特別セミナー「拉致問題の全体像と解決策」全記録
◆工作員の日本人化教育を行った被害者は返せない
また後で、時間があればもう少し詳しいことを申しあげることとして、次に、今後どのようにすれば解決できるのかということについて、私の考えをいくつか申し上げます。
私の考えでは、日本がこれまで拉致問題でとってきた行動をもう一度見直してみる必要があるのではないかと思います。2002年に、北朝鮮の金正日がなぜ拉致を認めたのかということについて、もう一度考えてみる必要があると思います。
当時北朝鮮が、拉致を認めるということは国際的なダメージであることを知りながら認めたのは、日本から莫大な経済支援を得ることができるだろうと判断したからだと思います。
私が北朝鮮にいた90年代の初め、日朝国交正常化交渉が盛んに行われていました。その時、党の部長や副部長たちは、日本からいくらぐらい賠償をとれるかについて、40億ドルくらいは取れると言っていました。そして日朝首脳会談をし、拉致を認めたわけですが、そのお金を結果的には受け取れなかった。
従って、もし経済的支援で拉致問題を解決しようとするならば、大変莫大な金額が必要になるだろうと思います。
2番目に考えなければならないのは、なぜ北朝鮮が一部だけを日本に返して、残りの人たちを死亡したと言ったのかということです。決して返すことができない状況だったということです。そしてこれ以上拉致問題を解決する意思がなかったのだと言えると思います。
まず第1に、なぜ返せなかったのか、なぜ死んだとしたかということですが、それはその人たちがあまりにも多くの北朝鮮内部の秘密を知っていたからです。工作員として使っていた場合は返すことができなかっただろうと思います。日本がその立場だったら簡単に返せるでしょうか。
次に、工作員でなくても、工作員を育成する講師として使ったとしたら返すことができません。普通、日本語を学ぶ工作員は、約1年間日本語を学びます。ですから、拉致された日本人が工作員に日本語を教えたとすれば、1年に一人を教えたと見ればいいと思います。
そうだとすると彼らが拉致されて30年以上経ちますので、一人当たり30人以上の工作員のことを知っていると考えられます。30人の工作員のことを知っている日本人講師を日本に返せるでしょうか。そこで日本には送れないので死亡確認書を作って出してきたんだと思います。
実は、その死亡確認書を私は求めて見たことがあるんですが、その文字の筆跡が、私が韓国に潜入した時に持っていた偽造韓国人住民登録の筆跡と同じでした。それは彼らを工作部署の一つで活用したことになると思います。