拉致被害者救出運動20年特別集会全記録
西岡力(救う会会長) 冒頭にも言いましたが、親の世代の家族の人たちが本当に疲労困憊になっています。我々もちょっと反省しなければならない。私は横田さんたちと一緒に色々なところに講演に行きましたが、横田さんたちに「頑張ってください」という人たちが多いんです。拉致問題が何か家族の物語になっている。家族が被害者を探している。それを国民が応援している。
そうではないんです。向こうに不当に抑留されているわが同朋がいる。その同朋を日本人がみんなで助ける。家族がいない人は助けなくていいのか。そんなことはないんです。
だから我々は、テレビの画面に映っている家族の顔ではなく、その後ろにいる被害者に向けなければならない。今向こうにいる被害者がどんな気持ちでいるのかというところに向けなければ、この問題の本質に迫れないと思っています。
今日はここに家族の人たちが来てくださいました。40年間、そして20年間運動した思いを語っていただきますが、その思いの後ろに被害者がいるということで、お話の前に少し被害者のことを私から申し上げ、その後家族の方々に一言ずつお話いただきたいと思います。
まず家族会事務局次長の横田哲也さんが私の横にいますが、めぐみさんは13歳で拉致されて今52歳。滋さんがこう言っています。
めぐみは太っていて、かなり重かったので、小さいころ、どこかに連れて行くときは、必ず私が抱いていましたね。4年後に弟が生まれたのですが、双子なので家内はそちらの面倒で手一杯。だから夜中でも、めぐみがオシッコと言ったときには、私が必ず連れていったものです。めぐみの世話は、とくに弟が生まれてからは実質的には私がしていました。だからかなり大きくなってからも、めぐみは父親と行動することが多い子供でしたね。映画を見る時も、弟たちはアニメがいいというので家内がそちらを見て、私は別れて、めぐみが見たいという映画を一緒に見ました。宝塚を見たいといえば私が連れていきました。めぐみは洪 ?を読むのが好きで、だからものの考え方は普通の子供に比べて大人っぽくて、大人と話してもよく分かる子供でした。新潟には私の転勤で、めぐみが小学校6年の時に広島から移ったのですが、その後の卒業までのわずかな期間だけでも、学校図書の貸出し冊数が学年で一番多かったそうです。その反面、社会性という意味では、親の私がなんでもみんなやってあげてしまうもので、幼かったかもしれません。お年玉を貯金するにしても、私がお金を預かっていって、職場近くの郵便局に入れてあげていましたから。
めぐみさんは図書の貸出し冊数が一番多かった。そんなお姉さんのことを思いながら、この20年間、40年間どんな思いでいたのかをお願いします(拍手)。
◆「遺憾である」ではすされない、主権国家、国益から考えて
横田哲也(横田めぐみさん弟、家族会事務局次長)
みなさんこんばんは。今先生からお話がありましたが、当時広島から新潟に引っ越しをしまして、広島にいる時までは非常に明るい姉がすぐ隣にいて、新潟にいってからすぐいなくなった。そのギャップが非常に激しく、拉致という言葉は当時なかったですが、いなくなってから両親がテレビを見る度に泣いている姿を見る時に、私は当時小学校3年生でしたが、横から見て非常につらい思いをしていましたが、両親がもっとつらかったのではないかと思っています。
今日私はこちらに来るにあたり、誰に監視をされるわけでもなく会場に来て、集会が終われば普通に家に帰り、家族と団らんをすごすことになると思いますが、その当然のことが、その普通にある自由というものが、今北朝鮮に幽閉されている拉致被害者にはないということが現実です。そこから目をそむけてはならないと考えています。
その自由がないということに関して、よく例えるんですが、1940年代くらいにドイツの、当時のナチスがユダヤ人に対して大量虐殺(ホロコースト)をしたわけです。色々な本を読んでいると、読むだけで吐きたくなるようなことが書いてあって、それが昔現実にあったわけです。同じことが、それ以上のことが現在、隣国に存在していることが事実ですし、これにも目をそむけてはならないと考えています。
