特別セミナー「拉致問題の全体像と解決策」全記録
◆拉致の4大ピーク
惠谷治 お手元にレジュメをお配りしています(配布資料は救う会ホームページ参照)。それに添ってご報告します。
北朝鮮は建国直後に拉致を始めています。生まれながらの拉致国家と言っても過言ではありません。「拉致の4大ピーク」は数年前に発表したものです。
北朝鮮は朝鮮戦争以前から拉致をしています。ここでは、「ピーク」としていますので年代は1950?1953年となっていますが、その下にあるように、1946年7月31日、金日成の韓国人拉致指令「南朝鮮からインテリを連れてくることについて」という指令を出しており、これは『金日成選集にも載っています。
つまり彼らは当時、そういう指令(拉致すること)は何の問題もない、当然のことだと考えていたのです。
朝鮮解放後、北朝鮮にソ連軍が入ってきます。それに遅れて金日成も帰国します。そして共産主義社会になることを嫌った人々が大量に南に脱出しました。その結果、北朝鮮では行政官、教師など様々な知識人がいなくなりました。それで金日成は、「南に行ってインテリを連れてこい」という指示を出したわけです。これが拉致の始まりです。
続いて、朝鮮戦争中は、50万人の労働力、人口を北に移動させろと計画し、現実には10万人が?これは名前も含めてきちんとデータがあります?北朝鮮に拉致され、現在に至っています。
戦争が終ると、1955年に韓国漁船が初めて拿捕されました。以後75年まで続きます。これは以前に詳しくデータを発表しています。漁船を拿捕し、漁船員に洗脳教育をして、工作員に仕立てるという作業を延々とやっていました。実際に工作員になって、その後脱北して今韓国に住んでおられる方が7、8人います。
その当時、1963年に寺越事件が起こります。これは漁船員拉致とは無関係ですが、日本に工作船が入ってきた時に、何らかの状況を目撃されたということで拉致されました。金正日政治軍事大学の呉グホ教官が「あれは俺がやったんだ」という証言もあります。日本人が初めて拉致に遭遇したのがこの時期にありました。
1969年に金日成は、工作関係者の会議において、万景峰号に日本人を乗せることも可能」という表現で、日本人拉致を容認した発言をしています。
70年代には、荒木さんが調べておられる特定失踪者は、こういった金日成の発言の中で拉致が実行されたのではないかと思います。
3つ目の1976年、皆さんご存知と思いますが、金正日が工作機関の実権を握って、これからはすべて自分がとりしきると宣言して、工作員教育を強化しろと言って拉致が始まっています。
この76年以前、韓国人拉致問題については、漁民を500人拉致していますが、それ以外の韓国人拉致被害は4件だけです。その内2件は、戦闘によって捕虜として連れていかれたケースです。他の2件は、拉致に見せかけた工作員の帰国、帰還であったことが現在明らかになっています。
つまり76年に金正日が登場するまでは、韓国人に対しては、工作員を送って特別に拉致をしたケースはありません。その代わり漁船を拿捕して、その中の乗組員から工作員になりそうな人物を選択し、残りは帰しています。
そして76年以降、金正日が指示をした結果、新しい拉致が始まったわけです。それは今も続いている可能性もありますが、韓国人拉致被害者を見ていると、1995年から有害人物除去拉致を行っています。
現在、中国東北部で韓国人の実業家、あるいは牧師さんが拉致をされる事件が起こるようになりました。そこで北朝鮮による拉致は多少性格が変わったのかなと思って調べてみると、1996年3月5日に、金正日は党対外情報調査部をもっと縮小して、「少数精鋭主義に変えろ」と命じています。
これはどういうことかというと、実際に拉致をするのは作戦部の戦闘員です。その作戦を指揮するのが調査部の工作員です。全体を見極めて人を動かす役割です。ですから、調査部が縮小されたということは、調査部の工作員も退役させられたりしたと推定されます。従って拉致作戦も当然少なくなったのではないかと考えられます。
その代わりに、1995年から有害人物除去拉致を行うに当たっては、国家安全保衛部、北朝鮮の秘密警察、その要員が拉致していることが判明しています。現在中国で起きている拉致のほとんどが国家安全保衛部だと推定されます。もちろん他の機関もやっていると思います。
そういう流れの中で、秘密隠蔽というのはいつの時代だって当然あります。一番代表的なのが寺越さんたちの清丸拉致です。特定失踪者の方たちはそういう場面に出くわして拉致された可能性が考えられます。
このこと(寺越事件)については救う会のホームページに詳しいデータがあります。