北朝鮮の再調査結果、予想される問題点?東京連続集会81 全記録
◆日朝協議は被害者を取り戻すための犯人との交渉
西岡 2002年の9月17日の段階では、中山先生はまだ政府の中におられなかった。外で見ていてくださったんですが、簡単に言いますと、9月17日に政府は確認作業もしないで家族に「死亡」と伝えたんです。
そして平壌から帰ってきた次の日、18日の朝、安倍官房副長官が出勤前に、家族会が泊まっているホテルまで来てくださって、「確認作業をしていなかった」ということを伝えてくださったので、まだ死亡は確認されていないことが分かったんですが、それまで日本中が「死亡」と書いていて、「遺族」と言われていました。
さらに確認作業をした外務省の梅本駐英大使館公使を家族に会わせないでロンドンに送ってしまおうことを外務省が決めていたんです。私たちは安倍さんが来てくれて、確認作業をしていないことが分かったので、梅本さんを探したら、「今買い物にいっていて連絡がつかない」とか色々言われて、その日の夜になってやっと会えました。
しかし、地村さんのお父さんと浜本さんのお兄さんは梅本さんに会えなかった。つまり、20数年ぶりに被害者に会った担当者を家族に会わせないで、少なくとも地村さん、浜本さんについては会わせないでロンドンに返してしまったんです。
助けようという姿勢がないまま作られたのが平壌宣言だったということを私も目撃していて、そうだなと思ったわけです。しかし、それがここにも入っている、つまり外務省は「決めた文書は大切なものだ」と言うんですね。「これを基礎にしてやらなくちゃいけない」と言うんです。
ここに今後の交渉を見るカギがあると思うんですが、私は今の交渉は外交交渉じゃないんだと言っています。被害者を取り戻すための犯人との交渉なんです。相手を普通の国としてお互いに承認して、約束したことは守りあいましょうと、いくつかの譲歩をしながら仲良くするためにどうしましょうと決める交渉ではない。
犯人が人質をとって立て籠もっている。警察は(犯人と)連絡を取らなければならない。「(被害者に)手をかけたら許さないぞ、安全を保ちなさい、要求は何だ、全員返しなさい」と。
その全員ということについては、譲歩の余地がないわけですよね。でも外交交渉になってしまうと、「何人かでいいのではないか」という発想になりかねない。ここが一つのカギだと思うんですが、中山先生は外務省の外でずっと仕事をされていたんですが、最後に外務省の大使になられて、人質解放交渉を中央アジアでなさったんですが、その時に外務省のことについて感じたことがあると言っておられましたが、その話を少ししてください。