救う会全国協議会

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北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

拉致発覚から20年?我々はどこまで来たのかー東京連続集会93全報告



◆1997年2月3日に3つの拉致報道と1つの国会質問が

西岡力(救う会会長、東京基督教大学教授)
 みなさんこんばんは。寒い中、今日もお集まりいただきありがとうございます。横田めぐみ拉致発覚20年ということで今日の集会を企画しました。本来なら横田さんのご両親にも来ていただく予定で調整していたのですが、大変お疲れで、また家族関係のことでも忙しくて今日は家で休ませてほしいという連絡がありました。
 当初は来ていただく予定でこの集会を企画しましたが、休んでいただくことが第一だということで、ご了解いただければと思います。
 20年前の1997年2月3日、たまたま3つのことが重なりました。まず、「産経新聞」の朝刊に横田めぐみさんの拉致が大きく取り上げられました。1面トップ記事でした。またその日発売の「週刊AERA」に、今日来ていただいた長谷川さんが横田めぐみさんの拉致の記事を書きました。そのコピーを皆さんにお配りしています。
 またこの日衆議院の予算委員会で、当時新政党の西村眞悟議員が、NHKのテレビ中継が入っている中、横田めぐみさん拉致について質問しました。これが3つ重なったのです。
 それで、「これは韓国の情報機関が意図的に情報を仕掛けたのではないか」等色々言われました。今もテレビによく出ている在日朝鮮人の朝鮮問題の評論家の人もそういうことを書いていました。「○○レポート」というところの人です。
 しかし2月3日になったのは全く打合せをしたわけでもなく、様々な理由で、それぞれが色々なところで取材や調査をした結果、その時点で自信を持って出すことができるようになったということです。
 その前の年、私が当時編集長をしていた「月刊現代コリア」に石高健次さんというテレビジャーナリストが、横田めぐみさんとは書かなかったのですが、「13歳の少女が拉致されているという情報がある」という記事を書きました。
 これは韓国の情報機関から聞いた話ということで書いたのですが、それを元にして、当時の現代コリア研究所の佐藤所長が新潟に講演で行くこともあって、それで色々調べたところ、石高情報と重なる横田めぐみ失踪情報があるということが分かりました。
 また私のところにも、石高さんとは別に直接韓国の機関から同じ情報が伝えられてました。現代コリア研究所としては、97年1月に、「拉致はまちがないだろう」ということで、関係しているジャーナリストに情報を提供したり、インターネットで記事にしたりということをしました。
 また、今特定失踪者問題調査会の代表をしている荒木和博さんが、旧民社党出身だったということで、その関係で西村眞悟議員に、質問主意書で取り上げてもらえないかと相談に行ったところ、「是非取り上げたい」ということだったので、質問主意書を出してくれました。
 なかなか回答が出なかったのですが、2月3日に、西村先生が予算委員会で突然質問しました。それは拉致のことではなく、「加藤紘一光一自民党幹事長のスキャンダルを叩け」ということでした。当時新政党はオレンジ共済スキャンダルで与党からたたかれていたんです。スキャンダルにはスキャンダルでということで、予算委員会の委員の中で一番貧乏でスキャンダルに縁遠い西村眞悟が一番いから、「お前が行け」ということでした。
 当時2回生でしたが、NHKの中継が入っているところで2回生はあまり出られないのですが、それが回ってきた。それを回してくれたのが予算委員会の筆頭理事の石井一さんでした。石井さんは金丸訪朝で北朝鮮に行った人ですから、事前に西村さんと話しましたが、予算委員会の筆頭理事には拉致問題に触れることは言わなかったそうです。
 当時現代コリア研究所の中では私が一番拉致に詳しい論文を書いていましたので、西村先生に電話をしたり、ファックスで情報提供をして、質問するのを手伝っている関係でした。
 そういう中で長谷川さんが横田さんたちに取材されて、記事を書こうとしているという話は聞いていました。また、横田さんから写真提供を受けて一度記事を書き始めたら、家族から電話があって、写真や実名が出たら本人の安全に問題があるのではないか心配だということで、もう一回長谷川さんと相談されたりしているということも横で聞いていました。
 但し、西村議員が横田さんたちに、「何月何日に質問します」と話をしていたんですが、西村さんのところには(横田家から)何も連絡がなかったということもあって、西村さんも私も、2月3日の予算委員会での質問の中で、横田めぐみという名前を出すかどうか、最後まで相談したことを覚えています。
 そういう中で、長谷川さんの記事と産経の記事が出たのです。もうそれが出ているのであれば心配する必要はなかったのですが、2月3日の月曜日に出るのが確実ということを私は知りませんでしたので、週末に大阪に帰られた西村先生と電話で「どうするか」というやりとりをしたのを覚えています。
 最後には、名前を出すかどうかで「西岡先生に任せる」と言われて、胃が痛む思いをして色々なことを考えたのを覚えています。
 その後の色々なやり取りは別として、今日はゲストに長谷川さんに来ていただきましたので、まずこの記事を書くに至る経緯、そして書いた後の反応についてお話をしていただきたいと思います。
 私も久しぶりにこの記事を読みましたが、今でも教えられることがあり、なかなかすぐれた記事だなと今でも思っています。尊敬するジャーナリストである長谷川さんお願いします。


  
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