「アメリカから見た拉致問題?東京連続集会74」全記録
◆陰で我々にアドバイス
西岡 皆さんこんばんは。今日は私は喜んでいます。ワシントンで、私たちの活動を、主として陰からですが、支えてくださった古森さんが、『産経新聞』の客員特派員になられました。また、秋田にあります国際教養大学の客員教授もされています。
ジャーナリストとして取材をされる立場から少し自由になられて、「協力できることは何でもします」といってくださって、また東京におられる時間が少し長くなったということもあって、一度、「アメリカで見てきた拉致問題」あるいは、「アメリカと日本人拉致の関係」についてじっくりお話を聞けることになりました。
実は始まる前に古森さんとお話をしていたんですが、古森さんが我々の運動と最初に出会われたのが多分2000年くらいではないかと思います。当時救う会の事務局長をしていた荒木和博さんが、当時救う会はお金がありませんでしたので、自分の大学の研究費を工面して訪米され、主としてワシントンの専門家の人たちに、拉致問題の実態について英語の資料を作って、アピールしに行ったんです。その時は家族は行きませんでした。
今青山学院大学の教授をしている福井義高さんが荒木さんの古い友人で、一時期救う会の幹事もしてくださっていたんですが、彼がアメリカに留学中で、ワシントンで合流して二人で初めて、日本人が拉致されているということをワシントンの専門家に訴えたわけです。
その時にも、古森さんの所も訪問して、我々は97年から運動を始めていましたから、この間の運動の状況を話したり、また明らかになったことについて英語の資料を持っていきました。
私も荒木さんから聞いていることで、よく覚えているのは、議会調査局にニクシュさんという方がいるんです。日本問題や韓国・朝鮮問題の専門家で、議会の調査報告書を書いている人です。
彼に日本人拉致問題にかんする資料を渡すことができた。今日後でお話がありますが、テロ支援国家指定の問題、ブッシュ政権の前期と後期にアメリカがどう対応したか等、ニクシュさんが議会の報告書でどう書くかでかなり影響がありまして、そのニクシュさんに我々が知りえた日本での情報を渡すことができたのも古森さんのご紹介のおかげでした。
またその後2001年に、初めて家族と一緒に訪米しました。2002年9月以前ですから、まだ世の中の関心を集めておらず取材もなかったんですが、その時にも色々とお世話になりました。その時のことは、今日お配りした資料、『産経新聞』に古森さんが書かれた記事に、「ささやかな夕食会が開かれた」と書かれています。
その後、2003年、今度は小泉訪朝の後訪米した時は、同行の記者団もいる大デリゲーションでした。それから2006年の横田早紀江さんのブッシュ大統領との面会、議会での公聴会での証言に向けて訪米をしました。
しかし、2008年、ブッシュ政権の後期になって、テロ支援国家の指定解除ということがあって、我々も少しがっかりしたことがありましたが、そういうことをジャーナリストとしてワシントンで見てこられ、また陰で我々に色々とアドバイスもしてくださっていた古森さんから、「ワシントンで見た拉致問題」というテーマで今日お話いただけることを大変嬉しく思います。
また、2003年にワシントンの大使館におられて外交官として私たちをサポートしてくださった梅原前仙台市長、現国際教養大学教授にもコメントをいただければと思います。それでは小森さん宜しくお願いいたします。