉を開けまして、その新聞に調査団が北朝鮮に入るという報道がありましたので、兄の昭男の方に連絡がありました。
 そこで、父ちゃんのことを調べてもらおうと、なんとかうちの親父のことを知りたいと声を上げました。
 配布資料を1枚めくったところに、寺越事件の4年前にこういうことがありました(北朝鮮密航者の逮捕)。これが大きく報道されれば寺越事件はなかったということです。
 親父たちが船に当てられて、ペンキが付いていた。それは日本製のペンキではない。ではどこのものか。密航者がいたりしたのに、なぜその時に海難事故ですませたんだろう、なぜ北朝鮮を疑って捜査しなかったのか、そういうことをいつも思っています。
 次に、「漁船に乗っていた少年」という見出しのものは、安明進さん(元北朝鮮工作員)が出した本です。親父を「その場で射殺」という話です。その裏は、友枝さんが武志から聞いた話で、「昭二おじさんは入院していたのではなく、寮のベッドで死んだ」となっています。
 さらに、嶋崎譲元代議士は、「病院のベッドの上で自分の誕生日の日に死んだ」と。うちの親父が死んだというのは3つの説があり、どれが本当なのかを一番知りたいんです。
 また、後ろのページでは、「拉致」という言葉を封印せざるをえなかったこと、そのことに対して親子関係、親族関係がどうなっているかが分かるので皆さんに知ってもらいたいと思います。
 私たちが声を上げたのは、親父がどうして死んだのか、また北朝鮮に渡ったのかということ。これを一番知りたいです。そしてもし、北朝鮮の親父の骨があるとしたら、母親の墓に一緒に入れてやりたい。それが苦労をかけた母親に対して子どもがする精一杯の親孝行かなと思っています。
 このことは、常々、大臣や総理にはお願いしています。お願いしてから10年は経ちましたが、皆さんご存知と通り、何ら進展がありません。これは本当に残念だと思っています。
 今日もお願いしましたが、結果は出ていませんが、動いてくれているんだなあということは感じており、動いていることに対してお礼を言ってきました。
 今後も、少しでも早く私たちの思いが実現できるように頑張っていきたいと思います。ありがとうございました(拍手)。


  
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