救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

特別セミナー「拉致問題の全体像と解決策」全記録



◆「タナカ」氏から日本語を学んだ同期生

金東植(北朝鮮労働党対外連絡部の元工作員)
 今日このように意味のある場所に招待してくださいました皆様に感謝申し上げます。もっと早い時期に皆様方にお話をすればよかったのですが、少し遅くなり申し訳なく思っています。
 私は、15年間北朝鮮で工作員として過ごしながら、目撃したり、話を聞いた日本人についてお話をしたいと思います。
 私が日本人について聞いたのは、87年から88年の間です。その時はまだ日本人拉致問題がイシューになっていませんでした。私の金正日政治軍事大学の、当時の名前は金星政治軍事大学ですが、同期生であるチョー・ソンヨルから日本人講師について話を聞きました。
 その当時私は韓国に潜入するために、韓国語を学んでいました。その時、私の大学の同期であるチョー・ソンヨルと会ったところ、彼は、「タナカ」という日本人から日本語を学んでいると話しました。
 私に教えてくれた韓国人拉致被害者は仮名を使っていました。従って、「タナカ」という人の名前が本名なのか仮名なのかについては、私は性格には分かりません。
 その当時、「タナカ」と呼ばれていた日本人は平壌市内の郊外にある順安区域にある招待所で、日本人化する工作員たちに、日本語および日本の習慣などを教えていました。
 その中では工作員も講師もサングラスをかけ、マスクを付けて、昼間晴れていても傘をさして歩いていますので、顔は確認できませんでした。私は「タナカ」さんと直接会って話をしたことはありません。ただ、彼が住んでいた招待所を知っていたために、そこを通り過ぎる時に、2?3回、後姿や横の姿を見たことはあります。
 彼は当時170センチくらいの身長で、髪の毛を伸ばしていて、体格は普通でした。歳は性格には分かりませんが、30代か40代だったように思います。彼が日本人であること、またその地域で「タナカ」という名前を使っていることは、その地域にいる工作部署に人たちはみんな知っている事実でした。
 そして彼の奥さんも日本人だという話を聞きました。しかし、その二人がどのようにして結婚するようになったのか、また二人の間に子どもがいるのかということについては聞いたことがありません。
 彼は日本人であるので、生活費、月給も日本円を貰っているという話を聞きました。そして「タナカ」さんがいた招待所からそれほど遠くないところにある招待所で、別の日本人が日本語を教えているという話を聞きました。それ以上私は、その人について聞いたことはありません。

  
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