国際セミナー「日朝拉致協議をどう打開するか」報告
■拉致と総連 工作員接線ポイント分析
◆1960年までは一般の船で密入国
惠谷 治(ジャーナリスト) 総連と拉致との関係を改めて考え直してみました。みなさんも既にご存知と思いますが、日本人拉致には総連関係者が深く関与していることが、これまでにも言われてきました。
拉致現場についてお手元にレジュメをお配りしています。1か所不明な点はあるものの、日本人被害者のみならず、在日籍の方も含めて12か所が拉致現場です。正確には拉致被害者移送地点となった海岸です。
田口八重子さんに関しては、北朝鮮の発表あるいは帰国者の証言を見ると宮崎で、もしそうなら原敕晁さんと同じになります。私は個人的には八重子さんは新潟から移送されたのではないかと考えています。
この12か所については、これまでも何度も行っています。それとは別に、戦後北朝鮮の工作員が潜入・脱出したポイントがどのくらいあるか考え、報道や調書等から拾い出すと、122の事件を確認することができました。
その内27件は1950年代から60年にかけての事件です。この頃北朝鮮はまだ工作船を持っていませんでしたから、第三国の船に工作員を乗せて通常の港湾に入港して、偽の船員手帳で上陸し、姿を消すという単純な方法でした。