「最終決戦のとき、不退転の決意で全員救出を!国民大集会」全報告
◆天国の父母も見守っている
斉藤文代(松木薫さん姉)
みなさん今日はたくさん集まっていただき感謝申し上げます。
本当に悲しいことばかり続いています。1980年に弟がスペインのマドリッドから拉致されましたが、あまり大昔のことは考えないようにいつも自分に言い聞かせていますが、なぜか今日は珍しく古屋大臣とお会いすることができました。母が亡くなる1年前に母の病院に顔を見せていただき、母の顔を見て、「斉藤さん、お母さんはまだ目が光っているから絶対まだ大丈夫」と言われました。
母も、しっかりと古屋大臣の顔を見ておりましたので、私もまだまだ頑張ってくれるなと思っていたんですが、その1年後、大臣が来られた1日前に息を引き取りました。でも最後まで私と主人と薫の話もしましたし、帰ってきたらどう報告するかなということで、「お母さんはもうお父さんのところに行っていいよ」、「もう頑張らなくていいんだから」ということをしっかりと母に伝えました。
そしたら母は、涙をぽろっと流して目をつむりました。それを私は見届けましたので、お母さんには薫に会わせてやれなくて申し訳なかったなと思ったんですが、今度は私も、私たちの兄弟が会えるということで頑張らなければいけないなあと思いました。
母を21年介護してきましたが、今度は私の方が気が緩んだのか分かりませんが、ちょっと病気になりました。これに負けないように、私もなんとしてでも薫に会ってから、という気持ちで日々を送っています。
薫も向こうで絶対にお姉さんと会うんだ、家族と会うんだという気持ちで頑張ってくれていると思っています。言葉は少ないのですが、精神はしっかりした子でしたから、頑張っているとは思います。
2002年と2004年に骨を出されましたが、私は全く信じていませんし、お墓にも持って帰りませんでした。それは父に対しても親孝行ができたと思っています。
母が亡くなった時に、こういう話は自分の胸だけに入れておこうと思ったんですが、非常に長い付き合いの住職さんでしたから、後でお父さんのところにお母さんを入れてあげますからと。「やっとこれでお父さんとお母さんが一緒になって天国であなたたちを見守ってくれるし、薫さんも必ず帰ってくるから」とおっしゃっていただきました。
私はそれを信じて、また日本政府の方針を信じて待っていたいという気持ちで日々を送っています。色々な病気を持っていますから、病院の先生からもあまり考え事はしないようにということを伝えられていますので、昔のことは考えないようにと自分でも思ってはいたんですが、今日はふとなつかしい方とお会いして、また薫が帰ってくる日まで頑張って、皆様方のご協力もお願いしながら頑張りたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします。ありがとうございます(拍手)。