「人道的なふりをし始めた北朝鮮への対応ー東京連続集会78」全記録
◆人道的な振りをするというレベルを超えた北朝鮮
西岡 力(救う会会長、東京基督教大学教授)
ここまで国際連携が進んだ。直接北朝鮮の大使に拉致家族の話を聞かせるところまできたということが一つあります。しかし、冒頭言いましたように、北朝鮮の最近の動きは、国際的な圧力で人道的な振りをするというレベルを超えているということです。
それだけではなく、何か彼らの狙いがあるようです。あまり楽観的なことを言ってはいけないと自分で自分を戒めているんですが、また情報が全部あるわけではありませんから。
しかし、今の時点で色々なことを考えると、2002年の小泉訪朝以来初めて実質的な進展の可能性が見えてきた。2002年以降、我々の戦いはどちらかというと後退しない、負けないという戦いでした。「8人死亡」で終わらせられてしまう、「解決済み」ということで終わらせられてしまうんじゃないか。特に第1次安倍政権ができるまでは、終わらせて日朝国交正常化をしようという力と戦ってきました。土俵の俵に足がかかりながら、なんとか踏みとどまる戦いでした。
しかし今、土俵の真ん中、あるいは少し追い込んでいると思います。絶対勝てるとは思わない。また相手がけたぐりをしてくるかもしれない。何をしてくるのか分かりませんが、しかし実質的な進展の可能性が見えてきた。
私がここでずっと言ってきましたが、3度目のチャンスが来ると。1回目は金丸訪朝の時。北朝鮮は困らなければ日本に譲歩してきませんが、金丸訪朝の時は譲歩してきたんです。国際的に孤立した。ソ連と中国が韓国を承認するという国際的な危機になった時に日本カードを使ったのです。しかしその時は、日本側が拉致を議題にしなかった。
2度目が小泉訪朝の時です。「テロとの戦争」の中で、戦争を戦うブッシュ大統領が「悪の枢軸」として北朝鮮をあげて、彼らの核・ミサイルを戦争をしてでも取り上げると言った強い圧力が北朝鮮を動かしたのです。
今の金正恩氏からすると、お爺さんも追いつめられた時、日本カードを使った。お父さんも追いつめられて日本カードを使った。今自分が、日本カードをどうも使おうとしているのではないか。それは主観的に彼が追いつめられていると思っているのではないかと見ています。
私が楽観的に見る一つの理由は、横田夫妻とウンギョンさんとの面会について、ずっと観察した結果です。2002年から2004年までは、執拗にめぐみさんを死亡したという謀略が繰り返されました。
しかし今回は、先ほど横田滋さんがおっしゃっていましたが、めぐみさんを「死亡」とする説得役として一番ふさわしい元夫、金英男(キム・ヨンナム)さんが出てこなかった。出てこないという枠組みを北朝鮮当局が認めた。孫とおじいさん、おばあさんの人道的な面会、そこにひ孫もいて、北朝鮮の側から非公開と言ってきた。
早紀江さんから「全員が生きていますよ」というメッセージが発せられるくらいな状況でした。そこに金英男さんがいたら、「本物の遺骨を出したのになぜ信じてくれないんですか」と言えば、「あなたは93年に死んだと言ったじゃないですか」、「94年まで生きていたのにおかしいじゃないですか」という言い争いになったかもしれませんが、それが出てこなかった。
斎木訪朝団が行った2002年9月30日には夫が出てきて、「遺骨があります」と言ったのです。「8人死亡」の内、7人は墓が流れたとされた。流れてないと説明されたのはめぐみさんだけでした。夫が持っていたんです。しかし、「斎木訪朝団には渡さない、横田さんたちが来れば渡す」と。
家族会は遺骨のことだけではなくて、蓮池さん、地村さん、曽我さんも日本に行けないと。「来てください」と言っていましたが、「それは本音ではない、本当は日本に帰りたいはずだ」ということで、5人の家族も北朝鮮に行かないことを決めたわけです。
そしたら突然5人が日本に来ました。その時、着いた日から横田めぐみさんの話ばかりをしたんです。「同じ幼稚園に通っていた」とか。その時、増元さんのお父さんは危篤だったんです。蓮池さんの奥さんの由紀子さんは、るみ子さんと1年以上一緒に暮らしていた。しかし、その話はしませんでした。地村さんの奥さんの富貴恵さんは、田口八重子さんと1年以上一緒に暮らしていたのですが、「知りません」と言いました。