色々な本を読みますと、強制収容所で色々な虐待を受けている人々は、北朝鮮国民が一番多いと思いますが、地獄があったらいますぐ地獄に行きたいというくらい、ものすごい虐待を受けているそうです。
その強制収容所の中に日本人拉致被害者も何人か入れられているかもしれないと考えると、胸が張り裂けそうですね。そういうことを、金正恩であり、歴代の金ファミリーがしてきた事実があります。
そういうひどい国だということを、当時の日本政府はうすうす分かっていながら、何も動かなかった。その不作為を私たちは本当に許せないと思います。かつては外務省アジア大洋州局の槙田さんが、自民党の部会で発言していますが、「拉致被害者のことばかりにとらわれないで、国交正常化がだめになったらどうするんだ」ということを言っています。
田中(真紀子)外務大臣は、今回暗殺された金正男が違法入国した時にも、有効なツールとして活かせれば拉致問題も少しは早く解決できたのかもしれないのに、「ミサイルを撃たれたら怖いから帰せ」と、全く国会議員として資質なのか、外交官としての資質なのか、そういう人が「国益云々」ということを口にしているというのが現実で、今の国会議員や外交官にはそういうことはないと信じたいですが、かつてはそうだったということがあります。
その中で今回の金正男暗殺事件をテレビで見る時に、マレーシア政府の毅然とした対応は非常にすばらしいですね。空港での証拠映像があったということもありますが、躊躇することなく北朝鮮のせいだと言うあの姿。あれを40年前に日本政府がとっていれば、ここまで長引くことはなかったと思っています。なぜできなかったのかといつも思いますね。
当時の日本の警察の能力からすると、北朝鮮の工作船の無線を傍受していたという記事も見たことがあります。でも傍受していたことを公開してしまうと、日本の傍受力がばれてしまうので言わなかった。何のための傍受か分からないですね。こういったことがずっと続いているから解決しないのですし、この拉致問題もそうですし、中国による尖閣の問題もそうですし、韓国による竹島の不法占拠の問題もそうです。
対抗手段をしっかり取れていれば、そんなことにならなかった筈なんですが、日本は主権国家としての意識が薄いものですからこういうことになってしまう。昔のことは取り返せませんが、今後のことに関しては国会議員が国を守る最前線の方々だとすると、国益とは何かということを真剣に考えてほしいと思っています。
また先ほど民進党の渡辺先生がおっしゃっていましたが、短波放送を通して万が一のことがあれば大使館等に逃げ込む云々ということをおっしゃっていました。短波放送だけではだめで、北朝鮮に大使館をおいている大使に言っているのかどうか。日本政府がその本国にも言っていなければどうにもならないわけです。色々なやれることをやると言っていますが、細かいことを詰めてやっていなければだめだと考えています。
先ほど中山恭子先生もおっしゃっていましたが、憲法改正の話もありました。実際に不測の事態が起こった時に弱いのが日本国の弱点ですが、万が一ミサイルを撃った時に、それが本土に着弾した時や日本海で漁業をしている船に被害が生じた時に、「遺憾である」という言葉ですまさないでほしいと思います。
個別的自衛権を発動できるようにできているのかということもしっかり詰めてほしいと思うんです。
万が一アメリカも出てきて戦争になった時に、救出のオペレーションも行われるわけですが、日米の軍事オペレーションがちゃんと進んでいて、どっちがいつどのように救出するのかが詰められていないと、いざという時に動けないですね。
そのために法律が足かせになっているのであれば、色々修正しなければだめでしょうが、それに対して反対を唱える政党やマスメディアを入れての現実ですから。全部が改憲賛成と言っているわけではないですから。
日本国にとってもっと何が大事か、国益は何かを考えないと、拉致問題だけでなく片付くものが片付かないと思います。はやり主権国家、国益というものを、国会議員や外交官もそうですが、国民一人ひとりが持たないと解決できないと思っています。
ご参加の皆様を初め、国民の皆様におかれましてもそのことを最優先で考えていただければと思っています(拍手)。
西岡 ありがとうございました。