ストックホルム合意から1年半‐被害者救出のために今必要なこと 東京連続集会88 全報告
◆今年8月以降「日本政府が拉致の調査結果を受け取らない」と流れが変わった
島田 先ほどの中山先生のお話の中に、ストックホルム合意というのは、生存者がいても、帰国したいかどうかの意思を北朝鮮の中で確認させるというのは無理だ、本当のことを言えるはずがない。だから帰ってこないことで合意したんだということでした。だとすれば、北朝鮮側とすれば、これこれの人が生きていますと言っても、それは返さなくてすむんだから、安心して何人か生きていると言ってもよさそうなものですが、これまで生存者がいるとは全然言っていない。これはどう解釈すればいいですか。例えば北朝鮮国内でだれだれが生きていたので、日本政府が意思を聞いてください、とか。
西岡 こういうことだと思います。「8人については調べて見たが死亡だった。火葬場で取り違えがあったけれど、本物の遺骨が出てきました」という形で出てくる。しかし、「それ以外で何人かの人が見つかりました。その人に対しても本人の意思を聞いたら、拉致ではなく、自分の意思で入って幸せに暮らしているから帰りたくないということを言わせる。
これは私が言っていることと、中山先生が外務省が問題だと言った部分は矛盾していなくて、そういうシナリオを統一戦線部が考えていたと思います。
島田 その関連で、これまでも特定失踪者の方2、3人の名前を出してきて、終わらせようとするのではないかという報道もあったのですが、生存者がいるとはこの1年半全く言ってこない。これはどういう風に解釈しますか。
西岡 今年の8月までは拉致の調査は終わっていない、と言っていた。まず、拉致以外のものを受け取らせようという方針だったので、そういうことは言わなかったんですが、8月10日くらいに、方針が変わった。「拉致の調査も終わった」と。そういう指令が出たと聞いています。その後、宋日昊氏が色々と出てきて、「終わった」とか、「ほぼ終わった」とかいうことを言い始めた。
8月に、清津会の墓参団が行った。その時テレビカメラもたくさん付いていきました。そこに残留日本人も出てきて、「私も日本に帰りたいんです」と言うのかなあと、あるいは宋日昊氏が出てきて、「日本はけしからん。もう墓についての調査がこんなに終わっているのになんで受け取らないのか」と言うのかなあと思っていました。
しかし、清津会の訪朝団への対応は非常に冷たかったのです。宋日昊氏も出てこなかったし、テレビのニュースになるようなことがほとんどなかった。ほぼ同じ時期に、京都の大学の親北派の先生、朝鮮総連の新聞によく寄稿している先生が訪朝した時に宋日昊が出てきて、「拉致についても調査が終わっていますと言った」と彼は言いまくっています。
つまり、拉致以外のもので揺さぶるという方針から、8月中旬以降、「拉致の調査が終わっているが日本政府がその結果を恐れて受け取りを拒否している」と。その結果というのは2002年とほぼ同じで、死亡者が多い。それは事実だが日本政府が政治的負担から受け取りを拒否しているんだ、という謀略宣伝がその後始まりました。そういう流れで理解すると分かると思います。