救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

「よど号犯による拉致事件を考える 東京連続集会73」全記録



◆金日成がよど号犯を高く評価


惠谷 まず、よど号犯問題に関してですが、記事にある「56書簡」、「56教示」というのは、金日成がよど号犯グループに最初に1972年5月6日に会ったからそう呼ばれています。
 それから金日成は、ほぼ毎年のようによど号犯グループに会いにいっています。1975年の5月6日は金日成がよど号犯グループに、「お前たちも結婚しろ」という教示を与えます。
 それ以降、日本から女性たちが続々と北に向かうことになります。76年にも金日成は会いにいっています。とにかく金日成というのは、「君たちは金正日の卵だ」という表現で高く評価していました。そして朝鮮労働党連絡部に「56課」というよど号犯担当の部署を新設します。
「よど号」が着陸して以降担当していたキム・ユーチョルという男、もともと連絡部の日本担当で日本語が非常にうまかった男が、最初は世話役的立場だったと思いますが、かれが「56課」の責任者になります。
 この男はとても優秀で、もともとの専攻はロシア語だったようですが、日本語は、ある人物に聞いたら独学で勉強したそうです。よど号犯グループは彼から朝鮮語を習ったりもしたそうです。
 この場で何度も西岡さんが言いましたが、1976年から金正日が工作機関の実権を握ります。しかしこの「56課」というのはそのまま継続します。この「56課」は、金日成の指示を受け続けていたとずっと考えていました。
 というのも、よど号犯グループのヨーロッパでの3人の拉致と他の拉致は性質がどうも違う。その背後には金日成の教示がそのまま80年代も生き続けたため性質が違うのかなと思っていたんです。
 75年5月、76年5月に金日成が行っている。そして77年は、5月1日から5日まで続けて結婚式をしている。そして78年5月6日に「56教示」が出ます。
西岡 私が聞いているのは、結婚式が終った5月7日に、宴会が開かれて、金日成、金正日が二人で来て、そこで金日成が、「新しい党を作って日本革命をやれ」と命令したと。それが自主革命党だと。だから大枠は金日成が命令しているのですが、その次の段階は、78年5月6日に「日本革命に関する根本問題」と題する金正日書簡が出たということです。
惠谷 その「根本問題」の具体化のために、78年の年末と言われていますが、よど号犯の9人と8人の妻、吉田金太郎さんだけは結婚していないんですが、その全員が集まって、彼らはこれを総会と呼びますが、総会を開いた。そこで「56教示」に従って、自主革命党を作る。彼らは自主革命党創建準備委員会をまず作り、田宮が委員長、小西が副委員長になります。
 また、それまでもよど号犯は本名では呼び合っていませんでしたが、妻が決まったので全員に変名、工作員名を付けます。田宮は斉藤委員長、小西は山口副委員長といった具合です。八尾恵は中山明子ですから平壌では中山同志と呼ばれたそうです。本人が証言しています。

  
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