今ここまで言える日本人拉致の全体像ー東京連続集会91全報告
◆77年は若い女性が狙われ、78年はアベックが狙われた
西岡力(救う会会長) その後、曽我さんだけが若いカップルではなく母子で、お母さんはそれほど若くない。曽我さんに聞いてみると、拉致した時、3人の男に後ろから襲われています。お母さんと曽我さんがうす暗い道を歩いていた。お母さんはいつもズボンをはいていた。曽我さんはその日ワンピースだった。後ろから見たら、若いアベックに見えたのではないか、というのも一つの仮説です。
そうすると、77年は若い女性が狙われ、78年はアベックが狙われた。条件ということとぴったり合うということです。
拉致する時は調査部の工作員1人と、作戦部の戦闘員3人の4人で拉致をする。蓮池さん、地村さん、曽我さんのケースについては、被害者が帰ってきていますから分かっているんですが、みんな同じです。
蓮池さんのケースは崔(チェ)スンチョルという調査部の工作員、地村さんのケースは有名な辛光洙(シン・ガンス)、曽我さんのケースは金ミョンスクという女性の工作員でした。そしてそれぞれ3人の戦闘員がいました。
北朝鮮の戦闘員なら一人で一人を拉致できると思います。惠谷さんの推測では戦闘員2人と組長が1人ですね。
恵谷 治(ジャーナリスト、救う会拉致の全貌プロジェクト委員) 戦闘員というのは聞きなれない言葉でしょうが、朝鮮労働党作戦部に所属している人物を戦闘員と言います。腕っぷしが強くて乱暴なことが得意。北朝鮮の用語では、浸透組と言います。日本に潜入するのはだいたい3人で1組です。そして浸透組には組長が1人います。実行組のリーダーです。
それとは別に調査部の工作員が1人。海岸事業や日本の風習などにたけた日本事情に明るい1人と組んで拉致を重ねてきたのが実態です。
西岡 調査部の工作員は日本語ができます。崔スンチョルについては、相当詳しいことを、蓮池さん、地村さんたちが話しています。なぜそれが分かるかというと、崔スンチョルは工作員を引退した後、指導員として蓮池さん、地村さんたちと同じ地域にいたんです。そして行ったり来たりをずいぶんしていたそうです。だから昔の話を詳しく聞いているんです。