(日本一時帰国)2週間の予定で、北朝鮮に帰る予定だったんです。子どもが向こうにいる中で、です。しかし、めぐみさんのことは言ってもよかった。
もう一つ。めぐみさんは93年に自殺したと(北朝鮮は)言っているけど、94年まで彼らと一緒に暮らしていました。そのことも、北朝鮮に帰ることが前提の時は、彼らは言いませんでした。しかし日本に残ることを決めた後、その情報を話した。
曽我さんがなぜ出てきたのか、当時色んな議論がありましたが、私の今の考えは、めぐみさんのことが言えるということで選ばれたからです。当時北朝鮮は、とにかく横田さんご両親に平壌に来てもらって、めぐみさんの「遺骨」などを持たせて、めぐみさんが死んだということになれば日本の世論は収まると思っていたのです。
張真晟(チャン・ジンソン)という統一戦線部の幹部だった人が去年本を出しました。ここに来てもらいましたが、彼が2002年に統一戦線部の中で聞いているのは、「せっかく1兆円規模のお金をもらえることになったのに拉致問題で日本の世論が悪化した。統一戦線部が考えたのは、横田早紀江さんの影響力を削ぐこと。あの人はあんなに記者会見がうまいから政治家じゃないか、過去に立候補したことがある筈だからと調べたら何もなかった。それで馬鹿な田舎のおばさんという風にしろと。安倍さんや救う会のような右翼にだまされているおばさんというふうに宣伝することに決めたのだそうです。
彼らはよく見ているんです。当時の世論の中心は横田さんだった。そこでめぐみさんのことを言える人だけを5人も返して、めぐみさんのことを言わせた。しかし5人は北朝鮮に戻らなかった。
そしたら3番目にヘギョンさんが出てきました。今のウンギョンさんです。「私の名前はウンギョンです」と言いましたが、当時は「私の名前はヘギョンです」と言って日本のテレビに出ていたんです。
今回は顔を出しませんでした。写真も公開しないでと言っていますが、当時は日本のテレビにわざわざ出てきて、「おじいさん、おばあさん来てください」と(言わされた)。しかし、横田さんたちが最終的に行かないことになった。
実は最後に彼らが出してきたのが「遺骨」です。当時、高温で焼いたらDNAは出ないと。では何度で焼いたらDNAは出ないのか定説はなかった。最初に北朝鮮が提供した「遺骨」はめぐみさんのものではなく、松木薫さんのものだった。「洪水で流れたのを下流で拾った。拾った後、2回火葬した」と。
土葬していたのが流れ、拾って火葬するというのはあまりにも不自然です。だいたい1200度で焼いたと専門家には見えた。日本の警察の研究所で鑑定したところ、「DNAは出ませんでした」と発表しました。しかし、あごの骨があったので、歯根、歯の根っこの長さが分かって、「40代の男性ではなく60代の女性だ」と発表したわけです。
その後、小泉さんの二度目の訪朝があり、めぐみさんのものと称する遺骨が出てきたんです。そして帝京大学の吉井教授の鑑定で、DNAが出たんですが、めぐみさんのものと称する遺骨を見た人の話によると、あごの骨はなかった。1200度と同じくらいで焼いてあって、松木さんのものと称する遺骨よりも細かく、原型がないまでハンマーか何かで砕いた。
彼らは、「1200度で焼けばDNAは出ない。しかし日本には法人類学の先生がいて、骨の携帯から年齢や男女が分かるので分からないようにしろ」と言って作ったのです。しかし帝京大学で分かった。
ではなぜ松木さんの骨は帝京大学で「DNAは出ませんでした」となったのかと思っていろいろ見ていたら、「産経新聞」が2006年にこういう報道をしました。
「松木さんの偽遺骨はめぐみさんの予行演習だったのではないか。最近になって政府関係者がこんな言葉を口にした。松木さんの時に政府が公表したのは骨格鑑定の結果だけだった。でもDNA鑑定も実施され、松木さんのものとは別の複数の骨が混ざっていたことを鑑定していた。ある公安関係者はそう打ち明けた」
「だが北朝鮮にはこの事実は伝えてなかった。北朝鮮側がいずれ他の被害者の遺骨を提示してくることを想定しDNA鑑定のことをふせていたとの見方もある。この関係者は、向こうは日本はDNA鑑定ができないと判断したのかもしれない。だから満を持してめぐみさんの遺骨を出してきたのではないかと分析した」
ある政府関係者がそう言っているんです。つまり、日本の能力を隠していた。多分、私の推測では鑑定にも隠していた。それだけ彼らは、めぐみさんを死んだことにすることに集中してきている。こちらもそれを分かって、能力の一部を隠したりしていた。
