今ここまで言える日本人拉致の全体像ー東京連続集会91全報告
◆河口でゴムボートを隠し接線
恵谷 治(ジャーナリスト、救う会拉致の全貌プロジェクト委員)
これは新潟県柏崎の中央海岸(蓮池さんら拉致現場)です。ここも長い海岸で、アベックたちが夏の夕暮れにたくさん集います。ここが土手のようになっていて、その先が松林です。砂浜から松林に連れ込むにはうってつけの場所です。
ここで、「煙草の火を貸してくれ」と言われて、殴られています。この先に河口がありますので、私はその河口辺りに上陸して、ゴムボートを隠したのではないかと考えています。この先に原発があります。
これは鹿児島県の吹上浜(市川さんら拉致現場)で、柏崎と同じように土手になっていて、土手に松林が続いています。ここは40キロくらいの長大な砂浜です。その間に何本か川があります。その内の一つの河口に上陸してカップルを探していたのではないかと思います。
西岡さんの説明のように、柏崎に崔スンチョルが潜入した時は旅館に泊まったと言っていますが、吹上浜で旅館に泊まるとあまりにも目立ちすぎるくらい離れています。おそらくこの松林に夜は寝泊りしながら、一日ないし数日カップルを探し、ターゲットを決め、さらって、ここから搬送したのだろうと思います。
吹上浜の沖合8キロに久多島という岩の島があります。母船から出た小船が1キロ沖合まで来て、ゴムボートに乗り換え、実行犯は上陸してボートを隠し、小船は島影に隠れて連絡を待ったと思われます。こういう窪みで、船が全部は入りませんが、一部が見えたとしても漁船がいると見られただけと思われます。ここは岩山なので上陸できませんし、人に見られることもないわけです。
これは富山県高岡市の雨晴(あめはらし)海岸(拉致未遂事件現場)です。富山湾の南部で、能登半島の富山湾側を使うようになったのは1970年代後半です。10キロくらいの海岸線で顕著なものがまったく見当たらない。敢えて言えば、大きな旅館、今はヘルスセンターですが、これぐらいしか見当たりません。
ここで暴力的に拉致して、袋をかぶせ、林の中に男女を離して待っていた。なぜ待っていたかは謎ですが、日が暮れるのを待っていたのか、工作小船との調整だったのか、ともかく待っていたところ、犬の声がして実行犯たちは慌てて逃げ去った。
誰もいないのを確認して、被害者男性は袋をかぶせられて歩けないのでうさぎ跳びで近くの人家まで、女性の方は何とかひもを外して袋を出て助けを求めた。そこにさるぐつわなど、様々な遺留品、犯人に近づく証拠品が入手できたことで北朝鮮ということが分かった。当時は発表していませんが、関係者は確信した。
これは佐渡の国府川です。暗い写真ですが、事件が起きた日の同じ時間の写真です。曽我ひとみさんとミヨシさんは、ここに繋留していた板船で、連れていかれた。川から河口が見えます。小船が迎えに来た工作母船と合流して、乗り換え1回で北朝鮮に行ったのではないかと思います。
これは原敕晁(ただあき)さんが拉致された宮崎県青島海岸です。ここが青島で、手前が鬼の洗濯板です。このホテルは現在ありませんが、ここで原さんを酔わせて、この海岸を歩いて、河口が接線ポイントです。向こうから男が3人現れて、原さんを引き渡して、辛光洙らはゴムボートに乗って、船で北朝鮮に行った。