「アメリカから見た拉致問題?東京連続集会74」全記録
◆平沼議連会長の命がけの訪米
西岡 議会との関係で思い出すのは、2008年、テロ支援国指定解除の前ですが、解除をやめてほしいということで訪米しました。その時は、今島田さんが言ったロスレイティネン法案が作られたというニュースがありました。
当時の議会の勢力範囲で言うと、法律が通る可能性は少なかったんですが、アメリカの議員がテロ支援国指定を解除してはならないと書き込んでいる法案を作ってくれるということで、訪米したんです。
その時、平沼赳夫先生に団長になってもらったんですが、平沼先生は脳梗塞で倒れて退院した直後の、初めての外遊だったんです。秘書の同行もなしで一人で来てくださいました。
議会に対する働きかけですから、家族会・救う会・拉致議連訪米団ではなくて、拉致議連・家族会・救う会訪米団で、議員の先生がメインなんです。議員対議員で話をしてほしいと言ったら、「じゃあ私が行きましょう」と言って、行ってくださったんです。
議会、NSC(国家安全保障会議)、ホワイトハウスに行ったんですが、平沼赳夫先生は郵政解散の前は大臣もされていましたので、自民党に残っておられたら総理大臣の候補になられたと思いますが、ホワイトハウスの前ではパスポートの検査があって、普通の面会者と同じように並ばなくちゃいけないんですね。
そこで普通に並んでくださって、我々の思っていることをずっと訴えてくださいました。本当に命がけだなと思いました。そういう議員対議員で、ロスレイティネン議員たちが今日本のことを応援してくれているのも自然になっているわけじゃないんです。
もちろん解決は日本の手でしなくちゃならない。当り前のことですが、アメリカの議会を変えたり、アメリカの政策を変えるということも自然になるわけではなくて、働きかけをしなければならないんです。
先ほど言ったように、テロ支援国指定の理由に拉致を明記してもらうこととか、そういうことがあったから2008年の調査やり直しまで動いたわけです。しかし、だまされてしまったのですが、だまされないようにという働きかけをするためにも、平沼先生の命がけの訪米もあったわけです。
同じ時期、福田総理が訪米していて、テロ支援国指定について話さなかったという報道があって、当時増元さんが記者会見で強く訴えていたのを覚えています。後で、昼ごはんの時に話したんだと、後で中山補佐官に聞きました。それと命がけで訪米している人と、どちらが自国民のため、そしてテロと戦うことをしていたのかなあということも思い出します。
やはり、我々が努力しなければアメリカだって変わらないんです。事実は事実としてあるんじゃなくて、事実を知ってもらって初めて事実になるんです。日本語でいくら資料があっても、誰かが努力して英語にして、それをニクシュ氏みたいな専門家のパソコンに取り込まれて初めて、アメリカ人の共通認識になるわけです。