今言ったその戦いは負けない戦いです。負けない戦いになんとか勝つことができたのはあの時期です。その中心にあったのは、めぐみさんを死んだとさせる謀略だったんです。ここまで彼らは緻密にそういう準備をしていた。そしてそれがばれてしまったから、『ネイチャー』誌が偽物だとか色々言って、今でも死んだと言っているわけですが、今回、そういうことを定着させるための努力をほとんどしなかった。
明らかに差がある。その部分で人道的なことをやったんです。なぜ彼らが人道的になったのか。3月28日に安倍総理にお会いした時に、総理がおっしゃっていました。
「北朝鮮がこちらが出した条件をのんだんだ。平壌で面会するとなると、ウンギョンさんがどういう人かと関係なく北朝鮮の思惑になってしまう。だからだめだった。日本に来てもらうのが一番いいけど、それは北がのまない。だから第三国、それも中国ではないモンゴル。そのモンゴルにさせるために自分もモンゴルを訪問し、古屋大臣が何回もモンゴルを訪問してモンゴルを味方にしていたんだ」という説明でした。
そういうことを北がのんだ。2002年の時と全然違うんです。横田さんをターゲットにする方針ではなくなったように見える。じゃあ条件をのむ交渉をいつやったのか。「面会までの日朝接触」(レジュメ)では、面会は3月10日から15日にあった。その前、3月3日に日朝赤十字協議(中国・瀋陽)があって、課長級の話し合いがもたれたとのことです。
この3月3日の1回だけで条件を提示してのませることができたかどうか。難しいのではないか。「読売新聞」、「産経新聞」、「朝日新聞」、「東京新聞」は、その前に秘密協議があったと報道しています。1月25、26日にベトナムのハノイであった。2月22、23日に香港であった。
「読売新聞」によると、その前の12月にも課長級の予備協議もあったという報道があります。こういう協議があって初めて条件の詰めができたのではないかと思います。
ここでも何回も言いましたが、「死んだ人」を「生きている」とするような大きな交渉は、秘密交渉が何回か、少なくとも半年とか1年はないと動かないと思います。安倍政権になってから表面的に動いてないように見えても、何かあるかもしれませんねとずっと言ってきましたが、張成沢(チャン・ソンテク)の死後、急速にそういうパイプがつながったのではないかと見えます。
モンゴルで人道的な面会にしてくれという安倍政権側の条件を向うに伝え、金正恩がそれに「イエス」ということができるパイプができたということです。
ではそのパイプは、国連の人権理事会の報告に合わせて作ったモンゴル(面会)のためだけのものなのか。私はそうは思いません。
その(面会の)後、局長級協議が30、31日に開かれます。その1週間後の5、6日にまた非公式協議が行われたというのが今朝の「日経」の報道です。パイプは表と水面下と両方ある。
今回の非公式協議については課長級と、「TBS」と「共同通信」が書いているので1月、2月のものとは同じとは言えないのかもしれません。まだよく分かりません。しかし、何らかのパイプはあるということです。
月1回くらいだったのが、今1週間に1回のペースになっています。また、これも報道ベースですが、ベトナムのハノイと香港での秘密協議は日本側は伊原局長と書いてありましたが、相手について「産経新聞」は、「国家保衛部の関係者が出ていた」と書きました。
国家保衛部の関係者が出てきて、日本の外務省の局長と交渉したとなると、2001年からの田中局長といわゆる「ミスターX」の交渉を思い出します。Xという人は柳京(リュ・ギョン)という保衛部の人だったのではないかというのが今の定説です。
保衛部は工作機関の外にあります。拉致をし、被害者を工作員の現地化教育の教師としていたところの外にあります。拉致をし、その人たちを使っている統一戦線部、連絡部などは、2002年の時も拉致を認めることにも反対だったのです。「8人死亡」で5人しか出さないようなシナリオを描いたのも多分そこです。
今窓口が統一戦線部からもう一度保衛部に移っているとすれば、進展が起こりうる条件が一つクリアーされたのかなと思います。まだ分かりません。これも報道ベースの話ですから。だいたい秘密交渉がこうやって漏れてくること自体がちょっと不思議なことで、これをどう分析したらいいのか私は今分かりません。