最終決戦は続いている!制裁と国際連携で全員救出実現を!国民大集会 全報告
◆全国各地の議員の応援が心強い
北越優子(特定失踪者神谷慶五郎さん娘)
大変長くなりました。私は1967年に、家族4人が海上拉致された神谷慶五郎の三女です。
実は、拉致じゃないかと気づいたのは、寺越事件の勉強会が札幌でありました。その時に、「ひょっとしたら」ということでした。今日寺越家のご家族もご参加されています。
9人家族でした。ある日突然、1967年11月7日に、海上で突然家族の内4名の男が連れ去られました。皆さんは、「漁をしている時に、魚を取りすぎて沈没した」と。町中がそうでした。取りすぎて、欲張りすぎてという言い方です。
父も兄も、弟二人も、小学校も、中学校も、高校も行かないで漁師をしていました。ミスるはずがありません。プロなんですから。漁師のプロです。私は50年近く、父や兄、弟二人のプライドのために戦ってきました。父や兄、弟たちの人権を返せ、と。
だけども皆さんは、きっとあまり気づかれてないでしょう。残された家族、女の家族が村人、町人から村八分にされた。私たち残った家族の人権はどうなるんですか。
私は大きな声で言いたい。残された家族の人権を返せ。日本国憲法にも謳われているように、人権を守る日本国だと。そのことを今日は訴えたい。
たった今荒木代表から、ひとことご挨拶をと言われまして、突然のご挨拶でちょっとまとまりはないかもしれませんが、今日全国からこんなに力強い議員たちの応援をいただいて、びっくりしています。
3年前に大キャンペーンをやってくれました。特定失踪者問題調査会が、北海道の特定失踪者84名を解明してくれました。その時、マスコミに追われて、マスコミが悪いわけではなく、24時間拉致問題でした。私は精神的に頭がおかしくなりました。
病院に入り、37キロになって、食事もできなくなりました。だけど多分、今日ここにいらっしゃるご家族は、全員何らかの形で健康を害していると思います。そのことを裏に背負いながら、みんな家族を待っています。
私は毎日のように、飛行機のタラップから父、兄、弟2人の4人が一緒になって降りてくる夢をずっと見続けてきました。もう73歳です。もう待てません。どんなに待っても。でもこんなに応援団がいることを、今日本当に心強く思っています。
なぜ拉致と特定失踪者と区別の言葉があるんでしょう。それも私はとても不思議です。北朝鮮に拉致された人を、一人も残さず健康で返してください。返すべきだ。そのことを今日は、聞いて頂いてくださった皆さんに深く感謝します。これからもどうぞ宜しくお願いいたします(拍手)。