「よど号犯による拉致事件を考える 東京連続集会73」全記録
◆手紙がきて、とにかく生きてくれていてよかった
松木信宏 (松木薫さん弟)
ずいぶん年数が経ったと、前回のよど号犯関係の集会の時も言ったことを思い出しました。それからまた年数が経ち、有本のお父さん、お母さんと初めてお会いしたのは私が高校生の時です。その時はまだお父さんの髪の毛は黒々としていました。お母さんも黒々としていました。でも話す口調は変わりません。同じような語り口でしゃべっておられたのを思い出します。
その時、石岡さんの亡くなられたお母さん、それからお兄さんが神戸に来られまして、あの時実物の手紙を見ました。この前ジュネーブに行った時もその話をさせてもらったんですが、本当にそまつな紙です。折りたたんで手のひらに入るくらいの大きさで、そこに、おそらく英語だったと思いますが、「この手紙を出した方にお礼をしてください」と書いてありました。
※この手紙は、平壌市内の店でショッピングをしている時に、石岡さんが訪朝していたポーランド人に秘かに託し、それがポーランドの消印で石岡家に届き、石岡家から有本家に届いたものです(事務局注)。
率直に言って、北朝鮮の紙は粗末な便所紙みたいなもので、こんなものなのかと思った記憶があります。
先ほどもお話がありましたが、有本さんと石岡さんはご自身の写真が貼り付けてあったんですが、私の兄の所はかわいらしい赤ちゃんの写真が貼ってありました。「それは松木さんの小さい時の写真ですか」と聞かれ、「いや家にはこんなかわいい顔した人はいないんで、多分違うんじゃないかな」という話をしました。
当初は、ひょっとしたら私の兄が向こうで結婚して、子どもができた時の写真なのかなとみんな捕えていました。後に、石岡さんと有本さんのお子さんだという話になりました。
その手紙の中で、うちの兄だけ、住所は書いてあるんですが、なんで熊本県熊本市しか書いてないんだろうと。こまごましたことも、本人だったらもうちょっと書くのになあと。
有本嘉代子 その頃はもう松木さんはいなかったと思います。松木薫さんと書いてありましたね。住所も熊本市までだったから。
西岡 あとの二人の住所は全部書いてあったのです。