「もう我慢できない。今年こそ結果を!国民大集会」全記録
◆日本中が笑顔になれる日が来るよう
斉藤文代(松木薫さん姉)
皆様こんにちは。今日はありがとうございます。
私の母は、今年1月11日に父のもとに参りました。苦しんで、苦しんで、最後は6時間半くらい苦しみました。私は21年介護させていただきましたが、最後に、「お母さん、もうお父さんの所に行ってもいいよ。頑張ったね」と言ってあげました。
そしたら母は、涙を流して安心したように、「後を頼むね」というような顔をしました。だから、「今度はお父さんのところで一緒に待っていてください」と。亡くなった妹も一人いますので、「3人で待っててね」と。「今度必ず、薫のいい報告をお父さん、お母さんにもってくるからそれまで待っててちょうだい」と。
「私たちはしっかり兄弟力をあわせて頑張るから」ということで、49日に納骨をしました。だから母はしっかりと我々を見守ってくれていると思います。
母が闘病して入院している時も、「家族会の全部が帰ってくるといいねえ」と私はよく話していました。母は声が出ないもんですから、ウンウンと合図をしていました。
「みんなが帰ってきたら笑顔でいつも生活できるから早くこの問題が解決するといいね」と言ってたんですが、間に合いませんでした。
私も一時、母が亡くなった時には本当に力が抜けて、どうしようかなあと思いましたが、母が21年頑張った分、私がまた21年くらい頑張らないと帰ってこれないのかなと自分に言い聞かせながら、もう1回頑張っていきたいと願っています。
もう少し頑張ればいいことがあるような気がしますので、皆様方もどうぞお力を貸していただいて、日本中が笑顔になれる日が来るまで宜しくお願いいたします(拍手)。