「アメリカから見た拉致問題?東京連続集会74」全記録
◆日本人拉致もテロ指定の要件、だから被害者を返して解除を目指した
古森 さて日本側からの初の訪米、先ほど申し上げた2001年2月の拉致の被害者側代表団の初めてのワシントン訪問以来、12年ほどの歳月が過ぎました。この間、アメリカはどんな形でこの拉致事件にかかわってきたか、いくつかのポイントにしぼってご報告します。
第一はブッシュ政権の北朝鮮に対する強硬な姿勢です。
2002年1月にブッシュ大統領が一般教書演説で、皆さんご存知のように、北朝鮮を「悪の枢軸」の一角だと断じました。この時には、イランとイラクと一緒です。そしてアメリカ政府が北朝鮮を「テロ支援国家」に指定、これはすでにしていましたが、それに伴う制裁をもっと厳しくしました。
ブッシュ政権のこうした強固な姿勢が、金正日総書記に日本への態度を軟化させて、日本人拉致を認め、日本から巨額の援助を獲得しようという計算をさせたという認識は当時のワシントンでのコンセンサスでした。
とはいえ、「ブッシュが北朝鮮を『悪の枢軸』と断じたことが金正日に拉致を認めさせた」という因果関係を科学的に証明することはなかなかできません。しかし状況証拠からいえば、どうしてもそういう形になるということです。
例えばジェームズ・リリーという朝鮮半島情勢に非常に詳しい元韓国大使、元中国大使はこんなことを述べていました。
「アメリカの歴代政権は北朝鮮政策では(北の)核兵器開発阻止を最大目標としてきた。北朝鮮はその点を利用してアメリカから外交承認や経済援助を引き出すことに全力をあげてきた。金総書記はその援助を得るためにはまず米側に『テロ支援国家』指定を解除させることが不可欠だと考えた。しかし、この時点ではブッシュ政権は日本人拉致も、『テロ支援国家』指定解除をしないことの理由にあげていたので、拉致を認めて返そうと思ったのではないか」
同時に、アメリカからのテロ支援国家指定があると、北朝鮮は世界銀行や国際通貨基金(IMF)等国際援助機関からの援助が得られません。アメリカが最大の出資国ですから、アメリカが「ノー」というと、国際機関からの援助は出ないのです。その点でも北朝鮮にとって日本人の拉致を解決するということは重要でした。
先ほど申し上げたように、ブッシュ政権は当時、日本人拉致事件を「進行中のテロ」とみなして、拉致問題というのは核開発とともに日、米、中、韓という各国にとっての国際的な安全保障の中心部分になってきました。