国際セミナー「北朝鮮は世界の拉致被害者をすぐに返せ!」全記録
◆孫たちに会うために母は生きている
<代読=島田洋一救う会副会長>
※以下はメッセージの全文です。
1978年に北朝鮮に拉致された画家だったドイナ・ブムベアの弟のガブリエル・ブムベアです。
日本、韓国、タイ、アメリカの皆様、そして同じ苦しみを味わっている兄弟の皆様、こんにちは。
時と予見しえない事が起きて、今回は東京に来ることができませんでした。皆様と一緒に2014年3月3日に、この歴史的な集まりに参加できない事をとても残念に思っています。
今年は姉ドイナ・ブムベアがイタリアのロ―マから行方不明になって、ちょうど36年が経ちます。姉はとても魅力的な東京での有名な画廊の仕事の誘いを受けて、1978年にイタリア国籍の男性と一緒に、イタリアから東京へと出発しましたが、しかし東京には到着せず、その代わりに平壌の収容所に連れていかれました。
北朝鮮の工作員のよく考え抜いた、巧みな策略でした。そこでスターリンの共産主義を暗記させられました。洗脳の効果がないと北朝鮮の工作員やその指導者達に罰せられました。こんな悪魔的な計画を仕組んだのは金日成であり、そして継続したのは金正日と金正恩です。
北朝鮮に捕われた方法は、いまだに謎のままです。ルーマニアの政府高官たちはルーマニア女性に何が起きたのか、調査を怠っています。政府はまだ平壌にこの件について公的な調査や事実の確認を申し入れていません。わたしが日々感じるのはルーマニア政府の無関心さと北朝鮮に対する恐怖心です。
80年代の初めごろ、姉は強制的にジョー・ジェイムズ・ドレスノクというアメリカの脱走兵と同棲させられました。その結果、二人の息子が生まれました。リカルド・ドレスノク、1981年12月生れと、ガブリエル・ドレスノク、1983年2月生れです。1996年の半ば、姉が肺癌であることが分かって、数か月後の1997年1月に平壌で亡くなりました。47歳でした。これらの痛ましい事実をチャールズ・ジェンキンスさんとその妻、曽我ひとみさんから聞きました。お二人は素晴らしいご夫婦で、長い年月を北朝鮮で厳しい監禁生活を送っていました。そして私の姉と同じ建物に住んでいました。
2007年4月に、日本のNGO救う会と家族会、そして日本政府の計らいで私はチャールズ・ジェンキンスさんと曽我ひとみさんとに会うことができて、その時に姉は北朝鮮でどのように生きたか、子どもたちはどうだったのか、姉がどのように死んだのかと色々聞く事ができました。
まだはっきりしないでき事や、状況はありますが、いつか神がすべてを明らかにしてくれることを願っています。わたしの母は数年前から病気で苦しんでいます。孫たちを抱きしめたいという思いが生きがいになっています。孫たちは娘との唯一のつながりだからです。この特別な瞬間のために母は生きています。これは母の最後の願いです。
2か月前にわたしの兄でブムベア・ミルチャ、ドイナ・ブムベアの弟が亡くなりました。だからこの問題を解決する責任が私に残されています。
最近の北朝鮮と韓国の政治と軍事的な紛争、また、平壌政府が韓国やアメリカそしてこの両国を支持しているその他の国に対する好戦的な態度等から地域戦争勃発の可能性が益々高くなっています。
どんなハイテクな武器を使うにせよ、人の命が失われることは確実です。わたしたちは皆、戦争の恐ろしさをよく知っています、そしてこんなに恐ろしい武器の乱用が招く結果もよく知っています。
反感を招く言葉かもしれませんが、戦争だけが北朝鮮の政治、経済や社会に変化をもたらすことができるとわたしは思っています。皆さんも知っての通り、あらゆる外交手段や友好的、また平和的な方法が試みられてきましたが、すべて失敗に終わりました。どんな違った国や国民、民族でさえも、色々な問題を解決できる可能性はありますが、北朝鮮とだけはそれができないのです。非常識的なものが常識的になることや、二つに分裂している国が一つになることや、共産党スターリン主義とそれが招いた悲惨なでき事がなくなって、新しい民主的な政治と安定した経済に変わることが一体あるのでしょうか。
ルーマニア国民の私も含めて、皆平和を愛する国民です。わたしたちルーマニア人は紛争を支持していません。極東の人々と同じ思いでいます。北朝鮮の軍事的な脅しに各国が国際的に協調し合って圧力を強めることによって、長期的な和平問題の解決にたどり着くことを願っています。
そして私たちの拉致された、愛する家族との再会を願って、北朝鮮が停戦協定後に起こした全ての問題と過ちえお解決する事を望みます。わたしはこの国と近隣諸国との問題の解決を歴史的な瞬間の目撃証人になりたいです。どんな方法を使うにせよ、問題を前向きに解決できたとしたら、同じ問題を抱えている国の手本と希望になれると思います。
今回の第3回国際拉致解決連合を通して日本のNGOや韓国、タイの皆さんが集まって、この決議を通して拉致問題を早く解決してほしいと願っています。皆さんとご一緒できませんが私は全ての決議案に賛同いたします。わたしの心と願いは皆さんと一緒です。
この手紙の最後に、わたしは平壌政権に拉致され、囚われの身になり、拷問を受けた、愛する皆さんの家族と再会できる事を強く願っています。
冷静に注意深く聞いてくださった皆さんに深く感謝します。
ガブリエル・ブムベア ルーマニア(拍手)
島田
ドイナさんは肺癌ということですが、例えば曽我ひとみさんが帰ってこられた時肺癌が見つかったわけですが、日本の優れた医療のおかげて治療が成功し、ピンピンしておられます。
だからドイナさんもイタリアにいれば47歳という年齢で亡くなることはなかったと思います。その意味で、拉致されたがゆえに早世したと言えることだと思います。
次にジェームズ・スネドンさんからのメッセージです。スネドン家の方は、3月17日のジュネーブにおける会議に、長男のマイケル・スネドン氏、彼はミュンヘンで仕事をしていますが、会議にかけつけてヒューマン・ライツ・ウォッチの集会、これは飯塚さんも参加されますが、そして人権理事会の本会議にも出るとのことで、両方の主催者から許可をもらって参加するとの連絡が来ています。
ちなみにスネドンさんの失踪は2004年8月で当時24歳でした。